挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
そしてふたりでワルツを 作者:カミユ

外伝

41/43

外伝六   かくて、狼は漸う王となり(2)


 最初に目をさましたのは、マリクだった。

 頭が痛い。棒で殴られたあとのような鈍痛がする。
 目が霞む。視界が水面のように滲んでいる。
 手足も重く、全身が土中に埋められているようでほとんど動かない。

「っくしょうめ」
 できることと言えば、唯一まともに動く口で悪態をつくことだけ。

 首を回すと、案の定金庫の扉が開いていた。
 ダイヤルロックと鍵の二重構造のものだが、おそらくダイヤルの番号を背後から盗み見られていたのだろう。コートのポケットに入れていたはずの鍵が、開きっぱなしの金庫扉から、こちらをあざ笑っていた。

「迂闊だった」

 他人の目の前で金庫を開けた自分の責任だ。誰を責めることもできない。
 だが、それはそれ。今後気をつけるとして。

「ぜってー許さねえ。舐めやがってクソが」
 せっかく苦労して貯めた金を盗まれて、泣き寝入りなどできるはずがない。この世の果てまで追いかけて必ず奪われたものを取り返す。

 動かないからだに地獄のような怒りを覚えてしばらく。手足の先から徐々にしびれが遠のいてゆき、なんとか立ちあがれる程度に回復して時計を確認すると、幸いにもまだ数時間しか経っていなかった。
 このくらいの時間なら、どんなに上手に逃げ隠れしたとしても消息が掴めなくなるほどでは無い。一杯しか飲まなかったのが幸いしたかと考えていると、うめき声がした。デコが意識を取り戻した合図だった。

「おい、大丈夫か」
「なんとか」
 苦しそうに頭を押さえ、震える膝で彼も立ち上がる。薬の抜け具合はほぼ同じくらいに見えた。

「おいコラてめえ。いつまで寝てんだ」
 次にマリクは、デコの横にまだ倒れたままのボコを怒声とともに蹴りつけた。
「……え? あれ? 俺、なんで? なんかからだ動きづらいッス」
 薬入りの酒を一番飲んでいた彼は、まぶたを持ち上げるのも億劫そうにぼんやりと宙を見つめる。その胸ぐらを掴み無理やり上半身を引き寄せ前後に揺すると、首が座っていない子供のようにフラフラと揺れた。

「テメーもグルか? あ?」
「何のことッス?」
「しらばっくれんじゃねえ。その怪我も俺の油断を誘う為か?」
 怪我だけでなく、今こうやって一緒に倒れていたことも、何かの罠かもしれない。勢いに任せて腕を振り上げると、ボコはビクッと震えて頭をかばった。こういう動きをする者を、これまでにも見たことがある。暴力を受けることに慣れている者が反射的にとってしまう姿。

――ボコはグルじゃない。マリクは確信した。

「チッ」
 行き場をなくした腕は、やるせなく宙を切り壁を殴った。

「お前もオトモダチにハメられたんだよ。わかるか? こうなったら怪しいのはお前の親父だ。逃げたオトモダチと親父がグルだ。最初から、お前を殴って怪我させて、逃げてきたってことでダシにしてここに入り込む作戦だったんだ。今思えば最初からアイツ、お前を運んできたあと一切心配する素振りがなかった。普通、一緒に逃げるほど大事なヤツが死にかけてたらもっと気にするはずだったんだ。それなのに、事情を説明するあいだ一度たりともお前のほうを見てなかった。気づけなかった俺の失態だ」

 あくまで状況からの推測でしかないが、これが今一番可能性の高い現実だ。"命を助けてくれた親友"に裏切られたとあっては、ボコもさぞやショックだろう。酷なことだが、甘やかしてやる義理はない。そう思ってハッキリと告げると、
「あー、どうりで。俺、あの人とそんなに仲良かったっけ? って思ってたんスよ。それなら納得ッスねー」
 と、ボコは口元の緩んだだらしない笑顔を披露した。

「お前……いや、今はいい。まあそういうことだ。朝が来るまでに決着をつける。あいつの家は知ってっか?」
 想像以上にバカだった。と簡単に片付けて良いのかどうか考える時間すら、今は惜しい。
「知らないッスね」
「じゃあお前の親父のところへ連れて行け」
「それなら場所はわかるッス! けど、俺はあんまり行きたくない……。場所だけ言うんでふたりで行ってきてもらうんじゃ駄目ッスか?」
 ボコはうつむいて、小さく懇願するような声を出した。出会ってからずっとうるさかった彼がはじめて見せる姿。
 だがマリクはそんなボコに容赦なく鞭打った。
「ダメだ。お前も来い」

