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私、かかりつけ薬剤師に立候補します! 作者:青砥 英世
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薬歴その3 「どうして薬剤師になったの?」

薬歴その3 「どうして薬剤師になったの?」

「真澄ちゃん、ちょっとあれ取って」
「これですか?」
 俺は調剤室の棚の上に置かれた段ボール箱を薬局事務の鈴木さんに手渡す。季節の装飾品と書かれたそれはうっすら埃をかぶっている。
「サンキュー。もう冬だから薬局の装飾をクリスマスに変えろって、久美子さんに言われてさ」
 そう言って、鈴木さんは中に入っている小さなクリスマスツリーやオーナメントを出しては飾り付けを始めた。
 俺は気付いたら「真澄ちゃん」という愛称で呼ばれていた。自分が乙メンであることは自覚しているし、その呼び名は嫌いじゃない。
 そもそも俺の名前は、名ピッチャー桑田真澄から名付けられている。親父は生粋の野球好きで息子が生まれたら一緒にキャッチボールをするのが夢だった。しかし、一人目、二人目ともに女の子で、夢叶わずかと思った時に生まれたのが、俺だ。ついに夢が叶うかと思ったらしいが上手くはいかなかった。なぜなら俺は野球よりも姉たちとおままごとをやる方が好きだったからだ。野球以外にもスポーツ全般にまったく興味を示さなかった俺は、親父の息子と一緒にキャッチボールをするという夢を叶えず、そしていつの間にか、真澄という名前は名ピッチャーの面影なく、むしろおねぇキャラとなり、それが定着してしまった。
「真澄君、ちょっといいかしら」
 しかし、俺の事を「真澄君」と呼ぶ人が今までで二人だけいる。一人はこのクローバー薬局の薬局長である久美子さんだ。久美子さんだけはなぜだか俺を男として見てくれているようだ。
「その調剤終わったら投薬回ってくれる? 春香だけだと指名とれなくて、患者逃しちゃうから」
「全然いいっすよ」
 そして、俺は頼まれたら断らない主義だ。高いものを取ることなんて日常茶飯事、ゴミ拾いだって、買い出しだって頼まれたらなんでもやる。
 薬局という女の職場に男が生き残るためには、我を出してはいけないのだ。この薬局では男は俺一人しかいない。その男が男らしくいるよりも女々しくしていた方が、周りは上手くいく。そして、なんでもいう通りに聞いておけば、誰からも嫌われずに仕事ができる。後輩からは舐められているかもしれないけど、そんなことはどうでもいい。平和に毎日が過ぎれば俺にとってはそれで十分なのだ。

「ちょっと、薬まだぁ!?」
 今、薬局のカウンターで大声を出している女の人がいる。俺は気づかぬふりをして、納品された薬を棚にしまっているが、きっとそれは俺が対処する事になるだろう。
「真澄君、ちょっと対応してくれる?」
 ほら、来た。
「はい、久美子さん」
 面倒な仕事はすべて俺にやってくる。理由は男だから。はっきり言って、男女差別甚だしいが、そんな事どうでもよい。俺が解決して薬局の雰囲気が悪くならなければそれで良い。
「どうされましたか?」
 俺はカウンターにでると、大声を出している三十代そこそこと思われる女性の元に小走りで駆け寄る。
「ちょっと、まだ? 私、急いでいるの。早くしてくれないかしら」
 どうやら、薬が早く欲しい人らしい。こういう患者は少なくない。うちの薬局は病院に一番近い場所にある。他にも2店舗薬局があるのだが、うちの薬局が病院のすぐ隣というだけで、受診した患者の約半分がうちの薬局に来て、特に混み合う。最悪の場合、三十分お待たせすることもあるが、一つ隣の薬局だと十分もかからず薬が出てくるらしい。しかし、急ぎの患者に限って一番近い薬局に来て、待ち時間が長いとクレームを言っていくのだ。隣の薬局に行けば、すぐ薬をもらえますよ。と、言いたいところだが、そんなこと言っては商売が成り立たなくなってしまうので、言えるはずもない。こういう時は、とりあえず謝罪だ。
