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―とある姫様と領主の実記―CRAZY CONFLICT 作者:漣 出雲

第三章 †枯槁と花果†

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咄嗟の事に、頭の中に痛みが走った。
人間、あまりの事にびっくりすると体が痛くなるのだと、ティナはちょっと頭の隅で考えつつも視線は泳ぎ口を噤ませる。

セトの口から無情にも繰り返されるその名前は、ティナにとって、まさか幼い彼から発せられるとは予想だにしていなかった名前で、ティナは、本当の本当に返答を詰まらせて困り果てた。
(何て言えば――)
ここで例えグロチウスに助けを求めたって、彼はきっと、貴方のお好きな様に答えなさいとしか、きっと助言はしてこない。
人間には知られることの無い東方魔族の、ト・ノドロの領主の名は、例え、アリシアに事漏らされたって、正直な所困りはしない。
問題はティナの心情だ。
今や他人として生きるソルディス本人を目の前にして――ああ、その人は――この人は、貴方は、正真正銘私の夫であると断言できるだけの力が、ティナには、無い。

「ソルディス、はね」

ティナは、息をちょっと深く吸って、

「ソルディスは、――おねえちゃんの、……大事な、人」

「だいじな人?」
「い、許婚……」
「いいなずけ?」

首を傾げながらネイビスを見上げるのはセトで、「いいなずけってなぁに」

「許婚は、結婚を約束した男性の事だ」

ネイビスは優しく教え諭す。

「君の齢は」
「じゅ、十八……」
「十八?驚いたな、もっと幼いかと思っていた」

――出た!記憶が無くても無意識な毒舌!
ティナは顔を顰めながらグロチウスを突くが彼はまるで何処吹く風。
記憶が無い主人の言動にまで責任は持てませんと言わんばかりにティナから視線を逸らすだけだ。

「よく子供っぽいと言われてま……言われてた、し」
「許婚から?」
「そ……それはもう日常茶飯事」

語尾をぼそぼそ弱めティナはネイビスから目を逸らし気まずそうに返答する。
まぁつまり貴方ですけどなんて言葉が口を裂いて溢れそう。
何度も言われていることだから気に障るものでもないけれど、(あ、あれやっぱり本音だったんだな)とか心底がっかり思ってしまうティナは救い様の無い諦念を覚えた。
多分、セトと同等だと思われているんだろうな。
これはもう逆に笑ってやりきるしか方法が無い。

「でももう慣れっこ」ティナは顔を上げて笑う。続けて「どんなに嫌味な人の言葉でもいつもいつも言われれば慣れるものなのっ」

途端後方で聞える肩の震えた顰め笑いにティナは眉を顰める。
異様に滑稽で、異様に残酷で、異様に辛辣。
そんな現状に全く持って逆行する姫君に、グロチウスはもう限界でこれ以上どうしようもない。

呆気に取られた様なネイビスは、グロチウスにてんやわんや笑うなとか何とかかんとか騒ぐティナを見るだけで、彼もまたこれ以上どうしようもない。

唯一人セトだけが、またまたティナと仲良く戯れている(ように見える)グロチウスの服の裾を引っ張って頬を膨らすだけであった。




















山のように楔蓬を積んで帰ってくると、調理場では、前掛けを掛けるアリシアとそれからニルが昼ごはんを用意しながら待っていた。見慣れようにも見慣れぬ不自然な彼女の姿に、グロチウスはやはり微妙に納得できぬ顔をしつつも、ティナは素直に似合うだの素敵だの小声ではしゃいでいる。

「あらあら、いっぱい取ってきてくれたのね――ネイビス」
「僕もやったの」
「セトもお手伝いしてくれたの?」

アリシアはセトの頭を撫でながらふんわり微笑む。
ティナとグロチウスをテーブルに促し、ミルク壷を運ぶアリシアに、自然と手伝いの手が出るネイビスの姿が目の端に映ってティナは思わず顔を背けるが、不自然だったかしらとちょっと誤魔化したり、グロチウスに話しかける振りをして、何とかその場を乗り切ってみた。彼ら二人の姿を目に映すのが自分でも驚くくらいに苦痛で、いいや、苦痛と言うよりは、恐怖。その姿を見るだけで頭をごつんと殴られているようなそんな気分でティナは、今だ可愛らしく彼女の足元について離れぬセトを可愛がることに、それと昼食を取る事に集中した。

アリシアさん、ソルディスと、普通に二人で話してる。
あ、お皿取ってあげたりしてる。
セトの面倒みたり子供なのに話相手してあげたり、ちゃんとしてる。

(なんか、普通の男の人みたい)
(失礼です。彼が変人だった様な言い回しは)
(え、違ったっけ)
(そう言う貴方も、相当の変わり者で)

その言葉にティナは木のフォークでグロチウスの手の甲を柔く突いた。

この娘、商売道具(?)の脚に何て事を……
グロチウスは文句を言いたくとも当然反抗する事も出来ず、しらっとしたティナの横顔を睨むに留める。

(だから、子供だと言われるんだ)

ぼそっと呟いたはずのそれは珍しく鈍感なティナの耳にしっかりと伝わっていたらしく――それはそうだ隣に座って居るのだから――、彼女はにっこりと可愛らしい笑みを浮かべると、テーブルの大皿から彼が好き好みそうな葉物を少し取り分けて、それに甘辛いソースを絡めつつ、

