第六話、溜め息
「ハァ……ハァ……」
全速力で教室を飛び出した駿は裏門をくぐり抜けた所で息を整えた。
―――ハァ……なんだよ? あの女、何で居るんだよ? おんなじ学校だなんて聞いてねぇーし。
そう一人、腹の中で呟きながら制服の袖で汗を拭う。
アクティブに身体を動かすタイプの人間じゃない駿はこれだけでかなり疲れ果ていた。
――とりあえず、あいつとは、極力近寄らない方がいいな……
駿の呼吸は大分落ち着きを取り戻していた。
最後に大きく息を吸って、足を進めようとした。
その時……
「あのぅー……?」
そんな駿の背後から愛らしい声が掛かる。
「……?……」
澄み切った甘い声に駿の表情は若干緩んだ。
どんな愛らしい女の子かと胸いっぱいに期待を募らせ、その声の主へ視線を向けた。
その途端、顔が真っ青になった。
「……………」
「こんにちは……ですよね?」
絶望の色を浮かべる駿の瞳には、ニコッと笑みを浮かべて佇むメイが映る。
「……………ハァ……」
俯きながら駿は深く重い溜め息を吐いた。
「あのぅ………?」
そんな様子の駿にメイは心配そうに覗き込む。
「………何?」
駿は心底、メイと関わりたくないと思ってるらしく、普段より低い声と冷たい口調で答えた。
「あ、あのぅー余計なお世話ですがあまり溜め息吐かない方が良いですよ……? 幸せが逃げるとお婆様が言ってました。ただでさえ、幸せに恵まれなさそうな顔ですし……」
メイは駿の瞳を真っ直ぐ見て言った。
「ハハハ……本当に余計なお世話だね……?」
駿は冷ややかな口調で答えた。
不愉快な気分になった駿はその場から立ち去ろうとした。が……
「あ、あのぅー!」
またメイが呼び止めた。
「まだ、何か?」
眉間に皺を寄せ、低い声で聞き返す駿。
メイを疎ましく思っているのがモロ顔に出ていた。
「あのぅー…よかったら、一緒に帰りませんか?」
けど、メイはそれに気付かないようだ。
「ハァ?」
メイの突然の誘いに駿の眉間の皺はより一層深くなった。
「あ、その……同じ家に住んでるんだし、メイ昨日ここに来たばかりだから道分からなくて……」
そう言うメイの顔は真っ赤に染まっていた。
どうやら、恥ずかしいらしい。気恥ずかしそうに“ダメですか?”と上目遣いで駿を見据える。
「うん、ダメ」
駿は即答した。“じゃあ”と言ってスタスタ歩き出した。
「……ちょっ……! ちょっと待ってください! 冷たい人ですね! 知らない土地なんですよー! メイまた、迷子になっちゃうじゃないですか?」
駿の後を追いかけて言い寄るメイ。
―――変なヤツに顔覚えられたな……
駿は歩きながらため息を吐いた。
そして、ピタっと足を止めた。急に立ち止まった事にメイは駿の背中にぶつかった。
「……いたぁっ……」
メイは鼻を抑えながら駿に視線を向ける。
駿も後ろに居るメイへと視線を向けた。
「あのさ、俺も越してきたばっかだから道詳しくないよ?」
駿は呆れた様な口ぶりで言い放った。
「なら、一緒に迷子になりましょう!」
力の篭った口調でメイは返す。
「………そうくるか……?」
――つか、なんで迷子前提なんだ?
