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そしてふたりでワルツを 作者:カミユ

本編

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第四話   第一楽章:ちくはぐなシンフォニー(2)

 カミィにとってはじめての舞踏会は、何もかもが珍しい。右を見ても左を見てもキラキラ、ピカピカ、輝くお星様。おとぎばなしに迷い込んだようで、わくわくが止まらない。夢の世界って、きっとこんな場所のこと。
 気になるものはいろいろあるけれど、ひとまず今は、何かが割れたような音の元を探して彷徨う。もらったばかりの不思議なマスク越しに世界をみまわして、泳ぐように浮ついた足取りで。

 思うよりもすぐに、音の原因は見つかった。黒い髪をした女性が、慌てて食器の破片を拾い集めている。この女性が割ってしまったのだろう。
 気を張っていなければ、わたしだってこういう失敗をしてしまいそう。
 貴族らしからぬ振る舞いの女性に対しカミィは親近感を覚え、片付けを手伝うべく正面にしゃがんで声をかけた。

「大丈夫ですか? お手伝いします」
「ぎゃ! おばけっ!」

 女性は顔をあげた瞬間にひっくりかえって尻もちをついた。
 なるほど。このマスクをつけているとお化けに見間違われちゃうらしい。

「驚かせてしまってごめんなさい。ちゃんと足はあります。おばけは怖いですものね」
 怖がらせたいわけではないので、マスクを外す。着けてもらったばかりで少しもったいないけれど。

「いえ、こちらこそ大変失礼を……。ありがとうございます」
 散らばる破片を貝殻とすれば、このあたり一帯浜辺になりそう。一体どれだけ割ったんだろう。
 おじぎをする女性に笑いかけて、カミィは空想の浜辺で貝殻拾いに精を出しはじめた。

*

 場内に響き渡った音は、もちろん本日の主催者の耳にも届いた。
 少し離れた場所で貴族達に囲まれていた麗しい王子は、マスク越しでも分かる端正な笑顔そのままに、音のした方向へさりげなく視線を走らせる。澄んだ海のような青い瞳が捉えたのは、ふたりの女性が割れた食器の破片を拾い集めている姿。

「何かあったみたいだ。失礼、少し外します。あとは皆様で気兼ねなくお楽しみください」
「まあ、王子様。ご自身で様子をうかがいに行かれずとも、食器が割れた程度でしたら使用人がかたずけられますでしょう? 放っておいてもよろしいのでは?」
 輝く月のような王子の髪を、玉の輿狙いの娘達が名残惜しそうに引く。

「そういうわけにもいきません。何かトラブルがあったのかもしれない。どうかご理解ください」
「さすがは王子様。その心がけ、ご立派」
 見え透いたおべっかをを使う成金貴族達に道を譲られ、王子は海を割るよう輪から退出。

 破片飛び散るその場所へ歩み寄ると、タイミングを見計らったように横から声がかかった。

「王子! ちょうど良かった。ご挨拶の機会をうかがっていたのです」

 マスクで顔は隠れているものの、柔らかく波打つ薄紫の髪と、どこまでも通りそうな雄大な声には覚えがある。先日この人物から謁見の申し入れをうけたばかり。

「あなたはヘルトゥ様ですね? どうです? 楽しんで頂けていますか?」

 他国の王族であると自称するヘルトゥは、普段は身分を隠し、吟遊詩人として諸国を周遊しているらしい。謁見は、この国の文化を学ぶ為に舞踏会へ参加させてほしいといった内容だった。

「ええ、もちろんです。この国の料理は素晴らしい。飲み物も美味しい。参加できて良かった。ぜひお礼をと、お姿を探していたんです。お会いできて良かった」
「それはなによりです。っと、そういえば。お嬢様、大丈夫ですか?」

 視線をうつし声をかけたのは、白桃に似た薄い色の髪をした小柄な少女。
 肩に手を置くと、黙々と破片を拾っていた少女はゆっくりと振り返った。
「え? あ、痛っ」
 同時に発せられる小さな悲鳴。
 胸元に寄せられた手を見れば、サテンのグローブにじんわりと滲みつつある赤い色。

「大変だ。すぐに手当てを」
 王子は屈み込んだままの少女を優雅な動作で引き上げる。

「ヘルトゥ様もどうぞ引き続きパーティをお楽しみください」
「それじゃお言葉に甘えて。ところできみ、ひとりかい?」
「へっ?」

 もうひとりの女性に声をかける彼を背に、王子と少女は連れ立って医務室を目指した。

*

 医務室は、ホールの奥から続く廊下を進んだ先にあった。その長ソファでカミィは今、傷の手当てを受けている。

 シミひとつない白い壁紙が眩しい清潔な室内で、家具は多くない。一見殺風景に思えるけれど、注意して見ると少ないながらも置かれている調度品はどれも上品で、やっぱりここも城内の一室なのだなと改めて思わせるような場所だった。おはなしの世界みたいだったホールから一転、音楽も届かずシンと静まり返った部屋。ここは、きっと現実。

