(34)それは不思議な夢だった
それは不思議な夢だった。
フェイは猫――しかもご丁寧に黒猫になって野原を駆け回っていたのだ。
青く広大な野原をどれだけ走っても、フェイはいっこうに疲れなかった。すっかり有頂天になり、グングンとスピードをあげていく。
山を駆け、川を跳び、砂漠を越え――最後に木が鬱蒼と生い茂る森に入った。
木々に太陽の光が遮られ、黒猫は影に混じる。心にも影が落ちたのか、フェイは不安になってようやく立ち止まった。
ギャアギャア
突然、森の外から野鳥の群れが飛んで来た。
鳥の群れは木々をすり抜け一直線に近づくと、フェイの背中をゴツゴツと突付きまわす。これはたまらないとフェイは森の奥へ逃げ出した。
右へ左へととにかく逃げ続け、やがて野鳥の群れは去っていったが、かわりに濃密な茂みが自分をグルリと囲んでいた。
そこで進む道はおろか、帰る道すら分からなくなっている事に気付いた。
不安から逃げるように、茂みの僅かな隙間へ頭を潜らせては、とにかく先へ先へと進む。だが、不安は消えるばかりか、かえって取り返しのつかない道を進んでいるのでは、と言う焦燥感だけが募っていく。
――――助けて!
出そうとした声は、ニャアと言う鳴き声にすらならなかった。声が出ないのだ。
――――ここどこ?
声が出せない。道が分からない。誰もいない。寂しい……
――――また、捨てられたんだ
なんの脈絡も無く、そんな概念だけが胸をギリギリと締め付ける。
夢はいつだって脈絡がないものだと相場が決まっている。そのくせ、いつだって無遠慮に過去の傷を開いていく。
フェイは歩くどころか立つことすら苦しくなり、力なく地面に伏した。
そんな時に変化は訪れた。
ひょい、と後ろから人間の手に掴み上げられ、そのままフェイを胸に抱いたのだ。
暖かな感触に、優しく包まれる。
そのとんでもない安堵感に、焦燥も恐怖も孤独すら、一瞬で消え失せる。
だが、この腕に捨てられたら、きっと次こそ心が砕けて死んでしまうのだ。
――――お願い、捨てないで――――ずっと、僕を抱きしめて
振り返って、その人間に願おうとした時――人の気配を感じ、目が覚めた。
目をうっすらと開けると、誰かの顔が視界一杯に映る。
「うおおああっ!」
フェイの慌てふためいた姿に、セラは微笑を浮かべた。
「おはようございます。フェイ」
「セラ! お前、なんでここにっ!?」
セラはベッドサイドに客用の簡易イスを持ってきて、ちょこんと座っていた。
その姿にわずかな違和感を感じる。身長も体系も変わっていないはずなのに、以前の子供っぽい雰囲気があまり感じられないのだ。
少し、顔つきが変わったせいかもしれない。
「勝手に入ってごめんなさい。兄様が良いって言ったから」
「ったく、エルカの奴は何考えてるんだ……ああ、そうだ。帰ったらあの暴力親父に言っておけ、祝いの席の言葉くらい冗談で流せ。あんなんじゃすぐにハゲるぞってな」
セラは何を言ってるのと言うように、キョトンと首をかしげた。
「暴力親父とは、誰のことかな?」
「ああ? 暴力親父ってのはあのクソ領主のことだよ。そうそう、クソ領主といえばこの間、俺が牢屋に入れられた時の事だけど……ん?」
そこで、声の主が野太く変わっていた事にようやく気付く。
フェイの肩を、誰かが後ろから叩いた。
振り向かなくても分かっていた。フェイは己の不運を嫌というほど分かっていたのだ。
覚悟を決めたフェイの耳元に、領主の熱い息がかかる。
「小僧……貴様も食いたいか? クソを」
「いえ、遠慮し――」
脳天に鉄塊を落とされたような衝撃が走り、『ます』を言う事は適わなかった。ゲンコツで殴られたとは信じがたい衝撃である。
フェイは再びベッドの上に沈み、目を閉じるとこの意味不明な状況を少なからず呪った。
「フェイ!」
セラが小さなその手で、フェイの体を支え起こそうとする。
――――心配してくれるのか
その優しさが、腕が、夢で抱きしめてくれた温もりと重なった。
「フェイ、二度寝はダメ」
「そっちかよっ!」