「はい。グロっち、あーん」

溜まらず噴出したのはニルで、当のグロチウスは顔を引き攣らせつつ、ゆるく、ゆっくりと顔を左右に振るばかり。
彼の舌にとって、このソースは大分刺激物なのだ。

「ニル姉が作ってくれたサラダだもの。ちゃんといっぱい食べなきゃね」
「あ、いや……」
「食べなきゃね?」
「……はい」

目を瞑りながら素直に口を開け、口の中に入ったそれを俯きながら素早く咀嚼するグロチウスの姿にアリシアは可笑しそうにクスクス笑った。

「本当に、仲が良いのね。セトじゃなくても嫉妬しちゃう」
「仲が良いって言うか、もう、貴方達夫婦みたいよ」

からかうニルに、アリシアは微笑んで頷く。

「ふーふって、なぁに」
「仲が良くていつも一緒にいてる男の人と女の人の事よ」
「じゃあ、お母さんとネイビスも“ふーふ”だ」

およそ三名を凍りつかせるその言葉に、咄嗟のその言葉に、アリシアはびっくりして頬を染めながらセトを宥めた。「お客さんの前で、そんな事、言っちゃ駄目よ!」

「お母さんとネイビスは、仲が良いんだ?」
「ちょ、あの、ニルさん……!」
「うん、すごく、仲良いの」

セトは口を大きく開けてパンを頬張りながらもごもご喋った。

「まえ、お手てつないでたの」
「へ、へぇ……」

感嘆だか納得だか訳の分からぬ声を出すティナの言葉に、アリシアは「セト、違うでしょ、アレは、お母さんが転びそうになったからネイビスが――」

そこまで言って、気恥ずかしそうに彼女はとうとう俯いてしまう。
明らかに動揺するアリシアの様子と打って変わって、ネイビスはあまり事態が飲み込めていないようで、さして慌てる事も訂正する事も無く食事を続けて取るばかりで、ニルは、そんな様子のネイビスを見て、ふっと気付かれぬよう苦笑した。(相変わらず、鈍い弟だこと)

呆れるニルとは反対に、グロチウスはミルクを飲んでいた手を止めて、左隣の少女を見た。背が低く小さい彼女の表情は伺えず、ただ、しっかりとフォークだけは握り締めていて、そうして、少し肩を震わせた後、顔を上げたかと思うと、

「ネイビスは――、優しい人なのね」

そう言った次の瞬間、ティナは、突然食卓の下の彼女の手首を握り、それ以上何もせず、何事も起きていぬよう静かなままの、隣のグロチウスをそっと見上げた。

(グロチウス、)

弱くも無く強過ぎてもいない力で彼女の腕を掴み――それは手を握るよりも滑稽で、ともすれば、威圧とも取れるような行為であるのに――何故か彼女の心中をそっと察するような暖かな体温を伝えるグロチウスに、ティナは、彼のその手を振り払おうとはしなかった。

食卓の下の行為に、皆は、何も気付かない。
ひょっとしたら、ニルは気付いているかも知れないけれど、視線すら送ってこない。

ティナは少し俯いた。
グロチウスが、不器用で平生寡黙で聡明な魔獣の彼が、慰めている。

(私、余程参ってるのかな。)

ティナは、右手首を掴む彼の手の甲に、そっと己の左掌を重ねた。
大丈夫。私は大丈夫だから。

ティナは、ほん少しだけ、彼の前で泣きそうになった。

















昼食を取り終えると、食卓の片づけが始まって、ニルも手伝うなら私も手伝うとティナは言ったけれど、貴方は部屋で休んでなさいと宥めるニルの心情を察するとティナもそれ以上強く言う事は出来なかった。

ネイビスも、皿を重ねて、アリシアと他愛も無い会話をしていて、ティナが幾ら視線を送ろうとも、彼は彼女の存在を気にも留めていないようでティナは足早に食卓を去った。


彼の視界には、私の姿は映っていない。
彼の視界には、他の女の人しか映っていない。

嗚呼、当然じゃない、だって、彼女は、優しくて、綺麗で、命の恩人で、誰が見たって素敵で理想的な女性であって(――それで、肖像画の、あの女の人に少し似てる、)

廊下を歩くティナは、そうだ、と言ってふと立ち止まって、後ろを歩くグロチウスを見上げた。

「さっきはありがとう」
「――」
「ありがとう、グロチウス」

泣いていないのに、目の緋色が痛々しくて、グロチウスは顔を顰めた。

「……ソルって、」ティナは続けて、「ソルってね、怖くて、自分勝手で、思いやりとか無くて、何でも全部自分で決めちゃって、酷い人なの」
「――」
「でも、本当は、優しい人なの。私、知ってる。……本当は、いつの間にか気付いてた」

小指に光るリングを見ながら、「ソルディスは、素直じゃないの。私の前では、何も言わないの。優しくない振りしてばかりで、――でも、ネイビスは違うのね」

「姫君」
「――私、ソルディスに、何もしてあげれ無かったんだ。アリシアさんみたいに、一緒にいて安心させる事も、休ませて挙げる事も、笑わせる事も、何も」
「貴方の所為ではない」
「ネイビスは、今、幸せなの」

ティナははっきりと言った。

「多分、記憶が無くなる前より、幸せに生きてる」

自棄でもなければ感傷でもなく、事実だけを述べる様なティナの口調に、

「そうだとしたら、貴方は何を望むのです」

グロチウスは問う。

そんなの、決まっているわ。ティナは言う。

「ソルディスの、幸せを」


ティナはそれきり、グロチウスに背を向けて、足早に部屋へ戻っていった。
グロチウスは、誰も居ぬ廊下で、先程まで握っていたティナの腕の温かさを思い出して、

だったら、貴方の幸せはどうするんだ――

言えぬ言葉を、ただ、遣る瀬無く持て余すだけであった。





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