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―とある姫様と領主の実記―CRAZY CONFLICT 作者:漣 出雲

第二章 †蒼き闇の双星†

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「ああ、クロムセリア様……お願いです、お願いですから!旦那様に内緒で姫様を外に連れ出すような事は、どうか……!」

命を懸けた、若手侍女リィネの懇願。
彼女は必死にぺこぺこ頭を下げながら、主の正妻と、主の実弟に縋りついた。
今夜戸口番の彼女曰く。ソルディスが許可をしていない連れを伴うティナの外出は、厳重に禁止されているそうで。
そんな規約すらものともせず、クロムセリアは悪意無き笑顔でにっこりと笑った。

「大丈夫。城門を出る訳でも無いし、俺が無理矢理引きずって行ったと言えば良いから」
「無理、無理ですそんなの!旦那様がお許しくださる訳がありません!」
「ソルディスは、俺とティナがお喋りする分には何ら問題ないと言ったんだ。リィネ、これは彼も合意の上で」
「ですが……!」
「ソルディスが怒ったときは、私が彼の説教を聞くから」

困惑して泣き出しそうなリィネの両手を握り、ティナは言った。

「本当にただ散歩をしてくるだけなの。いつもはニル姉と出るけど、今日はクロムセリアに変わっただけ。何も変な事はしないし、万が一あってもリィネのせいじゃないの……事前にソルディスに言うとややこしくなりそうだから言ってないけど……すぐ戻ってくるわ。だから、ね。リィネは何も見てない事にしておいてちょうだい」
「……」
「湯浴みまでには戻ってくるから。ね、お願い!」
「は、はい……」

リィネはおどおどしながら、見て見ぬ振りを決め込もうと両目をギュッと瞑る。
悪い、と呟きながら、クロムセリアは重く大きな扉をギィ、と押し開けてティナを外へ連れ出した。

















「わぁ……っ……星!すごい、この間よりすごい!」

外に出た途端、ティナは小走りに芝生を踏み空を仰いだ。
インクを零したような真っ黒の中に、白インクの飛沫を飛ばしたように散らばる星々。

普段自室から見下ろせるト・ノドロの城下の灯りは高い城壁で遮られ、ティナの目に映る灯りは、城門・城壁に灯された灯りと、天上に広がるそれのみである。

「私、いつも空ばかり見てたから、すごく星とか月が好きなの」
「そうなのか」
「うん……月が出てると、誰かが傍にいるようですごく安心する」

本当に嬉しそうに天を見上げ続けるティナの横顔は幼い。
しかしながらどこか哀愁を帯び、遠く、遥か遠く――見えていないものを見つめるような目をしていた。
クロムセリアは静かにそれを見る。
冷静に、まるで観察するように。

「ティナは、」

クロムセリアは言う。

「ティナは、この地が平和だと言ったな」
「うん……平和で、好き」

素直な思いを口にする。

「まだ城下には下りていないんだろう?」
「ソルディスから、お許しが出なくてね。もうちょっと先になりそう」
「その理由を、聞いたことがあるか?」
「“城内でも迷うようなお姫様が、城下に出てどうする”だって。確かに私、まだジェノファリス城の中を全部知っているわけじゃないし、入っちゃいけないって言われてる部屋も……あぁ、三階の、奥の部屋だっけか。それすらも、はっきり覚えてない位だから」

クロムセリアが歩み寄った。

「なら、その部屋に入ってはいけない理由は」
「あまり詳しくは……――ねぇクロム、さっきから、どうしてそんな話を?」
「重要なんだティナ。何故なら、君が知る真実は、真実でなく――言わば偽りの作り物だから」

その言葉に、空へ向けられていたティナの視線はゆっくりと――
隣に立つクロムセリアへ向けられた。

「何、を」
「聞き流しても良いし、よく聞いてくれても良い。ただ、言っておきたいんだ。仮にも一国――聖レィセリオスを象徴する人間にしては、認識があまりにも不足しすぎている……恐らく、ソルディスも、カステル・ジニアも、ニルも、話すべきではないと思っているんだろう」
「クロム……?」
「君は大方、自分がこの土地に来てソルディスに娶られた理由を“風習”やら何やらで有耶無耶にされている。違うか?」

黙ってティナは頷いた。

「――違う。それを風習と呼ぶなら、正しく悪しき風習だ。憎悪の連鎖を生み出した元凶」
「……」
「ティナは本当にこの地が平和だと思っているのか?……いや、ティナだからこそ思うんだろうな。まだ、十八年しか生きていないんだから当然だ。だが俺やソルディスは違う。千年以上もこの地に住んで、ト・ノドロとレィセリオスが平和で仲の良い協定国家だと思われたら困るんだ」

