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(1)始まりは穏やかな午後
 はじまりは穏やかな午後だった。
 クエスト屋エルカーナの中は穏やかな春の陽気に満ち、まさに『子猫が欠伸をしそう』という言葉に似つかわしい昼下がり。 
 窓辺にある日時計針の上ではチョウがうつらうつらと休み、机の上の帳面も風にそよがれてゆったりとページをめくっている。

 そんな中、唯一いそいそと動き回る一人の影があった。
 短めの黒髪と彫りの深い大きな黒目、薄手のシャツとダークグレーのパンツ。クエスト屋としては随分と若かったが、彼――リア=フェイロンはれっきとしたここの店員だった。

「おっと、そろそろ茶葉が良い感じに蒸れたかな」

 この時フェイはご機嫌だった。
 退屈な店番をしながらも鼻歌が止まらないほどだ。
 それは彼の至福のひと時であるティータイムを、誰にも邪魔されず楽しめるからである。しかも、今淹れているのはツヴァイ港に入港したばかりの高級茶ベルリーフティーときた。
 真っ白な陶器のポットから十分に温めたカップへ、琥珀色のお茶をゆっくりと注ぎはじめた。
 すると、コポコポと言う水音が少しづつキーを上げる。これがたまらない。
 茶葉を丁寧に蒸らした甲斐あって、部屋の中はたちまちベルリーフ特有の(かぐわ)しい香りで満たされた。
 フェイは堪えきれずカップを鼻先で(くゆ)らせる。

「――ふぅ」

 鼻から頭に抜けるような香りが突き抜けた。神様ありがとう、と無意味に叫びたくなる瞬間だ。
 フェイは溺れるようにどっぷりとその感触を楽しんだ後、チビチビと貧乏たらしく茶を飲み始めた。
 もちろんお茶菓子など食べない。
 お茶菓子など食べたら、折角の香りが邪魔されてしまうではないか。

「最近は茶菓子も高いからな」

 つい本音がポツリと漏れてしまうが、気にする事も無い。
 なにせ、このクエスト屋エルカーナにはフェイ以外に猫一匹いなのだ。
 つまり今日も客が一人もいないと言う事なのだが――

「ん?」

 その時、店の外に人の気配を感じた。
 獲物を狩る獣の如く、扉の向こうへ神経を集中させる――確かに人がいた。
 さらには女性らしき「ふぅ」という物憂げなため息も聞こえてくるではないか。
 エルカーナは、まだ開店して間もないという事もあり、現在は営業不振の真っ只中だ。
 なのに昼間からため息を吐いて悩んでいるような上客を逃したとあっては、店長のエルカに申し開き出来ない。
 フェイは名残惜しげにカップを置くと、少し跳ねていた黒髪を軽く撫でつけ、襟元を正す。
 まだ十九歳であるフェイは、その若いと言う第一印象だけで仕事を断られる可能性だってあるのだ。
 仕上げに最近覚えた作り笑いを貼り付け、優雅にドアを開け放つ――

「ぎゃあああああああああっ!!」

 絶叫された。問答無用とはこの事だ。
 店の前では、小さな少女が直立不動で固まっていた。その碧目は落ちそうなくらい見開かれ、じわじわと涙目にさえなっている。

――俺が何したってんだ

 フェイの作り笑いは既に崩れ、引きつった顔で少女を無遠慮に値踏みする。
 年齢は十歳くらいだろうか。
 驚いて目口を見開いているのも関わらず、繊細な線で描かれた整った顔立ちだと分かった。
 おまけに肌は子供のくせに真っ白で、見たこともない水色の素材のドレスを着ている。
 十分に手入れされた鮮やかな金髪は頭の両側にしばられ、それでもなお腰のあたりまで伸びてゆらゆらと揺れている。
 一目で相当なお金持ちの御令嬢だとは分かった――が、お金持ちでも子供は子供、金にはならない。
 そして、金にはならない相手を、フェイはお客様とは呼ばない事に決めているのだ。

