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(12)空はこんなに青いのに
 空はこんなに青いのに、ルナの心は今一つスッキリしない曇り空だった。

「はぁ……」

 ため息の理由は先日、連絡板を見た時のコノハの態度である。

―――あれは間違いない、よねぇ

 ルナはその時の様子を思い出して盛大なため息を吐いた。
 先日、フェイが退院するので何か詫びの品を探すと言うコノハに付き合って、バイスアルム沿いの商店を練り歩いていた時の事だ。
 コノハは一本の連絡板の前にして、ネジの切れた人形のように固まった。
 そして、その張り紙に書いてある内容を理解した瞬間――連絡板を蹴り折ったのだ。
 その後のコノハは本当に酷かった。
 心ここにあらずで何を話しかけても生返事、手を引かないと道も曲がらない、目の前にある昼食にはフォークを指したまま動かない。本当に人形を連れて歩いているようだった。
 そのくせ連絡板を見るたびに生気を吹き返し、怒りの炎をたぎらせるのだ。
 ここまで分かりやすい人間も珍しい。

――これってやっぱり私のせい、なのかなぁ

 責任を感じ、三度目のため息を吐いた。
 コノハがああなってしまった原因、それはおそらく自分にあるからだ。

 三年前、身寄りがおらず前科持ちと言うことで働き口も無かったフェイは、ルナのいる教会に居候していた。
 ルナ達の作る料理に絶望した神官長が、器用なフェイを無理矢理引き止めていたと言う話もある。
 ともかく、普段美味しい料理を作ってくれるお礼にと、ルナがフェイの部屋を掃除していた時の事だ。
 ふと、ベッドの下に隠してある手紙を見つけてしまった。
 考えるより早く手は勝手に手紙を開いてしまい、仕方なくルナは中身を覗き「きゃあ」と歓声を上げる。
 なんとその手紙は熱烈なラブレターであり、さらに差出人――つまり想い人が親友のコノハだったのだ。
 健全な神官見習いが、どうしてこれを黙っていられようか?
 ルナは嬉々として手紙の内容を一字一句漏らさずコノハに報告してしまった。

――あの時のコノハの動揺っぷりはすごかったなぁ

 今思い返すだけでほほが緩む。
 なにせそんな気配など微塵も見せてなかった相手が、自分を好きだと知ったのだ。そりゃあうろたえもするだろう。
 誓って言うが、悪気があってわけではない。
 頬を染めて狼狽したコノハは確かに可愛かった。だがそれよりも、これをきっかけにコノハがフェイを意識してくれればいいなと思った、双方の姉代わりとしての老婆心である。
 しかし、その後、ルナは恐ろしい事実を知る事になる。

 手紙を書いた人物は、実はフェイではなかったのだ。

 なんとそれはクロフが昔書いたラブレターだった。
 直接手紙を渡せないクロフが手紙をフェイに託し、しかしフェイがそれを渡す前にクロフは勝手に玉砕してしまった。
 フェイの手にポツンと残された手紙、さすがに想いの詰まったものを焼き捨てるのは気が引けて、ベッドの下に隠し、そしてそのまま忘れていたらしい。
 手紙を見つけたフェイが笑いながら言っていたので、まず間違いない情報だろう。

 これはまずい事になったと思ったルナは、正直にコノハに報告するかどうかを一晩悩んだ。
 しかし、その後、二人の間に進展やら気まずい空気は見当たらない。
 無理に事を荒立てることもないかと、結局ルナは誰にも報告しなかった。

 しかし、それはやはり間違いだった。
 想いの種はコノハの心の片隅で、静かに根付いていたのだ。

 今思えば、男勝りだったコノハがアクセサリを身につけるようになったのは、あの頃からだった。
 短かった髪を伸ばすようになったのもあの一件からであり、今では馬の尻尾のように後ろで垂れ下がるまでになっている。
 その髪と同じく3年と言う月日をかけた想いの芽は、一輪の恋花へと人知れず成長していたのだ。