いつの間にか、クロムセリアの目の色から暖かさが消えていた。
(ソルディスだ、)
零度の瞳を見、ティナは咄嗟にそう思う。
あぁ、やはりこの二人は血の繋がった双子なのだ。

「昼間に俺は言ったな。人間と魔族は二度戦争をし、そのうち一つを俺は経験していると」
「……うん」
「それは、他でも無い――このト・ノドロとレィセリオスの間で起こった争いの事だ」
「――」

クロムセリアはティナの肩に手を置いた。

ティナは息を呑む。
咽喉に言葉がつまり、一瞬、息の仕方も忘れた。

何を――
彼は今、何を言った?

戦争?ト・ノドロが、……?誰と?他でも無い、レィセリオスと?
何を、いきなり、何を言い出すのだろう。
聖レィセリオスは小さな都市国家で、内紛も他国との戦争も無く、穏やかで、土地に恵まれ、

「いきなりの事で、驚くかもしれないが」

肩に置いた手には力が篭る。

「確かに、今はそんな事ない。いや、起こりようが無い。何故なら、今の聖レィセリオスの頂点に君臨するのは君自身であり、君は魔族に対し嫌悪の情は何も持っていないからだ」
「……」
「でも、数百年前は違った。全く違ったんだ。君が想像するような、友好的で、穏やかな者が常にレィセリオスの頂点に君臨すると思ったら、それは大きな誤算というものだ」
「なぜ……」
「何?」
「なぜ、ソルディスは……ソルディスは、私にその事を」

聞かれたくない事だったのだろうか、クロムセリアはその問に、初めてティナから視線を外した。

「俺からは言えない」
「どうして……!どうして、そんな……私、国史も読んだ!ちゃんと、カステルから話も――」
「国史を改竄してまで、君には事実を隠して起きたかったのさ。自ずと知るその日まで。何も知らない方が、君とソルディスの婚姻も上手くいった」
「……そんな」
「というよりも……そんな争いが双国の間で起こったからこそ、今のような制度が生まれてしまったと言うべきなんだろうな」

クロムセリアの指が、ティナの頬を撫でた。

「君を城下に出し渋っているのはその為なんだ、ティナ。迂闊に元人間の君がト・ノドロに下りれば、君に憎悪の念を抱くものも当然いるだろう」
「だから、ソルディスは」
「そう。その為だ」

クロムセリアはそこで言葉を切った。
あまりにも突然の真実。頭がぐちゃぐちゃになっているティナを黙って見下ろす。

「クロムセリアは、ニル姉は、……ソルディスは……」
「……」
「皆、人間を恨んでいるの?私も……本当は、私の事も」
「――ティナ、良く考えろ。心の底から恨む人間をわざわざ丁重に扱う魔族が居ると思うか?それは心配しなくて良い。心配すべきは、絶対にそこじゃない」

クロムセリアは、ティナを宥めるよう、柔らかく抱き寄せた。
一瞬体を固くするものの、優しく、あやす様なクロムセリアの腕は確かに心地良い―― さして抵抗も無く抱き寄せられるティナの頭を、そっと安心するよう撫でてやる。

「いきなり、前置きもなしに言って悪かった」
「――ううん、私、何も知らない方が……そっちの方が、嫌」
「そうか。君は、強いな」

言葉に、ティナはそっと顔をあげた。

「強い?」
「ああ。強い」
「私、馬鹿よ」
「馬鹿と強さは関係ないさ」

苦笑する。
ああ、ムキになって見上げてくるその目は挑発的だ―― 端端で彼を刺激する姫君を一瞥し、クロムセリアは、溜息をつきながら空を見上げた。
目を細める。空の星は、確かに凄い。こんな満天の星星の元、二人きり、男が女を抱きしめていれば、恋仲以外の何者でもないじゃないか――