「すみません。今ご用意しておりますので、もう少々お待ち下さい」
「まったく、なんで薬取ってくるだけで、こんなに時間かかるのよ。薬も病院でもらえればこんな面倒なくて済むんだけどね」
 そして、急いでいる患者の大半は医薬分業について理解していない。
 そもそも医薬分業とは、医師・歯科医師が患者の診断・治療をおこなった後、医療機関から発行された処方箋にもとづいて独立した薬局の薬剤師が調剤や薬歴管理、服薬指導を行い、それぞれの専門性を発揮して医療の質の向上を図ろうとするものだ。もともとは、ヨーロッパの神聖ローマ帝国のフリードリヒⅡ世が毒殺を怖れて、主治医の処方した薬を別の者にチェックさせたのが始まりと言われている。まぁ、今その話をしたところで、さらなる怒りを買うだけだからやめておくけど。
「はぁ、ほんと勘弁して欲しいわね」
 彼女は俺に聞こえるように大きなため息をついた後、しきりに時計を気にして投薬カウンターから離れようとしない。ここを空けてくれれば他の患者に薬を渡せるのだが。
「真澄君、薬できたわ。頼むわね」
 きっと久美子さんが他の患者さんより先に薬を用意してくれたのだろう。渡されたカゴには薬が調剤されており、俺に突きつけてきた。さっさと薬を渡して帰ってもらおう。
「藤原恵美子さん……」
 俺は処方箋に記載された名前を読み上げると、それはとても懐かしい響きがした。
「あんた、遅いわよ」
 しかし、目の前にいる女性は「あの藤原恵美子さん」ではもちろんない。でも、年齢は同じくらいだろうか。
「大変お待たせいたしました」
 いちおう平謝りしてから、藤原さんの顔をチラ見すると、苛立ちで眉間にしわが寄っていて赤鬼にしか見えない。
「で、いくら?」
 俺の事を「真澄君」と呼んでくれた「あの藤原恵美子さん」との事を一瞬思い出していたところだが、「この藤原恵美子」さんは、それどころではなさそうだ。
「だから、いくらなの?」
「あの、その前に……」
 財布を手に早くお金を払って帰りたい雰囲気満載の藤原さんを目の前にして、記載された問診票と調剤された薬を見て気になることがあった。気になることというのは、こんなにカリカリしている藤原さんが、きっちりと美しい文字で問診票にいろいろと記入してくれた事ではない。薬の内容についてだ。
「早くしてよ!」
 しびれを切らした藤原さんは俺に怒りの声を上げる。
「藤原さん、この問診票に記入された市販薬と、今日の症状なのですが……」
「五千円ね! ここ置いとくから。ったく、さっさと薬だけ渡せばいいのよ」
「藤原さんっ!」
 藤原さんは薬をガッと掴んで、早足で薬局を出て行ってしまった。大事な事を聞けず、ちゃんと薬の話ができなかった。このままでは藤原さんに健康被害が出てしまう可能性がある。
「ちょっと、電話かして」
 俺は薬局事務の鈴木さんが座っているPCの横にある電話の子機を手に取った。
「え? 真澄さん、もしかして今の人に電話するのですか?」
「あ、うん」
「なんで?」
「ちょっと、薬の事で伝えなければいけない事があったんだけどね、話も聞かずに帰っちゃうから」
「あんな人、ほっておけばいいじゃん。感じ悪かったし」
「確かに感じは悪かったけどね」
 「赤鬼の藤原恵美子さん」は「思い出の藤原恵美子さん」と違って、ものすごく感じは悪かったけど、薬に問題があるのに放っておくというのは、俺の薬剤師としてのプライドに触る。
「もしかして真澄ちゃん、あの人タイプだったとか?」
「んなわけないじゃん!」
「え~、どうだか~。真澄ちゃんには気の強い人が似合いそうだけどね~」
 自分が気弱に見えるからか、気の強い女性が似合うとはよく言われる。実際嫌いじゃないけど、「今日の藤原恵美子さん」のようなクレーマーは好きにはなれない。とりあえず俺は問診票に書いてあった藤原さんの携帯電話にダイヤルした。
「……。でない」
 留守番電話につながると俺は薬について気をつけてほしい事を早口でメッセージに残した。俺はやることをやって、一息つくと「思い出の藤原恵美子さん」の事を思い出していた。



