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そしてふたりでワルツを 作者:カミユ

本編

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第二二話   ☆誰がために(3)

 数日後。
 神父の男がディエゴに指定されたスラムの酒場は、先日親切な青年と出会ったあの店だった。

 外壁を白いペンキで塗られたその店は、内装は一転して自然な色使いのものが多く、カウンターやテーブル、酒の並べられた棚、椅子のひとつひとつに至るまですべて年季の入った木製のものだった。
 まだ夕日が落ちきっていない少しはやめの時間にもかかわらず、店内はすでに酔っ払ったらしき人びとの陽気な笑いと、アコースティックな音楽で満ちている。

 店内を見回すと、目当ての人物はすぐに発見できた。
 その人物はふたりがけ用の小さな丸テーブルに肘をついて、店内の喧騒をボーッと眺めている。
 砂や泥で汚れた衣類を着る中年やダボついた上着を羽織る青年などのなかで、白衣を纏った姿は異彩を放っていた。

 男は急いで白衣の人物のもとまで行き、声をかけた。

「吾妻ジュンイチ様でいらっしゃいますか?」
 名を呼ぶと、その人は緩慢な動作で向き直る。
「ああ、きみがディエゴくんの紹介の?」
 はい。と答えて、男はジュンイチの正面に腰を下ろした。

「この度は吾妻の領主様自ら武器の調達にご助力いただきましてまことに……」

 普段から寄付をもらっている相手とはじめての対面。
 ましてやそれが図々しくも要求をのんでもらったあととなる。
 緊張で倒れそうになりながら失礼のないように最大の敬意を表して礼を述べようとするが、軽く手で遮られた。

「堅苦しいのはいいよ。たいしたことじゃないし、きみのためでもない」

 そうして、彼はポケットから一本の鍵とメモを取り出す。
 受け取ってメモを開くと、地図が描かれていた。

「そこにあるから。好きに使って」
「ありがとうございます」

 感謝してもしきれない思いで頭を下げたそのとき。

「やっと見つけたぞ吾妻ジュンイチ!」

 店内のざわめきに紛れて、怒声が響いた。

*

「侯爵様たぁ良いご身分だな! 会うだけで金がかかる」

「ひえっ!? マリクさん!」
 マリクを見るなり、神父の男は顔を青くして立ち上がった。

「やあ、久しぶり。元気だった? きみ、マリクっていうんだね。良い名前だ」 
 一方のジュンイチはマリクの名前を知りご満悦の様子。

 マリクがここへ来たのは偶然ではない。
 ジュンイチに会わせてくれとディエゴに依頼をした結果だ。
「溜め込んでいるんだろう?」と法外な値段を搾り取られた。

 そんなことは知らないジュンイチは、
「なんだかきみとは縁があるのかなあ」
 と呑気な笑顔を見せている。

「縁があるのかなあ。じゃねー! お前、あいつが何しようとしてるか知ってるか?」

 バン! とテーブルに手を打って、そそくさと出ていこうとしている神父を指す。
 先日の脅しがよほど効いている様子。話しているあいだにあっという間に逃げてしまった。

「さあ? 他人のすることにいちいち興味は無いから……」
 ジュンイチは相変わらず掴みどころがなく、ヘラヘラと笑っている。

「あいつはなあ、人を集めて、武器持って城へ戦いに行くっつってんだぞ! お前、そんなこと平気なのかよ」
「それがどうかしたの?」

 とぼけてききかえされ、苛立ちが抑えきれない。

「どうもこうも! お前は、カミィと結婚したがってたじゃねーか! あいつが好きなんじゃなかったのか? あいつを幸せにしろっつっただろ! それがなんで! どうして! 逆に危険に晒す行為を手助けして平気でいるんだよ」

 ああ……。と小さく感嘆の息を漏らして、ジュンイチは目を伏せた。

「だって僕はふられちゃったし、もう関係の無いことだから」

 その返答に、マリクは全身の血液が沸騰するかと思った。腸が煮えくり返るとはこのことか。
 目の前の男の考えは、あまりにも自分とかけ離れすぎている。
 そしてそれは、どう考えても間違っているように思える。

「お前それですぐに諦められるのかよ! 結婚まで申し込んだ相手を、忘れられるってのかよ! どうなったっていいってのかよ!」
「すぐには忘れられないけど、でももうどうしようもないじゃないか。他の人と結婚しちゃったんだから。この国では現在、男女の婚姻は、同時にそれぞれひとりとしか結べないことになっている。諦め――」

 そのセリフを最後まで聞き終わるより先に、
「馬鹿野郎!」
 と叫んで、マリクは殴りかかった。

 しかしその拳は届かなかった。
 完全に見切られ、眉一つ動かさずに片手で受け止められてしまったからだ。
 これでも鍛えているつもりだったが、やはり本物の軍人には勝てないのだろうか。いや、それとも、相手が【天才】と呼ばれる類の人間だからか。

「馬鹿野郎……殴らせろよ。空気読めよ……」
「やだよ。痛いかもしれないじゃないか」

 体重を乗せて力を入れ、意見と一緒に拳を押し込もうとしてみる。

「俺はお前のやり方を認めねーぞ。金持ちで、身分もあって、何でも手に入ってきたお前にはわからねーだろうがなあ……普通の人間は、欲しいものは、自分で取りにいくもんなんだよ! たとえそれがエゴであっても! どんな手段を使っても、他人から奪い取ってでも! 自分が欲しいもんは自分で掴まねーと、待ってるだけではどうにもならねーんだよ!」

