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―とある姫様と領主の実記―CRAZY CONFLICT 作者:漣 出雲

第二章 †蒼き闇の双星†

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ティナの中で何かが凍った気がした。

その冷たいものは頭から足先まで一気に流れ落ち、彼女の体を不自由にする。
手にする燭台の灯の暖かさも、己の体を流れる血の生温さも、何も感じない。

ほんの僅かな時間にして多くの露呈と自己の悔恨が溢れ出し、ティナは体の奥底から何かが抉られるような感覚に陥った。

薄いカーテン越しに、月明かりが入り込む。
今しがたまで月は雲隠れをしていたのだ、と。そこでティナは初めて気が付いた。

彼女は、その月明かりに照らされ扉口に立つ男から視線を逸らさない。
だが、それは見据えるという表現より最早視界に入れている程度の自覚しかなかった。
(どうするの)
ひそめた声が脳に響く。
(ねぇ、どうするの、ティナ)
声は、止まらない。

「ソルディス」

やっと搾り出した声は、思うよりもしっかりしていた。

ソルディス――

もう一度、今度は呟くように口にしてみる。


扉が閉まる音と共に、ソルディスは凍て付く視線を外さぬままティナに歩み寄る。
暗闇の中で一歩一歩と近付く姿に、ティナは恐怖した。


「――この部屋には」

ソルディスが言う。

「この部屋には、絶対に入るなと言った筈だ」

言葉と共に、ティナの腕は強く掴まれる。

「――痛っ、」
「迂闊だった……お前とあの男が庭で戯れているのを見て、鍵を閉めずに出たのが間違いだったな」
「……」
「行き違いとは、なかなか俺も愚かだ」

彼は皮肉に笑った。
力を込めたそのままの手でティナの腕を引っ張ると、彼女はよろめきながらも乱暴に彼の元へ引き寄せられる。

「……ソルディスは……っ……」
「懺悔なら後で聞いてやる」
「謝ることなんて無い!」

無理だと承知で、ティナは腕を振り解こうとする。

「何で……全部、隠して」

国の事も。
婚姻の事も。
過去の事も、自分が刹那の正妻だったと言う事も――

「……何で、何も言わなかったの。私だって、何も覚悟しないであの地位についたわけでもないのよ。国の事だって、言ってくれればちゃんと受け入れるし、魔族を嫌いになったりなんかしない……!それなのに、ソルディスは!……この女の人だって」
「――黙れ、ティナ」
「どうせいつか要らなくなるなら、婚姻なんて結ばなきゃ良かったのに!」

暴れるティナを手荒く制すと、ティナが持っていた燭台が床に落ちた。絨毯に燃え移る前にソルディスの靴で消された蝋の火は、焦げ臭い煙を出してその命を終える。

「言ってくれれば良かった……!最初から覚悟があったなら、私は、例え下女でも妾でも我慢できた」

自国の事を、誰よりも知っていなければならなかったのは自分だったはずなのに。
正妻だと、死に別れを告げられるまで共に連れ添うと、体を交えて生命の尺まで等しく揃えたはずなのに。

ティナは混乱していた。
同時に、こんなにも動揺する自分と対照的に落ち着き払い侮蔑の視線さえ送るソルディスに、過剰な怒りを覚えた。燭台を持っていたその手で、彼の胸を押しやる。しかし、それも空しく、ただ腕を握られる力が増すだけだった。
痛みに顔を歪めるティナに、ソルディスの言葉は冷たい。

「お前は約束を破った」
「……っ……」
「あいつに何を言われたか知らないが……馬鹿な事をしたな」
「クロムは何も言わない!この部屋には、私が勝手に」

途端、ティナの体は乱暴に押され、古びた木製の両袖机に体を打った。
舞い上がる埃に思わず咳き込む。

本来ならばここで抵抗を示す彼女だが、今は怒りよりも恐怖が勝った。
彼がこれまで、ティナを手荒く――微塵の配慮も無しに――扱った事は一度たりとも無かったからだ。
暴力と言うほどの扱いではないが、それでもティナの顔を青ざめさせるには十分過ぎる行為である。

