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ジキルとハイドの証明

作者: 黒湖クロコ

「最近、やはり物忘れがひどくて。……もしかしたら、若年性の痴呆症じゃないかと思うと不安で、不安で……。先生なんとかならないでしょうか?」

 おびえた様子の男は、まだまだ働き盛りぐらいの男だった。年齢は30もいっていないのではないかという外見で、細身ではあるが不健康そうではない。ただその雰囲気の暗さから、健康的ともいえなかった。

「それに中々眠れないし、寝ても寝た気がしないんです」

 そんな男は丸椅子に座り、白衣を着た男と対面し相談をする。

 消毒薬の独特なにおいの中で、若い男は深くため息をついた。

「まるでもう1人私がいるようで――」

「そうですね。では、今日はこちらの薬を処方しておきましょう。大丈夫ですよ。きっと疲れているだけです。すぐよくなりますよ」

 白衣を着た男の方は、そう言ってカルテに何かを書きこむと、お大事にして下さいと言う言葉で締めくくる。

「ありがとうございます」

 男は陰鬱な様子でそういうと、席を立った。



「戸部様、戸部賢人様」

 男の名前は戸部賢人だった。待合室で座っていた男はぼうとしており最初こそ気が付かない様子だったが、繰り返されるアナウンスに、慌てたように立ち上がる。少しふらつきながらも、慌てて会計場所へ行くと財布を出した。

「今日はお薬が出ています」

「はい」

 ぼんやりしていた様子は、病気特有っぽくは見えるが、お金の扱いや喋りは普通の人と変わらない。なので受付の女性は、少し疲れてはいるがいつも通りだと思い安心させるように笑いかけた。

「まだ若いのですから、無理はいけませんよ」

「はい。ありがとうございます」

「薬を飲めば、きっと改善されるはずですから」

 女性の言葉に、男はこくりと頷いた。

 そして不安そうな、少し青ざめたような顔を少しだけ笑みに変える。男の顔は、整った顔立ちをしており、笑みを浮かべると病人ではなく、テレビ画面の中の人のような雰囲気になる。

 受付の女性はその笑みに少し頬を紅潮させた。

「はい。諦めずに頑張ります」

「そうです。その意気です。ですから、薬は忘れずに飲まれるようにして下さいね」

「ええ。そうですね。大分と症状が治まってきた気がするので、飲み忘れないように注意したいと思います」

 男はそういうと、薬を受け取り自宅へ向かった。

 運転途中、男はひどく眠そうな表情をしたが、ガムを噛み気を紛らわせる。車内を流れる音楽は、男にとってはさほど好きなものではなかったが、ある意味好きではない分眠気も飛ぶだろうと止めることなく流し続けていた。

 しばらくはその状態だったが、ふと気分が変わったらしく、男は赤信号になったタイミングで音楽CDからラジオに切り替えた。ザザザという不安定な音を立てていたが、やがて車の中にアナウンサーの声が響く。

 どうやらニュースのようで、今回は映画の宣伝のようだ。

『ジキルとハイドは、今や日本の映画界の新記録を作り出そうとしていますね』

『そうですね、役者のあの演技力が一番の鍵だったと監督もおっしゃっていました――』

 ラジオの中ではコメンテイター達が、最近話題の映画について論議をしあっていた。現在放映中の映画【ジキルとハイド】についてだ。男もこの映画の事は知っており、興味深そうに聞いている。コメンテイター達は、しきりに今回の主演俳優を褒めていた。最初こそ、それほど騒がれてはいなかった作品だが、まるで2人の役者がいるような演技力が評判を呼んだそうだ。

 ジキル博士とハイド氏。

 薬を飲んだ事によって2重人格になってしまった博士の物語だ。ジキルと呼ばれる善良な性格の博士が、薬の副作用でハイドと呼ばれる邪悪な性格を持ってしまうという、ホラー映画である。原書では、性格以外に見た目も変わってしまうというものだったが、この度の映画では、見た目は変えず、性格のみを変えどこまで違う人間を演じきれるかというものになっていた。もちろん性格が変われば服装や髪型は変わる。でもやれるのは、そこまでで、特殊メイクは特に施さない。ただし視聴者に分かりやすいように、瞳の色だけ変えていた。

 ジキル博士の時は青色。ハイド氏の時は赤色。でもこの映画の最後の場面だけは、瞳を映さず、どちらが生き残ったのか分からないようになっていた。原書と違いジキル博士は徐々にハイド氏に感化され、ハイド氏もジキル博士の生き方に興味を持ち始めていた。なので2つの性格が融合したのではないかという考えや、ハイド氏は元々薬で生み出された性格だから薬がなくなったことで消えてしまったのではないかというもの、また原書ではジキル博士が消えてしまうため、遺言を残しているのだから、ジキル博士が消えたというものまでさまざまな憶測を呼んでいる。