「そっ……ッスよねえ。わかったッス。行くッス」
 もしかしたら、と期待していたのだろう。それが叶わぬと見えて、ボコは一瞬だけ喉を詰まらせた。しかしすぐにまた笑顔に戻り、一緒に行くことを了承した。話しているあいだに彼も薬が抜けてきたようで、完璧とはいかないまでも、それなりに動けるくらいには回復したようだ。

「よし、行くぞ」
「オッス! こっちッス!」

 ボコの案内で三人は夜のスラムを駆ける。外気に触れているうちに、からだのしびれはすっかり消えた。しばらく走ると、マリクの住むあたりよりもっとずっと貧しそうな民家が並ぶ通りに入った。そのうちの一軒の前でボコは立ち止まる。周囲には酔いつぶれて倒れたらしき人影がまばらにうごめいて、小さなうめき声が耳に届く。

「ここッス」
 壁に大きな亀裂が入り雨が漏れそうなその家の窓からは、微かな明かりが漏れている。そっと覗くと、金をもって逃げたあの青年ともうひとり中肉中背の男の背中が見えた。男がボコの父親だろう。髪の色がそっくりだ。
 マリクは腰に差した鉄パイプを引き抜いてデコに目配せをした。デコは手にした金属製のバットを握りなおして頷き返す。
 ふたりは息を揃えて武器を高くあげ、窓ガラスへ向けて力いっぱい振り下ろした。

 クラッカーを鳴らすような音が轟き、窓枠ごと破壊されたガラスの破片が紙吹雪よろしく室内へ降り注ぐ。
 開いた大穴から身軽く飛び込むと、砂利を踏むような小気味良い感触がブーツ越しに足裏へ伝わった。
「よぉ。パーティをはじめようぜ」

「……お前!」
 突然の訪問者に振り返った父親は、最初は驚いた様子を見せたが、こちらを確認するとすぐに傍にあった酒瓶を手に立ち上がった。その足元にはふたつの山に分けられた金とリュック。
「仲良く山分けしてトンズラこくつもりだったのか? 残念だったなあ」
 内心はリュックの色形にすら腹立ちを覚えるが、焦った態度を取って相手に舐められるのは不本意。マリクは余裕ぶって口角を上げ、握ったパイプを肩口で弄ぶ。

 対峙した父親は額に青筋を浮かばせ、マリクのことなど目に入っていないように横を通り抜けた。
「あれだけ痛めつけてやったのにお前って奴は……もう一度教育してやろう!」
 そう言ってボコの前へ立つと、躊躇なく手にした酒瓶を振り上げる。流れるような一連の動作が、この行為の常習性を異質なまでに主張した。

「ごめんなさい!」
 しゃがんで身を守ろうとするボコを、父親は容赦なく瓶で殴りつけようとする。その腕を、マリクは後ろから掴んで止めた。
「無視してんじゃねえ。テメーの相手は俺だ」

 そのまま脇腹に向けて蹴りを放つ。掠れた呻きでよろめいた相手の腕を折るくらいのつもりでパイプを打って、酒瓶を落とさせ無力化する。木製の床に瓶が落ちて転がると同時、父親が叩かれた腕を押さえて膝をつく。その隙にマリクは羽織っているコートのベルトを引き抜いて、素早く相手の両手と両足を縛り上げた。

 振り返ると、残った青年がどさくさに紛れて慌てて金をまとめている。
「デコ! そっちは任せた」
「もちろんです」
 マリクの指示とほぼ同時、デコが膝蹴りを青年の背中にお見舞いした。うつ伏せに倒れた青年に馬乗りになり、首に関節技を決める。背も高く体格が良いデコに押さえつけられて、逃げられる者はそうそういない。技をかけられた青年は手をばたつかせ数度床を鳴らしたが、緩められることのないデコの手によって十数秒で絞め落とされた。

 マリク達三人が侵入してから、ほんの数分の出来事だった。
 たったそれだけの時間で、今、金を盗んだ青年とボコの父親は手足を縛られ床に転がっている。
「俺から金盗んで逃げ切れると思ってたのか? ずいぶんと舐めた真似してくれるもんだ」
 まだ意識が戻らない青年と、恨めしく睨みつけてくる父親を、マリクとボコは見下ろしていた。デコは少し離れ、家のなかを物色している。

 人を騙して大事なものを奪った挙句、逃げることに失敗して捕まってしまったら、一体どのような気持ちになるだろう?
 マリクにそんな経験は無いので想像することしかできないが、縛られてからだの自由を奪われ、武器をもった相手に見下され、しかもその相手は怒っている。となれば、自然と身の危険を感じるのではないだろうか? 