「深く切ってはいないようですね。すぐに出血は治まるでしょう。何か飲みものでも用意させましょうか?」

 カミィが処置を受けているあいだ、案内してくれた男の人はそばに立ってじっと付き添ってくれている。
 この人もきっと舞踏会を楽しんでいたんだろうに、途中で抜け出させてしまって、なんだか申し訳ない。

「いえ、大丈夫です。私の不注意でお手間をとらせてしまってごめんなさい」
「こちらの対応に問題がありました。気に病む必要はありません。それでは、手当てが終わるまで少し話でもしませんか」

 紳士然とした態度で隣に腰掛けて微笑まれ、つられてカミィも少しだけ笑顔に。

「そう。女性は笑っていたほうが魅力的ですよ。申し遅れましたが僕はトーマス・ファン・ビセンテ・ラ・セルダ。本日の主催を務めさせていただいております」

 その名前を聞いて、口から心臓が飛び出しそうになった。
 先ほどからの口ぶりや態度でお城に詳しい人だろうと予想はしていたけれど、あろうことか王子様その人だとは。
 口説き文句のような台詞もこの人が言うとあまりに自然。これが王族というもの……。関心とともに、やや気後れをしてしまう。

「私はカミィ・セシル。オルレアン領にあります伯爵家、セシル家の次女です」
「ほう。セシル伯爵の」
「お父様をご存知なのですか?」
「直接の面識はありませんが、お名前は存じております。たしか貿易を営んでらっしゃるとか。こんなに可愛らしいお嬢さんがいらっしゃるとは知りませんでした。良いモノをお持ちですね。そちらの風変わりなマスクもお父様の貿易のお品で?」

 そちら、と指されたのはさっき知り合った男性にもらったばかりの不思議なマスク。

「ごめんなさい。仮面舞踏会なのに私ったら素顔。マナー違反ですね」
「構いませんよ。咎めるつもりで言ったのではありません。それに、あなたは仮面をつけないほうが良い」

 そう言われて、改めて腕のなかの黒い物体に目を落とす。
 とっても素敵なマスク。なんだか機能的で実用性もありそうな気がするし、珍しくて個性的でかっこいい。ちょっと怖くてドキドキするところも魅力。
 つけないほうが良いなんて、少しショック。

「私には、似合わないですか?」
「ああ、肩を落とさないで。悪い意味ではありません。必要無い、と言い換えましょうか」

 仮面舞踏会なのに仮面が必要無いなんて。王子様のお話は抽象的で難しい。

「どういうことですか?」
 たずねてみても回答は無く、彼はただ目を細めるだけ。

「お手当が終わりました」
 そのとき、道具箱を片付け終わった医師が立ち上がった。それを合図に、包帯が巻かれたカミィの指先を王子がすくい上げる。

「あの、なんだかよくわからないのですが」
「ひとつ忠告差し上げるなら、好奇心には少し蓋をするべきでしょう。でなければ、ときとしてあなた自身の首を閉めることになる。それでは、残りもごゆっくりお楽しみください」

 王子様から紡がれるのはまたもや意味深な言葉。
 考える暇もなく、流れるように部屋の外へと送り出される。
 有無を言わさぬ態度なのに、エスコートは柔らかく完璧。

「あ、あの、お手当ありがとうございました」
 目の前で、それ以上のふれあいを拒絶するかのようにドアが閉じた。
 何か気に障ることを言ってしまっただろうか。不安になったけれど、考えても仕方がない。


「少しフラフラしすぎちゃった。お父様とお母様が心配してるかな」

 医務室から回れ右をしたなら、寂しい廊下はまた別世界へのトンネル。
 戻ったホールでは楽団の演奏の音が大きくなっていて、パーティはいよいよ佳境の様子。賑やかな空間へ入ると、ひとりでいることが急に心細くなる。見知った顔に会いたい。
 場内についてすぐ、両親を探すことにした。
 踊るひとたちにぶつからないよう、隅のほうを歩く。あたりをみまわせば、楽しそうな人々ばかり。ひとり、自分だけが現実に取り残されたような気持ちになる。

 キョロキョロとよそ見をしながら歩いていると、前方から来た誰かにぶつかった。

「ちゃんと前を向いて歩かないと危ないよ」
 相手は跳ね返って転びそうになったカミィの腰を素早く受け止めて、体勢をなおしてくれる。

「ごめんなさい」
 腰を支えられたまま顔を上げて、カミィは安堵した。知っている人がそこに立っていたから。それだけで、不安で乾いた心のカップに潤いが満ちる。

「あなたは先程の……」
「用があってきみを探してたんだ。ここは人が多いから、あっちのテラスへ行こう」

 そう言って、ぶつかった人物――不思議なマスクをくれた人は、強引にカミィの手を引いて外へと連れ出した。


*


 城内のきらめきと相反して、テラスにはすっかり夜のカーテンが降りていた。
 冬の澄み切った空で遊んでいる星の点滅が印象強い。白い息が混ざり合って、ふたりのあいだに小さな雲がうまれては旅立っていく。