駿は、かなり呆れた様子で深い溜め息を吐く。
「……あ、あのー溜め息をすると―……
「黙っててくんない?」
心配そうに覗き込むメイに駿は、冷ややかに言い放った。
ウ゛ーーッ ウ゛ーーッ
そんな中、駿の携帯のバイブ音が鳴り響いた。
「?」
携帯を知らないメイは何の音だろうと不思議そうに首を傾げた。
「あ、ヤバ!」
駿はそう言って通学鞄から携帯を取り出して、耳にそれを当てた。
「はいっ! もしもし……」
駿はかなり焦った様子で電話に出た。
「?」
「はい、はい……すみません……えっ! そんな……ま、待って下さい!」
ペコペコと頭を下げながら通話する駿をメイは不思議そうに見ていた。
――あの人、あんな小さい機械に怒られるなんて可哀相な方です……本当に幸せに恵まれない方なんですね……
携帯電話を知らないメイは一人静かにそう思い、駿に憐れみの眼差しを向けた。
「ハァ……また、落ちた……」
駿は、そう吐き捨てうなだれた。
――面接時間、たった5分過ぎただけで不採用って有り得ねぇんだけど……
駿はワケあって、バイトを捜していた。
そして、さっきの電話はバイトの面接を約束していた人からだったのだ。
早目に学校を出て、そこへ向かおうとしていたのだが、メイがしつこく話し掛けてきたせいで遅刻してしまったのだ。
「……………」
「あ、あのぅー…」
うなだれてる駿にメイが、心配そうに声を掛けた。
駿は、何も言わず目だけを向けた。
「……めげずに頑張って下さい」
拳を握って元気な口調で言い放つ、メイ。
恐らく、メイなりの励まし方なんだろう。が、駿に取っては嫌味にしか聞こえない。
――誰のせいだよ……?
前髪が被さった瞳には怒りの色が色濃く映る。
「………ハァ……」
けど、怒鳴る気にもなれず駿はただ、深い溜め息を吐くだけだった。
そして、フラリと歩き始めた。
「あ、待って下さい!」
そんな駿の後をメイは追う。
「………まだ何かあんの?」
実に嫌そうな表情と声色でメイに聞き返した。
「だから一緒に帰りましょう」
嫌そうな表情の駿とは、対照的に、メイは夏の太陽みたいな明るい笑みを浮かべて答えた。
「……………」
ニコニコと笑顔を浮かべて佇むメイに駿は氷より冷ややかな眼差しで見据える。
「……………」
そして、何も言わずメイから視線を逸らしまた歩き出した。
「えっ? ……ま、待って下さい!」
メイはそう言って駿の後を追い掛けた。
が、駿から何の反応もない。
――あいつの相手するのは時間の無駄だ。駿は、そう呟きメイを無視する事を決めた。
「あのぅー……?」
そうちょこちょこした足取りで追い掛けるメイ。
「……………」
けど、やはり駿から何の反応もない。
無言でひたすら足を進める駿。
そんな駿の後を付いていくうちに辺りは学校から大分離れ、大通りに出た。
信号がちょうど赤に変わり、車が何台か通り過ぎた。道路の向こう側にはコンビニやらマンションなど住宅街が広がる。
「うわぁー」
信号待ちで立ち止まった事によってメイも足を止めた。
そして、初めて見る景色に目を丸くしながら見渡した。
――凄いですね! 人間界って! 見た事のない物がたくさんあります!
メイは一人そんな景色に感動していた。
「って、あれ?」
大きな丸い目をある所に向けてメイは首を傾げた。
「あのアパート見覚えあります……」
メイのその発言に駿が口を挟む。
「……お前、マジで言ってんの?」
「ほぇ?」
ずっとだんまりを決めていた駿からの突然の問い掛けにメイはきょとんとした表情で駿を見据える。
「“見覚えあります”って自分のアパートだろう!?」
呆れた様な怒りを含んだ口調でメイに駿は言い放つ。
「え? 自分のアパートって……」
メイは表情を曇らせ駿の方に視線と身体を向けた。
「あのぅー、“あぱーと”ってどういう意味ですか?」
「……………」
そんなメイの問いに駿は言葉を失った。
あまりの馬鹿さ加減に眩暈すら覚えた。
「あのぅー……」
「あんたが捜してる家の事!あそこがあんたの家だよ!」
駿は真向かいに佇む、こじんまりしたアパートを指さす。
「ほぇ……?」
駿が指さすアパートにメイは視線を向けた。
道路のちょうど真向かいに佇むオフホワイトのアパート。
大分古いらしく外観は少しボロい。
「……あっ! そういえば! あれです!」
メイは嬉しそうに手を合わせて言った。
「なんだー! こんな近くにあったんだー」
「………ハァ……」
一人はしゃぐメイの横で駿は溜め息を吐いた。
――あのアパートの距離からをどうやって迷ったんだろう?