そんな事を思うクロムセリアの視線は、やがてある一点を捉えた。
それは、彼の、目に否が応でも入り込み、常に引き摺る傷を髣髴させる空の瞬き。

「――ティナ、あの星」
「え?」

唐突に、クロムセリアが指をさす。
くい、と上をさした先には、満天の星々で……ティナは、どの星を名指されたのか分からない。

「どれ?」
「あの、蒼い星。見えるか」
「――あぁ、あれ……双子の星でしょう?」

ニル姉に教えてもらった、と、ティナは言う。

「良く目を凝らさないと、隣の星が見えないのよね」
「……ああ、」

何か、物言いたげに。
相槌だけ打って空をぼうっとみあげるクロムセリアに、ティナは首を傾げた。

「どうしたの……?」
「……」

彼は続く言葉を渋った。
蒼く、暗く――それでもしっかりと光る星を一点見つめ、それ以外何も見ようとはしない。

「……ねぇ……」
「あの星、……明るい星と、暗い星があるだろう」

唇は、震えているのか――ティナは目を細めた。

「あの、暗い星。あれは、あれは、地の民に“セリア”と呼ばれる」
「……“セリア”?」
「古代流浪の民の原語で、映身の意だよ」

何を言いたいのか。
続きを待って、ティナはクロムセリアを黙って見上げた。

「セリア……映身、影。同であり異、真であり偽であるもの――」
「……?」
「俺の名前の語源だ」

声は夜風に溶ける。

「――クロムセリア――まったく、父上も皮肉な名前をつけて下さったものだ。」
「……クロム…」
「“クロム”は、同じく流浪の民の間で最も下等と見なされ、口にする事も憚られてきた言葉――つまり、忌み疎まれる者。望まれずに、生まれてきた子供を指す」
「――」
「ティナ、俺は」

クロムセリアはティナの背に廻した手に力を込めた。
体を強張らせ、驚いたよう咄嗟に手で押し返すティナに構わず、彼はティナの体を引き寄せる。
クロムセリアの体は暖かい。ソルディスの低体温と違い、外套越しに、ティナは他人の温もりを感じた。

「ティナ。君も分かるはずだ」

耳元の声に、びくりとティナが固まる。

「君は俺の気持ちが」
「……ク、ロム?」

突然声の調子を落とし、独白するように語るクロムセリアに、ティナは目をぱちくりさせた。

「ティナ、君なら分かってくれる筈だ。月を友とし、空を望み、その望まれぬ身を以ってしてここまで生きてきた君なら」
「――……」
「これは愚弄じゃない、よく聞いてくれ……。君は、俺に近い」

クロムセリアはティナを片手で抱き寄せたまま、もう片方の手でティナの掌に触れた。
ぴくっと反応する、小さく柔らかな手を握り、クロムセリアは続けた。

「――この手は、それを知っている」

ティナは目を見開いた。

「……やめ……」
「不具と罵られ」
「……やめ、て」
「忌み嫌われるように存在する、望むものも何も生まれない」

制止は、制止にならなかった。
じわり、じわり、ティナの心に侵入するように次々と紡ぐ言葉。

ティナは急に鼓動が早まる。クロムセリアの温もりを受けながら、背筋に悪寒を覚えた。
目に映るインクブルーの外套の色すら、ただ恐ろしく。

「……やめて……クロム」
「君は幾年も、冷たい壁を背に」
「――やめて!」

突然、撥ねたようにティナはクロムセリアの胸を叩いた。
走ったように息を荒く吐き、肩で息を切らすティナの様子にクロムセリアは彼女の体を解放する。

「もうやめて!お願い、」
「ティナ」
「貴方は…何故、それを…!…私は、」
「ティナ」
「私は…!私は違う!私は、何も、――何も覚えてないの!」
「……」
「だから……お願い、そんな事を」

クロムセリアは驚いたように彼女の肩を掴み、揺すった。
反応のないティナの顔を覗き込む。

泣いてはいなかった。
泣けなかったのだ。悲しみより、恐怖が先立った。

ティナの全身は粟立ち、体の中を得体の知れない痛みが走る。
耳を塞ぎ、歯を食いしばり、おびえるように背を丸めた。

眼下の芝生はざわめきを増し、所々に生える月下零は突然共鳴するようにティナの視界で蠢いた。

――この人は、私の過去を知っている――
ならば、ソルディスも、ニルも、然り?それとも、この人だけが……何故、この人は――

胸が、頭が痛い。体が軋む。頭で理解しても到底精神では理解しきれなかった。
彼女自身が記憶の奥に押し込めて、何度も這い出そうになったそれを鎖で雁字搦めに縛り付けてきた反動が襲ってきた。
最早、クロムセリアの言葉は耳に届かない。
砂嵐のような雑音が、聴覚を支配する。