打った肘の痛みに顔を歪め、ティナは上半身を机上に預けたままソルディスを見上げた。

「――ここは、下女も下男も立ち入りを禁じられ」
「……っ……」
「俺しか、鍵を持っていない」

ロドメすら、許しが無ければ入ってはいけない部屋なのだとティナが理解し、次の行為を予想するには、時間はあまりにも短かった。
彼が持つ燭台の灯は消され、無造作にに床へ捨てられる。

「ソル、」
「脅えるな……もっと酷い事をしたくなる」

ティナは息を呑み、震えだしそうになる足に力を入れながら、出口に向かって走り出した。
が、あと少しで扉口に手が届くその瞬間、肩を掴まれ強く扉に打ち付けられる。

「――ケホ……ッ」

肩と背に痛みを感じながら息が詰まる。
ソルディスの腕の力は、度々夜伽の折に組み伏せる彼のそれと違い、どこか感情的で恐怖を伴わせていた。
月の青白い明りは、ソルディスの背にあり、彼の表情がよく見えない。
だが、怒っている。
平生溜息混じりに詰る彼の怒りとは違い、それは、紛れも無くティナの後悔を強いる怒りであった。

「叫んでみるか?」

空いた手でティナの頬に触れる。
何をするのか、恐怖を含んだ目でソルディスを見上げるティナの心臓は咽喉をせり上げるように高鳴る。

「無駄だ。誰も助けには来ない」
「……ソル――」
「この部屋で女を抱くのは久しいが――それも良い」

ティナが返す前に、その唇は塞がれた。
扉に押し当てられ逃げ場のない体は、ただ為すがままに彼の口付けを受け入れる他無い。
――出会った時と似ている――恐怖と混乱にありながら、片隅ではそれを思い出す。
あの時は、――あの時も、自業自得だったのだ。煽ったのはティナ自身だった。例え、無自覚だったとしても。

ソルディスの服を握り締め、抵抗を示して肩を押すと、乱暴に唇を噛まれる。
唾液に混じって口の中は鉄の味が広がり、それすらも味わうように口付けは深くなっていった。

胸が、痛い。
息はしているのに、何かが苦しい。
この気持ちを何と表現するべきなのか――誰かに教えて欲しいくらいに翻弄されるティナは、その気持ちを整理する暇も無く止まらない口付けに朦朧とする。

「っ……は……ぁ、……苦し……――んっ……ぅ」

やっと解放された唇でティナは大きく息を吸うが、それも束の間、暇を与えずソルディスは再びティナの唇を貪る。
崩れ落ちそうになる彼女の腰に手を廻し支えてやると、ティナは自分で立つことすらままならないのか、彼の腕に体重を預けた。

最早抵抗も無く、ただ縋るように服を握るティナの手には微弱な力しか込められない。
ソルディスは、もう一度ティナの唇を解放する。口端からつぅっと流れる唾液に、月明かりでも分かる程赤く染まった頬。先程まで随分と反抗的だった姫君の大人しさに、ソ ルディスは嘲笑った。
彼女が最も敏感な耳をゆっくり舌でなぞりやると、ティナは咽喉で声をあげながら体を強張らせた。

「あの男は、優しいか」
「……?……」

突然の言葉に、ティナは息を上げながら声を詰まらせる。
苛立ったようにソルディスはティナの首筋を噛んだ。

「答えろ」
「……っん、ぁ――……クロム、は……」

彼は――何だというのだろう。
優しい?確かに、彼は優しい。
だがそれは、慈しみ、愛し、大事なものを扱うような優しさとは違った物だった。

(――君は、俺に近い――)

ああ、そうだ。
あれは愛情とも、優しさとも違う。同情だ。
ティナは、彼にとって、“同類”。
即ち、ソルディスよりも彼女に近く、心を分かち合える者――

ティナは頭痛がした。

「彼は……、私を」
「お前を、何だ」
「私、の」

言葉にならなかった。言いたい事が分からない。気持ちを伝える言葉が見つからないのがこんなにもどかしい。
――ソルディスは舌打ちをする。
本調子ではないティナの体が熱を帯びている事に気付いたが、彼はお構い無しに彼女の首に舌を這わせた。
びくりと素直に反応し、座り込みそうな体を支えようとソルディスの背に手を廻す。

