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―とある姫様と領主の実記―CRAZY CONFLICT 作者:漣 出雲

第一章 †夜に昇る宴†

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「何だ、この粗末な菓子は」

男はたっぷりと肥えた腹を擦った。
舌打ちをしながら偉そうに王座に踏ん反り返る。

「もっと美味そうな茶請けは無いのか、えぇ?こんな物、庶民の食い物だ」

そういうと男は眼前に置かれた菓子を乱暴に払いのけた。
ガシャリと音を立てて落ちる皿と、割れる茶請け。
干果実と粉を練った物を混ぜて焼いた焼菓子は、この国の伝統的な菓子だ。
それを蔑み、庶民の食い物と罵る男は確かに偉かった。身分の上では。

(だが、そこは、お前の王座ではない――)
そう言いたげに突き刺さった視線に、肥えた男はにんまりと笑った。

「ん?何だ、カステル・ジニア。何か言いたい事があったらはっきりと言えば良い。どうだ、言ってみろ。まぁお前等如きが反抗したところで――なぁに、役にも立たない民が代わりに死ぬだけだ」

カステル・ジニアは押し黙った。

彼は拘束されている訳ではない。剣を突き付けられている訳でもない。
剣を突きつけられているのは、実質、城下の民であろう。
レィセリオスに我物顔で侵入し、城を取り囲む様に配置されたモロゾナ王国の兵士達。
彼等は王の命令があれば、いつでも城下の民を殲滅することが出来る。

余計な血を流したくは無い、というカステルの賢明な判断により、ここに至るまでに双方軍の交戦は起こっていない。どう足掻いても、聖レィセリオスが負ける事は自明であったからだ。
モロゾナの王自ら抜擢したというその優秀な兵士達は、成る程確かに強そうである。数・兵力・戦の経験値。どれをとっても聖レィセリオスに勝るのは一目瞭然。必ず負ける。一人一人の剣技が卓越していても、量の問題で確実に勝つ見こみは無い――

カステルは目を瞑った。

聖レィセリオスは立派な独立国家である。
しかし人口も少なく、軍も弱い。
それもこれも、今まで他国に侵略や戦争を持ち込まれずに済んでいたからだ。
いわゆる平和ボケと言ってもいいだろう。

確かに“侵略するメリットすら無い”、それが他国から見た聖レィセリオスのレッテルだ。
近隣のモロゾナ王国くらいには、メリットが無きにしもあらずだが、他の大国諸々にとっては確実に侵略する価値も無い。

――あの国は魔族の森に隣接している。
――あの国は魔族に国を売ったのだそうだ。

確証の無い、そのような噂も拍車をかけていたかもしれない。

カステルは自分の甘さを恨んだ。
何も出来ず、ただ民に刃をつきつけられているこの状況を恨んだ。
そして何より――若き女王、ティナ・クリスティーンの座るべきその玉座に、贅沢の限りをつくし丸々と肥えた体で傲慢にもどっかりと居座る、腐りきった隣国国王を恨んだ。

モロゾナ国王、バドル・リノマン。

「客人に対する持成しというものがなってないんだ、お前等は。なぁどう思う、ジニア」

ご自慢の上質な煌びやかに光るマント、いやらしく伸ばした口髭、ごってりと整髪料を塗りつけた金髪。
カステルは、距離を置いているとは言えこの男と食卓を共にするだけで吐き気がする。

カステル以外の臣下、メイドや下男達は他の部屋に纏めて押しこまれている。軟禁だ。
各言うカステルも、食卓に無理矢理引っ張り出され、周りを数名のモロゾナ兵に囲まれながらバドルと一対一の話し合いである。話し合いと言っても、議論でなく“一方的な承諾”に近いものだ。

「不満そうだなぁ。なに、モロゾナに吸収されればここももっと富んだ土地になるに決まってる」
「この国に富みは不要です」
「綺麗事を言うなジニア」

バドルは鼻で笑った。

「富みを欲しない人間が何処に居る!こんな錆びれた城に住んでいるから、貴様らは頭までもが錆付いているのだよ」
「――父上」

バドルの嘲りを遮る様に、後方に立つ聡明そうな青年が呟いた。

「フィル、人前では“国王”と呼べ。――何だ」
「……“国王”、今更言ってもどうしようも無いかもしれませんが」

バドルは、自身と妾の間に産まれた、似てもにつかぬ息子を睨んだ。

「僕は、正式に対等な話合いをなさった方が良いと思うのです」
「何を言い出すかと思えば。ふん、お前はだから剣の腕が伸びても政治はさっぱりだと言っている」

フィルは心苦しそうにバドルを見た。

「女王が居ない状況で無理に婚姻を結び、その上吸収合併など――」
「黙れ!」

バドルは唾を撒き散らしながら怒鳴った。

「無理も何も、その女王すら見当たらんのだ!ジニア。さっきから何度も聞いているがあのひよっこはどこだ。民の命を守るはずの女王が尻尾を巻いて逃げたか?」
「さっきから仰っているように、嫁ぎ先へ出国を」
「――嘘をつけ!」