悲しくなど無く、ただ、ただ恐ろしい。

涙の代わりに彼女の精神の負荷を放出しそうになるのは、嘔吐物。
熱い胸元を押さえながら、ティナはその衝動に耐えた。

支えるクロムセリアの手を咄嗟に撥ねて、ティナは無我夢中で城内へ扉口へ向かう。

ティナ、と後方から荒げた声が聞えた。
振り向かない。振り向けない。

ティナは訳も分からず城の中へ戻り、その場に座り込みそうになった。
が、歩み留めて、大きく息を吸う。

遠くに――本当はそれ程遠くなかったかもしれない、その場にリィネが見えた。
心配そうに駆け寄った彼女を無意識に宥め、ティナは、覚束ない足取りで階段へ向かった。

無意識に、全ては、無意識のうちに――

ティナは歩いた。

後ろから追ってきているだろうか、クロムセリアは。
ティナは階段の途中で後ろを振り向いたが、その姿は視界に無かった。

――クロムは、忌み子。セリアは、映身――

彼は、ああ、要らない子供だったのだ……
(私と同じで?)(――違う!)
ぐらり、ティナは眩暈を覚えて立ち止まった。

ダメだ。ここで倒れてはダメ。歩かなくては。
(……どこへ?)
決まっている。あの、禁じられた部屋へ。
(何故。あんなに、言われたのに)
知らない。
ただ、いかなければならない気がした。

彼が最も伝えたく、それでいて一番口に出来なかった事。
彼が言う、隠された真実がその部屋にある気がした。

大きく息を吸い熱い胸を押さえながら、ティナは登った。
一段一段。クロムセリアが昼に言った事を、頭の端で思い出す。

踊り場は、世界。そして、アギタは手に届かないあの天上の上。
踊り場を繋ぐ階段は、歪が生じた時のみ、通路として役割を成すのだと。

――ダメだ、錯乱している。
ティナは頭をぶんぶん振って、更に階段を登った。




「三階の…………一番、」

(そう。一番奥よ、ティナ)

もう一人の自分が、脳で囁く。

ティナは壁に手をつきながら、暗い廊下を歩き進んだ。
一階と違い、三階まで登ってしまえば、普段見かける下女も下男も見当たらない。
しん、と静まり返った廊下には、ティナの靴音だけが響き渡る。

もう一歩、あと一歩。

ティナは、足音を立てず、息を潜めるようにその暗闇を歩き進んだ。
途中、所々にあった燭台を廊下の壁から拝借し、先を照らす。

――あった。
廊下の奥に、一際大きな扉が。
赤茶色の扉には、一つだけ錠がかけられているようだったが――幸い、開いていた。

ティナはゆっくりと扉を押す。
ひゅう、と、冷たい空気が部屋から廊下に流れ出た。
黴臭い臭いがティナの鼻をつく。
押し開ける重い扉は、ギィ……と鈍く軋んだ音を響かせる。

ティナは、燭台を差し出し、足元を、暗い室内を、照らす。
ぼぅっと照らし出されるのは、やや埃っぽく、人の匂いがない……ちょうどソルディスの部屋と同じくらいの広さの部屋だった。

傍には机、棚などがあり――

ティナは歩みを進めた。
けほ、っと埃に咽ながら、所々を照らしていく。
何が――一体、何がこの部屋に――
ティナは緋色の瞳を凝らしながら、机の上に燭台を置いた。周囲をぼんやりと照らし出す。

仕事用と思われる机上にはもう暫く使われていない羽ペン、それから黄ばんだ羊皮紙などがある。 それらを手にとって見るが、ティナがいくら見ても、文字が書かれた形式は無く、ここでどんな事務が行われていたのかを示す手がかりは得られなかった。

誰かの部屋?元は書斎?

ティナはつぅっと埃がたまる机を指でなぞる。
古びた机。
忘れ去られたように、時を止めて存在するそれは哀愁すら帯びていた。

ティナは指についた埃をふっと息で吹き払うと、燭台を手に持ち、壁を照らし始めた。

壁も、埃が溜まった飾り織物がかけられている以外にさして変わった所は――


「………これ……」

ティナは歩みを止める。
手をさし伸ばし、壁を鮮明に照らした。



肖像画。



壁にかかっていたのは、肖像画だった。
大き目のキャンバスに油彩で丁寧に描かれた、一枚の絵。

その肖像画は――中央を大きく切り裂かれていた。
まるで鋭利な刃物で一刀掠められたかのように。

絵には、男女の姿が描かれていた。辛うじて、その顔は確認できる。

椅子に座り、優しく、そして悲しそうにも見える表情で此方を見ている、色白の女性。
ティナと同じようなブロンドを長く伸ばし、澄んだ青い瞳。
少女と呼ぶには大人びていて、しかし、成熟した女性よりも幼さのある表情はティナの目を惹きつけた。