「ちゃんと立っていろ……床でする事になるぞ?」
「や……ぁ、……こんな、無理」

立ったまま体の弱いところを触れられ、ティナは消え入りそうな声で非難する。
こんな体勢のまま彼に体を好きなようにされるなど、ティナには想像すら出来ない。
嫌だと首を振るが頭痛が酷くなるばかりで意味は無い。
熱に浮かされグラグラする頭をソルディスの肩に預け、一層強く服を握った。

ソルディスは、ティナの体を本格的に弄ぶ。


いつもの様な強引さとは違う、手荒な扱い。
ティナは咽喉の奥で泣いた。
生理的な涙は流せど感情的な涙は流さない。
流せない。

肌を触れ合っても一向に気持ちは通じない、こんな関係が――
何故、嫌気が差す訳でも投げ出したくなる訳でも無しに、ただただ苦しいばかりなのか。

滲んだ視界で暗い天上を見つめ、痞えた声をあげながらティナは思った。

――私は、――



私は、きっと、この人を。






































――いつ目が覚めたのか分からない。

カーテン越しの朝日は暗い。
鳥の声だけは元気で、他の物音は何一つ聞えなかった。

体が重い。
瞼すら重い。
そのだるい目で瞬きをするとティナは、ここが自分の部屋では無いという事をようやく認識した。
辺りを視線だけで見渡す。

……見覚えが、親しみがあると思えば、ここは、そう、ニルの部屋だ。

体を動かすと、節々が痛い。
筋肉痛かなと思ってみるが、そうではなく、単に壁にぶつけたときに出来た痣だと自覚する。

寝返りをうつと、すぐ隣に、ニルが横になっているのに気付く。
ティナはいつの間にか寝巻きに着替えベッドに寝ている自分を不思議に思ったが、多分ニルが全てやってくれたのだろうと納得した。

そっと吐き出されるのは、溜息。
額にそっと手を当て――ゆっくりと昨晩の事を思い出す。

乱暴に壁に押しやられ、好きなようにされた体。
約束を破ってあの部屋に入り、彼の怒りを買ったのは確かにティナである。

そうであっても昨晩の行為は、ティナの心と体に傷をつけるには十分なものだった。


ああ、これでは、本当に離縁かもしれない。


そう思ったティナは、不覚にも悲しみを覚えた。
昨晩脳裏に掠めた想いが再び過ぎる。


(私は、きっと――)



「ソルディス……」

呟いたとき、横でニルが動くのが分かった。
最初は体を捩るだけだったニルも、ティナの起床に気が付いたのか、ようやく目を覚ましたようだった。
ベッドを軋ませながら、ゆったりと体を起こし流れる黒髪をかきあげる。


「――お早う、ティナ」
「……ニル姉……」

何か物言いたげな義妹に、ニルは優しく微笑んだ。
昨晩まであった熱を確認するように、額に冷たい手をそっと重ねる。

「具合は?悪くない?」
「……大丈夫」
「そう、良かったわ」

ニルは何も聞こうとしない。
ただ、見上げるティナの瞳に優しい視線を返すだけだ。

ティナがだるい体を起こそうとすると、ニルはその肩を支えてやった。
まだ彼女の体は重く、もしかしたら風邪引き返したのかなと他人事のようにティナは思う。

「……ありがとう」
「何が?」
「……色々……あの、昨日……覚えてないんだけど、その」
「――良いのよ」

ニルは苦笑する。
きっと、着替えをしてくれたのも、乱れた髪を整えてくれたのもニルだ。
平生彼に抱かれた夜ならばソルディスがそれをするのに、ニルに任せて放棄したということは、つまりそういう機嫌だったからに他ならない。そして、そんな機嫌にさせてし まったのも言わずもがなティナ自身であった。

「……私、昨日……酷いことを……した、の」
「……」
「ソルディスとの、……約束を……」

彼の言いつけを守らず、禁じられた部屋へ入り、感情的に責めたてた。
彼に内緒でクロムセリアと二人外へ出ていたのは自分で――部屋へ入らない事を約束していたのも自分。非は過分にティナにある。

