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太陽の宝石
作:横川 光





その日は朝から雨だった。いや、正確には昨日の夜から降っていたが、その雨脚は弱まる気配も見せずに降り続いていた。
私は部屋の外で降る雨を眺めながら、暖かい緑茶を飲む。そろそろ梅雨入りをするのかもしれない、などとのん気に思う。テレビではワイドショー番組で、例の怪盗の話題をしていた。
気持ちのいい朝とはこういうものだ、と私は思う。
雨の日に、通勤ラッシュに揉まれることもなく、テレビなんて見ながら、のんびりと朝食を摂る。
こういう生活を続けていたらろくな大人にはならない、とわかってはいるが、サラリーマンに戻ろう、という気は全く起きない。むしろあの頃の私の方がろくな大人ではなかった、とすら思う。ストレオタイプのサラリーマンを辞めてもう三年になろうとしている。辞めてからはずっと塾の講師をしているが、サラリーマンとは程遠い生活だ。
元々、大学で国語教師の免許を取得したものの、教師になろうという気も起きず、やる気のない就職活動などをしていたのだが、そんな私の様子に苛立った母親が自分のコネクションを使って、私を大手企業に放り込んだのだ。図らずも『親のコネ』という手段で入社した私の周囲からの風当たりは強く、私自身もあまり仕事に興味を持てない状況が二年ほど続いた。
毎日をただ浪費していた私を蘇らせてくれたのは、他でもない椎名だった。
ある事情で大学を中退し、さらにある事情で消息を絶ったあの男は、何もなかったように突然、私の前に現れた。彼から直接、会社を辞めることに背中を押されたわけではないが、彼に会った瞬間に決意をしたと言っても過言ではない。ある時それを感謝の意を込めて伝えたのだが、さも迷惑そうに私を睨むので、その時にしか言っていない。彼が本当に迷惑だと思ったのかは判らなかったが、もう一人の友人の山谷が
「あれは照れ隠しだ」というので、そうなのかもしれない。
気が付けばテレビでは天気予報をしていた。今日は一日雨で、今日中には梅雨入りが発表されるだろう、ということだった。
仕事の時間まではまだまだある。
小学生と中学生に国語と社会を教えているが、今日は珍しく下準備もできていた。
下準備、と言っても大げさなことはない。
塾はいかにテストに出る要点を端的に教えるか、ということだけだ。
自分で、案外向いているかもしれない、と思う時がある。自分もそうやってテストを凌いだ経験がたくさんあるからだ。私の場合は単に運がいいだけだったのかもしれないが、生徒の反応は悪くない……と思うし、成績が下がった、という話も聞かないので、余計にそう思うのかもしれない。自分の経験が予想外な形で役に立つことも人生にはあるのだと思う。
緩慢な動きでお茶を注ぐ。
このまま、もう一度ベッドに沈み込みたい気分だった。聞こえる雨音が心地いい。窓から見る雨の景色は、どこか物寂しい曇った世界に見える。そういうのも悪くはない。自分が見るものは、自分の心を映すものだと聞いたことがある。私自身、どこか物寂しいのだろうか……などと自問をしている時だった。
 「……ファラオの秘宝が特別公開されます」
 テレビから突然聞こえてきた言葉に顔を向けた。地元の情報を紹介する番組だ。いつの間にかワイドショーは終わったようだ。
 「この度、中野市立博物館では大エジプト展を六月の十八日から、八月二十七日まで開催させて頂きます。古代エジプトの全てがわかるような展示になっておりますので、お子様でも年配の方でも楽しみながら学んで頂けると思います」
 博物館館長の岩本さん……という人が熱弁している。番組側が用意した原稿でも読んでいるのか、それとも緊張の為かセリフが棒読みだった。少し面白い。
 「今回は、前半・後半と分けてガラリと展示物が変わるんですね?」
 やけに甲高い声の女性レポーターが館長に話しかける。館長は少し銀縁メガネの奥の目を泳がせながら、