だが、何より彼女が目を奪われ、言葉を失ったのは――その隣に立ち、同じく此方を見つめる一人の男性であった。
高貴な、黒い正装を身に纏い……髪を撫でつけ、漆黒の瞳で此方をただ見据える男は、いとも簡単にティナの思考を束縛する。
――嗚呼、間違えるはずも無い。
彼女にとって、この城に居る彼女にとって何よりも大きな存在であるその人が、此方を見据えているのだから。


「……ソ……ル、ディス……」


声は掠れていた。
燭台を握る手は震えている。

ソルディス。
嗚呼、間違いない。
この人は、ソルディスだ。
ソルディス……ソルディスが、何故。

――じゃあ、この女性は、誰?
何故、この部屋に、この絵が、忘れ去られた様に、無残に切り裂かれ――

途端、再び激しくなる動悸。
ティナは危うく燭台を落としそうになる。


不意に、先程自分を抱きしめたクロムセリアの熱が恋しくなった。
空いた手で、自身の体を抱きしめる。

(誰……この人、)

ティナはクロムセリアの言葉を、渦の如く頭の中で掻き回しながら必死に思考を巡らした。


レィセリオスと、ト・ノドロ。

かつて争い憎み合った双国の間に出来た、平和協定。

差し出される人質。
王家の者、選ばれた者達……



――考えて御覧なさい。

ティナの脳裏によみがえったのは、カステル・ジニアの言葉だった。


――魔族の元へ王族を一度嫁がせたとして……その魔族が滅び、子孫が成長していざ次の王族を引き取ろうとした時、果たして我々人間の国では何代王が入れ替わっていると……?


「……あ……、」

ティナは口元を押さえた。

そうだ。そうだったのだ。
ティナの中で、全てが繋がりつつあった。

聖レィセリオスとト・ノドロは嘗て戦争をし――原因は定かでないけれど――ともかく魔族がその勝利をあげた。その日から、魔族に脅えた聖レィセリオスの王族は、誰か皇室内の身内を一人、ト・ノドロを支配するジェノファリス家に差し出したのだ。

これは、平和の為の良き伝統などでは無い。
戦の末に作り上げられた、悪しき契約だったのだ。

ティナはもう一度、肖像画の女性を見る。

どうだ、この表情は。
無理矢理にでも故郷から引き離され、悲しい笑みを浮かべている聖レィセリオスの令嬢ではなかろうか?

そして、人間である彼女を娶っているのは――隣に立つソルディス。
なんてことはない、そう、簡単な事実だ。彼は一体何年生きている?

何も、自分が初めて彼に娶られた王族ではないかもしれない――
そんな残酷な可能性に、もっと早く気付くべきだったのに。

魔族と人間の生きる時間は相違え、ソルディスが日々を過ごすごとに人間はどんどん老いてゆき王族は入れ替わる。 彼が人間を娶ったのは、一体自分で何度目だろう。一度や二度、いや、それ以上――

ティナは何も考えられなかった。

訳の分からない感情が心中を渦巻き、整理できない思考はぐるぐるといつまでも頭の中を駆け巡る。



(――何、だ……)

何だ。簡単じゃない。
そうだったのだ、始めから。

否応無しに娶ってやったと言わんばかりの言動も、望んだ正式な婚儀の拒否も、全て、そこから――
あの人にとって、自分は、代わりの利く、ただの形式上の正妻だったのだ。

(なら、私は)

痛みを覚えながらも体を開かれ、魔族の仲間に引き込まれ。
それでいて、彼は、次の代わりが来るまで、その時まで生きながらえさせるのだろうか。私は――



ティナは唇を震わし、混乱のうちに瞼を伏せる。

ソルディス。何故、貴方は何も話してくれないのか。
国のことも、婚儀の事も、何も貴方は話さない。いっそ、クロムセリアのように、痛みを伴っても、それでも知らせてほしかった。

こうして、自ずと事実を悟る前に――

途端、突如耳に入った扉の軋む音。
ハッと、ティナは顔を上げた。


瞬時、息が止まる。


軋む音は、無情に部屋に響く。
足音も無く――そっと扉を押し開けた人物は、彼自身が持つ燭台の灯りに照らし出された。
(神様、)
ティナは心で神の御衣を握り縋りしめる。

何故、神様、貴方は私が今最も望まないその人を――


「……ソル、……ディス……」



ティナは力無く虚ろな目で、冷静に此方を見据えるソルディスを見た。




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