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そしてふたりでワルツを 作者:カミユ

外伝

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外伝五   春の頃、めぐりめぐりて(1)

メイン:マリク、デコ、ボコ  ジャンル:ほのぼの、ちょっと良い話
 刺すような冷たい風が影を潜め、ふわりとしたものにかわる春のはじめ。
 吾妻邸裏口の軒先で、マリクは受け取ったばかりの書類に目を通していた。彼の耳には、さきほどから止まること無くキャンキャンと子犬の鳴き声にも似た声が響き続けている。
 意識を遮断し、まとわりつくその声を無視して手のなかの書類に集中すること数分。チェックを終えたマリクは、声の主のほうへ顔を向けた。

「よし、OK。で、さっきから何なんだ?」
「え~!? ボス聞いてなかったんすか? だからね、デコったらひどいんスよ。あいつ、昨日の夜仕事終わってから、突然『明日は休む』ってだけ言って帰ったんスよ」

 そういえば。
 今日はボコがひとりで来ている。いつもふたりセットみたいなデコボココンビを片割れだけ見かけるのはずいぶんと珍しいことだ。

「今日は終わったら一緒に遊び行こうと思ってたのに、予定狂った~」
 頭をかかえて悔しがるボコ。
 その頭上を通り越して、空を見上げる。この時期特有の、やや白みがかった明るい水の色をしている。
「ああ、そういえばもうそんな時期か……」
 昨年まではスラムでこの季節を迎えていたことを思い出し、マリクはどこか懐かしさを含む息を吐いた。

「ボス何か知ってんスか? ていうか、俺の今日の予定どうしたらいいと思います!?」
「お前の予定なんか知らねーよ好きにしろよ」

 確認し終えた書類をまとめながら雑談を交わしていると、邸内から軽やかな足音が近づいて来た。

「マリクー。そろそろ出られる? はやくしないとお腹がすいちゃう。ジュンイチくんがもう車の用意できたって」

 踊るような足取りでやってきて裏口からひょっこりと顔を出したカミィは、ボコの姿を認めると緩く笑顔を浮かべた。

「あっ! ボコくん、久しぶりだねえ」
「あっ、お姫様。ど、どーもッス」
「わたしもうお姫様じゃないんだけど」
「いーんスよ。俺のなかでアンタはいつまでもお姫様なんス」

 ボコは被っていたキャップ帽を脱いで片手を胸に当て、もう片方の腕は大きく広げてお辞儀をした。彼のなかでは王子様のように紳士的でかっこいい挨拶のつもりらしいが、いかんせんお調子者な性格が邪魔をする。せいぜい舞台上で挨拶をする道化師くらいにしか見えなかった。

「っと、俺そろそろコイツらに付いて出なきゃなんねーから。お前もう帰れ」
「あちょっと、ボス!」
 ボコにむけてしっしと手を払い、反論が飛んでくる前に素早く屋内に避難する。ドアの内側でひといきつくと、一緒に押し込まれたカミィが丸い瞳を向けてきていた。

