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(14)わずかな沈黙の後
 わずかな沈黙の後、依頼人の婦人はぜいぜいと息をつきながら腰をおろす。
 テーブルを挟んで作り笑いを必死で保っていたフェイは、聞こえないようにため息を漏らした。

――やっと落ち着いてくれたか。これだから浮気調査の受付は嫌いなんだよ……

 そう思ったのもつかの間、息を整え終わるや婦人はバンとテーブルを叩き、身を乗り出して叫ぶ。

「でも、あの女狐に間違い無いんです!」
「はい。ですからまず奥様のお言葉を元に証拠を揃えますので――」
「必ず、必ず証拠を見つけてくださいな!」
「わ、分かりましたから、奥様はどうぞご自宅でゆっくりと」
「もし証拠が見つからなければ、その時はでっち上げても構いませんわ!」
「いや、それはさすがに」
「だって間違いないんですもの! 証拠なんて先か後かの問題でしょう!」

 なるほど、コレは浮気をしたくなるかもしれない。
 フェイは引きつった笑いの下で、そんな事を考えてしまった。
 とにかく不正だけは店のイメージ低下に繋がるため絶対にできない旨をなんとか説明する。

「男のクセになんと言う軟弱な。まぁいいですわ、その代わり証拠が見つかったら即座にあの女を縛り上げて――」
「こ、ここはそういう荒事は受け付けておりませんので」
「じゃあどこにお願いすればいいのよ!」

 こういう仕事を受ける度に浮気だけはするまいと心に誓う。もっとも、二股する以前に一人目と言う問題はあるのだが。
 何はともあれ今のエルカーナは財政難だった。
 先日、フェイの入院費でエルカーナの貯蓄はほぼゼロになってしまい、公女救出の報酬も当然ながら貰えなかった。
 屈辱ではあるが、今はどんな仕事も受けるより他、仕方無いのだ。

「お願い! 現場を押さえた時でいいから、あのアマが二度とハンス近づけないようヤキを入れて!」
「入れません! それにまだ決まったわけじゃないんですから、いいから帰って待っててください」

 押し問答の末、フェイに度胸がないと分かった婦人はしぶしぶとエルカーナを後にした。
 女性に出したお茶を片付けながら、フェイは萎えそうになる気力を叱咤する。

「ふぅ、こんな仕事さっさと終わらせて教会に行くぞ! なんと言っても、もうすぐクロフの結婚式なんだからな!」

 壁にかけてあるカレンダーの丸印を見て、フェイは柔らかく微笑んだ。

「八年の付き合いだ、準備くらいは手伝ってやらなきゃな」

 カレンダーの丸印はもう十日後に迫っている。
 式の三日前には教会のペンキ塗りや装飾を手伝ってやりたいから、浮気調査に何日もかける訳には行かない。
 しかし、果たしてそんなに短期間で証拠が揃うだろうか。
 運がよければ3日くらいで終わる事もあるが、悪ければ20日以上かかる事だってあるのだ。

「心配してもしょうがない、まずは行動あるのみだな。ええと、住所は……ローミクか。領の南はずれって事は、パオロンの旨い店があったはずだ。よし、まずは腹ごしらえに行くか!」

 パオロンの柔らかな皮からあふれる肉汁を想像し、舌なめずりをした時だ。

 コンコン

 フェイの独り言を遮るように、おずおずと言った感じのノックが部屋に響いた。
 なんと日に2人目の客である。
 珍しい事があるものだと、フェイは驚きながらも服を軽く叩いて戸口へ向かう。
 少し跳ねていた黒髪を軽く撫でつけ、先ほど散々使いまくった爽やかな作り笑いを浮かべた。
 準備万端――フェイは優雅にドアを開け放った。