バドルは勢いよく席を蹴り立ちあがった。
腰に手を当て、鼻息荒く窓際へ歩き寄る。
外は夕刻に近づいていた。ほんの少し空が赤み、青と藍と紅が入り混じった紫煙のような雲が見える。
虚しくも、それを美しいと思う心をこの男は持っていなかった。

「ふん、馬鹿馬鹿しい。死んだやら何やら嘘をつくならまだ分かるが、魔族の男と結婚だと?お笑い種にも程があるわ!」
「有り得ないと思っていることが、実際は有り得たりするのです」
「あぁ。そんなの誰より俺が知っている。俺はモロゾナがあんなに栄えるなんて一生無いと思ってた。あの能無しの父上が生きていた頃はな。だが違った。やり方次第で、国はみるみる栄え、やがて俺は父上を超えた優秀な国王となったのだ」
「貴方の父上は……素晴らしい国王でした」
「愚かだ。愚かの一言に尽きる。溢れる資源を可能な限り活用しようともせず、自然が美しいだの、民の幸せが第一だのと。全くふざけた人間だった」

カステルとは正反対に、バドルは口汚く罵った。
フィルは、そんな、父親とも思いたくない程傲慢な男から視線を外す。

「とにもかくにも、姫がここに居なくとも協定の調印は押してもらう」
「それは出来ません」
「民の命がかかっているのだぞ?お前に選択の余地があるのか?ん?」
「この調印をすれば、どのみち民は労力を酷使されて死ぬでしょう」
「……脅しじゃないぞ」
「私も至って真面目です。もしも貴方方が国民に手を出したら、私もこの場で自害致しましょう」

バドルは目を見開いた。

「こいつはたまげた!あの薄汚い民衆の為に、命まで捧げるとはご立派なことだ!」
「聖レィセリオスの家臣として当然です」
「剣自慢しか能のない男が偉そうに言ってくれるなぁオイ。お前のふざけたその剣遊戯は、聞くところによると人間業では無いらしいな。そう、“悪魔の力を授かった英雄”――確かお前の歌い文句はそうだった」
「周りの者が吹聴しただけですよ、モロゾナ国王閣下」
「どうだかなぁ。ナスリカは魔族が――あぁ、そう、女王様が嫁いだ魔族がいるそうじゃないか?新神文書にしっかりと書いてあるぞ。ナスリカの奥には化け物がいっぱいいるってな」

馬鹿にしたようにバドルが笑った。
フィルは、大陸一の剣士と謳われたカステル・ジニアの方を見る。
そんな青年と目が合い、

「国王のご子息ですかな」

カステルは、優しく目を細めた。

「聡明な顔をしていらっしゃる」
「ふん。そいつは不肖の息子だ。野心というものが全く無い、国を栄えさせようとする野心が」
「栄えているのは父上の身辺だけです」
「“国王”と呼べ、と言っているだろう」

バドルは窓枠を叩きながら苛ついた調子で言った。

「全く、どいつもこいつも馬鹿ばかりで――」


バドルの動きが止まった。
じっと窓の外を見下ろし、何も喋らない。
フィルもカステルも、他の兵も怪訝そうにその様子を見つめていた。


やがて、ゆっくりと振向くバドル。
その顔には、憎たらしいほど嬉しそうな笑みが浮かんでいた。

「これはこれは。カステル君、面白い事になりそうだ」
「一体、何が、」
「ご自分で確認すると良い」

カステルは意味も判らず、ただ、冷静に席に着いている事しか出来なかった。
バドルが含み笑いをしながらゆっくりティナの王座に越しかけ、茶を咽喉に通す。
不味い、などと横柄な事を言った彼をカステルが睨んだ、その時――

カステルは、冷や水を被せられた様に体を凍りつかせた。

ようやく動揺の色を見せうろたえたカステルを楽しそうに見るバドルが、自慢の口髭を撫でている。


(――今のは)