 それがネット上で論議され、爆発的な人気が出たといってもいい。解釈次第でどうともとれるこの作品は答えがなく、ある意味見た人それぞれの中で思い浮かんだ答えがその人の正解となっていた。

 まあ、そんなこともあり【ジキルとハイド】は歴史的大快挙と言われている。


「薬で別の人格ができるなんては面白いファンタジーだよな」

 ありそうとも、なさそうともいえる内容の映画に、男は満足顔だ。どうやら映画の内容を思い出して、楽しくなってきたようだ。先ほどまでの不安な表情は消え、クツクツと喉の奥を震わせる。

「二重人格は、強いストレスを受けたさいに起こる精神疾患の一つ。まあ、ある意味、薬で無理やり精神疾患を起こしたと思えば、可能性としてはないわけではないのか?でもその場合、どちらの人格が本物なんだろうな」

 男は車を駐車させると、高層マンションへ足を向ける。男が住んでいる家は、10楷。鍵を使って自動ドアから中に入ると、エレベーターのボタンを押す。勿論階段もあるが、さすがに10楷なんてなると使う気もおきないようだ。

 エレベーターが開くと、中から子供連れの母親が降りてきた。

「あ、こんにちは。珍しいですね」

「お兄ちゃん、こんにちはっ!」

「こんにちは。今日は仕事が休みなんです。ちょっと体調がすぐれないので、医者に行ってきたんですよ」

「ああ、だから。独り暮らしたと大変ですよね。じゃあ、あまり引き留めても悪いですね。失礼します。何かあったら頼って下さいね」

「お兄ちゃん、バイバイ」

 母親に手を引かれた子供は、男にむって大きく手をふった。その手に男も振り返す。

「バイバイ」

 そしてそのままレベーターのドアは閉まり、男の前から二人の姿が消えた。その瞬間、男に張り付いていた笑みがストンと消える。どうやら、あまり子供は好きではないようだ。

 それでも近所づきあいだと、我慢していたらしい。


 男はエレベーターを降りると、玄関へ向かう。防犯設備がしっかりしているので、実は部屋に入るのでさえ指紋認証が必要なハイテクな部屋だった。まあ逆に言えば、指紋認証さえできれば鍵がなくても中に入れる。

 男は指紋認証をさせ、鍵を解除すると中に入った。オートロックなので、ドアはしまっただけですぐに鍵がかかる。

「あーあー。また増えてる」

 男は嫌そうに顔をしかめた。部屋の中には植物が置いてあり、男にとっては水遣りが面倒で不満でもあった。しかし枯れてしまっては困ると思ったらしく、ジョウロに水を入れると、窓辺の植物に水をやる。

「うまく育てられなくて、さらに枯れると悲しむ癖に。馬鹿な奴」

 少し土の乾いた植物たちはみるみる水分を吸っていく。

 一通りやり終えた男は、ふと手に持っていた薬を見た。

「ああ、そうだ。飲み忘れたらいけないな」

 男はそうつぶやくと必ず自分が飲む、お茶に薬を溶かした。こうしておけば、絶対飲み忘れる事はないと知っていたから。

 そして薬を必要量お茶に溶かすと、再び冷蔵庫へ戻す。

「この薬では、ジキルもハイドも生まれないけどな」

 先ほどのラジオを思い出したらしく、男は楽しげにつぶやく。そして、大きくあくびをした。

「そろそろ。ひと眠りするか」

 男はそういうと、薬を机の引き出しにしまい、寝室へ向かう。そしてベッドにダイブした。少しだけ跳ねたが、そのまま男は体勢で目を閉じる。

「お休み、愛するジキル博士」

 映画の作品中に、ハイドが眠りにつくときに呟く言葉を男は吐くと、そのまますうっと、深い眠りについた。

 

 



「あー、何か寝た気がしないなぁ」

 そう言いながら、起きてきた男は、テレビをつけた。すでにテレビ番組は朝のものではなく、お昼のものになっており、寝過ごしてしまった事にため息をつく。

 それでも気分を変えようと、普段は忙しくて見れない連ドラから、ニュースに変えた。

「おっ、やってるやってる」

 ニュース番組は、映画【ジキルとハイド】の特別番組を組んでいた。そこに映っている俳優を見て、男はご満悦な様子でにこりと笑う。

「こんなに売れるとは思わなかったもんなぁ」

 男は実は、この映画の主演俳優であり、ジキルとハイドを演じた張本人でもあった。なので、映画が番組で取り上げられるたびに、恥ずかしいという思いと共に、どこか優越感のようなものを感じていた。

