その後
あの出来事から、五年が過ぎた。
私は、結婚し、子どもも生まれ、絵に描いたような幸せな暮らしをしている。
不満など、何一つない。
あのときは、この世の終わりが来たような気になっていたが、いまこうして、当時のことを思い出しても、あの鋭い痛みは、もうどうやっても蘇らない。
「忘れて」しまったのだ。
どうしようもなく、思い出せないのだ。
それでも、あのときの問いは、未だ、私のなかにある。
あの日、一体、何が「終わった」のだろう、と。
警察署に呼ばれ、自分がやったのだと認め、持ち主に謝って──それで、何が終わったのだろう。
結局、胸のもやもやが晴れました、程度の終わりでしか、なかったのではないだろうか。
罪とはなんだろう。
裁きとは、なんなのだろう。
どんな罪を犯しても、裁きを受ければ「終わる」のだろうか?
何をしても、許してもらえば、「終わる」のだろうか?
決して、そうでは、ないはずだ。
物なら、壊しても直るかも知れない。
しかし、被害者、加害者両方の心に、どうやっても、事実は残る。
終わりなど、どうやっても、来るはずがないのだ。
だからずっと罪の意識に嘖まれなければならない、というのでは、決してない。
ただ、「終わった」などという愚かな勘違いだけは、してはならない。
悔いていようが悔いていなかろうが、裁きを受けようが受けまいが、事実そのものには何ら違いはないのだ。
悔いているから、それでいい。裁きを受けたから、もう終わったことだ──そういうことでは、ないはずだ。
胸を張って、いえる。
私はいま、幸せだ。
ただ、あのときの痛みは、やはり忘れてはいけないと思う。
どうあがいても、あの鮮明な痛みは蘇らないが──それでも、一生、私は思い出すだろう。決して、忘れないだろう。
それが償いだというのではない。
それが、加害者の義務だと思うからだ。
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