聞き間違えるはずも無かった。

遠く――廊下のずっと向こうから聞こえた声。
つい最近。いや、昨日の昨日まで嫌と言うほど聞き慣れた声。
何者にも変え難く大切な存在でありながら、今のこの場に一番現れて欲しくない人物。

カステルはどっと冷や汗が吹き出た。
近づく足音。何かを喚きながら、段々と広間へ駆け寄る一人の人間。

(まさか、そんなことがあっては、いや、ある筈が)



「――ただいま!!」

転げる様に勢いよく広間へ入って来た少女。
髪はぼさぼさで、青白く疲れきった顔で息を切らしているこの少女。

カステルはありったけの力で鈍器で殴られた気分になった。
それもそのはず――今頃、最も安全な場所で、大切に保護されているはずの人物が、目の前にちゃっかり居るのだから。

ティナ・クリスティーン。
レィセリオス前国王の愛らしい王女。
そして現政権の頂点に立つ、いわゆるレィセリオスの女王様。

「ひ……姫様!?」
「これはこれは、愛しい姫君殿!」

たぷん、とお腹を揺らしながら大袈裟に両手を広げ、バドルは声高々席を立った。

「いやはや、一生現れないかと思いましたぞ。何せこの堅物大臣が嘘に嘘を塗り重ね」
「あぁ、もうカステルの馬鹿!」
「馬鹿とはなんですか馬鹿とは――姫様!いきなり飛びつかないで下さい!」
「何で私に何も言わないの。そりゃあ頼りなくて、馬鹿で、無知で、役に立たなくて、新居の手洗い場の場所もさっぱり分からないような能無しだけど黙ってるって事はないでしょう!」
「よ、よく分かりませんが、貴方は能無しなどではありません。私こそ至らず器量の無い大臣であったが為にこのような事態へと」
「カステル!カステル居なくなったら誰がこの国を守るの?貴方がこの国の要なの。私にとっても大事な人なの。2度とそんな悲しい事を言わないで」
「――姫様」
「カステル……良いの、もう言葉は要らないわ」

この女王にしてこの臣下あり。
バドルは空に放った自分の両腕を持て余しながら、完璧な無視への怒りに体を振るわせた。

「――えぇい!いつまでも抱き合ってないで、離れろ離れろ!」

言葉に、ティナはカステルの腰元からぱっと離れて、自分の王座の所で怒鳴っている一人の男性に目をやった。

「――モロゾナの?」
「そうです。モロゾナの国王です。……あの、姫様、“彼”は一体……?」
「離婚してきたわ」
「り……っ!?」

声を潜めて動揺するカステルをさておき、ティナは内側に隠し持っている短剣に気付かれないよう外套をしっかりと整えると、バドルの傍へ行きお辞儀をした。

「遅れました事を、お詫び申し上げます」
「いやいや、女王様は恐がりで逃げてしまったかと思っておりました」

バドルは愉快そうに言った。

「一体どこに隠れていらっしゃったので?」
「え?……あの、ソルディ」

そこまで言いかけてティナは口を噤んだ。
――彼とは、もう、離縁したんだ。
そうしたからには、今更ナスリカの奥地で平和に暮らしている魔族達に迷惑はかけられない。
暫く視線をさ迷わせるティナに、バドルは顔を顰めた。

「さぁ。どこに隠れていらっしゃったのか、言って頂こう。ただでさえモロゾナから悪路を長々と遠征してきたのですぞ。いやはや、長時間待たされて、心広い私もすっかり滅入ってしまいましてなぁ」
「……さっきついたばかりじゃないですか」
「お前は黙ってろ!」

フィルの呟きに叱咤を飛ばしながら、バドルは何かを隠そうとするティナに疑いを抱いた。
頭の中で、自分達にとって最悪の事態を想定しながら焦りを感じる。

「――まさか、他国に助けを求めていたのでは無いでしょうな?」
「違います!その、えぇと。と、友達の所へ……そうです。親交があった貴族の家へ、その」
「ほう。疑わしい返答だ」

バドルは苦々しい表情で向こうに席するカステルを見た。

「ジニア君。君は一体姫君をどこへ避難させていたのかねぇ。近隣諸国を巻き込んで、このモロゾナを追い出そうとでも企んだんじゃないのか?」
「無駄だ、ということは貴方も良くお分かりでしょう」
「あぁ分かっているとも。こんな貧相で質素で遠地にポツリとたつ国など、助けても何の見返りも期待出来ん。――だがな。気紛れや慈善心で、そんな事を考える国が無いとも言い切れないのが事実だ」