 「そうです。七月二十四日までを前半として、古代エジプトの王様、ファラオたちのきらびやかな装身具を、後半は古代エジプトの神々である動物の像やミイラをご紹介する予定です。会期中は開館時間を延長し、たくさんの方々に見て頂きたいと思っておりますので、ぜひお越しください」
と締めくくった。女性レポーターが深く頷き、場面が切り替わった。
 私は次のコーナーで紹介されているダイエット食品には興味が持てず、再び窓の外を見た。雨が上がる気配はない。ふと、椎名が言っていたことを思い出した。
 「エジプト展を狙ってくるかもしれない」
 私自身に確信は持てなかったが、少なくとも椎名はそうは思っていないようだった。市立博物館は例の近代美術館とは違い、敷地内のセキュリティ設備も強固なものを使っていると聞く。建物に歴史的価値がありそうだし、もしかすると過去に不届き者の被害にでも遭ったことがあるのかもしれない。
だが、怪盗ルパンだって怪人二十面相だって、フィクションだから可能なのであって、実際に同じ様な事など生身の人間にできるはずがない、と思ってしまう。
壁をひらりと飛び越えたり、全くの別人に変装してみせたり、声まで変わるなどということが、一人の人間によってできる、というのは俄かに考えにくい。
変装くらいなら何とかなるかもしれないが、まるで忍者のようなアクロバットなことは特殊な訓練を積んでいないとできないのではないだろうか。
そういう風に考えていけば、例の稀有な怪盗が誰なのか調べられる気がする。
そんな点を調べていないはずはないのに、まだ見つけられないとなると、そういうことを出来る人間は案外たくさんいるのだろうか。それとも世の中の常識が私の知らない間に『壁が飛び越えられて当然』にでもなったのだろうか。私にそんな芸当はできそうもない。……そういう問題ではないか、と自分の考えを否定する。
それにしても、テレビなどで運動能力のことを取り上げてみても良いと思うのだが、その気配が無いところを見ると、自力で身につけた能力を隠して生きているのだろうか。
人助けで使う能力ならともかく、彼は怪盗なのだ。露見した時点で捜査の手が届くことは誰にでもわかることだ。だから逆にわざと鈍い振りをして生きている可能性すらある。秀でた能力を隠し、わざと鈍いフリをして生きる、というのはさぞ苦労も多いだろう。鈍い私が思うのだから、余程のことだと思う。
そのようなことを漠然と考えていた時だった。
唐突に、静寂を破るかのように我が家のチャイムが鳴った。
少し身構える。
私に届く小包やお中元などはないし、書留なども届く予定もない。
あと、考えられるのは訪問販売の類やいかがわしいリフォーム業者などである。
お昼間に在宅しているのは主婦がほとんどなので、そういった時間を狙ってセールスマンはやってくるのだ。
インターフォンの横の白黒モニターを見る。
相手の姿は見えない。
建って二十年弱くらいのマンションだが、当時の最新鋭設備が整っていたわけで、子どもの頃はよくインターフォンで遊んだものだ。――ではなくて、相手は私が出ないことに苛立っているのか、何度も連続で鳴り響く。こんなことをするのは私の悪友しかいないのだ。それでわかれ、とでも言いたいのだろうか? 私が溜息混じりにインターフォンの受話器を取ると、彼は躊躇いもなく、
「早く開けろ!」
と悪態をついた。近所に聞こえるので、少し止めてもらいたい。こうみえても、ご近所では常識人で通っているのだ。
 「わかったからチャイム連打は止めてくれ。すぐに開けるから」
 受話器を置き、散らかった寝室の扉を閉めて、玄関に走る。鍵を外し、ドアを開こうとする前に先に開いた。……余程の急ぎの用事なのかもしれない。玄関に飛び込むなり、彼はドアを閉めて鍵を掛けた。悪い奴らに追われている、というような展開を期待したい所だが、どちらかと言えば
「悪い奴ら」の風貌に近い私の友人のことである。もし追われているのならば、最近彼に起こった
「不幸な出来事」がらみなんだろうと容易に推測できた。警察に協力して事件を解決させたことのある彼も形無しである。