起きて目を開くと、セラは心配どころかニコニコと笑っていた。
フェイはビシリと指を突きつける。
「何故だ! 俺がこれだけ酷い目にあっているのに、何故笑っていられる? むごいとか痛そうとか不憫だとか思わんのかっ!」
「あの、ただのじゃれ合いだってお父様は言ってました」
「人が熊とじゃれ合えば死ぬわっ!」
フェイの言葉にセラは全く理解できませんと言った顔で、再び首を傾げる。父親を妄信するあまり、今までの暴力は全て仲の良いじゃれ合いと、この碧眼には映っていたのだ。
深く深くため息を吐いたフェイに、領主がゴホンと咳払いをすると本題を切り出した。
「さて、小僧。王から貴様をシュバート城に連行せよとの御下命があった」
「王様の城に、連行!?」
「そうだ。王子救出の謝礼を下さるそうだ。もったいない」
「じゃあ連行とか言うなよ!」
「フェイ、私も呼ばれたの。一緒に行こっ」
背後からぽんぽんと肩を叩かれ、慌ててセラの方へ振り返る。
「別に、俺は――」
「拒否権は貴様に無い、すぐさま出発する。十分で準備しろ」
「いいから、俺を挟んで話すなっ!」
そう叫びながらも、今回は悪い気ばかりでもない。
なにせ、王様からの謝礼である。何をもらえるのか胸がときめくではないか。それにゼクス領にじっとしていても仮面の生活が待っているだけである。
――――どうせなら遠出も悪くない、か
フェイは小さく息を吐き出すと、ベッドから飛び起きた。
季節は初夏、湿度は低く、外を見渡せば草木が元気に生い茂っている。旅行にはもってこいの爽やかな晴天である。
しかし、馬車の空気は重かった。すごく重かった。
今回は竜馬ではなく、駿馬の四人乗り馬車が二台用意された。豊かなゼクス領と言えど二頭しか竜馬を所持していないため、大人数だと自然と駿馬の馬車になるらしい。
先を走る馬車には領主とガラム、エルカ、そして嫌々詰め込まれたセラの四人が乗っている。
問題は後を追うもう一台の組み合わせである。
フェイ、その横に腕を組んで闘気を発散しているカシム、男二人を凄まじい目で睨んでいるコノハ、そして、その逆に男どもを視界に入れまいと頑なに外を見ているルナの四人なのだ。
――――これはたまらん
なにせフェイが「いい天気だな」と話を振っても、誰一人拾わないのだ。胃はシクシクと痛みだす始末である。
そして、この居たたまれない局面が五時間も続いている。王都までの残り十時間、この状態が続けば、胃の穴はめでたく開通する事だろう。
打開せねばならなかった。
では、どうするべきか――フェイは思案を繰り返す。
カシムに昨日の事で話しかけるのは論外である。むさ苦しい闘魂世界に引き込まれるのがオチだ。
では、コノハはどうかと考え、フェイは首を振った。不安要素が大き過ぎる。ここのところ、何がコノハの気に障るかまったく分からないのである。ここで悪魔が目覚めてしまっては逃げ場も無い、胃に穴が開くどころか、口から胃を引き抜かれるかもしれない。却下である。
――――やはり、ルナだ。せめて昨日の誤解だけでも解ければ
フェイは勇気を出してルナに釈明をしようと、口を開いた。
「あっ、あのさ、昨夜の事なんだけど」
「話し掛けないで! この極右同性愛者!」
フェイは上を向いて目を閉じた。そうしないと、涙がこぼれそうだったからである。
その哀れなフェイに、易々と追い討ちをかけたのは、カシムである。
「なるほどな……だから貴様は童貞だったのか。合点がいった」
「うるせえっ! 誰のせいだと思ってる! この脳ミソまで筋肉ヤロウ!」
「いくら褒めようが俺は手を抜かんぞ。昨日の続きは、いつか必ずしてもらうからな」
「褒めてねえ! あと、続きなんか絶対にしねえからな!」
「だめだ。次こそはどちらかが果てるまで――」
「もう! いい加減にしてよっ!」
きわどい会話に叫んで立ち上がったのは、ルナである。
その目は怒りに満ち、フェイを睨んでいた。
「フェイ! あなた、に言いたい事があるわ!」
「は、はいっ」
ルナはビシリとフェイの鼻先に指を突きつけた。