バドルはティナに歩み寄ると、顎を掴んで視線を合わせた。
何とか対抗しようと必死に睨み返すティナと、裏腹に震える彼女の両手を見、バドルは何とも言いがたい征服欲に満たされる。この、齢18歳より幾分あどけなさを残した少女が、自分に従い、やがてこの国から好きなだけ労力の搾取を行えるのだ――その事を考えただけで、彼は笑みが毀れずにいられなかった。

「まぁ良い。今日中に、この協定を結んでしまえば良い事。姫君。これに印を押して貰えますかな」

バドルはティナから手を離すと、目の前に、1枚の羊皮紙を差し出した。
ティナは恐る恐る受け取ると、上の行から流れる様に文章を読み進める。

「い、1日15時間労働!?これを国民の義務に?」
「ご不満ですかな?我が国民は誰一人文句を言わずこなしている事ですがね」
「じゃあ貴方も1日15時間も働いているんですか」

ティナの素朴な疑問に、フィルが小さく吹き出した。

「姫君」

バドルは苛立った様子で、ティナに迫った。

「貴方は黙って調印をすれば宜しいのです。そうすれば、貴方の安全は愚か家臣の安全も保障しましょう」
「あまり私は安全じゃなくて良いのですが」
「は、貴方も所詮能無しの臣下と同じか!国民だの何だのの命を優先?全くふざけている!」

バドルはティナの白く細い手を握り、力任せに引き寄せた。

「痛っ……」
「早く印でもサインをしたらどうなのだ。選択肢は無いのですぞ」
「姫様に乱暴は止して下さい」
「黙れカステル。首を刎ねるぞ」
「止めて!調印はします、しますから、臣下を殺す事だけは――」
「ふん。初めからそうおっしゃれば宜しいのだ」

バドルはティナの手に無理矢理ペンを握らせた。
ここに、と、羊皮紙の上を指さす。
ティナはごくりと唾を飲みながら、震える手でそこにペンを走らせた。
乱れながらも書き終えたサインを見て、バドルは満足げに溜息をつく。

「……これで良いでしょうか」
「えぇ十分です」

バドルは羊皮紙を丸め自身の懐に納めると、周りにいたモロゾナ兵をちらりと見て言葉を続けた。


「ジニア共々、臣下を始末しろ」
「――!」

ティナは大きく目を見開いた。
カステルは舌打ちをしたが、剣を取り上げられている為どうすることもできない。

王の言葉に、周囲の兵は一斉に腰元の剣を抜いた。
唯一、フィルだけが苦々しそうに躊躇ってはいたが。

「嘘吐き!臣下は安全だって言ったじゃない!」
「余計に有能な臣下は、わが国の足枷となりますのでな」
「――っ」
「有能な剣士を失うのは私としても心苦しいが、生かしておく訳にはいきません」

にやけるバドルに、ティナは顔を赤くして怒り、カステルの傍に駆け寄った。
腰元から短剣を抜いて、カステルを庇うように立ち尽くす。

一瞬驚いたバドルだったが、直に下品な笑い声をあげてゆっくり二人に近づいた。

「馬鹿なことをなさる人だ」
「……」
「私の元へ嫁げば、死ぬまで裕福でいられる」
「来ないで!」
「貴方が私を刺せば、聖レィセリオスの殲滅が始まりますぞ。全く、考えが足りませんなぁ。前女王とは正反対だ」

その言葉に、いよいよティナは体を強張らせた。

「貴方の母上は美しく、機転も利き、栄華欲も多少はあった。貴方はどちらかと言えば――前国王に似ていらっしゃる。父上似と言う事になるかな?しかし――」
「バドル……っ」

カステルの制止を嘲笑うかのようにバドルは続けた。

「その緋色の双眸は、どちらにも似ていない」
「やめろ!」

カステルは怒鳴った。

「侮辱だ!姫様に向かって」
「本当の事じゃあ無いか?おや、姫君。顔色が悪いですぞ。さしずめ近隣諸国の“噂”というのは本当だったのかな。貴方の体は」

バドルはさらに近づく。

「白く美しい肌だが、太陽を避けてきたようだ。そう、まるで……監禁でもされていたように」

動揺を隠せないティナの手から、するりと短剣が抜け落ちそうになる。
カステルは寸でのところでそれを留め、代わりに自分がしっかりと剣を構えた。

「おや姫君。手が不自由ですかな?そういえば先程サインを書く手もぎこちなかった――何か手に“問題”でもあるのですかな」

カステルは、震えるティナの肩をしっかりと支えた。

「口が過ぎるぞ……っ」
「ふん、図星か」

バドルは目で合図を送る。

途端、カステルの傍にいた兵が長剣を振り下ろす!