 夏休みのある日、小学生だった俺は友達と遊んだ帰り道を急いで自転車を漕いでいた。家の門限である十九時ギリギリになりそうだったからだ。母はいつも優しいのだが、門限にはとても厳しい。門限に遅れると家に入れてくれなかったり反省文を書かされたりする事もあり、絶対に遅れてはならないと必死でペダルを踏んでいた。
 その自転車は三年前に買ってもらったもので、ところどころサビついていた。そして、壊れないと新しい自転車を買ってもらえないと思っていた俺は、わざと自転車を雨に晒したり乱暴に扱っていた。そのせいか後輪は少し歪んでいてブレーキも強く握らないと効かないようになっていた。
 俺の家は坂の下にあって、それを下ればもうすぐだった。勢いよくペダルを踏み込むと、ペダルの感触がなく、気がついた時には救急車の中だった。そして、俺の手を優しく握る見た事のない綺麗な女の人が同乗していた。それが「思い出の藤原恵美子さん」だった。
 自転車は老朽化していたため、チェーンが外れ俺と自転車はそのまま坂を転げていったようだった。頭を打ったのか転げている時の記憶はなくて、藤原さん曰く「男の子が自転車と一緒に意識を失っていたのをみつけたから救急車を呼んだ」そうだ。
 小学生の俺は「思い出の藤原恵美子さん」の大人びた美しい横顔を病室で見た瞬間、感謝の気持ちよりも先に恋に落ちた。
 事故の日には「思い出の藤原恵美子さん」は、俺の親が来るとすぐに帰ってしまったが、数日入院する事となった俺のお見舞いには毎日きてくれた。その時いろいろ教えてもらった。
 「思い出の藤原恵美子さん」が、足利大学の学生であり、将来は薬剤師を目指している事。「細胞はみんな生きている」という漫画を書いていて、それがアニメ化される事。
 そして、肝臓癌に侵されていて闘病中という事も。



 一週間後「クレーマーの藤原さん」は、クローバー薬局に再来した。
「ちょっと! この前の薬剤師いる? あの、ひょろいオカマ」
 俺はその時休憩中だったけど、藤原さんの声があまりに大きすぎて、休憩室の中まで聞こえてきた。このまま聞こえないふりをしてやろうかと思っていたけど、どうせ誰かに呼び出される事は分かっていたので、白衣を着て休憩室から出て行った。
 ところで、ひょろいオカマという表現は、いささか直接的じゃないだろうか。もう少し言い方を柔らかくしてくれても良いと思うのだが。
 休憩室から出てくるとスタッフの視線はもちろん俺に向いて、投薬カウンターに右ひじを置き今か今かと待ち伏せる藤原さんの元へ向かう。
「あ、あのー」
「ねぇ、あんた!!」
「は、はい」
 赤鬼さんは前回よりも起こっている様子で顔面が紅に染まっている。さて、どうしたものか。
「私、あんたのせいで胃潰瘍になりかけたのよ! どうしてくれんのよ!」
「すみません、おっしゃっていることが……」
 いきなり怒号を浴びせられたが、事態は想像した通りだった。やっぱりこの人、留守電聞かなかったんだこの人。
「だから、この前あんたが出した痛み止めのせいで、胃潰瘍になりかけたのよ! そのせいで、今日は仕事休まなきゃいけなくなったんだから」
「は、はい……」
 とりあえず、こういう時は言いたいことは遮らずに受け入れよう。下手に言い返すと怒りを増幅させてしまうし。しかし、その胃潰瘍の件だけど、あなたが留守電を聞いてくれれば、こんな事にならなかったんだけどな。
「もしかしてジクロフェナクが原因ですか?」
「医者にはそう言われたわよ。あんた、そんなこと一言も言ってなかったじゃない!」
 えぇ、話をしようとしたけど、お金を置いてさっさと出て行ったのはあなたですけど。
「藤原さん、あの時お話できなかったじゃないですか」
「知らないわよ。それでも大事な事は伝えるのが仕事なんじゃないの?」
「私もそう思います。そう思って、藤原さんの携帯電話の留守番電話にお薬で気をつけて欲しい事をいれたのですが、その様子ですと聞かれなかったみたいですね」
