第十九話:『帰りたい場所』
「ここ、どこだろう?」
『白の離宮』に向かっていた筈の三人は、明らかに違うと思われる古びた石造りの廊下に出た。日の光が入らないそこは、松明が灯され、空気は冷えていた。
暗く沈んだ空間に、ミーシェの出した声は、小さな反響をもって震えた。それに、ランフェルが答える。
「白の離宮…ではなさそうね。やっぱり、地図は古かったかしら。」
「まいったな…誰かに聞くわけにもいかねえし。」
古い地図をたたんで上着の内側にしまったセラは、大きなため息をついた。
「セラ、探査の魔法でクロンさんの居場所はわからないの?クロンさんはすごく大きな魔力を持っているから…」
「さっきやってみたけど、他にたくさん魔力の反応があってわからなかった。ゼノンの魔導戦士は、カフカに匹敵する強さを持つって言われてるからなあ…」
そう言い、前を歩いていたセラは足を止めた。
「どうしたの、セラ?」
ランフェルはたずね、そして小さく声をあげた。先に続いているのは、牢獄だった。いくつもの牢獄があり、それぞれの中には人の気配がある。
「…戻るぜ。」
セラが小声で言い、三人は音を立てず踵を返した。そして歩き出したとき、声が聞こえた。
「お前さんたち、何をしているんだ?食事係…ではなさそうだな。」
三人は思わず足を止め、恐る恐る振り返った。すると一つの牢獄の格子から覗く老人の姿があった。白く長い髪を一つに縛り、穏やかな顔に鋭い目で、ミーシェたちを見ていた。
「クロン、と言っていたな、お前さんたち…ひょっとして、クロンティアス様のお知り合いか?」
「そ、そうです!」
クロンティアス、という言葉に反応したミーシェの口を、セラが慌てて塞いだ。
「馬鹿野郎!誰かもわからないのに、情報を漏らすなよ!」
すると、老人は大声で笑った。
「悪い、まず名乗れば良かったな。私の名前はクルザ・オルドロ。一昨日まで、治癒師をしていた。」
ミーシェはセラの手を離し、クルザのもとへ駆け寄った。
「あなたがあの有名な…私、あなたにずっと憧れていて…!」
興奮したようなミーシェに、ランフェルがその肩を掴んで言った。
「ミーシェ、今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょう!…あの、どうしてあなたは、クロンのことを知っているんですか?」
「私は、皇族の方の体調を管理している。いや、管理していた、だな。今はただの罪人だ。」
「罪人、ってどうして…」
「第二皇子を殺したという疑いをかけられている。しかも、その疑いは晴れそうにない。恐らく私は、死ぬまでここにいるだろう。」
ミーシェは、信じられない、というように首を振った。
「そんな…あなたのように偉大な人が…」
「権力には逆らえないものだ。それに…第二皇子を救えなかった私が悪い。それが罰だというならば、私は甘んじて受けるつもりだ。」
クルザは、はっきりと言い切った。揺るぎのない炎が、蒼い瞳の奥で燃えているようだった。
「ところでお前さんたちは、クロンティアス様を探しているのか?」
「は、はい…私たちとクロンさんは、一緒にカフカを目指していたんです。でも、突然連れ去られてしまって…クロンさんを取り戻したくて、ここまでやって来たんです。」
「クロンティアス様は、皇位継承者になったそうだな。しかし、そうなると取り戻すのは不可能に近い。次代の皇帝だからな。これからは、宮殿から出ることすら難しいだろう。」
ミーシェは、思わず格子を握り、クルザに詰め寄った。
「じゃあ…私たちと一緒に、カフカを目指すことはできないと…?」
「そういうことになる。」
三人の間に、深い沈黙が流れた。今置かれているクロンティアスの立場を、ミーシェたちはどうすることもできなかった。
「だけど、私たちは…」
ミーシェは言い、格子から手を離した。
「私たちは、クロンさんに言いたいことがあるんです。これからもずっと四人で一緒にいたい、って。クロンさんが困ったときは力になりたいって…そう言いたいんです。」
「そうか…半端な想いで来たわけじゃないようだな。」
クルザは、シワの刻まれた顔に優しげな笑みを浮かべた。
「クロンティアス様は、一番東にある離宮にいると思う。地上からそこへ辿り着くことはほぼ不可能だが、地下に抜け道がある。皇族とごく一部の者にしか知らされていない、いざという時の脱出路だ。紙はあるか。」
「紙?あ、セラ…あの地図を。」