 「一日かくまってくれ」
 物を頼む態度ではないのだが、いつもそれに押し切られているような気がする。我ながら情けないが、彼に利用されてやることで私も普通ではない体験ができることがある。それに少し期待しつつ、
 「とりあえず、お茶でも淹れるよ」
と部屋へ促した。何も話を玄関先で聞く必要もない。
 私の部屋は父親が隠れ家のように使っていた分譲マンションをさらに譲り受けたもので、もともと家族向けなのかそこそこな大きさのあるリビングとそれに付随して部屋が三つある。一人暮らしには贅沢すぎる家だ。大学生の時からこの部屋で一人暮らしをしているが、父としては結婚しても、ここに住めばいいだろう、というつもりで譲ってくれたのかもしれない。
 椎名は遠慮をする様子もなく、リビングのソファーにどっかりと身を沈めた。まさに
「勝手知ったる他人の家」の風情である。家の主の意見も聞かず、テレビのチャンネルを変えた。ろくに見ていないから構いはしないのだが、少し理不尽なものを感じる。
 「あの生き物を引き取ってくれ」
 彼はそう切り出した。
 そう、彼の身に起こった
「不幸」の話をしなくてはいけない。私にとっては羨ましい話なのだが、彼にとっては不幸そのものだそうだ。
 話は一ヶ月ほど遡る。
ゴールデンウィークも明けて間もない頃、彼は一件の依頼を受けた。依頼内容や細かな経緯についてはまた別の機会に譲るとして、その依頼主の一人娘に一目ぼれされて、彼女が強引に家まで押しかけてきたのだという。男から見て、女性に思い切った行動を取らせたこの男の魅力というものがまるでわからない。
 私はその話を聞かされてから、好奇心とからかい半分で二度ほど遊びに行ったのだが、その彼女は育ちの良いお嬢様、といった風情の高校生で大胆な行動を取るようには思えなかった。逆にこいつが誘拐でもしてきたのではないかと疑った程だ。
 「独身主義を気取っているわけでもないし、良いじゃないか」
 彼はどこか女性との深い付き合いを避けているところがある。
女嫌いというわけではないようだが……未だに何年も前の記憶が彼を苦しめているに違いなかった。
私はその仔細を知ってはいるが、彼にこれ以上言う気はしない。
そのことは確実に彼の暗部であって、長い付き合いの私でも容易に触れられる内容ではない。彼の心の危ういバランスを不用意な言葉で乱す訳にはいかない。それに、あの少女は彼にとって良い刺激になるだろう。いつまでも時計は止まっていないのだ。少しでも彼が前を向けるようになるのなら、それは良いことなのではないだろうか。
 「そもそもお前と違って、女に不自由はしていない」
 子ども相手の仕事をしているからか、妙齢の女性と出会う機会は多くない。そしてあまり自分のことを積極的でないと自覚しているので、浮いた話題をすることもない。彼は私の性格をわかっていながら、そういう風に言うのだ。嫌味な奴である。
 「どうせならもっと大人な女が良かったな。このままだと俺の生活が乱れて、いい迷惑なだけだ」
 「贅沢を言うなよ」
 「……一度、変わってみるか? 何しろ早朝から叩き起こされるは、制服のまま仕事の打ち合わせに勝手に入ってきて『助手』とか言うは、尾行している最中に話しかけてくるは、さらに依頼人が美人だったら無断で断るは……」
 彼の言い分を聞くと少し気の毒に思えてくる。彼女の愛のカタチというものなんだろうが、玩具にされているようにも見える。大人しそうな外見とは裏腹に、こんなに積極的な少女だったとは……。大概のことでは動じないこの男をここまで追い込むのは、余程だ。恐れ入る。弟子入りしたいくらいだ。
 椎名は私が出したお茶に顔をしかめてから、
「外は暑いのに、よく熱いお茶なんか飲んでいられるな」
と、また悪態をついた。椎名の着ている服を見る。半袖の派手な色合いのシャツにジーンズというラフな姿だった。まるで真夏の格好である。それについての反論は……止めておこう。私も彼ほどではないが、初夏の服装だ。
「暑い時に熱いものを飲むのが粋なんじゃないか」
