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―とある姫様と領主の実記―CRAZY CONFLICT 作者:漣 出雲

第三章 †枯槁と花果†

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生きていればそれだけで救われる。
生きてさえ居れば、例え、貴方の何が失われていようと、生きていればそれで良い。

そう願って願って願い続けて何日も眠れない夜が続いて、やっと会えたその人は、腕も、足も、変わらぬあの顔も声も何一つ失っていない、それなのに、――それなのに何より大事な物が欠けている。それは全く、ほんの少しも予想だにしていなかった事で、唐突に体の中の何かをぐしゃりと握りつぶされたような衝撃に襲われた。

いや、違う。きっと一番予想していなかったのは、彼に忘れられている事にショックを受けたこの自分だ。
ソルディスに忘れられた――それが、こんなにも悲しいと思っている自分の心。

(あ。また、独りだ。)

ぼんやりとした頭の隅で、不意に何故かそう思った。














「街の方から来たのかしら」

何一つ言葉を言えぬティナを前に、アリシアは微笑んだ。
ふわりとした柔らかい笑み。耳に心地いい声、穏やかな笑顔。
野苺が沢山入った籠を抱え直しながら、彼女は、足元へ駆け寄って来たセトの頭を撫でてやる。

そこに立つ男と女、そして子供は、嗚呼、まるで家族の様だとティナは思った。
思って、悲しくなった。
まるで「彼」にはその場所がお似合いだと、自分で認めた様なものだ。

「三人で、こんな人里離れたとこまで――疲れたでしょう」

三人、という言葉にティナがハッと振り向けば、そこにはニルとグロチウスの姿があった。
長年連れ添った筈の彼ら二人の姿を見ても、悲しいかな、全てを忘れたソルディスは何一つ反応をしない。

「聖レィセリオスから方から来たの」

後ろから、そっとティナの肩に手を添えながらニルは言葉一つ詰る事無く笑顔で応えて行く。「モロゾナに遠縁の親戚が居てね。帰り道、季節柄あまりにも森に木の実や花が成って綺麗だから、もう少し滞在して行こうっていう話しになって――」
「あら、そうなの」

ニルの言葉に何一つ疑いを抱く事無く、アリシアは言う。

「本当に、今は一番良い季節よ。日が暮れるのも遅いから、今日もほら、こんなにいっぱい実取っちゃって」
「アリシアは遅くまで森に入りすぎだ。獣でも出たらどうする」
「貴方が心配性なだけよ、ネイビス。ここの森は私のお庭みたいなものなのよ?」

ネイビスの肩を軽く叩きながら、アリシアは困ったように笑った。
ティナは、今にも卒倒しそうな勢いだ。

「此方は、宿をやってらっしゃるのかしら?」

ティナの肩をしっかり支えながらニルは笑いかける。

「りっぱなお家だから、宿でも経営しているのかと思って」
「今はやっていないわ。でも、以前はやってたの――主人が居た頃は。主人が居なくなってからは、空き部屋ばかりで……そうだ、」

アリシアは思いついたように、

「良かったら、私の家、どうかしら?暫くここで休暇なんでしょう。今なら、あと一ヶ月は木の実も花もいっぱい成ってる時期だし――お部屋、いっぱい余っているし」

何よりセトが喜ぶわ。
そう言うアリシアの言葉に戸惑うティナとは対照的に、ニルはそれすら予測していたように「あら、それも良いわね。じゃあ、お言葉に甘えようかしら?」上品な笑みですんなり答えた。

宿代なんて要らないわ。お客さんが来てくれただけで、嬉しいもの。
そう笑うアリシアは、ネイビスの顔を覗き込んで、

「ね、良いわよね?」
「アリシアの家だ、俺は文句なんて無い」
「じゃあ決まりね。セト、良かったわね。お姉ちゃんとお兄ちゃんとネイビスと――退屈しないわ」

言葉に、セトは頷くと、嬉しそうに可愛らしい笑みを浮かべて、ティナの元に走っていった。

「おねえちゃんと遊ぶ!今から遊ぶ!」
「ダメよ、今からご飯なんだから。ああ、貴方達も良かったら、夕食、一緒にどうぞ。今日は美味しい山菜が沢山あるの」


その言葉に礼を述べるニル。
何も言わずに立っているグロチウス。
そして、背が低く小さいセトの、彼の無垢な視線に捉えられているティナ。

「おねえちゃん」

人懐こくぴったりくっついたセトは、ティナの虚ろな緋の眼を見て、

「おねえちゃんの目、真っ赤だぁ」

その言葉に、ティナは、何だか以前も――遠い昔も同じ事を言われた気がして、変な気分で瞬きを繰り返す。その後、セトの温かい手に握られて初めて、ティナは自分の指先が冷えている事に気が付いた。