 そこにきて、この有り様である。

「あああ、どうしよう。あれが嘘だったなんて言いたくないよぁ……ううう、神さまのばかぁ!」

 このまま黙っていたい。しかしあのコノハの事である。感情に任せてどんな行動に走るか分からない。
 せめてあの事件だけでもクリアにしないと、気持ちの整理だって着かないだろう。

「よし、言おう! 頑張れ、ルナ! えいえいおー!」

 この時にルナはようやく心を決めた……が、この決断は手遅れだった。
 つまり、今この瞬間、既にコノハの暴走は始まっていたのだ。



 フェイとエルカの二人は、民の目を逃れなんとか麗しのエルカーナへたどり着いた。
 懐かしさに手を震わせながら扉を開けようとしたフェイは、鍵が既に開いている事に気付く。
 警戒しながらも扉を開くと、エルカーナの中央に立ち尽くす人影があった。

「……コノハ?」

 コノハが半眼でこちらを睨んでいた。

 ゆらり

 彼女の上に何かが揺らめいたのを、フェイは確かに見た。
 熱くもないのに陽炎かと首を傾げると、コノハは薄く唇を開いた。

「おかえりなさい」

 その声は金属的な響きで、暖かく出迎えるような雰囲気はみじんもない。
 フェイの背筋に正体不明の悪寒が走った。
 ルナから聞いた話では、コノハがひどく落ち込んでるとの事だったが、はたしてあれは落ち込んでるのだろうか。

「やあ、コノハ。合鍵を使うなんて珍しいじゃないか。フェイの退院祝いかい?」

 その雰囲気にも物怖じせず、エルカは明るい声で話しかけた。
 コノハがあいまいに頷くと「そうか」と微笑を浮かべ、さっそうと奥のある自席に向かうや、机の上の書類に嬉々として取り組み出した。
 これを見たフェイは、少しだけ緊張感を解く。

「なんだ、コノハ、退院祝いに来てくれたのか。そうならそうと――」

 カツン

 コノハの靴音がやけに響き、フェイの喉が引きつって止まる。
 ここを逃げ出したいと言う正体不明の危機感がフェイを警告するが、訳も分からずに逃げ出すわけにも行かない。
 いや、正確に表現するなら、コノハの視線に硬直して動けないと言うべきか。
 コノハは視線でフェイを捕縛したまま、ゆっくりと歩み寄り、そして手に持っていた紙をバサリと突きつけた。
 紙がフェイの眼前でペロリと力なく垂れ下がる。
 それは街中に貼られた例の屈辱的な張り紙だった。
 リアクションに困っているフェイに、コノハは一言一言切るように問い詰める。

「これは、いったい、何?」
「い、いきなり何って言われても、その……」
「この婚者者とか言う、この部分よっ!」

 コノハはバンと紙面の一部分を指差した。
 確かにそんな文言がある。

「婚約とか、あたし、全然、聞いて、ないんだけど?」

 フェイには何でコノハがこんなにピリピリしているのか、カケラも分からなかった。
 女児に無理やり婚約者にされました。そんな失態をわざわざコノハに報告しなかったコトが、問い詰められるほど悪い事とは全く思えないのだ。
 こういう時に頼りになるのは、やはり、

――エルカッ!

 救いを求めるようにエルカへ視線を向ける。
 だが、エルカは書類に向き合いながらも、なにやら顔をしかめて口元を押さえており、こちらに気付かない。

――今朝からよく口元を押さえているけど……虫歯かな、かわいそうに

「どこを、見てるの?」
「あ、いや、その」
「早く、答えなさい……なんで何も、言わなかったの?」

 頼るものが無くなったフェイは必死で考える。
 何がなんだか分からないまま、とにかく謝るかどうかを

――いや待て。俺はクールな悪者になるって決めたじゃないか! そうだ。こんな事でいちいち卑屈になっていられるかってんだ。さあ、言ってやれ!