しかし、それでも抑えられなかった。
訳も分からず、煮え切らない想いが込上げてきて、抑えられずに言葉となって吐き出された。

「何か、訳が分からなくて、」

クロムセリアによって知らされた、国の事。婚姻の事。
そして、自分すら忘れていた、引きずり出される過去の記憶。
自分の過去も、無いはずの記憶も、まるで瞬時の火花のように明るく見えては消えてしまう。


「ソルディスに……酷いことを、私、」
「ティナ」

ニルは、静かにティナを抱き寄せた。
ティナが思わず抱きつくと、ふと、湯浴みの折に使う石鹸の香りがした。ニルの腕の中は心地良い。ニキィとも、リィネとも違う、安心し頼れる女性の腕の中は安堵の気分へ誘ってくれる。ニルのネグリジェを握り、何か言いたげに視線を送るティナに、ニルは、

「あの部屋に……入ったのね?」

耳元で、静かに言い聞かせるように呟いた。

「あの子、何も言わなかったけれど……顔で分かったわ」
「――私……ねぇ、私、いつか要らなくなるの……?」
「ティナ」
「あの女の人も、人間だったんでしょ?」

あの女の人。
それだけで、ニルは何のことを言っているのか分かっているようだった。

静かな目で見据える女性。
寄り添うように、佇むソルディスの姿。

腕の良い画家に描かせたであろう、夫婦の肖像。
――そして、それを否定するように切り裂かれたキャンバス。
それでも絵は捨てられる事無く、時を止めたあの部屋に飾られたまま。

(私も、いつか)

――あの絵の様に、彼の心の片隅に追いやられたまま、姿を消してしまうのだろうか。

「ニル姉、私、」

ティナはくぐもった声で呟いた。

「私……こんなの初めてなの」

誰かの傍にいる事が、苦しいとか、辛いとか。
本当のことを知るのが、怖いとか、悲しいとか。

この気持ちを、何て表現したら良いのか分からない。
もしこんな感情を狂ってると言うならば、それでも良いとすら思ってしまう――そんな、異常な感情。


(――俺からは言えない)

クロムセリアすら口にしなかった、ソルディスの封じられた過去。
いや、恐らく、彼自身が自ら封じたと言った方が正しいかもしれない。

そんな彼の闇に足を踏み入れ、そして、呆気なく拒絶された。
怖かった。
彼に乱暴をされる事ではなく、その拒絶が、怖かった。

――いいや、違う。それは間違っている。
彼の拒絶を買って出たのは自分ではないか。


分からない。
もう考えることすら辛い。

「ニル姉、私、こんな気持ち……初めてで」
「――うん」
「ちゃんと話したいのに、何を話せば良いか分かんなくて」
「――うん」
「あんなに酷いこと言って、こんな風になって――」


出会った頃の自分なら、きっと、自棄になって離縁だなんだと叫んでいた。
でも、今ではそれを言うことが怖い。何故?何故だろう。きっと、本当は分かっている。


「私……」


泣きもせず。
涙を流さずただ感情を吐露するティナを、ニルは黙って抱きしめ続けるだけである。

生まれて初めて、異性として触れた男性。
色恋沙汰も経験せず、歳相応に無知で、鈍感。

馬鹿みたいに真っ直ぐで明るく、周りに支えられながらもどうにか笑って生きている。
でも、その明るさは、無意識に封じた過去と表裏一体で――時折溢れる記憶の断片に体が蝕まれ、自分でそれを止められない。


そんな少女に対し、ニルは抱きしめ、言葉を聞き、ただ、頷く事しかしなかった。


最早、何も物言わず、小さく息をしながら、黙って寝巻きに縋りつく少女。
ニルはその背を抱いて静かに思う。

いつか、この子が自分で自分の気持ちに気が付けば良い。
きっと落ち着いて時間が経てば、その胸を締め付ける茨の正体に気が付くだろう。

言葉では説明がつかず、それでも、彼女の体と心を支配する拭えない感情。

その気持ちが――恋なのだと言う事を。





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