メイの住むアパートは学校にかなり近い所に建っていた。
道路を渡ったらすぐ学校に辿り着ける。
にも関わらず迷子になったメイに駿は、心底呆れ果てた。
そうこうしている内に、信号は赤から青に変わった。
乗用車はゆっくりスピードを落として停まった。
それを見計らい、駿は歩き出した。
出遅れたメイは小走りでその後を追った。
道路を渡り切り、コンビニの前に着いた所で駿はメイに視線を向けた。
「……家分かったんだし、さっさと行けよ」
駿は、メイにそう告げた。一刻も早く自分から離れて欲しかったから冷たい口調で言い放つ。
が……
「あ、あのぅ……?」
メイはまた駿を呼び止めた。
「………まだ何か?」
もはや、駿はメイの顔を見る事なく聞き返した。
「あ、はい……あのぅーメイ、実は人を一人捜してまして……」
「ハァ?」
駿は眉間に皺の後が残ってしまいそうな程、表情を曇らせた。
「はい、けど……どんな人なのかよく分からなくて……困ってるんです……」
メイは俯き、小声で言った。言葉にしてる内にメイの胸の中は、どんどん不安でいっぱいになった。
儀式を無事に終わらせて、ちゃんと一人前になれるのか?
初めての人間界で上手くやれるのか?
そんな言い知れぬ不安がメイを襲った。
そのせいか、メイは突然泣き出してしまった。
「えっ!?」
――なんなんだよ? なんで、このタイミングで泣くんだよ?
さすがの駿も戸惑いを隠せず、メイへと身体を向けた。
けれど、何て声を掛ければ良いか分からない。
「……っひくっ……ひくっ」
メイは両手で顔を押さえ、啜り泣く。
その光景に道行く人は、訝しげな視線を二人に向ける。
「何かしら? あの娘?」
スーパーのビニール袋を下げたおばさんが首を傾げる。
「道端で泣いてるけど、別れ話?」
自転車に跨がってる女性もそれを止めて、二人に視線を向ける。
「オイオイ、あの娘随分とみすぼらしい格好じゃないか?」
コンビニの隣にある八百屋のおじさんがそう言った。
確かにメイは、服を着ていない。
纏っているのはカーテンの布一枚のみ。もちろん裸足である。
そんな格好で泣きじゃくるメイと、無表情で立ち尽くす駿。何も知らない彼らはその光景が映す事のみで判断をした。
「まさか……あの娘捨てられたんじゃ……」
スーパーのビニール袋を下げたおばさんがそう呟いた。
その言葉に冷ややかな視線が駿に向けられる。
「え? あ、あのぅー…俺何もしてませんけど……」
駿はそう言ったが、今の状態化では何の効果もない。
「……お、お前もなんか言えよ」
駿はメイに何か言うように声を掛けた。先程より、多少温かみある言葉で。
「………ひくっ……メイ、……」
ずっと泣きじゃくっていたメイは口を動かした。
しかし、まだ俯き顔を隠したままで話すから聞き取れない。
そんな、か細い声を聞き取ろうとおじさん達は耳をメイに傾けた。
「……メイ……一人で生活する自信がありません……」
そう泣きじゃくり呟いた。
「……!!……」
メイのこの発言はますます駿を不利な状況へと追い込んだ。
「一人で生活できないってやっぱり……」
自転車に跨がってる女性はそう言い、八百屋のおじさん達と顔を見合わせた。
「だから……あのぅ……」
駿は、そんな彼らに声を掛けたが全く聞いちゃ居ない。
「……捨てられたのね?」
「可哀相に……」
泣きじゃくるメイにおばさんは温かい言葉を掛けた。
「これ、持ってけ」八百屋のおじさんに至っては、鼻を啜り、メイに林檎やバナナ、苺がぎっしり入ったビニール袋を持たせた。
――オイオイ、かなり勘違いされてない?
駿はどうすれば良いか分からなかった。
ただ、その場に立ち尽くす事しか出来なかった。
そして、いつ自分に矛先が向くか、不安で堪らなかった。
「泣かなくて大丈夫よ」
そう自転車に跨がった女性はメイの肩を優しく抱く様に触れた。そして、おばさん達の視線は駿へと移る。
「へっ……?」
不安が的中してしまった駿はますます顔色が悪くなった。
「オイオイ、兄ちゃんこんな可愛い娘泣かすとはどういう用件だぁ?」
袖を捲くり、鼻息を荒くして八百屋のおじさんは駿にまくし立てた。
おでこが触れそうな距離で駿を睨み付けるおじさん。袖から覗く大根の様に太く逞しい腕。
きっと殴られたらひとたまりもないだろう。
「……あ、……いや、泣かすも何も勝手に泣き出して……」
駿は、相手の逆鱗に触れない様に落ち着いた口調で答えるが……
「あぁ? 何スカしてんだ?」
余計に怒らせてしまった。
――何なんだよ! 俺が何をしたって言うんだよ!?