 欲しかったもの。
 普通の生活。隙間風が差し込まない暖かい家。優しい両親と、愛に溢れた家族。毎日の暖かい食事。信頼できる友達。

 何も無かった。自分には、何も。
 だからって世界を恨むでもなく、掴み取る為に努力してきた。生きるために他人から奪ってきた。まだ手に入れていないものだって、これから手に入れるつもりだ。

 すべての人が、最初から持ってるわけじゃない。なのに、目の前の恵まれた男は、それを知らない。


「きみはどうしてそんなにあの子にこだわるの? 好きなの?」
 まるで純朴な少年のような瞳で、まっすぐに見つめられる。

「ああ、好きだよ」
 ここまできて取り繕っても仕方ない。マリクは認めた。言葉にするのははじめてだった。
「スラムの王だなんだって恐れられてる俺がほだされるなんて、甘いよな。笑えよ」
 自嘲しながら、振り上げた拳を下ろす。

「きみはあの子と、結婚したいの?」
「ゴフッ……」

 笑われると思っていたのに。
 予想外に真面目な顔をして投げられた質問に、思わず噴き出してしまう。

「お前はガキか!?」

 気になって調べているうちに、この【吾妻ジュンイチ】という人間の噂をいろいろ聞いた。【天才】であることを褒める噂が多かったが、その噂のあとには必ず【だからこそ人の気持ちが分からない】という良くない印象を告げるものがついていた。
 そんなものは噂をする人間の嫉妬でしかないと思っていたが、もしかして本当に人の気持ちが分からないのか? それともふざけているだけか?
 問いただしたいが、今はそれどころではない。

「好きだっつっても、別にあいつを嫁にしたいとかそういうんじゃねーんだ。俺に妹がいたらあんな感じかなって。はじめてあいつと出会ったとき、俺は孤独だった。スラムじゃ裏切られてばっかだったから。たまたま出会ったあいつが向けてきた純粋な信頼が、俺は嫌いじゃなかった。それからなんだか気になった。お前に言われるまでは認めたくなかったけど、白状すると、いつのまにか情がうつってた」

 マリクは続ける。

「だから、幸せになってほしい。そして、あいつを幸せにするのは王じゃない。お前の役目だ。……俺じゃダメだったから」

 瞳を閉じると、拒絶された苦々しい記憶がありありと蘇る。

「俺はもしかしたら、自分が歩めなかった幸せな人生ってやつを、勝手にあいつに重ねてるのかもしれない。周りに大事にされてきたあいつを心のどこかでうらやましいと思って、自分を重ねて、その幻想を守ろうとしているのかもしれない」

 そこまで言って瞼を上げると、人の気持ちが分からない馬鹿野郎は困ったような顔をしていた。

「俺が恥を忍んでここまで言ったんだ。お前ももっとよく考えろよ! お前が今欲しいものは何だ? お前が望むものは何だ? これでわかんねーんだったらお前は天才なんかじゃない。ただの馬鹿だよ!」

 ジュンイチはやはり黙っているだけだった。

 マリクは、こんなに胸の内をさらけ出してしまった恥ずかしさと、相手が何を考えているのか分からない怒りと、彼が行動を起こす意思を見せないことへの失望と、それでもおそらく彼女から望まれているのだろうという妬ましさから、自らの奥歯を砕く勢いで強く噛み締めた。

「もういい! 俺が力ずくでなんとかする! お前に期待した俺のほうが馬鹿だった!」

 勢いで机を蹴り飛ばし、止めに来た酒場のマスターに
「うるせえ!」
 と八つ当たりをして、そのまま振り返らずに出口へ向かう。

「見せもんじゃねーぞコラ、寄越せ!」
 途中、目を丸くしてふたりのやりとりを見ていた客に因縁をつけて、酒瓶を奪って店から出た。やけ酒なんかじゃない。景気付けだ。

*

 ジュンイチは倒れたテーブルを立て直すマスターに、
「何か適当なお酒持ってきて」
 と声をかけて、硬い椅子に深く座り直した。

 運ばれてきたグラスの中身は琥珀色をしたアルコール度数の強い酒で、ずいぶんとぬるかった。
 一口だけ飲んだあと、グラスを弄ぶ。
 目の高さまで上げてゆらゆら揺らすと、液体の向こうの世界がぐにゃぐにゃと歪んで見える。

『欲しいものは奪え』
 そうマリクは言っていた。
 それは、この世のほとんどのことの真理であるように思える。食物の連鎖だって、戦争だって、ときには医療ですらも、奪うことに等しい。

 では、恋愛もそうなのだろうか?
 力ずくで奪うことが本当に正しいことなのか?


――そもそも正しいとは一体何だ?


「あ、そうか……」

 グラスをテーブルに置くと、タンッと軽快な音がする。
 液体を通さずに見る世界は鮮明だ。

 実に簡単なことだった。
 どうしてこんなに長いあいだ気が付かなかったのだろう。

「恋は人を狂わせるって本当なんだなあ」

 正しいとか、正しくないとか、そんなことを考える必要は無いのだ。
 なぜなら恋に答えなど無いからだ。

 答えは、命が尽きるそのときまで分からない。毎回必ず同じ結果が出る実験や数式とは違う。ひとつひとつ、違う形の答えになるもの。
 それなら、好きなように動けばいい。
 その行動がまた、答えに繋がっていくんじゃないか。

 諦めることも選択のひとつだろう。

 だけど、本当にそれでいいのか?
 よく考えろ。

『今欲しいものは何だ? 望むものは何だ?』

「僕が欲しいものは……」

 味なんてあったもんじゃない、酔うためだけにつくられたようなぬるい酒を一気に飲み干し、ジュンイチは立ち上がった。
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