「なんでカシムなのよっ!」
「……は?」
「どうして普通にやおえないのっ!?」
「……やおえ?」
「近くにエルカだっているじゃないっ! 一歩譲ってクロフだって! どうしてこんなっ、夢のない男に引っかかって――私の夢を返してよ!」
「聖典以外にどんな本読んでんだ、お前はっ!」
「ほっといてよ! いいのよ、私の事は、それより――」
「ルナ、もういい……黙ってて」
そこに割り込んだのは、静観していたコノハだ。
コノハはルナの肩を掴み、引き倒すように座らせ、代わりに立ち上がると、フェイに氷のような視線を降り注ぐ。
「フェイ、あんたが例えロリコンでもハードゲイでも、あたしは納得するわ」
「するなよっ!」
「でも、嘘だけは許せない。なんで、なんであんな嘘言ったのよ!?」
「嘘? なんのことだ?」
フェイはカケラも身に覚えが無いので、首を捻る。
「とぼけないでっ! 私を背負ってくれたあの日、三年前の手紙に書いてある気持ちと、今も変わらないって、フェイ言ってくれたじゃない! あんな嘘、酷すぎるじゃない……」
「手紙?」
フェイが首をかしげると、突然ルナが雷に打たれたように「ああああっ!」と叫んで立ちあがり、すぐに座り、両手で頭を抱えた。
「ルナ、どうかしたの?」
「コノハ、あのね……ええと……その……その手紙ね、実は、フェイじゃなかったりして……」
「……は?」
ルナはもじもじと両手をすり合わせ、上目づかいでコノハに告白した。
「だから、あの恋文を書いたのは、実はフェイじゃなくて……クロフだったりして、あは――ごふっ!」
ルナの腹に抜き手の残像が見え、容赦無い一撃にルナは白目を剥いて悶絶した。
コノハはユラユラと自席に戻り、力尽きたように頭をたれた。そして、馬車の壁とブツブツ会話を始める。
つまり、フェイの必死の努力に反して、事態は悪化したようだった。
重い。すごく重い。
ポンとフェイの肩にカシムの手が置かれた。
「リア=フェイロン。お前も色々辛い立場なのだな」
「お前にだけは同情されたくねぇ……」
「それにしても暇だな、王都につくまで腕相撲でもするか?」
「やらねぇよっ!」
そうだ、他の事は良く分からないが、とにかくこの筋肉達磨とのハードゲイ疑惑は解消されていない。これを解消するためにやる事は、たった一つである。
――――告白するしか、ない
フェイは安らかに眠るルナを見つめ、決意を新たにしたのだった。
昼前に出発し、何時の間にか日は落ちていた。
城が近づくにつれ、窓の外の景色も徐々に変わってくる。月明かりの下に薄ぼんやりと町並みが見えてきたのだ。
だが、ゼクスの巨道商店街に慣れきったフェイ達には、露店の一つもないその寂しい景色に驚く。王都とは、もっと華やかな場所だと想像していたのだ。
確かに巨道沿いの建物は大きく立派なのだが、それが暗く静まり返っていると、返って寂しさを増徴させる。
そんな中、月明かりに照らされた巨大なシルエットが四人の目に飛び込んだ。
まるで建物全体が発光しているように、月明かりをバイスレイトの城壁がまばゆく反射していた。
「すげえ! あれがシュバート城かっ!」
「綺麗! あれ全部バイスレイトなの?」
「流石に素手では壊せそうに無いな」
「あそこに、私の王子様が……」
すっかり復活した四人が口々に感想を漏らした。
「本当にあの中に入るんだよな……うぅ、ちょっと緊張してきた」
「だ、大丈夫よ。エルカもいるし」
二台の馬車は巨大な城門の前で静かに止まる。
その門前で待っていたのは、門兵と小さな白い人影。
「王子様っ!!」
馬車の扉を蹴り開け、ルナは王子に走り寄った。
「ルナッ!」
王子もルナの姿を認めると走り寄り、引き裂かれていた恋人のように抱き合った。ようやく馬車から出てきたフェイの目が剣呑に細められる。
その視線に気がついたのか、王子はフェイを見ると紳士的にルナから一歩離れ、無邪気に手を振った。
「あ、フェイ! お待ちしてました」
「お、おう。元気にしてたか?」
「はい! さあ、早くこちらへ。父上が玉座の間で待ってます」