「ね、マリク。わたし、いいこと思いついた! 今日のピクニック、ボコくんも一緒に行こうか」
「ああ!? なんで!?」
「お願い。いいでしょ? 早く声かけて!」

 少女の「お願い」はこの家のなかでは絶大な強制力を持つ。断るとおそらく雇い主権限を持ち出して駄々をこねるだろう。

 そうなると――
「くそっ。めんどくせー!」
 一瞬でその光景がありありと浮かび、マリクは観念して再び勢いよくドアを開ける。

「おい! 戻って来い! うちのお姫様が、お前も一緒に出かけようだってよ!」

 声をかけると、小石を蹴飛ばし不服を露わにして遠ざかりかけていた背中は飛び跳ねそうな勢いで振り向いて、「行くッス!」と大きく返事をした。



*



「よりによって、ここかよ……」
 ジュンイチが運転してきた車からおりてすぐ、マリクは呟いた。

 四人がやって来たのは、広々とした自然が見渡せる静かな場所。

 道中ではボコとカミィが想像以上に意気投合し、車内はずいぶんと騒がしかった。一転、ここでは鳥の鳴き声と木々のざわめきがときおり耳に運ばれてくるだけ。少しひんやりとした風が気まぐれに駆け巡り、狭い空間の熱気で火照った頬を冷やしてくれる。
 吾妻邸から車ですこしのところにある平原。
 奥へ歩けば森があり、なだらかな丘とも繋がっている緑豊かでのどかな一帯。ここに公園でもつくれば、家族連れのピクニックやハイキングコースとして賑わうかもしれない。

 そんな爽やかな空間に立った瞬間、マリクは眉根を寄せたのだった。
 今日だけは、ここには来たくなかったのに。ピクニックができそうな場所などいくらでもあるというに、どうして今日、よりによってこの場所なのか?


「どうしたの? 車酔いした?」
「いや違う。なんでもない」
 たずねられてハッとし、ふるふると頭を左右に振る。

 来てしまったものを憂いていてもしかたがない。まさかの事態を想像するより、自分の役割をまっとうするべきだ。と、荷物を取り出すため車の後方へまわる。

 マリクがトランクをあけると、残されたカミィは「それじゃあ、」と丘のほうへ向きなおった。
「お昼ごはんを食べよう! どこがいいかな? あっちのほうが暖かいかなあ? 行ってみよう」
 言うと同時、太陽のある方角へ走りだす。

「待ってカミィちゃん! 僕が現在の時刻と風向きと天気と湿度と地形と過去の気温の統計から、昼食に最適なポイントを計算して誘導してあげる!」
 突然走りだした妻を慌ててジュンイチが追いかける。

「何言ってんスかあの人!?」
「気にすんな。あいつの言ってることは俺にもよくわからん」

 夫婦のやりとりに目を丸くするボコを尻目に、用がすんだマリクは落ち着いてトランクを閉じた。
 自分も最初はあのふたりのペースが掴めず右往左往したなというのを思い出す。今でもまだまだ毎日驚かされることはたくさんあるが、このくらいのやりとりであれば適当に流せるくらいになった。
 これは成長か、それとも退化か。

「はぁ……なんかヤバイッスね。俺、もしボスの立場だったらあの人のもとで上手いことやれる自信ないかも……。ボス、意外と苦労してんスね」
「もう慣れたよ」
「荷物運ぶの手伝うッス」

 両手にバスケットをぶらさげて、小さくなだらかな丘を登る。
「マリクー! こっちこっち! ここでお昼にしよう!」
 丘の中腹、ジュンイチとカミィが陣取った「昼食に最適なポイント」は、記憶にある「今日は近づきたくない場所」からは少しずれていて、マリクはほっと胸をなでおろした。

 すぐに追いついて昼食の準備にとりかかる。
 準備といっても特にすることはない。輪になった四人のまんなかにバスケットを広げるだけ。なかには、たっぷりの野菜やチーズが挟まったサンドウィッチ。小分けにされたいれものには肉のあげものや、卵を焼いたものも。別のバスケットにはカミィの好物のフルーツサンドも食べきれないくらい詰め込んである。それを囲み、保温性の高い水筒から全員分の紅茶を注げば、あとは食べるだけ。

「いただきまーす!」


「わっ、何スかこれめっちゃウマい」
「そりゃ元侯爵様の家のシェフがつくったもんだからな」
「サンドウィッチなんてパンに具挟むだけじゃないスか。なんでこんな差出るんスか!? え、まって、この肉もめっちゃうまいッス。は!? 卵も! 俺こんなん食べたのはじめてッスよ!? なんなんスか! シェフ、パねぇ~!」