 しかし父親はそんな素振りは微塵もみせず。またもマリクを居ないものとし、ボコに怒声を浴びせる。
「役立たずのグズめ! 誰が今まで世話してやったと思ってんだ! こんな奴ら連れてきやがって馬鹿野郎!」
「ひっ、ごめんなさい。でも俺、何も聞いてないし……」
 相手は身動きがとれないというのに、怒声だけでボコは怯えて縮こまった。もはや条件反射となってしまっているのだろう。
「聞いて無くても分かりやがれ! グズ! お前のせいで作戦が台無し――!?」
 唾を撒き散らし大声をあげる父親の鳩尾に、無視されたマリクは我慢ならず蹴りを入れた。

「何しやがる! 今息子を教育してんだ! 関係ない他人は黙ってろ!」
 ここではじめて、父親の目がマリクを捉えた。その瞳はやや白濁としている。目が合っても、見つめられているという感覚は無かった。どこか曖昧に四散した視線。
「さんざん巻き込んでおいて何が関係ないだ? ふざけんじゃねえ! 教育が必要なのはテメーのほうだ」
 マリクは最後の言葉を低く発声し、太ももに装備したベルトからシースナイフを引き抜いた。

 それを、横に立つボコの手に握らせる。
「教育だ」
 鋭く光る刃に、戸惑うボコが映り込んでぐにゃりと歪んだ。

「お前がやれ」
「えっ!? お、俺!? や、やるって何を!? こ、こ、殺すんスか!?」
「好きにしろ。殺したきゃ殺せ。お前だって殺されかけてんだ。やる権利はあるはずだ」
「ま、またまた~。冗談ッスよね? さすがに人殺しはマズいっすよ~あはは」

「なんでだ?」
「だって、そりゃ、バレたらヤバイことになっちゃうし……」
「違う。なんでお前はこの状況で笑ってんだ?」
「え?」

 ナイフを返そうとする手は、目に見えて震えているというのに。額には汗をにじませて、足だってフラついて。
 それなのに。

「殺されそうになって、騙されて、今もまだ舐められたままで、それでなんで怒ったり泣いたりしねーんだよ。なんでやり返さねーんだ?」
「お、俺……」
 その一言は、もしかしたら、何よりも痛い言葉だったのかもしれない。
 ボコは目を見開いて後ずさる。その顔からは、もう笑みは消えていた。

「それが教育だ」
 ふたりのやり取りの横から、得意気な声が割り込んだ。
「道具に感情はいらない。お前は俺の言うようにやってれば良いんだ。殴られるのは痛いだろう? 怖いだろう? だったら今すぐこの拘束を解け」
 父親の声にボコはまた大きくおののいて、ナイフを取り落とした。右も地獄、左も地獄。父親とマリクに交互に視線をうつすボコを見ていると、そんな一文が頭に浮かぶ。

 この状況にあっても父親が余裕を崩さなかったのは、このせいか。マリクのなかで合点がいった。この期に及んで、まだボコを使おう、と言うのだ。使える、と思っているのだ。この場を支配しているのは自分だと、身動きすら満足に取れないザコが、のたまっているのだ。

「るせえ。ちょっと黙ってろ。デコ!」
「はい」
 デコはどこから持ち出したのか、ガムテープで父親の口を塞いだ。ついでに、目を覚ましかけていた青年をもう一度絞め落とした。実に有能。

「おい、ボコ。お前はこれから先、どうしたいんだよ? ずっとヘラヘラ笑ってその場をやり過ごして生きるのか?」
「俺は……だって、笑ってないと、痛い思いをするだけで……」
「いいか。お前の目の前には今、道具をやめるチャンスが転がってる」
 つま先で父親を突くと、両手両足を縛られ口まで塞がれてしまった彼は、鼻息あらく「ンー!」とくぐもった声を漏らした。
「別に一生道具のままで居たいならそれも良い。そしたら俺は、二度とこいつらが舐めた真似しねーようにちょっと叩いて、金を持って帰るだけだ。会ったばかりのお前の面倒を見る義理もねーしな」