 セラがいた。

「ぎゃああああっ!」

 悲痛なフェイの叫びをいったいどう解釈したのか、セラは不安そうな顔から一気に満開の笑顔を咲かせ、フェイの胸――いや、腹へと飛び込んだ。

「フェイ!」
「セ、セラ! お、お前、性懲りも無くまた抜け出してきたのか?」

 慌てて引き離して問い詰めると、セラは見る見る目に涙を溜めた。

「だって、フェイにずっと会えないって思ったら、一日中苦しくて」
「そんなもん知るか! って、いかん、アレが来る前に何とかしないと」

 もう入院費も払えないのだ、フェイはセラを睨みつけながらこれから行動するべき選択肢を素早く列挙した。

 セラを説得して帰ってもらう――却下だ、セラを一人で帰らせれば、また誘拐される可能性がある。否、きっとされる。
 セラを護衛して領主邸に送る――却下だ、突き出した時が俺の命日だ。俺の言い分なぞ聞くはずが無い。
 セラをエルカーナに隠し通す――却下だ、あの領主の嗅覚をごまかせる気がまったくしない。地面に埋めても掘り起こすだろう。
 一緒に逃げてどこかに預ける――逃げている途中で見つかった時が怖いが、もし成功すれば無傷で済むかもしれない。

 そうだ、逃げている間に仕事もできる。なにせ今は金がない、金が無ければ遠くに逃げる事も出来ない。
 考えをまとえたフェイは一秒を惜しんでセラを説得にかかった。

「セラ、これから俺は仕事なんだ」
「仕事? どこかに行っちゃうの?」

 あっという間に目に涙をためる。ほんとこの展開は勘弁して欲しい。

「違う違う、セラを一人にしてまた誘拐されたら大変だ。悪いが今日は俺の仕事に付き合ってもらうぞ。いいな?」

 半分泣いていたセラがキョトンとフェイを見上げ、小首をかしげてつぶやいた。

「フェイと一緒に――お仕事?」

 直後、セラは再び満面の笑みを浮かべる。こんな状況でも無ければバラのような笑顔と言って良かったかもしれないが、今のフェイには食虫植物にしか見えない。

「フェイとお仕事! お仕事!」

 何がそこまで嬉しいのか知らないが、セラは珍妙な歌とともに応接室をピョンピョンと飛び跳ねる。
 その奇行を眉をしかめて見ていたフェイは、すぐさま我にかえった。

「い、いかん、急がねば! アレがやって来る!」

 セラに構っている余裕など無いと気付き、フェイは大急ぎで準備を始めた。
 なけなしの金、愛用のダガーを手にとり、ボウガンは時間がかかるのであきらめる。最後にいつもの黒ジャケットを引っつかんだ。

「よし、準備完了――セラ、行くぞ!」

 フェイはセラの襟首を引っつかむようにエルカーナを飛び出した。

 領主達が地面を揺らしながらエルカーナに着いたのは、その数分後だった。

「セエエエエラアアアアッ!!」

 アリブ族を思わせる雄叫びだ――そう思ったガラムは鼓膜を守るため領主から一歩遠ざかった。
 ちなみにアリブ族とは雄叫びだけで獣を卒倒させる狩りを行った事で有名な部族である。

「領主公、店には誰もいないようですな」

 ひととおりエルカーナの周囲を調べたガラムは、領主へ報告する。

「……チッ、逃げたか。セラがここへ来たかどうかは分かるか?」
「申し訳ありません、出入り口付近に砂利が多く撒かれてあったため、足跡は分かりませんでした」
「ふん、エルカめ。いっぱしのクエスト屋気取りか……よし、聞き込み調査を開始するぞ」
「お待ちください」

 ガラムはその場に片ひざを着き、頭を垂れる。

「領主公、このまま捜索を続行しては政策が滞ってしまいます。領主邸にお戻りください」
「バカを言うな! セラの無事を確認するまで帰れるものか!」
「このガラムが必ずやセシリア様をお連れします。どうか領民のために職務へお戻り下さい」
「むむむ……」