ああ、体が冷えているんだ。
ティナはセトの温かな手を握り返すと、その時出来る限り、精一杯の笑みを彼に返した。





++++++++++++++++++++++++++++++++




宿を営んでいたというだけあって、確かに空き部屋の数は多かった。
アリシアとセト、そしてネイビスの分の部屋を覗いて空きは四つ。

一人一つの部屋を使うつもりであったティナは、一緒の部屋に泊まると言って気遣うニルに、笑って言った。「大丈夫。私、子供じゃないのよ?一ヶ月以上も一人で寝てたんだから、もう慣れっこよ!」(かえって辛辣そうな顔をしたニルに、姫君は気付かない、)


それから、アリシアの声に呼ばれ、一階の食卓に座した三人は何とも奇妙な顔ぶれで夕食を取ることになった。お行儀良く椅子に座るセトを挟んで、アリシアとネイビス。
その向側に座ったティナ等には、目の前の彼らが何処からどう見ても子持ちの夫婦の様に見えてならない。

敢えてその思考を中断すべく、ティナは食卓にのぼった夕食を見た。
並べられた料理は、質素であるが、何とも美味しそうな匂いがしている。
夕刻にアリシアが摘んでいた野苺も、更に盛られてティナの目の前に差し出されていて、普段なら飛び上がるほど嬉しい食事であるはずなのに、惜しいかな今のティナには平生の食欲が無い。


全知全能のアギタに、感謝します。
そうアリシアが言う祈りを合図にセトがテーブルのパンに手を伸ばし、六人の夕食は始まった。




「二月前は、私とセトの二人暮らしだったの」

お互い差しさわりの無い会話を交わしながらの、不自然で無い時間を進める中、変わらぬ笑みを浮かべてアリシアは言った。

「ネイビスも、最近この家にやってきたばかりでね」
「彼も、宿の客として?」
「いいえ。本当を言うと彼、――ああ、ネイビス、これは話しても良いのかしら」
「――別に、俺は構わない」
「なら話すけど、私が野苺狩りをしている時、森の中を流れる河に、怪我をしたネイビスが横たわっていたの。あそこの河はちょうど流れが緩やかだから、きっと上から流されてきたんでしょうけど――彼、不幸にも、ちょっと記憶を無くしてるみたいで」

フォークを止めながら、困ったようにアリシアは言った。

「名前も、どこに住んでいたかも、何も思い出せないの。だから、怪我が治っても暫く私の家で休ませる事になって」
「“ネイビス”……新神文書に出てくる、風と共に行く民の名前ね」
「そうよ。彼ったら、ふっと現れたと思ったら、自分の名前も分からなくて、でも、何か不思議で――文書の“ネイビス”にそっくりなんだもの」

くすくす笑うアリシアに、ネイビスは眉を顰めた。
(あ、ソルディスの顔だ。)
途端、見慣れた懐かしい表情に、ティナは切ない思いに駆られる。

前髪を下ろした彼は、普段より少し幼く見えて、でも、クロムセリアとはどこか違う――
やっぱり、ソルディスはソルディスだ。
彼女はそう思った。

「貴方達は、ええと――三人とも、家族かしら」
「私とこの子は従兄弟。こっちの彼は、私の従者よ」

詰る事無くニルは答える。物言いから、アリシアの目には、彼ら三人がやや裕福な商人の家系に自然と見えるだろう。

「そう、仲が良いのね。羨ましいわ」
「貴方は?」
「両親は若くして死んだし、親戚も皆遠くに住んでいるから、血縁者は居ないも同じ。今、私の家族はセト。あと、ネイビスもかしらね」