 藤原さんは一瞬目を逸らした。
「はぁ? 留守電? 忙しくてそれどころじゃなかったわよ」
 まぁ、そうでしょうね。聞いていたらこんな事にはなりませんからね。
「藤原さん、今日はお時間は大丈夫ですか?」
「今日は仕事休みよ。こうなっちゃったんだからしょうがないじゃない」
「でしたら、今日はじっくりお話させていただけませんか? ちゃんと説明させてください」
 俺はそう言ったものの本音はめんどくさい。けど、やるべきだろう。俺は薬剤師なのだから。
「今日なら良いわよ。あんたの言い分聞こうじゃないの」
 そう、面倒くさい事を処理するのが、この薬局における俺の役割。
「それでは、こちらにおかけください」
 そう言って俺は藤原さんを座って話せるカウンターへ誘導し、じっくりと腰を据えて話をする事にした。藤原さんもドスンと俺の前に腰掛けた。

「それでは、まず先週お持ちいただいた処方箋について整理していきます。処方箋は三枚ありました。一枚目は、齋藤耳鼻科からの処方箋、二枚目は栗原クリニックからの処方箋、三枚目は、菅原歯科からの処方箋でした」
「そうね。間違いないわ」
「一枚目の耳鼻科からは、鼻炎の薬が処方されていました。鼻水を止めてくれるフェキソフェナジン塩酸塩/塩酸プソイドエフェドリン配合錠が30日分と、ひどい時用のベタメタゾン・d-クロルフェニラミンマレイン酸塩配合剤というお薬が14回分処方されていました。藤原さんはアレルギー性鼻炎ですか?」
「そうよ。うちのオフィスが埃っぽくて。それに加えて年中何かの花粉症なの」
「そうですか……」
 年中花粉症ってすごいな。スギ、イネ、ブタクサ、すべてにアレルギーがあるのかもしれない。
「何よ。何か文句ある?」
「いえ……」
 ここで、あなたの態度に文句があります。なんて言ったらどうなるのだろうか。ちょっと想像してしまったが、修羅場になること間違いないわけで、言えるわけもない。
「それで、何?」
 どんな言葉でも突っかかってくる態度は無視して話を続ける。
「次に二枚目の栗原クリニックからの処方箋の事なのですが、ちょっと気になることがあるんです」
「何よ」
「どうしてジクロフェナクという痛み止めが処方されたのですか?」
「生理痛よ。悪い?」
 一度ジロッと俺の事を睨んだ。
「大変ですね」
「男にはわからないとおもうけどね。それに私、生理重いのよ。だから、いつも近所のクリニックで処方してもらっているの。ここのクリニック、私の知り合いだから、なんでも処方してくれるし」
「そうだったのですか……」
 きっと、苦労しているのだろうな。そのクリニックの先生。
「ってか、どうして薬を出しているのに、そんな事もわからないのよ」
 藤原さんは処方箋の事を何もわかっていないようだ。
「処方箋には病名や何に対して薬が処方されているのかは記載されていませんので、私も藤原さんから伺わないとわからないのです」
「じゃぁ、なんで病名記載されてないのよ」
「それは昔からそうだったという事以外にも、病名はプライバシーという事もありますが、最近では徐々に変わってきて、病名を記載してくれる病院やクリニックが増えています」
「そうなの? まぁ、いいわ。それで結局何が言いたいの?」
 藤原さんはしびれを切らして、結論を急かすがまだ確認しなければいけない事がある。
「もう少し確認させてください。三枚目の処方箋ですが……」
「何? まだあるの? しつこいわね」
 だって本当にいろいろあるからね。そんな気持ちが顔に出ているような気がしたけど、今の藤原さんだったらきっと気にしないだろう。俺の方をろくに見てないし。
「三枚目の菅原歯科からの処方箋なのですが、セフジニルが一日三回七日分処方されていました」
「親知らずを抜いてきて、化膿しないようにって言われました!」
 『た!』って。ちゃんと聞こえてますから、そんなに力を入れなくて大丈夫『です!』
「あと、最後に問診表に書いていただいた、市販薬って何ですか?」
「もー、結局何が言いたいのよ。便秘薬と胃薬!」