 ボコは口を小さく開けたまま、過呼吸のように短く息を繰り返す。

「けど、お前が仲間になりたいって言うなら、とりあえずうちに入れてやってもいい。試用期間は設けるし、ちゃんと働かねーならすぐに追い出すつもりではあるけど」
「お、俺、どうしたら」
「お前が決めろ」

 マリクはそれっきり口を閉じた。

 洗脳や恐怖支配。ボコが父親から受けていたのは、そういう類のものだろう。幼い頃から続けられてきたそれが、簡単に解けるとは思わない。かといって、かわいそうだと憐れんで、優しく救ってやろうとも思わない。そんなものはこの世にありふれたものだし、ボコだけが特別かわいそうな奴だとは感じられない。荒療治と言えばそうかもしれないが、この程度で音を上げる奴はもとより仲間にする価値は無し。そうであればここで切り捨てれば良い。

 あとはもうボコの行動次第。マリクは腕を組み、見守るだけとなる。

 父親とマリクに見つめられるなか、ボコはゆっくりと屈み、落としたナイフに手を伸ばした。あと数センチのところで一度手を止め躊躇する。チラリと父親に視線をやり、そして恐る恐る顔をあげ、マリクの様子をうかがう。それからもう一度ナイフへと目を落とし、意を決したように拾いあげた。
 ゴクリと、ボコの喉元からそんな音がした。

 ナイフを両手で握りしめ、腕を高くあげ、しっかりと目標を見据えて。
「ンー! ンー!」と鳴き続ける父親に向かって――振り下ろす!



「はいストップ」
 ナイフが父親の眉間に突き立つ寸前、マリクはボコの腕を掴んで止めた。
「できるじゃねえか」

 ボコは少しのあいだキョトンとマリクの顔を見つめ、やっと状況を理解すると、
「あは……あはは」
 と再び力なく笑いながら、その場にへたり込んだ。

「こいつ、笑いながら泣いてやがる」
「え? 俺、泣いてなんか……あ、あれ? ほんとだ。なんでだろ? なんかわかんないッスけど、あはは。涙出ちゃってる。あははは」

 父親のほうはと言えば、ナイフが目前に迫った瞬間にデコが上手に絞め落とした為、今はとても静かだ。


【教育】は、おそらく、成功した。




「こんなもんでいいだろ。帰るか」
「はい」


 部屋の中央にぐったりとしたふたりを転がしたまま、マリクとデコは暴れまわった。目に映るもの全てを壊してまわった。最初は右往左往していたボコも途中から加わって、三人で破壊の限りを尽くした。完膚なきまでにという言葉を体現するように。意識を取り戻したふたりに復讐の気持ちが湧き上がる余地の無いよう、徹底的に。辛気臭い陰鬱な家を、それはそれはオシャレなハウスにしてやった。
 そして”リフォーム”が完了すると、奪われた金を持って、三人はその場をあとにした。

 帰り道、一歩先を歩くマリクの袖を、ボコが引っ張った。
「あの、助けてくれて、ありがとうッス」
 マリクは足を止めずに、頭だけ少し振り向いて、
「別に助けたつもりは無え。俺は、あいつらが俺の金を奪ったことにムカついたから潰しただけだ。お前の為にやったんじゃない」
「そッスか。でも結果的に、俺は助かったッス。なんか、新しい感じがするんス。うまく言えないけど、俺がちゃんと俺になれた気がするっていうか。こういうの、なんて言うんスかね?」
「知らねーよ。俺に聞くんじゃねえ」

 マリクが前を向いても、構わずにボコは続ける。
「ですよね。ってか俺、これから先、どうしたら良いんスかね? ボスのところで引き続き雇ってもらえるんスよね?」
「先のことは自分で決めろ。うちで働きたきゃ、しっかりやれよ。使えねーと思ったらすぐに追い出すぞ」
 答えると、袖を引く手が離れた。そして一拍あと、

「うおおおお! 俺、真面目に働くッス! 最初のお給料で、まず差し歯を買うッス! そんで次は、彼女をつくるッス! 俺の人生、すげー楽しい感じにしてやるッスよ!!」

 意気込んで、ボコは駆け出した。昨日の雨でぬかるんだ地面。泥が跳ねるのも厭わずに、子供のようにはしゃいでいる。

「やっぱりあいつ、ただのバカかもしんねー」
 ボコの背中に向けて呟くと、隣を歩いていたデコが、無言で同意を示した。

「早く帰りましょー! あ、その前にどっかで飲んで行くッス?」
 ひたすらに明るい声が闇夜に溶ける。
「行かねーよバカ」
 というもうひとつの声が、混ざり合って空へとのぼった。

END
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