アリシアは笑って言い、少し間を置いて、静かな声で言った。

「夫は……セトの父親は、もう居ないの」
「ご不幸?」
「二年前に森に入った時、それきり行方不明。夫の知り合いは、きっと神隠しだって、森の精霊の悪戯だって言うけれど――私は違うと思う」
「違うとは」
「あれは、魔の仕業よ」

――不意に三人の動きが止まった。

「私、魔族って信じるの。おかしいと思われるかも知れないけれど。きっと、夫は魔獣に襲われたのよ」
「そう思うのは、何故」
「昔一度、魔を見た事があるの。まだ子供の頃だったから皆信じてくれなかったけど。ここは森に近いから、きっと、森の奥に住む魔族が紛れ込んで来るんだわ。夫はきっと、運悪くそれに会ってしまったのね」

野苺を摘んでアリシアは悲しそうに笑う。「もう、昔の話だけれど」

「じゃあ、憎んでいるの。魔族を」

ニルは平生を装い、パンを千切りながら問いかけた。

「そうね、憎いと言えば憎いかも知れない」アリシアは肩を竦める。「でも、今は、セトが傍に居てくれるから……この子の成長を見るのが楽しみなの。私と夫が一緒に居て、愛し合っていた何よりの証だから」

セトの頭を撫でるアリシアを見て、ティナは、何故だかそれが羨ましく思えた。
思って、考えて――そうだ、そう言えば私は、アリシアにとってのセトに等しい何か持っていただろうかと思って、ふと小指の指輪を思い出した。
でも、これは畢竟、証という物になりうるだろうか。
ティナがソルディスの正妻であった、それだけは証明できるかもしれない。
だがしかし、ティナとソルディスが互いに想い、信じ合い、心を通わせていたという証明にはならないだろう。

それは、この指輪が、日常小言を言われるのが我慢ならないと言う名目で彼女に一方的に送られたに過ぎない何とも無愛想な飾り物だからである。

その事を思って気を落としたティナは、続いて、気付く。

(私達、お互い、どう思ってたのかな)、その事に、明解な答えを出していなかった事を。

恋人の様に甘い睦言を囁いた事は無い。
夫婦なのに愛の言葉を囁いた事も無い。
二人揃った指輪も無い、二人の間に子供も居ない。

ティナとソルディスの間にあったのは、「契約」だ。

小さな都市国家と、東方領地の間で交わされた古い約束が、ティナをソルディスに引き合わせた。周囲の手によって決まる婚姻は、貴族の間では当然だけれども、城下で盛んになっていた自由恋愛という風潮からしてみれば、それは確かに不自然な出会いであったかもしれない。

だがそんな不自然な出会いを経ても、確かに、ティナの中にはそれ以上の感情が芽生えつつあった。
モロゾナとの諍い、ソルディスとクロムセリアの確執。
辛い出来事が多かったけれど、それを乗り越えるたびに、ティナは、ソルディスの傍に居る事を強く望むようになっていった。
この人の傍に居たい。
笑わなくたって無愛想だって、この人の正妻で居たい。
彼は私にとって必要な人なのだ。
そう思っていた。
少なくとも、ティナは。

では、ソルディスはどうだろう。

彼がはっきりとその口で、お前が必要だと、何処にも行くなと、そう言った事があっただろうか。

無い。
無いのだ。
ティナとソルディスには、お互いの間に、確固とした愛情があったとは言えないのだ。

それが、彼女にとっての、覆しようの無い事実だった。


「――ティナさん?」
「え?……あっ、あの!ごめんなさ……わ!ぎゃーっ!」

慌ててパンを千切ろうとして、あやうくミルク壷を零しそうになって慌てふためくティナ。
笑うニルに呆然とするグロチウス、はしゃぐセト、――黙ってティナを見るネイビス。
顔を紅くし慌てて謝罪を述べるティナが可愛いくみえて、おかしそうに微笑むアリシアは、「疲れているのね、今日はゆっくり休んで。ここら辺は静かだから、虫の音が子守唄になってとっても寝やすいのよ」