 藤原さんの態度は、あぁ面倒くさいという雰囲気だ。ちなみに俺も相当めんどくさい。
「その便秘薬と胃薬についてもう少し詳しく教えてください」
「あぁ、もう。これよ」
 藤原さんがカバンから取り出して乱暴に薬の箱を置いた。その薬の成分を確認すると、便秘薬は「酸化マグネシウム」が含有されていて、胃薬はあの有名な飯田胃酸だった。
「わかりました」
「何がわかったのよ。私は何もわからないわ」
「藤原さん、結論から申しますと、今困っていることは、最初にお話が出来ていれば、すべて解決出来たと思います」
「はぁ? 薬剤師のあなたに何ができるのよ?」
「えぇ、藤原さんのおっしゃる通り、薬を処方できませんし、歯の処置もできません。でも私は薬剤師です。医者が処方した薬を、正しく使ってもらう事はできます」
「なによ、急に偉そうに」
「今からご説明します」
 俺は軽く深呼吸をした。ポイントは「ジクロフェナク」「ベタメタゾン・d-クロルフェニラミンマレイン酸塩配合剤」「セフジニル」「酸化マグネシウム」「飯田胃酸」の五つの薬だ。ここからかっこいいぞ俺。



「藤原さんは忙しいので、一日に耳鼻科とクリニックと歯科に受診しました。それぞれのクリニックからは処方箋をもらい、薬をもらいに来ました。それぞれの処方箋の内容には問題はありませんでしたが、三枚合わさると問題がでてくるのです。しかも、現在お使いの市販薬との組み合わせは最悪です」
「え!? マジで?」
 えぇ、マジですとも。薬剤師の私が言っているのですから。
「藤原さんの胃痛の原因の一つはジクロフェナクです。ちなみに、ジクロフェナクは毎日飲みましたか?」
「ちゃんと処方された通り一日三回で飲んだわよ。悪いの?」
「いえ、痛みがあるのであれば、飲んで構いません。ジクロフェナクは痛み止めとしては非常に効果が高いのですが、そのかわり副作用もあります。その1つが、胃を荒らしてしまう事です。ジクロフェナクは胃壁を薄くしてしまい、連用すると胃潰瘍を起こす可能性があります。普通、そうならないように胃薬と一緒に処方される事が多いのですが……」
「胃薬? 断ったわよ。当然でしょ? だって、私飯田胃酸飲んでるからいらないじゃない」
 飯田胃酸。いーい薬ですが、さすがに力不足だったかもしれない。
「もしかしたら、飯田胃酸では、弱かったかもしれません。もちろん、それだけが原因ではありません」
「他に原因?」
「耳鼻科から処方されたベタメタゾン・d-クロルフェニラミンマレイン酸塩配合剤です。このお薬はステロイドが入っており、炎症を強力に抑えてくれる代わりに、痛み止めと飲むと胃を荒らしやすくなると言われています。さらに、藤原さんは普段から忙しくされていて、たくさんのストレスを抱えていませんか? ストレスも胃痛の原因です。これらの複数の理由が重なって、今回胃潰瘍になりかけたのだと思います」
 俺は言い切った。逆ギレでもされてるかもと思って、藤原さんを見ると意外にも落ち着いた様子だ。むしろ、少し不安そうにも見える。
「痛み止め飲まなくて生理乗り切れるかしら」
 不安の原因はこれか。
「婦人科にはかかりましたか?」
「婦人科? どうせ、婦人科なんて女が集まってみんなで暗い顔して下を向いているんでしょう?」
 なんという偏見。今時婦人科にこんなイメージを持つ人がいることが驚きだ。
「最近の婦人科はとても綺麗で、予約すれば他の患者さんに会わなくてすむところもありますから、生理痛がひどいなら一度みてもらうのが一番ですよ」
「え~、でもなんか気が進まないわね」
「ただの生理痛ならまだ良いですけど、他の病気だといけませんから」
「そうね。検討するわ」
 ここまで言って、検討するか……。なんとも強情な人だ。しかし、まず一つ目の胃痛の原因については説明できた。
「それで、他には?」
 おっ、ちょっと情勢が変わった。藤原さんに生えていたツノが徐々に引っ込み、真っ赤な顔が徐々に肌色になり、赤鬼から人へ戻ってきている様に見える。この勢いで次の問題だ。
「次は、歯科です」