王子は急かすように、フェイ達を城の中へと案内した。
玉座の間に入った八人を見た王は、玉座から立ち上がり鷹揚に両手を広げる。
「よく来た、勇者リア=フェイロンとその仲間達」
――――やめてくれえええっ
フェイを始め、何人かがピクリと反応した。特に領主公の顔が見るからに不快そうだ。その傍らで喜ぶセラと対照的である。
八人は、玉座の前まで進み出ると、揃って片膝をつき、項垂れる。
左右には青い鎧の騎士が五名、直立不動で警護をしていた。そのため、妙な圧迫感がある。
「面を上げよ」
そう言って、王はゆっくりと玉座に着く。フェイは目を上げ、初めて王の顔を見た。
白髭に覆われたその皺だらけの顔は、威厳に満ちていた。顔色こそ悪いものの、足腰の強靭さは、座るだけの動作にも顕れている。さすがは剣の王と言ったところか。
その王の右脇にちょこんと王子が立ち、微笑んでいた。その顔は確かに、王の面影を継いでいるようだ。
顔を上げた領主が代表して口を開く。
「グロスター王、夜分に手厚くお迎え頂き、感激に堪えませぬ。ゼクス領主ラドクリフ、以下七名に代わりまして厚く感謝の意を献上致します」
以下七名に若干の力が入っていたのは気のせいだろうか。
「いや、感謝をせねばならぬのは、余の方だ。王子を救出し、ゴルゴンの手先を拿捕し、ゴリネルの不正まで暴く事が出来たのだ」
ゴリネルの名前が出た途端、フェイはあの偉そうないけ好かない太ったオッサンを思い出す。
王は怒りを顕にして玉座の肘掛を叩いた。
「ゴリネルめは、かなり前からゴルゴンに通じておったようだ。道理でヤツだけが被害を出さずに連戦連勝するわけじゃ」
「ゴルゴンの情報は入手できましたか?」
領主の尋ねた声は渇望の色が見えた。ゴルゴンを心底討伐したいと思っているのだろう。
しかし、王は無念そうに首を振る。
「ゴリネルの奴め、頑なに口を割らぬ。流石は元将軍、と言った所か」
「父上、そろそろ本題に」
「おお、そうだった! 今宵は貴公らに感謝の意を表す場であったな。ラドクリフ公爵、そして命を賭して余をいさめてくれた公女セシリアよ。そなたらには明日、輝盾勲章を授ける」
「もったいなき名誉です」
父に習い、セラもペコリと頭を下げた。何が貰えるか等、分かっていないのだろう。
次に王はフェイ達に目を向ける。
フェイの胸が高鳴った。いよいよ褒美が貰えるのだ。
「聞けば、貴公らはクエスト屋なるものらしいな。なれば勲章より、金銀の類がよかろうと思ってな」
――――イエスッ! 王様最高ですっ!
フェイは心の中でガッツポーズを取った。
王が手を叩くと、侍従官が袋や剣を持ってくる。金貨が大量に入っていそうな袋が、ルナ、コノハ、カシムの前に置かれる。そして、エルカには一振りの名のありそうな剣が与えられた。エルカはそれを恭しく受け取る。
どうやらフェイは最後のようだ、この心苦しいまでの演出が憎らしいではないか。
王は微笑み口を開いた。
「恩賞は以上だ」
「ちょっ! 王様っ!」
思わずフェイが腰を上げ、王に対してツッコミを入れる。領主の顔が引きつっているのがハッキリと分かるが、これはいくらなんでも納得できる訳が無かった。
「分かっておる。リア=フェイロン」
しかし、そんな無礼を働いたフェイにも、王は笑顔で頷き、玉座を立ち上がりフェイに近寄る。
――――直々に渡すつもりだったとは、王様もやってくれるぜ
ドキドキしながら膝を付き、期待に満ちた目で王を見上げる。
その視線を受けながら、王はフェイの眼前までゆっくりと近づいた。
ジャキン
王はおもむろに剣を引き抜くと、フェイの肩にピタリとつけた。
フェイの目が点になる。
「あれ? ちょ、ちょっと? 王様?」
王の蒼い瞳が、クワッと見開かれ、その威厳のある声が高らかに宣言した。
「リア=フェイロン、貴公を将軍に任ずる!」
「は、はいいいいいいっ!?」
玉座の間にフェイの叫びが木魂した。
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