プロローグ4.ファイアドラゴンとアルフ
「なんだよ、この声はよ」
リルガルム地方冒険マップには、ここに出没する魔物はウオーターリッカーとバーンスネイルのみと記載されていたが、こんな雄たけびをするウオーターリッカーなんて聞いたこともないし、バーンスネイルはそもそも叫ばない。
「これは……不味いな」
冷静に、しかし冷や汗を浮かべながらアルフはそう一言呟き、馬車の窓から顔を覗かせる。
俺もそれに釣られて外を見てみるが、すぐさま自分の行動を後悔する。
アルフの視線の先、そこにいたのは赤き鱗に深紅の眼を持つ飛竜……ファイアドラゴンだったからだ。
「ど、どっどどどど!? ドラゴンーー!?」
ドラゴンといえばひとたび現れればこの世界においても災厄と呼ばれるほどの魔物だ。
その肌はいかなる魔法も寄せ付けず、その吐息は多くの人間の命を刈り取る。
恐ろしく人に害を為す生物でありながら、絶対的な力の象徴としても人々の信仰を集めるそれは、
一説には神にもっとも近しい生物の名を冠するほど……まぁこんな長ったらしくも面倒くさいという言い回しを抜きにして表現をすると、今の現状は超弩級にやばいということだ。
「お前さんら本当に何したんだ? ドラゴンに狙われるって相当だぞ?」
「俺達だって知るかぁ!? 何かしたって、ドラゴンなんて見るのも……」
見るのも初めてだ。 そう言おうとした瞬間、目の前にまたオレンジ色の光が通り過ぎ、馬車から顔を出していた髪の毛がちりちりと音を立てて焼ける。
「団長! これすごい不味い奴です! 何とかしてください」
「何とかしてよフランクー!」
「出来るか馬鹿野郎ども! どうにか出来るならとっくにどうにかしてるわ!」
【あんぎゃあああああああああああああああああああああ!】
もう一度竜の咆哮が響き渡り、馬達は大気の振動に怯え、むちゃくちゃに走りだす。
「う……うわああああ!? 団長! 団長ー!」
竜の咆哮が終わった後に飛びこんできた愛しき団員達の悲痛な声により、案の定俺達と同じく他の団員達も同じような惨状であることが理解でき、揺れる馬車の椅子にしがみついて転ばないようにすることしか出来ない。。
「なんだってドラゴンなんかに襲われてるんだよ俺達!」
あまりにも理不尽極まりない展開に俺は悪態をつきながらも絶望をする。
一度狙われたら最後、逃げ切ることも倒すことも不可能な災厄を前に俺達は為すすべもなく文字通り逃げ惑う。
「……団長、最後は貴方のお傍で」
「俺もだよ~フランク~……今までありがとう~」
「離れなさい石男、今良い所なんです」
「なんでだよココアー!」
背後の二人はその状況に既に命は諦めており、祈りを捧げながら俺に引っ付いてくる。
引っ付いてくるだけならまだ良いがケンカもおっぱじめるもんだからやかましい。
「離れろ暑苦しい!」
「お前さんら、案外余裕だな」
アルフは呆れるようにそんな言葉を放ち、馬車においてあった斧を手に取る。
「ちょっと、アルフ何をしているのですか!?」
「なぁに、たかがトカゲさ」
「はぁ!? 一体何言って!?」
そう俺が言うよりも早く、アルフは馬車から飛び降り、泥水を跳ね上げながらヴェリウス高原の大地に着地をする。
「アルフ!? 本当に何やってんだあんた!」
「フランク、馬を」
モックスがそういうよりも早く、アルフは斧を持った手を振りかぶり。
「空殴り……」
その大斧を投げる。
「はっ?」
「えっ?」
「えーー?」
速度は迅雷の如く、その膂力は絶大。
視認も認識も出来なかったが、唯一何かをアルフが投げたということだけは分かった。
身の丈ほどの斧を投げ飛ばすというだけでも驚きではあるが、やはり何よりも驚きなのは、先ほどから高度40メートルほどの高さを飛びながら獲物を狙い様子見をしていた飛竜に