「歯医者も!?」
「はい。前回、歯科は親知らずの抜歯でしたよね?」
「そうよ。抜いたところが化膿するかもしれないからって薬がでたんでしょ?」
「その後いかがですか?」
「それが、まだ……。ちょっと膿んでるみたいで今日もかかったら薬がでたわ」
 藤原さんは右ほほを押さえながら言った。
「それも薬のせいかもしれません」
「なんでよ! 何か間違えてたの?」
「いえ、薬は正しい量で処方されていました。ただ、これも飲みあわせが悪くて、効果が十分発揮されていなかった可能性があります」
「えぇ!? ちょっと待ってよ」
 ここは待たずに一気にたたみかける。
「本来なら下剤や飯田胃酸はセフゾンと時間をずらさなければいけませんでした。時間をずらして飲んでいましたか?」
「面倒だから一緒に飲んでたわ」
 まぁ、そうでしょうね。留守電にはちゃんと時間をずらして服用するよう入れたのですけどね。
「それで、セフジニルの効果が不十分だったのかもしれません。ちなみに、今回処方されたアジスロマイシンは一緒に飲んでも大丈夫ですので、ご安心ください」
「え? 抗生剤でもいいの?」
「はい。抗生剤でもいろいろ種類がありますので、飲み合わせが悪くないものもあります。今回処方された薬はアジスロマイシンSRです。このお薬はこの前の薬のように、下剤と一緒に飲んでも大丈夫です。でも、そのかわり、食事の前後二時間はさけて下さい」
「前後二時間さければ良いのね。わかったわ。その間、何も飲んだり食べたりしないわ! 水も飲まない!」
「いえ、水は飲んで大丈夫ですよ」
「あっ、そう」
 なんとも極端な人だ。でも、冷静になれば案外素直だなこの人。
 さて、これで解決かな。
「あんた意外とやるじゃない」
「あ、ありがとうございます」
 なんだか褒められた。なんか気持ち悪くて背中がむずむずするな。
「とりあえず、あんたの言う通りにしてみるわ」
「はい、信じてください」
 藤原さんは会計をすませると今日も薬の入った袋を、ガッとつかんでは薬局を去っていった。

「ねぇ、やっぱり真澄ちゃんあの人の事好きなんじゃないの?」
 事務の鈴木さんが俺に近寄り小声で言ってくる。
「だから、ありえないから」
 俺が好きなのは「優しい藤原恵美子さん」だし。
「でも、今日の藤原さん、最後の方ちょっと優しかったよね」
「この前に比べればね」 
 鈴木さんは良く見ているものだとつくづく思う。
「でも、良く見たら綺麗ない人だと思わない?」
「うーん、まぁそうかな」
「真澄ちゃん的に見た目はタイプじゃないの?」
「怒ってなければ綺麗だとは思うけど、好みじゃないね」
「じゃぁ、逆に年下で小柄な子がタイプだったり?」
「それは一番嫌い」
「何で?」
「前、そういう人と付き合って散々な目にあったから」
「何それ。詳しく教えて」
「貢がされて、浮気されて、捨てられた」
「あっ、ごめん。変な事聞いて……。でも、だから、年上好きなの? 久美子さんとか」
「久美子さんの事は……」
 やばい、完全に話が誘導された。鈴木さんにはめられた。
「みんな、真澄ちゃんが久美子さんの事好きって知ってるよ?」
「まじで?」
「うん、気づいていないのは真澄ちゃんと久美子さんくらいじゃないかな」
「マジか。いや、でも……」
 他のスタッフがみんな気づいていたのか。しかし、気づいていて誰も何も言わないのか。途端に恥ずかしくなり俺はキョロキョロと周りをみわたすと、視線の先には久美子さんがいて、目があった。
「ちょっと、真澄君、鈴木さん。おしゃべりしてないで仕事しなさい」
「はーい」
「はーい」



 一ヶ月後。
「今日もお薬よろしく!真澄ちゃん指名で!」
「ま、真澄ちゃん?」
「あれよ。そこに立ってるごぼうみたいな男よ」
 藤原さんは声がでかいので、調剤室の奥まで聞こえる。ごぼうみたいな男というのは、間違ってはいないがもう少し言い方を……。とりあえず、藤原さんに挨拶に行くけど。
「藤原さん、こんにちは」
 俺は全力の営業スマイルで藤原さんにあいさつをした。