駿は怒り混じりに腹の中で一人叫ぶ。
「誤解です! 俺、本当に何もしてないんです!」
駿は、必死な口調で言った。
「何もしてないって……」「ねぇ……?」
冷ややかな視線を向けるおばさん達。
「こーゆー根暗でひ弱そうな男がいっっち番危ないんだ」
八百屋のおじさんはそう力いっぱい頷いてしゃべる。
――何言ってんだよ? このオヤジ……そもそも、お前が男を語るな……。
そう暴言を吐く駿を余所に、おばさん達は八百屋のおじさんに拍手や賛辞を送った。
「よっ! 源さん、日本一!」
「男の中の男!」と褒めたたえるその姿に駿は心底、げんなりした。
――何なんだ? この人達……?
呆れた表情で立ち尽くす駿。
飛び交うお世辞の中に“ついでに、野菜タダにして”という言葉が駿の耳に入る。
――タダって……、まぁ、いいや。今のうちに……
駿は隙を見て立ち去ろうと考えた。
幸いなのかまだ、お世辞は続いていた。
静かに足を進めようとした駿に最悪の言葉が降り注ぐ。
「……メイ、知らない土地で一人じゃ無理です……ッヒク……! ヒック……お願いです、見捨てないで下さい……」
まさにトドメの一言だった。
駿は失神寸前だった。
「……お前、やめろよ! そーゆの誤解を招く発言!」
思わず、怒鳴ってしまった駿。
メイはもちろん、傍に居たおじさん達も下校途中の学生もびっくりした表情で駿を見据える。
「………………」そのすぐ後、長く重い沈黙だけが漂う。
この瞬間だけ、音が消えた様に駿は感じた。
「うっ……」
駿の怒鳴り声に驚いたメイはまたポロポロと泣き出した。
もはや、駿は言い訳ができない。
理由はどうにせよ、メイを泣かせてしまったのだ……。
彼らの前で……。
「サッイテー……」
おばさん達は、まるで汚物を見ているような表情で駿に言い放つ。
「何? 何? 修羅場?」最悪な事に学校が終わった学生達までもがどんどん集まってきた。
「あいつ、うちの学校の奴じゃん?」
そんな声がチラホラ聞こえてくる。
――俺が何したってんだよ! 俺のが泣きてぇーよ……
泣きじゃくるメイを見て駿は素直にそう思った。
「分かった! 分かりました! 見捨てないから!! お前に協力するから、とりあえず泣き止め!!」
どんどん人だかりが出来る事に焦りを覚えた駿は、そんな事を口走ってしまった。
しかし、それを聞いたメイは―……
「……本当ですか?」
ピタっと泣き止んだ。
「本当に良いんですか……? メイが捜してる人、一緒に捜してくれるんですか?」
赤く泣き腫らした瞳でメイは駿を見据えた。
「……あぁ……」
全く気乗りしない声色で答える駿。
もはや、駿の瞳からは生気も希望も何もない。
「……ついでにこれから、毎朝一緒に学校に行ってくれますか?」
「………あぁ……」
凍てついた表情で駿は答える。
その口調はかなり義務的に聞こえるが、メイはやはり気付かない。
「やったぁー」
春の陽射しのような暖かい笑みを浮かべて喜んでいた。
「嬉しいです! ありがとうございます! やはり、一人より二人の方が心強いです! この分だと早く見つかりそうな気がします! あ、そうだ! 早速、今から捜しに行きませんか?」
先程まで泣いてたくせにメイは、満面の笑顔で駿に問い掛けた。
「……はぁ……」
駿は答える気になれず、ただ、深く長い溜め息を吐いてその場にうなだれた。
――今夜、引っ越そうかな……?
駿の胸の中は後悔の念でいっぱいだった……。 |