 フェイは自分を叱咤激励しつつ、コノハを睨み返して息を吸った。

「い、いちいちコノハに言う事じゃねえょ……」

 決意とは裏腹に声は裏返った。言葉尻も消えた。視線も横にそらした。

――でも言った。ちゃんと言ったからなっ! なんか分からんが俺は負けんぞ!

 プス

 乾いた音がしたので、横にそらしていた視線を元に戻して――絶句する。
 フェイの似顔絵から刃が飛び出していたのだ。
 刃は正確に人物像の右目を貫いている。

「ふぅん、そう……」

 コノハは無表情に短剣を紙面から引き抜くと、再び裏から突き立てた。
 今度は額の中心部から刃先がにょっきりと顔を出す。
 ギラリと刃先が光り、フェイの頭の中では警鐘が打ち鳴らされた。
 クエスト屋で養った直感が、生命の危機を感じているのだ。

「ええとな、まぁ、なんだ、ほら、落ち着こうか?」
「あんな子供と婚約しておいて、言いたいことは、それだけなんだ」

 コノハは無表情のまま短剣を下ろす。
 刃は綺麗に紙面を滑り、フェイの似顔絵を額から鼻筋を通って喉元まで引き裂いた。
 そして、コノハは興味を無くしたかのように、切り刻まれた張り紙を床へと落とした。
 フェイとコノハとの間を遮っていた物が無くなり、紙面によって遮られていた重圧が一気にフェイにのしかかった。

――なんだこのプレッシャーはっ?

 動けない、言葉が出ない。
 なんと言えばこの危機を回避できるのか、そもそもなんで殺されそうになっているのか。フェイはまとまらない頭を必死で空回りさせた。
 その間にもコノハはにじり寄る。

――くそ! なんなんだ? 髪飾りの件は済んだはずだし、生真面目なコノハが怒る事って……まさかっ!

 その時、フェイの頭でカチリと歯車が噛み合った。

――俺が、営利目的で婚約したと思ってたのか?

 その考えは、至極しっくりと感じられた。
 世間の事が右も左も分からないセラを騙し、領主の財産目当てに結婚まで漕ぎ着けようとしている。コノハの目にはそう映っているのではないか?
 思い返せばコノハにセラの捜索をお願いした時も、世間知らずの子供だと伝えていた。
 さらに、あの事件の後で悪になるとルナに宣言してしまったのだ。
 それがコノハに伝わって、結婚詐欺でもしているのかと疑われたとしても、不思議ではない。
 そんなフェイに、正義の天誅を下さんと怒りに震えているに違いなかった。

――おおお、あまりに完璧な推理だ。自分が恐ろしい。

 そうなれば今やるべき事はいたって簡単だ。
 あの婚約が遊びで無いと証明すればいいだけ。つまり真実の愛だと説明すれば、コノハの誤解はたちまちのうちに氷解するだろう。
 フェイは真っ直ぐにコノハの目を見返した。

「コノハ。じつは、俺――」

 フェイの態度が急に真剣になり、コノハの漆黒の瞳が揺らぐ。
 視線が絡み合い、呼吸が止まった。

「俺――ロリコンなんだ!」

 ザクッ!

 短剣がフェイの二の腕に突き刺さるや、鮮血が吹き出した。

「うおあああっ!?」

 コノハは狙い定めず刃物を振り回し、フェイは出血した個所を押さえながら必死げ逃げ回った。

「エルカッ! エルカーーッ!」

 フェイが必死で助けを呼ぶがエルカは机に突っ伏している。
 痙攣して反応がないのだ。

「エールーカー!?」
「フェイの、ばかああっ!」

 それから数分間、エルカーナは罵声と悲鳴と鮮血が飛び交う空間と化した。
 その修羅場を救ったのは第四者、つまり新たな来訪者だった。

「おじゃましまきゃあああああっ!」

 戸口から叫び声がして、二人はようやく動きを止め、玄関に目を向ける。
 そこには腰を抜かしたルナが、へたり込んでいた。
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