「真澄ちゃ〜ん、今日もよろしくね」
 なんだろう、今日はやけに馴れ馴れしくて気味が悪い。
「今、お薬用意しますので、お待ちください。今日はお急ぎではないですか?」
「病院と薬局に来るときは、急ぐのはやめたの。今日は休みだからいくらでも待つわ」
「そうでしたか。今、お薬用意しますのでもう少々お待ちください」
 さて、藤原さんにいくらでもいられてはこちらも困るので、ちゃっちゃと調剤して、さっさと投薬して帰ってもらおう。
 俺は速攻で薬を調剤し、ダブルチェックも自分で行い、すぐに投薬カウンターへまわった。
「藤原さん、お待たせいたしました」
「あら、今日は早いじゃない」
 いや、前回と同じくらいだけど……。もちろん、それは口に出しては言わない。
「今日は消化器内科と婦人科ですね。歯科は今回かかられなかったのですか?」
「歯医者の薬はないわ。この前のアジスロマイシンがすごく効いたみたい。もう大丈夫だって」
「そうですか。よかったですね」
「あなたのおかげね。ちゃんと説明されなかったら、正しく飲んでなかったと思うわ。他の薬の事も教えて」
 なんと素直な。自分から教えを乞うとは信じられない。本当に同じ人なのだろうかと、目をこするが目の前に立っている人の顔が変わる事はなかった。
「クリニックの薬は、ランソプラゾールとミソプロストールが一カ月分です。もう胃痛など、症状はありませんか?」
「おかげさまで、すっかり良くなったわ」
「お腹下しちゃう事はありませんでしたか?」
「それもないわね。快調快便よ」
「何よりです。ランソプラゾールは下痢する人もたまにいますし、ミソプロストールも下痢が報告されてるので、ちょっと心配していたのです」
「私の事心配してくれてるの?」
「えぇ、まぁ」
 なんだか、今日は恥ずかしいな。それと、今日は婦人科の処方箋もある。これについても話さなければいけない。
「ところで、婦人科かかられたのですね」
「そうよ。あんたに言われたから受診してみた。行ってみたら全然薄暗くなくていいところだったわ。あんたの言う通りね」
 藤原さんはそう言うと、俺の肩をバシバシ叩いた。ちょっと力が強くて痛い。
「そうですか、それは良かったです。それで、今回処方された薬は芍薬甘草湯とブスコパン、アセトアミノフェンですね」
「私、月経困難症だって。変な病気じゃなくてよかった。とりあえず生理中はアセトアミノフェン毎日飲むように。ブスコパンと漢方は痛い時に頓服で飲んで、どっちが効くか試してみろって。漢方って効くのかしらね」
「芍薬甘草湯は効果が出る事も証明されていますので、安心して服用してください。それと、ジクロフェナクはまだ残っていますか?」
「まだ七日分残っているわ。でも、もう飲まないわよ」
「えぇ、そうしてください。せっかく胃がよくなっているところですので」
「今日のアセトアミノフェンでも胃が痛くなるのかしら?」
「アセトアミノフェンは前の薬のように胃を荒らしませんのでご安心ください」
「それなら、良かった。他には何か気をつける事ある?」
「今回処方されたブスコパンは眠くなる事があるので、服用したら車の運転はしないでください。それと、お仕事忙しいかと思いますが、無理はしすぎないようにしてくださいね」

「ありがとう」

 あ、ありがとう……。この人お礼が言える人なのか。しかも笑顔で。でも、今日の雰囲気を見ている限り、本当はそんな人なのではないかと思ってしまう。
「私、薬の事も薬剤師の事何も知らなかった。飲み合わせが悪い薬や、薬には副作用があるってこと。真澄ちゃん、これからもよろしく頼むわね」
「こちらこそよろしくお願いします」
 きちんと対処されると、どうしてもドギマギしてしまう。なんだろうか、この毛恥ずかしさ。
「それと、これ。先日はご迷惑をかけてしまったので、みなさんで食べて。地元の銘菓ミートサブレ」
「ありがとうございます。スタッフでいただきます。あっ、ご実家は足利なんですか? 実は私の父方の実家が足利なんです。だから、中学までは足利で過ごしていました」
