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そしてふたりでワルツを 作者:カミユ

本編

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第五話    ☆恋というもの

 帰宅してすぐ、洋服を着替えることもせずに上着だけ床に放り投げて、ジュンイチは書斎へ篭った。
 投げ捨てられた上着を拾い上げてから、朝まで作業をするであろう主人のために、セバスチャンは飲み物を用意することにした。

 一揃いの道具をカートに乗せて書斎の前まで運び、ドア越しに声をかける。

「お飲みものはいかがでしょうか。お茶のご用意ができておりますが」
「ありがとう。入って」

  書斎入り口ドアを開けて正面、突き当りに位置する壁には大きく明かり取りの窓が有り、その窓に向かうように横幅が広めの木製デスクが置かれている。
 デスクの上は常に整頓され、よく使う資料や紙やインク、手元を照らすランプなどが揃えられている。いつでも何か書きはじめられる状態を維持してあった。

 一方それ以外の部分、部屋の大部分には本がうず高く積まれたり、積んでいたものが崩れたり、そもそも積まれてすらいなかったりと、散らかり放題。
 かろうじて、ドアからデスクまでのみ、獣道のように、散らかった本が掻き分けられてできた道のようなものが確認できる。

 部屋へ入っても主人は振り返ることなく机に向かい続けていた。
 ときおり難しいため息とともに首をひねっていたが、セバスチャンがお茶を淹れはじめると手を止めて、管楽器のような陶器の触れ合う音を聴いているようだった。

「お茶が入りました」
「ん」

 横から声をかけて差し出すと、ジュンイチは淹れたての温かいお茶を受け取って一口すする。
 それから、書きものをするときにだけ着用している眼鏡を外し、椅子ごとセバスチャンへ向き直った。

「セバスチャンはさあ、恋ってしたことある?」
「は、恋……でございますか。若い頃には多少の経験はございますが……どれも苦い思い出と相成りました」
 何を切り出すかと身構えれば、想定外の質問に面食らう。

「ねえ。恋というものの終着点ってどこなの? 恋という心理現象について研究する。相手に手伝わせて実験する。何かしらの結果が出る。 はいそうですか。でそこで終わり? どの本にもそれで終わりだという記述は無かった。一体何がどうなれば実験終了なの?」
「それはまたずいぶん哲学的でいらっしゃいますね……」

 老執事は顎に手をあて、豊満なヒゲをなでながら思案する。

「これは私の見解でございますが、恋や愛にはそれひとつの終着点など無いのではないでしょうか」
「え? 無いの!? 答えが!?」

 幼い頃から研究一辺倒で、天才ゆえに物事に必ず解を導き出してきた主人は、「答えが無い」という答えにこそ驚いている様子。
 頷いて、セバスチャンは語る。

「人が人を好きになったあとの行動といたしましては、まず、好きだという気持ちを相手に伝えます。そして色よい返事がいただければそのふたりは晴れて恋人同士となるのでございます。それから協力して愛を育んだのちに、結婚。貴族の場合は順番が前後したりも致しますが基本的にはこのような流れでございます。そのうち、子宝に恵まれることもありましょう。そうしますと今度は育児という仕事がはじまります。子どもの成長を見守り……坊っちゃま風に言いますと【観察】でございますかね。それが終わるとまた新たな気持ちでパートナーと余生を過ごすことを考えるのでございます。つまり、終着点とは、人生の終わりと同じことなのではないかと……」

「なんてことだ……」

 思いがけず熱くなってしまったとしみじみするセバスチャンの向かいで、ジュンイチは椅子に座ったまま小さくうずくまり、頭を抱えてワナワナと震え出した。
 そしてパッと顔を上げた。そこには珍しい昆虫を発見した幼い子どものような、ワクワクとした笑顔が広がっている。

「衝撃的だよ。それはつまり、恋というテーマを研究材料に選べば、一生飽きること無く研究が続けられるということだね。……すごく……興味がわいたよ」

 あ、でも待って。と、問題点に気付いたらしいジュンイチは額に手をあてる。

「それだと良い返事がもらえることが大前提じゃないか。悪い返事だった場合はどうなるんだ。そこで実験失敗ということか? 失敗のデータも欲しいところだけど、あの子はひとりしかいないから替えがきかないぞ。良い返事がもらえる確率を上げないといけない。何をすればいいんだ、資料が足りないな。明日本屋へ行こう。心理学と統計学とそれから……」

 ブツブツと独り言を言いはじめた彼に、
「恋愛の教本や恋愛小説などもご参考にされてはいかがでしょうか。何と言いましたかな? 最近流行している他国の作家の作品に、科学者の恋愛をえがいたものもあるとか」
 と進言して、セバスチャンはいつの間にか空になっていたカップを下げて部屋を出た。
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