「嘘みたいだよなぁ」

 男は、故郷から出ていて俳優として頑張っていたがさっぱり芽が出ず、少し前まで実家に戻ろうかと考えていたところだった。誰にも求められず、自分はこの世界で必要とされていない人間ではないだろうかと考え込んでいた時に、舞い込んできた仕事がこれだ。この仕事が上手くいかなければ、すべてを諦めようと思っていた。

 しかし映画は誰も予想していなかった大ヒットとなり、男はたちまち有名人となった。


 テレビ番組では最後のシーンに対する論議がなされていた。

 最後の男は、ジキルだったのかハイドだったのか、それともどちらでもなかったのか。

「あれは答えなんかないのになぁ」

 実際あの映画に答えはなかった。なぜならば、監督はジキル博士が残るというシナリオを目指していたが、男はハイドが消えるというシナリオが気に入らなかったから。どうせ失敗しても故郷に戻るだけだと高をくくり、好き勝手演じた。

 男は完璧で素晴らしく、誰にでも優しいジキルが嫌いだった。それよりも粗悪な男であるハイドに人間味を感じた。演じている時は夢中で記憶があいまいだったりするが、それでもハイドになっている時は楽しかったと男は思っていた。

 だから男は、ジキル博士がハイドを拒絶しつつも引かれていく様子だった事も踏まえて、ジキル博士がハイドに体を明け渡すという結末を目指していた。既に正しすぎるジキル博士は、表の人格とは言えないぐらい精神をすり減らしていたから。そんな2つの違う考えでとられているのだから、ある意味2人が融合したというのもあながち間違えではない。

 だから、あの映画に答えなどない

「本当に頑張って良かった……本当」

 10階建てのマンションに住んでいたこともあり男は毎日階段を使って、体型維持に努めた。ジキル博士は痩せていなければ駄目、賢くなくては駄目、いつも身ぎれいで、歌を歌えば完璧、ダンスをする姿も素敵。どんなことでも一瞬でやり遂げるそんな男だから。

 辛かった思い出も一緒に思い出した男は、眉間にしわを寄せ目を閉じ息を吐き出した。そして神経質に指を動かした後、ばちっと目を開けた。

「そうだ。携帯を確認しておかないと」

 映画で体力を使い切った為、男はしばらく休みをとっていた。それでも仕事がないとは限らない。確認したが、特に何の連絡も入っていなかった為、携帯を机の上に置く。

 収録中は周りから、病院に行っておけと散々すすめられたが、案外薄情なものだと男はそう思う。でもそもそも男は共演者とそれほど親密にはかかわっていなかったのだから仕方がないかとも思う。……はて、それなのにどうして連絡が来ない事に対して薄情だと思ったのだろうか。

 男は自分の思った事が理解できず首をかしげたが、疲れているからそんなセンチメンタルな事を考えるのだろうと納得した。精神的に疲れが来ているのは間違いがないのだから。

 

 でも男は病院に行く気にはならない。病院へ行ったら病気だといわれている気がしたから。俺は好きでこの状態でいるのだ。

「別におかしくなって、俺が居なくなってもかまわないしな」

 男にとっては、すべてが満ち足りてしまって、もうこの先が思い浮かばないのだ。男の人生はある意味、この映画で完結していた。

「もしも俺が消えたら、ハイドが残るんじゃないか?」

 映画では残してやれなかったハイド。

 そう思うと、男の顔は自然と笑みをとる。ジキルとハイドは正反対な考えの持ち主だ。もしもジキルがハイドを生かそうと考えるならば、ハイドは一体何を考えるのだろう。

「そうだ。そろそろお茶を飲まないと。それに水やりもまだだったっけか」

 美容には水分をしっかりとった方がいいと言われたので、男は欠かさず定時に美容にいいと言われるお茶を飲んでいた。もう映画も終わったのだし止めてもいいのだが、元来神経質だった男は習慣になってしまうと中々止める事が出来ず続けていた。

 冷蔵庫を開け、お茶を取り出す。

 美容にいいと言うだけあって薬臭いお茶だ。


「いただきます」

 ちらりと緑が綺麗な植物を見た後、そう言って男は、冷たくよく冷えたソレを飲み乾した。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] ジキルとハイドがモデルであるなら、ハイド氏っぽく近所の子供を踏みつけてあげてほしかったです。 [一言] 主人公の名前を用意してあるのに、最後まで「男」で貫いたのは、何らかの思惑があるの…
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