「え? 本当に!? 中学どこ?」
「中学は二中です」
「あんた、私とおな中じゃないの!」
 ってことはもしかして「あの藤原さん」の親戚だったりするかもしれない、と一瞬頭をよぎった。でも、もうあの人の事はいいんだ。頭の中に浮かんだ「あの藤原さん」を振り払った。
 その後、思いがけない同郷話で俺たちは盛り上がった。
「じゃあ、また来るね。次回も指名するから!」
「お待ちしております、先輩」
 先輩こと、藤原さんは俺に手を振って薬局を出て行った。それを見て、薬局事務の鈴木さんが俺に駆け寄ってきた。
「真澄ちゃん、あの人最初に来た時とは別人みたいだけど、どうしちゃったの?」
「もともとああいう人なのかもしれません。前回は体調不良とストレスが溜まっていたから、あんな態度だったんだと思うよ」
「なんか信じられなーい」
「最初の印象だけで人を決めつけちゃうとお互い損するのかも。あっ、そうだ。さっきもらったミートサブレ休憩室に置いてきますね」
「これ有名なお菓子なの?」
「地元じゃちょっと有名で、書家の相田みつをって知ってます? その人の「逢」って文字が型どられているサブレで、「Meet」つまり「良き出逢い」という意味なんですよ」
「へぇ~。真澄君っていう良い薬剤師さんに出会えて良かったって事じゃないの?」
「え? そうだったら良いですね」
 本当にそうなのかはわからないが、お菓子はありがたくいただくことにしよう。
「あの人、真澄ちゃんの事好きなんじゃないの?」
「いやいや、それは困るから」
「真澄ちゃんは久美子さん一筋だもんね」
「……」
 まったく返答に困る。こういう時は無言に限る。
 俺が好きなのは「思い出の藤原さん」であって、「クレーマーだったけど実はいい人の藤原さん」ではない。

 そうそう俺の初恋相手である「思い出の藤原さん」とは結局どうなったかというと、家が近所だった事もあり、俺が退院してから何回か道で会う事もあった。そんなときはここぞとばかり、長話をしていた。だいたい恵美子さんの大学で勉強している内容を聞いたりして、この時俺は恵美子さんに少しでも近づきたくて薬剤師を目指そうと思ったのだと思う。
 その後、恵美子さんは「細胞はみんな生きている」がアニメ化された後すぐ入院してしまって、その後は顔をあわせる事もなく、この世を去ってしまった。俺は病院まで会いに行く事もできた。実際、入院している病室の前まで行ったけれど、あと一歩が踏み出す事が出来ずにいそいそと帰った。当時の俺には勇気が無かった。一つの命が無くなるという現実に立ち向かう事が出来ず逃げだした。そして亡くなった事はインターネットで知った。
 作家の藤原恵美子死去
 検索サイトのトップニュースにこの一文を見た時、信じる事が出来ずに、他のサイトも見てみた。しかし、どのサイトでも同じ記事が載っていた。
 事故を起こして入院した時、意識を失って倒れていた俺を救急車で病院に運んでくれて、俺の手も握ってくれた。あの柔らかく暖かい手を思いだし、号泣した。
 もう二度と戻ってこないあの温もり。さよならさえ言えなくて、何もお礼ができなかった自分の不甲斐なさ。好きな人に好きだと言えなかった情けなさ。
 今度はそんな事が無いようにしよう。そう思って俺は久美子さんの後ろ姿をじっと見つめた。

「ねぇ、真澄ちゃんいい事教えてあげる」
 また、事務の鈴木さんが俺に耳打ちする。よっぽど暇なのだろう。
「なに?」
「久美子さん、彼氏いないよ」
「おっ」
「しかも十年」
「まじか」
「それと悪い事も教えてあげる」
「え? それは聞きたくないかも」
「久美子さん、この薬局辞めるかもよ」
「嘘でしょ!?」
 俺はつい大きな声を上げてしまった。すると、奥から久美子さんが出てきて。
「ちょっと二人とも、いい加減仕事しなさい!」と、叱責する。俺たちは、「はーい。すみませーん」
 と、平謝りをして仕事に戻っていった。
+注意+
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