「そういえばこれどうしたの?」

 向き合って第一声、カミィの手に巻かれた包帯について、彼がたずねた。

「割れた食器の破片拾いをお手伝いしているときに不注意で切ってしまって」
「血が出たの?」
「少しだけ」
「血液型は何型?」
「O型です」
「へえ。ところで本題なんだけど、僕、きみを好きになったみたい」


――。


 視界が、はじけた。
 あまりに唐突な告白に、頭が真っ白。目の前がチカチカする。

 彼の言葉は、時間を止める魔法の呪文のようで。一瞬が永遠。そんな錯覚。

 前後のつながりがまったくみえない内容と、突風のような急展開に理解が追いつかない。青く晴れた空に、いきなり雷が落ちてきたみたい。
 驚きのあまりからだが凍る。

 息が詰まって何も言えないでいると、矢継ぎ早に彼が続ける。

「きみを見ていると、今まで感じたことのない不可解な気分になるんだ。他の人間の前ではこんな症状が出ないから、病気でないとすれば、僕はきみを好きになったっていうことになると思う。きみに近づくと感情が昂るんだ。おそらくドーパミンが多量分泌されている。手を握ると心拍数が増加するのはノルアドレナリンの分泌のせいだ。そして今、少し不安になっているのはセロトニンの分泌が少なくなっているからだ。明らかに平常時とは違う脳内物質が出ていて心とからだに変化を起こしている。この症状から導き出される答えは……恋……というものだと思う。この心理状態をもっと詳しく研究してみたい。ひとりじゃ無理なんだ。協力してくれるよね?」

 そこまでを一気に捲し立ててから、彼は再びカミィの手を取りなおして、祈るように両手で優しく包み込んだ。


 恋。恋って何だろう。
 カミィが好んで眺める童話の世界では、恋をしたお姫様や王子様は、冒険や試練ののちに結ばれたり結ばれなかったりする。そんな物語の登場人物に自分を重ねて、ひとり、部屋のなかから焦がれてみたりすることはよくあった。もっと大人になれば自分も甘いロマンスや苦い失恋を経験するのかな、なんて、なんとなく思い描いてみたり。
 けれどまさか、こんなにはやく突然に、その機会が訪れるなんて!

 難しいことはよくわからないけれど、「好きだ」と言われたことをようやっと理解する。まるで物語の主人公になってしまったみたい。ふわふわと、からだが浮いている。きっとこのまま雲の上まで飛んでいってしまうんだ。

 恋愛経験どころか、異性との接触すらほとんどしたことのなかった少女にとって、「男性が自分を好きだと言っている」。
 それだけで、恋に落ちる理由は充分だった。
 人を好きになるきっかけなど、得てして案外些細なことなのだ。

 固まった体を溶かしていくように、握られた手からじんわりと熱が伝わってくる。意識しはじめると途端にその熱が全身へ広がって、今が冬だと忘れてしまいそう。

 何か言わなければと焦れば焦るほど、舌がもつれて言葉が出ない。彼の瞳を覗くと、口をパクパクさせるだけの金魚が映っている。

「あの、わ、わたし、わたしも……」

 どうにかこうにかそこまでを絞り出したとき、横からの呼びかけが水を差した。

「お話中失礼致します。セシル家のカミィお嬢様でいらっしゃいますね? ロバート様からあなたを探すよう言付けを預かって参りました」

 城の使用人風の男性にそう言われ、カミィは途端に重力を取り戻した。しゃぼん玉はパチンと破れて、夢がさめる。

「いけない! そういえば私もお父様を探していたんでした。もう行かなくちゃ。ごめんなさい。今度お手紙を出しますからきっとお読みになってね」

 カミィは慌てて彼から手を離し、ドレスの裾をひるがえす。
 はじめての恋への気恥ずかしさから逃げ去るように。

*

「舞踏会はどうだったかね?」

 帰りの車のなかで父に感想を求められて、少女はめまぐるしかった一日を思い返していた。

 久しぶりに姉と義兄に会ったこと。
 割れた食器の片付けを手伝ったこと。
 王子様と話をしたこと。
 不思議なマスクと自分のマスクを交換したこと。もちろん貰ったマスクは今も大切に膝の上に乗せてある。
 そして、不思議なマスクの持ち主だった男性から好きだと言われたこと……。

 鮮明に蘇って、また全身が熱くなってくる。

「とっても楽しかった」

 そう返事をして、体の向きを窓のほうへ。顔を見られたら、恥ずかしい。きっとトマトよりも真っ赤になっている。

「そういえば、お手紙を出すと言ったのに、あの人の名前を聞き忘れちゃった。お義兄様とお知り合いだったみたいだけど、きけばわかるかなあ……」

 そんなことを考えていたから、道中の景色は全然頭に入ってこなかった。家に着くまでずっと眺めていたのに。
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