「お前は爺か。夏を前にして何もかも枯れ果てるな」
ひどい偏見である。
「そっちがお客なんだから、いちいち人の嗜好に文句を言うな。で、結局どうしたらいいんだ」
「……話が早いな」
間違ってもほめ言葉ではないだろう。それに、たまには彼に恩を売るのも悪くない。
 「ここに一晩泊めてくれるだけでいいんだ。今日の依頼は深夜からなんだが、見張り番を連れて行きたくないし、外泊したとかしないとかで騒がれるのも面倒だ」
純粋に聞く限り、関係は良好のような気がするのだが、それを言えば烈火のごとく怒り出しそうな気がするので止めておく。
「……ったく、アイツさえ来なければ、うちからの方が近いのに、困ったもんだ」
どうも引っかかる。言い訳のように聞こえるのだ。
「俺の人権もプライバシーも全くないような扱いだからな」
溜息をつきながら、彼は言った。笑みをかみ殺した様子に見える。
「何だかんだと気に入ってるんじゃないのか、今の生活」
つい口に出た。本物のヤクザも震え上がるという噂のある彼の鋭い眼光が私のほうを向く。
「あるわけないだろう、そんなこと」
椎名は極めて明るい口調で言ったが、目の辺りが引きつっている事に気が付いてしまった。この話を今後はしないように気をつけよう。私はこの友人に口でも力でも勝つ自信は無い。我ながら情けない話だ。
「さて、本題だが」
私は内心でホッと胸を撫で下ろす。台風は逸れたようだ。
「泊まる、といっても夜中に外出する。今回の依頼は夜中の作業だ。お前に迷惑を掛けないようにはするが、起こすかもしれないから、それだけは断っておく」
本当にそう思っているかは甚だ疑わしい。私がしぶしぶ頷くと、彼は満足そうな顔をして、
「本当は守秘義務があって、依頼内容は言えないんだが一宿一飯の恩義だ。特別に教えてやろう」
何が恩義だ、と言いかけたが口を塞いだ。興味がない、と言い切れたらいいのだが、私の思考などお見通しなんだろう。とても気になっている。おそらく私は好奇心が服を着ているような人間なのだ。
「今回の依頼元は、中野市立博物館だ。内容は……」
「まさか、エジプト展」
「今日は冴えてるな」
 彼はにやりと笑った。その様子を見るに、彼が喜んでこの仕事を引き受けたことを感じる。まさか、とは思うのだが、彼が思った通りの展開なのだろうか。
 すこし狼狽気味の私をよそに、彼は言葉を続ける。
 「予告状が届いたそうだ、博物館に。いつ、とは書いていなかったが、念には念を入れて、ということで搬入時も警備をつけることにしたらしい」
 「本当に怪盗二十五面相の予告状なのか? 模倣犯という可能性はないのか?」
聞かずにはいられない。彼曰く、私は慎重すぎるのだそうだ。慎重なことは美徳だと思うのだが、時々煩わしいと言われている。しかし彼は何も言わずに目を細めた。
「狙いは大粒のペリドットをあしらった首飾り。歴史的に重大な価値があるわけでもないし、骨董品としても特別なものではない。有名なもの、ということもないそうだ。おそらくこれも奴は練習のつもりだろうな」
 つまり、彼は本人だと踏んだのだ。
 「それに偽者でも、犯罪を企んでいる奴には変わりはない。窃盗を未然に防いだら、捕まえられた奴だって刑が軽くなって感謝するさ」
彼は再び、テレビのリモコンを手に取った。目まぐるしくチャンネルが切り替わる。そのうち電池が切れたりしても困るので彼の手から奪い返した。そして、仕方がないので彼が喜ぶようなニュース番組にチャンネルを変えてやる。本当はお昼の奥様番組が見たいところだが、親友の揶揄が飛んできそうで躊躇われた。
 「別に奥様番組でも良いのに」
と彼はつぶやくように言った。心を見透かされたようでドキリとする。椎名は私の動揺を見て見ぬふりをして、
 「観てる分には嫌いじゃないぞ、奥様番組。お前みたいに実践しようとは思わないが」
と言いながらわざわざ私の顔を見て、またにやりと笑った。
また心臓が反応する。