セラは、しまった地図を出し、クルザに差し出した。
「これは…昔の地図だな。こんなものがあったのか。」
「今とだいぶ変わってしまったようで…宮殿の建て替え工事をしたんですか?」
「いや…十二年前に、宮殿の大部分が壊れてしまってな、それで昔と配置が変わってしまった。」
それに驚いたように、セラが言った。
「本当ですか?知らなかったな…」
「公にはされなかったからな。なにしろ…いや、何でもない。」
クルザは、落ちていた木片で指を小さく切り、その血で紙に経路を書いた。そしてその紙を、ミーシェに渡した。
「お前さんたちがクロンティアス様と会えるよう、祈っているよ。」
ミーシェは格子の中に腕を伸ばし、血の出ているクルザの指を右手で包んだ。そして魔法を唱えると、その傷は一瞬で消えた。
「お前さんも、治癒師か…ありがとう。」
「いえ、こちらこそ、いろいろとありがとうございます。」
その時、靴音が響き、ミーシェたちは慌てて立ち上がった。小声でクルザが言う。
「早く行きなさい。」
三人はうなずいて、音を立てずに駆け出した。
クロンティアスは、母が好きだったライラの花を手に持ち、皇族の墓へ向かっていた。甘く爽やかな香りを放つそれを嗅ぐと、クロンティアスはいつも気分が落ち着いた。そして、記憶の中にある少ない母の残像を思い出す。
皇族の墓は、宮殿の北にある森の中、白く長い石塔が目印だった。その石塔に歴代皇帝の名が書かれるが、それ以外の皇族は名を書かれずに埋められる。クロンティアスは、その中の一人である母の為に、石塔の下にある台座へ花を捧げた。
目を閉じ、黙祷をする。その時、背後で足音が聞こえた。
「クロンティアス、久しぶりね。」
振り向くと、そこには皇帝の妹であり、クロンティアスにとって叔母でもあるオルハがいた。
「背が高くなって…立派になったわね。あの頃とは見違えるようだわ。」
「叔母上…お元気そうで、何よりです。」
すると、オルハはくすくすと鳥が囀るように笑った。
「そんな気のきいたことも言えるようになったのね。前はただの無愛想な子供だったのに。」
クロンティアスは何も言えず、気まずさにじっと叔母の顔を見た。
「…ここには、戻ってきたくなかったそうね?」
「知っているのですか?」
「詳しくは知らないわ。だけど、あなたの顔を見る限り、ここではないどこかにあなたの居場所を見つけたみたい。」
オルハは言い、皇帝と同じ緑の瞳をライラの花に向けた。
「昔はここが、あなたの居場所だったわね。その前は、あなたのお母様…リルキア様の腕の中だったけれど。今は誰の腕の中かしら、クロンティアス?」
クロンティアスは、その者の顔を思い出す。いつも手を差し伸べてくれる者の顔を。
「優しい…優しくて、不器用で、いつも無茶をして…私を助けてくれる人です。」
「帰りたいのね、その人のもとへ?」
クロンティアスは、しっかりとうなずいた。
「ただ…私は皇位継承者という立場にあります。それを投げ出すということは、今のところできそうにない。」
「確かに、皇位継承権を放棄するということは、ゼノン国の未来を見捨てるということだわ。あなたはそれができないし…したくないのでしょう。」
「いえ、放棄できるものならば放棄したいですが…他にいないのなら、仕方ないと考えています。」
「では、ずっとここにいるの?」
「…父の寿命がもっと長ければ、強硬的にでも私は学園へ戻るのですが…正直、どうしたら良いのか自分でもわからないのです。」
「お父様に、話してみたら?あなたの気持ちを…」
クロンティアスは、首を横に振った。
「父は、私の言葉を聞こうとしない。言っても無駄です。」
「そうかしら?あなたのお父様だもの、きっと言えばわかってくれる筈よ。」
しかし、クロンティアスはそう思わなかった。十年前、イヴァンテに入れられた時も、クロンティアスは嫌だと泣いて叫び、必死に抵抗した。あの日、クロンティアスに別れも告げず去っていった父の冷たい背中を、今でもよく覚えている。
「…とりあえずは、ゆっくり休みなさい。何か困ったことがあったらすぐに来るのよ。」
「はい…ありがとうございます。」
クロンティアスは礼を言い、自分の部屋がある蒼の離宮へ向かった。前より乾いた風が吹き、クロンティアスはぎゅっと身を縮めた。
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