くどうくん、と。さらっと流すようで丁寧に紡がれるその言葉が、声が、俺を何度も救ってくれていたのだと。
気付くのはいつも無くしたあとだ。
博士が泣きながら灰原の声が出なくなったのだと、病院で語った。原因はわからないまま、翌朝目が覚めたらこんなことになってたらしい。
「入るぞ」
当の灰原は落ち着き払った様子で、見舞いに訪れた俺を一瞥して絵本をパラパラめくる。
看護士さんの差し入れかテーブルにはいくつもの童話の本が無造作に置かれいた。
「平気か?」
灰原はターンテーブルに置かれたスケッチブックに手を伸ばし、開いて(名探偵ってヒマなのね)と書く。
「お前が心配で来たんだよ」
彼女は、俺にペンを渡しスケッチブックの自分の字の下辺りをトントンと指で叩く。
「書けっての?」
こくりと頷くものだから、俺はベットの端に掛けて言った言葉を綴る。
(別にたいしたことないでしょ。みてのとおりよ。たくさん事件が待ってるんだから早くいけば?)
(なにかあったんだろ?)(しつこいわよ)
(昔からそーだよな)
(なにが?)
(都合悪くなると俺のこと遠ざけようとする)
スケッチブックから顔を上げると、曇った瞳と視線がぶつかる。
(ま、いーけど。)
俺は書いて紙をめくる。(それよか、天気もいいし、出掛けよーぜ)
(どこに?)
(米花科学館)
(昨日からプラネタリウムの内容が新しくなったってさ。ホームページに載ってた)
(服もないのに?)
(黒羽からワンピース預かってるぜ)
(それ観たらティアナでパスタ食べねぇ?)
(帰りにオメーの好きなノクターンに寄って紅茶飲んでさ)
(夜はミートローフを作るか)
「あらあら? デートの約束?」
いつの間にか背後にいた医師が笑みを称えて悪戯っぽく聞いた。
「そーです。俺ら付き合ってるから」
真顔で言った俺に彼女はそっかぁ、と呟くといきなり屈み込んで額にデコピンをかました。
突然の痛みにうずくまると真摯な声が降ってくる。
「失格」
「なにが、ですか?」
「恋人失格。−−だめじゃない。小学生が過労で倒れるなんて普通考えれないわ。親御さんには心配かけたくなくて無理に取り繕うことだってあるでしょ?」
気付かないの、とは言われなかったけれど。ずきん、と響いた胸の痛みに灰原を見遣る。
「症状は声だけだからね。帰りたかったらいつでも帰ってもいいわよ」
引き戸に手を掛けた彼女は一度振り返り少し笑う。
「私もあんまり好きじゃないわ」
ドアが閉まった後で俺は彼女が見ていた視線を追った。重なった本とは別に脇に一冊の本。『人魚姫』
助けてもらった相手を勘違いし、別のお姫様と結婚した王子。声が出せない人魚姫は事実を打ち明けることなく海の泡となった。
(想いを伝えるのは言葉だけじゃないでしょう)
俺の視線を辿った灰原はサラサラ綴った。
(俺は待つって言ったよな?)
同じように解毒剤を飲んだのに、灰原には効かなかった。
「やめたんじゃないのか、研究」
(やめれない)
「なんでだよ」
(早く、あなたと並んで歩きたいから)
何を言えば、どうすれば灰原に届くんだろう。
正直悲しくなった。こんなに近くにいるのに、心の距離の遠さが哀しい。
「作った解毒剤を飲んだんだろ?」
(でも、ダメだった)
しょぼんと俯く灰原の左手を握りしめる。
(俺のこの手は灰原と繋ぐ為にあるから)
手元に引き寄せたスケッチブックに書いて閉じる。
「俺、灰原に名前呼ばれるの好きだよ。コナンの時からずっと、その声が俺を救ってくれてた。だから、今は俺が何度でもお前の名前を呼ぶから。灰原」
偽りの名前だと彼女は言うけれど、彼女を大切に思う人と、変わろうと自身がつけた誓いのような共作。
今度は俺が力なりたい。どんなに時間が経っても変わらないものがあると彼女が気付くまで−−。
End
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