「――!」

カステルは短剣でそれを受けとめると、庇うようにティナを自身の後ろに隠した。
長い足で兵の腹を蹴り、隙を見て剣を振るうと、容易く相手の長剣は跳ね飛ばされた。

まさか短剣で対抗されると思っていなかったバドルは、心持悪そうに顔を歪めると自身も腰元の剣に手をかけた。

カステルは、剣の腕ならそこらの兵に負ける筈が無い。
次々と襲いかかる兵士を、蹴り飛ばしたり峰打ちをしたりと、勢い良く薙ぎ払う。
ティナはカステルの邪魔にならないよう、微妙な距離感を保ちながら彼の後ろに隠れていたが――不意に無理矢理掴まれた。

バドルが短剣をティナの首元に突き付け、カステルを睨む。

「そこまでだ!潔く剣を捨ててもらおうか!」

カステルは剣を振るう手を止めた。

「愛しい姫君様がどうなっても良いのか」
「姫様を殺すつもりか」
「良いや殺しはしないさ。ただ傷をつけてやる事は可能だ」
「父上、横暴は――」
「えぇい馬鹿息子め!黙ってろと言っているだろう!」

バドルは剣先をティナの腰元へ持っていった。

「顔は傷つけなくとも、腹を刺せば傷は残ろう。綺麗な体に傷はつけたくないが――カステル・ジニア、お前がそうさせるなら仕方あるまい」
「カステル、剣を捨てちゃダメ――」
「なら血を見るか!」

ティナは緊迫の事態に緊張と恐怖で震えたがカステルに助けを求める事だけはしなかった。
ほんの少しでも、彼が生き残る可能性があるならばその可能性に縋りつきたい。

ティナは思いきり、自分の顎を掴むバドルの左手に噛みついた。

「――痛っ!」

あらん限りの力で噛みつかれたバドルは咄嗟にティナの体を解放する。
小娘の反抗的な態度に頭に血が上り、乱暴にティナを壁に叩きつけた。

「人を馬鹿にするのもいい加減にするんだな!」

彼は息を整えると、思いついたように口端を歪めた。
反抗的に見つめ返すティナの左腕をぐいと引っ張ると、彼女の手に剣先を置く。

「やめろバドル!」

カステルは顔を蒼くして叫ぶ。
その隙に、残りの兵士がカステルを絶命させんと容赦無く剣を振りあげた。

「カステ――」
「喚くな。今更指の1つや2つ無くなっても困りはしないだろう?この不具の娘が!」


無情な罵声。
瞬間、ティナの目の前に血飛沫が広がった。
時間が止まったように静まり返る広間に、何かが床に落ちる音だけ響く。

手が切り離された。
そう思って、ティナは敢えて目を固く閉じていた。
痛みは感じない。でも、恐い。
体にかかった血飛沫を見るのも恐い。

これは報いだ。
王座なんてものに、厚かましく就任してしまった自分への――

ティナは自身に振りかかった惨劇を受け入れる為に、ゆっくり目を開いた。


「……あ……?」

血はティナのものでは無かった。
左腕はバドルに掴まれたままである。しかし、その手にはちゃんと五本の指がある。

次の瞬間飛びこむ光景にティナは咽喉で悲鳴をあげた。

バドルの右手が無い。
短剣を握り、ティナの指に剣先を突き付けていたその手が無かった。

すっぱりと鋭利な刃物で切られたように切断されているのだ。
手首の先から切断され落ちた手は、しっかりと短剣を握ったまま床に横たわっている。
バドルはティナ以上に混乱し、言葉にならない言葉を発しながら途端右腕を震わせた。

「あ、あ、あぁ、…が…あ…っ」

うめくバドルは顔を苦痛に歪めてその場に膝をついた。
全身から汗が噴出している。

ティナは混乱しカステルの方を見た。
しかし、その視線は、別の人物を捕らえる事となる。

――男性だ。

カステルに向かって振り下ろされた長剣を素手で掴み止めている。
掌に刃が食い込むが、そのせいで流れる血を気にも留めない。
一方の手はバドルの方へ翳されていた。
妖かしの類だろう――明かにバドルの腕を切り落としたのは彼の仕業だ。
深く蠢く闇色の双眸、同色の頭髪を後方へ撫でつけているその人。

まるで目の前に広がる光景に興味が無いかの様に無表情で佇む彼を、ティナは知っている。


「……ソルディス……」


姫君は、震える声でその名を呼んだ。




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