「あー、どうかしたかい、お嬢ちゃん?」

 少女はビクリと体を震わせると、絶叫したのが恥ずかしかったのか、白い肌が一気に赤く染まった。
 これだけ見事に赤面する瞬間を見たのは初めてだ。
 それからたっぷり十数える沈黙の後、少女はもそもそと口を開く。

「あ、あの、アニサマは、いますか?」
「アニサマ?」

 エルカーナの正従業員は、店長のエルカと従業員であるフェイの二人だけだ。
 たまに神官のルナが遊びに来たり、クエストの応援としてコノハを呼んだりするが、断じてアニサマなる名前ではない。

「アニサマねぇ、アニー……アニ……あぁ、ひょっとしてアニキのことか?」

 その言葉に少女は小さく頷いた。
 むろん、妹といえばフェイの妹ではない。残るは、

「――って、ひょっとして店長の妹っ!?」

 フェイの大声に気圧され、少女は小動物のようにコクコクと金色の頭を前後に揺らす。
 言われてみれば店長のエルカには、妹がいると聞いた事がある。しかし、こんなに歳が離れていようとは。

「……でも悪いけど、エルカは今留守なんだ」
「そう、ですか」

 エルカが留守と分かるや少女は肩を落とし、子供らしからぬ憂いを帯びた表情を作った。
 まるで欠点の見つからぬ精巧な人形のような顔に、フェイはエルカの筋骨隆々偉丈夫たる姿を重ねる。

――この美少女がエルカと兄妹って、ほとんど詐欺だな

 しかし、綺麗な碧の目だけは同じ色だった。珍しい色なので兄妹と言うのは嘘ではないのだろう。

「それにしても、エルカにこんな可愛い妹がいたなんてなぁ。ビックリだ」
「かっ――」

 少女は『可愛い』と復唱しそうになり、そこで固まる。
 百戦錬磨のエルカの妹なので、この手の社交辞令は慣れてるのかと思ったが、どうやら社交界デビューうんぬんもまだらしい。

「か……帰ります」

――そうきたか

 少女はなんとか引っ込みをつけると、深々と礼をするや早々に走り去っていった。
 フェイも店に入ってティータイムの続きでも、とドアを閉めようとした――その時だ。閉めようとしたドアの隙間から少女がピタリと立ち止まっている姿が見えたのだ。
 あまりにも不自然な挙動に、フェイはついドアの隙間から観察を開始する。

 グルリ

 少女は軍人のようにカカトを軸に方向を変えると、トコトコと店の方へ戻ってきた。
 フェイはあわててドアを閉めると、ドアの内側で少女がノックするのを待つ。
 足音がパタパタと近づき、エルカーナのドアの前でピタと止まる、が、ドアはノックされない。

「……ふぅ」

 かわりに盛大な溜め息だけが漏れる。
 一分が過ぎ、二分が過ぎ、そして三分が過ぎようとした。

「……ふぅ」

――あああああ! じれったい!

 元々気が長いほうではないフェイは、待ちきれずにドアを開け放つ。

 ゴス

 突き刺さるような鈍い音がし、ドアが途中で止まった。
 何事かとドアの隙間から覗くと、少女がドアの前で額を抑えてうめいている。至近距離にいたらしくドアのカドで頭をぶつけたようだ。

「おぉ、悪い! 大丈夫か?」

 かなり良い音がしたのでコブになってないかと、フェイは外に出て少女の顔を覗き込み、そのまま固まった。
 少女はボロボロと涙を零していたのだ。
 『女に泣かれる』と、『子供に泣かれる』事以上に苦手な物はフェイには無い。今回はその両方に正面からぶち当たっているのだ。

「その、あのな……」

 なんとかなぐさめようと無い知恵を絞っていると、ご近所のオバサマ方が数人集まり、ちらちらとこちらを見ているのに気付いた。
 あれこそ最速情報ネットワーク、井戸端会議に違いない。
 こんな所で悪い噂が立てば、本当に廃業になりかねないだろう。

「ほら、とりあえず中に入れ、な?」

 フェイはオロオロとなだめすかしながら、ご近所の目に触れないよう、少女を店内へ導き入れてしまった。
 そう、それこそがフェイことリア・フェイロンの不幸の始まりとなったのだ。
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