「だが、ベッドが固い」

あれじゃあ熟睡は出来ないな、そうネイビスが肩を竦めて言った。
アリシアは、困ったように、

「ほら、ね。ネイビスは変な所に気が行くのよ。あの客間のベッドが固いんじゃあ、ネイビス、貴方、貴族のお家に暮らすしか無いんじゃなくて?」

冗談で言った彼女の言葉に、不意に、ニルがおかしいように噴出した。
そりゃあ、特注の上等なベッドで千年も寝てたんだもの。
そう言いたげにティナに視線を送るニルにつられ、ティナもおかしいように微笑んだ。

やっぱり、ソルディスは、ソルディスなのだ。

そう再び思って、ティナは、少し、何だか緊張の糸が一本切れた気がした。



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++





貴方、嘘でも何か食べなきゃダメよずっとミルクばかり飲んでいたでしょあんなんじゃ貴方アレよ水分不足の変人だと思われるわよ――


ニルの軽い説教を受けるグロチウスの様子を哀れに思いながら、ティナは、そっと、ニルに割り当てられた部屋を出た。明日からの予定を話すため彼女の部屋に集まったのだが、しかし、叱られる彼の様子を見る限りもうちょっとお説教は続きそうだ。

廊下に出ると、廊下からは、モロゾナの城下ではなく――逆の方、つまり、ナスリカから続く鬱蒼と茂った森が見える。
あの向こうには、ああ、聖レィセリオスと、魔族の秘境、ト・ノドロが――

ティナは目を伏せた。

今日は、疲れた。異常な程に。
平生と違って食欲も余り無くて、笑顔一つに違和感があって、でも、もし泣いても喚いても一向に変化しないであろうこの状況は、ティナの精神を雁字搦めに縛り付けている。

ソルディス、
ソルディス、

その名を呼びたい。

ネイビスじゃない。貴方はネイビスじゃなくて、本当は名前があるの。
だから貴方も、お願い、私の名を、

(呼んで、)



「――ティナ」


刹那。
急な呼びかけに声が詰った。

ぎこちなく振り向けば、下の食卓から上がってきた、ソルディス……違う、ネイビスが、簡素な皿燭台を持って其処に立っていた。城に居るときとは違う、鼠色の服を着ていて違和感があり、彼女を見つめる瞳も、どこか気の張りが無い様な気が、ティナにはする。

「ティナ――確か、名前はそうだった」
「は、はい、……ネイビス、さん」

何だか、ほんとに初対面の人みたいだ。そう思いながらティナは彼から視線を逸らさなかった。
何故だろう、少しでも、彼の視線を捕らえていたい、そう、思ってしまうのだ。

「あの、」

彼の言葉を待たずティナは思わず言った。「あの、怪我は、」

「怪我?」
「怪我を、してたって。アリシアさんが見つけたとき、川で、怪我を――」
「ああ……肩の所が、大きく裂かれていた」

ティナは、ぎゅっと服を握り締めた。
やっぱり、大きな怪我、していたんだ。
あの時、自分を、異界の手から守る時に。
(ごめんなさい、)しかし、その一言すら、今言えば不自然になってしまうからティナは咽喉の奥に押し留めた。

「今は大丈夫なんですか」
「とっくに治ったよ。不思議だ、あんなに大きな傷口だったのにもうすぐ傷跡すら完治する――きっと、アリシアの介抱が効いたんだろうな」

苦笑するネイビス。
同時にティナの中に訪れる、安堵感と、激しい心の渦。
(ソルディスって、笑うんだ)

「辛くは無いんですか」
「辛い、とは」
「記憶……あの、何も思い出せなくて、」

きっと、楽しかった事とか、嬉しかった事とか、
自分の周りの人の事とか、家族の事とか……(私の事も、)

「――気にはなる。自分が何者なのか、何故、あんな怪我をしてあそこに流れ着いたのか」

でも、とネイビスは窓の向こうの闇を見た。

「不思議だ。記憶が無いのに、気分が楽で不安が無い――良い記憶も忘れたが、悪い記憶も全て忘れているからだろうな」
「――、」
「不安が無いのは……そうだな、きっと、アリシアのおかげだ」


そういう彼の表情は穏やかだった。


――一度も無い。
姫君は、彼のこんな表情を、一度たりとも見た事が無い。





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