 この責任感溢れる領主が『領民のため』との言葉に弱い事を、ガラムは十分に知っていた。
 私情に駆られ公務を疎かにする事など、これまでは一度たりとも無かったのだ。
 そして今回も、領主は歯を食い縛って私情を納めた。

「……ガラム、娘を、頼む」
「は、この一命を賭して」
「分かっていると思うが、もしセラがアレと一緒であれば重大な規約違反だ」
「では、その時はヤツの首をお届け致しましょう」
「できれば生かして連れて来い。もし殺すようなら、楽に殺すなよ」
「――御意」

 ガラムの首筋に悪寒が走ったが、忠実な下僕は表情一つ変える事無く拳を眼前で合わせた。
 そして、すぐさま行動に移ろうと領主に背を向けた、その時だった。

「あぁ、ガラム、もう一つ頼みがあるんだが」

 突然気の抜けたような一言に、もうガラムはもう一度領主へ視線を向ける。
 しかし、彼の主は珍しく頼みを切り出すのをためらっているようだ。

「領主公、なんなりと御命じ下さい」
「うむ、愚息の提案に乗るのはしゃくなのだが、このままではセシリアが危ういと言うのは良く分かった。そこでだ……」

 ガラムは目尻にシワを浮かべて笑った。

「御意。セシリア様の社交界への船出です。パーティーへの招待者は厳選し、且つ盛大に執り行うよう手配します」
「うむ、我が目に適う男を集めよ」

 ガラムはその職務の困難さに苦笑し、それでも拳を合わせ一礼したのだった。



「――とまぁ、こんな仕事なワケだ。分かったか?」

 フェイは目深にかぶった真っ黒なつばの広い帽子をなでながら、同じように真っ白な帽子を目深にかぶったセラに確認する。
 ここはゼクス領南端にある田舎町ローミクの外食店ファンパオロンだ。
 昼飯時でかなり繁盛しており、店内は人の熱気と人気料理パオロン独特の胸の透くような香ばしい匂いで満たされている。
 その店の隅にある二人がけのイスにどっかりと座りながら、フェイは本日の業務内容をひと通りセラに伝えたところだった。
 しかし、セラはどうもピンとこない様子である。

「どうした? 疑問があるなら今のうちに聞けよ。後で邪魔されちゃかなわんからな」
「あの、では質問してもよろしいですか?」
「あいよ」
「そのハンスさんという男性は、奥方ではない女性のところで、何をするのですか?」

 ガタン!

 フェイは思わず立ち上がった。
 それからおずおずと座りながら、上ずった声で答える。

「そ、そりゃ、おまえ――アレだよ。その、アレだ」
「あれ?」

 フェイはクールにサラッと説明しようとしたが、妙に狼狽してしまい言葉がうまく出てこない。
 相手がセラだと、やってはいけない重犯罪を犯しているような気になるのだ。
 フェイは周囲をキョロキョロと見回す。
 店内は賑やかそのもので、他の客は食うなり話すなりに没頭している。二人が領内で話題の領主公女とその婚約者だと気付く者はいなさそうだった。
 それでもフェイは声を潜め、ゴニョゴニョと話し出した。

「――お前、子供はどうやって生まれるか知ってるよな? まさか不死鳥がとか」
「不死鳥が運んで来るんじゃない事くらい、もちろん知ってます」
「あぁ、さすがに知ってたか。いや、すまん」

 このシュバート国には死んでしまった魂は全て不死鳥が持ち去り、愛し合っている夫婦に新たな命として届けると言う伝説がある。
 小さい子供が良く聞く「赤ちゃんはどこから来るの?」と言う疑問には、大抵そのように語って聞かせているのだ。
 しかし、いくらなんでもセラは十六歳、さすがにそれを信じている訳が無かった。
 フェイは胸をなでおろすと、セラの頭をぽんと叩いた。