その斧が当たったという事実である。
「ぎゃあああああああああああああああああああ!?」
貫かれたのは翼。
放たれたドワーフの一撃に飛竜はなんの対処も出来ずに斧をその身に受け、悲痛な叫び声を上げながら落下する。
もとより食物連鎖の頂点に存在する魔物だ、まさか獲物と思っていた生物にその翼を穿たれるとは夢にも思っていなかったのだろう。
その叫び声から深い傷を負わせたことは明白であり、こんなのレベル5の冒険者が出来るものではなく、俺達は驚愕から開いた口がふさがらない。
地響きが響き渡り、二十メートル先にファイアドラゴンは落下し、何度も飛び立とうとその翼を羽ばたかせようともがくも、左翼が完全に斧の一撃によりもがれてしまっており、
風に乗って少し離れた所に根元から切断された翼が落ちてくる。
「がっ……ぐぎゃあああああああああああああああ!」
その翼を見て、ようやく天空の覇者は己が身に何が起こったのかを理解したのか、怒りと動揺を混ぜたような咆哮を響かせ、めちゃくちゃに炎を吐く。
「避けろ! 避けろ!」
全方向に放たれるブレスは威力こそそぎ落とされているものの、レベル5冒険者程度ならいとも容易く屠れるほどの力を持つ。
我を忘れてめちゃくちゃに炎を吐いているとはいえ、あれだけぶちまけていればヘタをしたら当たってしまう。
現に、後ろの団員の馬車なんて荷台が少し炎上している。
そんな中。
「騒がしいトカゲだ……」
アルフは目前で暴れる飛竜に向かい走り出す。
何も装備を持たずに、素手のみで。
「アルフ!? 無茶だ何してんだあんた!」
幾ら飛竜の翼を切り落としたからって、相手は伝説級の化け物であり、到底素手でかなう相手ではない。
それに。
「がぁ!」
その闘気と殺気から、ファイアドラゴンは目前に迫るドワーフが自らの翼を切り落とした
張本人であることを理解してしまった。
「がああああああああああああああ!」
怒りと共に一直線に放たれるブレスは、当然の如くアルフにのみ放たれ、アルフはなんの抵抗も出来ずに炎に飲み込まれてしまう。
「アルフ!!」
「嘘……」
もはや絶命は免れず、俺達は馬車の中から彼が外に出て行くのをどうして止められなかったのかを悔やむが……。
「温いわぁ!!」
その炎の中から、ファイアドラゴンの目前へとアルフは躍り出る。
「えっ?」
【がぁ!?】
自らの炎から生還する人間など、ファイアドラゴンは見たこともなく、立ち向かったものなどなおさらなのだろう、驚愕をしたのか、吐き出される炎が一瞬とまる。
その一瞬だけ、炎から出てきたアルフの体は、文字通り無傷。
その体には焦げ目も火傷のあともなく、大きく振りかぶられたこぶしは真っ直ぐにファイアドラゴンの頭を捉える。
「どぅうううううらああああああああ!」
【ぎゃんっ!?】
怒声と共に振りぬかれた拳は、ファイアドラゴンを打ち抜き、その巨体は二十メートルほど吹き飛ばされてピクリとも動かなくなる。
「えっ……はっ??」
声が出ない……。
「素手で、倒してしまいました」
ファイアドラゴンを素手で倒すなんて、聞いたことがない。
ウオーターリッカーの一件から薄々気が付いていたが、このアルフというドワーフ
絶対にレベル5なんかではない。
「……ふぅ」
一つ息を吐き、アルフはまるで準備体操でも終わらせたかのような表情をしてこちらに戻ってくる。
改めてみてもその体には傷一つなく、俺達は全員目を丸くして戦士の凱旋を見守る。
「悪いんだが、ヴェリウス高原を抜ける前に斧だけ拾ってくんねぇか?」
戻って来た友人から発せられた言葉はたったそれだけであり、俺達はその言葉にただ単に
口を間抜けにも開けたまま頷くことしかできなかったのだった。