「わたしフルーツサンドから食べるー」
「じゃ、僕はフルーツサンドを食べるカミィちゃんの様子をレポートにまとめるね」
「やっ、やめてよぅ」

「……なんかもうこのふたり逆にすがすがしッスね」


 両手にたべものを持ってうまいうまいとがっつくボコ。
 本当にレポートをまとめはじめたジュンイチ。
 頬を染めて黙々とフルーツサンドを口に運ぶカミィ。
 それらを眺めつつ、マリクもサンドウィッチを頬張る。口内でみずみずしい葉菜がシャキシャキと音を立てる。今度はレタスの栽培でもしてみるか。と、植える場所等、脳内で構想を練ってみる。


 そんなこんなで、無駄話を挟みつつ一時半ほどかけてゆっくりとみんなで昼食をとった。
 食べ切れるかどうか心配するほどの量だったバスケットのなかみは、なんの苦もなくたいらげられた。

「は~。食った。めっちゃウマかった。シェフの料理まじヤバイッス。俺将来シェフになりてえ」
「お腹いっぱいになったらちょっと眠くなってきちゃった」

 小さなあくびをして、カミィは草の上で横になった。曰く、日の当たる場所でのふかっとした草原の引力は冬の朝のベッドに匹敵するという。

「おい、こんなとこで寝たら風邪ひくんじゃねーか?」
「大丈夫だよ。僕の計算によると、この場所ならあと一時間は暖かいはずだから気持ちよく眠れると思うよ」
「じゃ、俺もちょっと寝たいッス。もう無理抗えない」

 ボコもそのまま真後ろに倒れ込む。ぽすっと打った頭からキャップ帽が脱げて転がるが、草に受け止められてすぐにその動きを止めた。

「ったく、お前らは」
 やれやれとマリクが片付けをはじめようとしたそのとき。

 トッ――と、強い風が吹いた。

 いたずらな風はカミィの髪を弄び、ジュンイチの膝で紙を踊らせ、マリクの横の水筒を転ばせ、そして、ボコのキャップ帽を宙へ巻き上げた。

 キャップ帽は生きているかのようにつばで風を切り、自らの意志で飛んでいるかと疑うほどにぐんぐんと舞い上がる。そのまま勢いに乗ってふわふわと丘の向こう側へ。

「俺の帽子~~! ちょっと取ってくるッス」
「おう」

 バスケットの蓋を閉めながら、ボコが走っていく方向をチラとみて、マリクは息を呑んだ。
「……あ!? 待てボコ、そっちの方角は!!」
 そちらはまさしく、マリクが「今日は行きたくない場所」。そしてそれ以上に、「ボコを行かせたくない場所」の方角だった。

「おい、待てって! 帽子なら俺が取ってきてやるから! くそっ、だめだ聞こえてねえ」
 急いで立ち上がりボコを追いかける。

 途中一度振り向いて「あとで片付けるからバスケットは置いとけ!」と残ったふたりに指示すると、すでに寝入っているカミィの隣でジュンイチは紙に視線を這わせたまま、ひらひらと片手をあげて了承の意を示した。もとよりマリクがいないあいだに片付けておくという気は無かっただろう。それでも一応言っておくのは、執事の意地というものだ。


 ボコが向かった先にあるものを、マリクは知っている。
 この一帯、平原と森の境目の一部に、人目につきにくい獣道がある。その道を数分歩いて横道にそれたところ。今日だけは、そこへボコを行かせるわけには行かない。

「あいつ、意外と足がはやい!」

 視界にとらえたボコは今まさに、落ちた帽子を拾いあげ、その獣道を発見したところらしかった。
 ボコの性格上、彼は絶対にその道にはいるだろう。なんとかしてそれを止めなければ。

「ボコ、ちょっと待て!」
 マリクは声をあげる。


 だが、しかし!


「あれ!? デコ、こんなところで何やってんの!?」

 というボコの素っ頓狂な声に、危惧していた事態が起きてしまったらしいことを悟ってマリクは額に手を当て天を仰ぎ見た。
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