「つまり奥さんがいるにもかかわらず、別の女と命を作る行為で遊んでる訳だ。極端に言えばな」
「つまり、それはその、キ、キスしてるって事ですよね」
「――は?」
「信じられません! 許せないです!」
「いや、ちょっと待て」
「なんですかっ! フェイは許せるんですか! そんな人、死刑で十分じゃないですか!」

 誘拐犯の減刑を必死で願った少女はどこへ行ったのか、フェイはツッコミをどこにするか悩み、まず根本の部分から確認することにした。

「まあ落ち着け、セラ。お前さっきキスとか言わなかったか?」
「い、言いました。その、はしたなくて、ごめんなさい」
「いや、その――怒らずに聞いてくれよ? その、子供は、どうやって作ると思ってるんだ?」
「ど、ど、どうやってって、また言うんですかっ!」

 耳まで真っ赤にしたセラは、信じられないモノを見る目でフェイを見上げる。
 そしてしばらくの間、両手を口に当てて言うか言うまいかを悩み、やがて小声でボソボソとつぶやいた。

「あのですね、その、キ、キ――」
「もういいっ! よぉーくわかった! って言うか教えろっ! 月に一回、腹が痛くなったりするアレは何だって言われたんだ?」
「なっ、なんで私の病気の事知ってるんですか! お父様以外には秘密にしていたのに」
「病気なのはてめーのくそ親父だ、ドアホゥ!」

 フェイは絶叫すると、疲れたように頭を抱えた。



「ええ。確かにこの張り紙の人に似てましたけどね、でもちょっとお顔が貧相で――――は? えぇ、女の子も連れておりましたよ。――――まぁ、あの方が公女様だったんですか。あんまりにも幼、いえ、お若く見えたものですから。たしか十六歳ですよね、やっぱり噂のとおり呪いとか――――ええ、男性の方が二つ買いましたよ。黒い帽子をご自分でかぶって、お子さ、いえ、公女様へは白い帽子を贈りましてね、いやそりゃもうすごい喜びようでした。つい私まで嬉しく ――――え? その後ですか? いやぁ、そこまではちょっと分かりませんねぇ」
「わかった、情報提供に感謝する」

 ガラムは懐から銅貨を一枚取り出し、衣類店の主人に放り投げると店を後にした。

「アズマ!」

 店の外で待っていた白鎧を身に着けた若者が、ひざまづいて拳を合わせる。
 よく訓練された見事な反応だ。

「領主公へ伝えよ。セシリア様はアレに連行されている模様。必ずやセシリア様を確保し、夕刻までにアレをお部屋に届けるとな」
「はっ」
「親衛隊にも招集をかけろ。1時間以内に南中央広場へ集合、遅れなどしたら容赦せぬ」
「――はっ!」

 アズマと呼ばれた若者はカツンと拳を打ち併せると、駆け足で領主邸へと向かった。
 若者が視界から消えるや、無表情だったガラムの顔が獣のように険しく、しかし獣ではありえない笑みを浮かべた。

「やってくれたな、リア=フェイロン……よもや、このガラムから逃げおおせられると思うなよ」

 領主への忠誠心、ガーディアンとしてのプライド、そして久しぶりの全力を挙げての狩り。その三つがガラムをどこまでも高揚させていく。
 しかしそれは、傍から見ればただの薬物中毒者だった。
 道行く人々は薄笑いを浮かべる狂人を、危険の降りかからぬ距離から好奇と忌避の視線で見つめたが、ガラムは周囲の視線など気にする人間ではない。
 拳を天に突き上げるや、声の限りに宣言した。

「リア=フェイロン! セシリア様を奪って逃げるとはなんと愚かな! 必ずや貴様を血祭りにしてくれるわ! ぐぁはっはっはぁ!」

 正義の公務員とは思えないその雄叫びは、人から人へ、尾ひれをつけ背びれをつけ、風のガラムよりも速くゼクス領内を飛び交ったのだった。
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