彼が言うまでもなく、『健康効果がある』と言われると試さずにはいられない。どこでそれを察知されたのだろうか。机の上に置かれたバナナを見てそういたのかもしれない。つい三日ほど前の休日に健康番組で紹介されていて、早速買いに行ったものだ。それを見たのだろう……たぶん。ということは、同じ番組を観ている仲間だと思うのだが、これも言わない方が良さそうだ。
 「欠かさずそういう番組を観ている割に、健康そうに見えないところを見ると、大して効果がないんだな」
と言ってから、声を出して笑った。癪に障る奴である。
 「まだ始めたばっかりだからだ」
 私は反射的に言い訳めいたことを言ったが、私の友人はニヤニヤとした笑みを浮かべるだけでテレビに顔を向けた。が、一瞬にして真顔になった。興味のある内容があったのかもしれない。
私が見る限り、ニュースは朝の内容から目立った変化はない。世界の情勢も、政治のことも、殺人事件も。ただし、先程とは違うニュースが1つだけあった。
あの怪盗の予告状をマスコミが発表していた。どこからか情報が漏れたらしい。椎名はまるでふてくされたような顔をして、煙草を取り出した。
「この家は禁煙だぞ」
私が諭すように言うと、彼はムッとした表情でソファーの前の小さなテーブルに煙草とライターを放り出す。
「ケチだな、お前」
と呻きながら、再びテレビに神経を集中させた。
 ニュースで報道された内容は、そんなに詳しいわけではなかった。
 怪盗二十五面相なる泥棒が、近日中に中野博物館で開催される予定のエジプト展の展示品を狙う、という予告状を博物館に送ってきた。警察はその予告状の内容を検討して、場合によっては機動隊を配備するという具合だ。
 椎名はそれこそ苦虫を噛み潰したような顔をした。
 「俺の邪魔だけはしてくれるなよ」
 相変わらずの態度である。警察が出てくると言った以上、例え博物館に雇われた探偵とは言え、ただの民間人が入れるかすら怪しい状況で何故こんなに高圧的な様子でいられるのか、私にはわからなかった。ただ、この男は先述の事情もあるから警察の人間に顔が利く。その辺りを見越したことなのかもしれない。
 「そろそろ行かなくていいのか、仕事」
 彼が壁にかかった時計を指差す。十二時半を指そうとしていた。
 「晩飯、作って待っててやるよ」
 恐ろしいことをさらりと言う。
 「こう見えても、料理歴は長いんだ」
 家庭科の授業すらろくに出席しなかった男が何を言うか。
私はその事を言うのも我慢した。
恩を売られるのが恐ろしいから、という理由も多少はあるのだが、確か彼の住むビルの一階で営業している喫茶店は、彼と彼の父親がろくな物を食べていない事を知ったマスターが、彼ら親子の為に隣町からわざわざ移転してきたという話を聞いた覚えがある。どんな理由があって、現在に至っているかは詳しく知らないのだが、彼の父親に恩があるとか、命を救われたとかそんなことも言っていた気がする。とするならば、彼の料理歴など甚だ疑わしい。
 私は夕食を作ると言った彼の言葉を固辞し、家の中は禁煙と念を押して家を出た。
 私が例の怪盗なら、こんな雨の日に大仕事をしたいとは思わない。
傘の煩わしさを思い、椎名とのやりとりを思い出す。
もし、それでも怪盗二十五面相が現れるなら、とても勤勉で真面目な人間なのだろう。きっと血液型はA型だ。そして冷静になって考えれば、自分もA型である。本当に同じ血液型だとしたら光栄だ。共通項があるだけで華々しい。例えA型の人口における割合が高くてもだ。しかし人間を血液型でたった四種類に分類できないなどと、とりとめのないことが頭の中に浮かんでは消える。
 人のせいにする訳ではないが、椎名と話をすると自分の頭を仕事モードに切り替えるのには時間がかかる。いつものことだ。遠くない未来に、彼を題材にして小説を書こうなどと企んでいるからだろう。そして自分の中で物語の再構成をしているのかもしれない。
 職場の前で立ち止まり、自分に喝を入れた。
相変わらず、空は鈍く重いままだ。












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