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モンスターのご主人様 作者:ショコラ・ミント/日暮 眠都

3章.ありのままの彼女を愛して

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22. 蜘蛛糸に捕らわれる

(注意)本日三回目の投稿です。











   22


「やはり、これは妾の気のせいではなさそうだ」

 言いながら、ガーベラが顔をあげた。
 長く地面に向けて垂れた白い髪の間から、女神でさえ裸足で逃げ出しそうな美貌が現れる。

 どきりとした。
 向けられたガーベラの眼差しが、どこか責めるようだったからだ。

 居心地の悪さに目を逸らしかけて、そんな自分に気付いたおれは、改めて彼女に向き直った。

「……なんだ、ガーベラ」

 尋ねたところで、わずかな痛みが喉に走った。
 喉がからからに渇いていた。飲み下そうとした唾が、荒げた息に絡む。

 けほ、と軽く咳をしてから、おれは続けた。

「というか、話をするなら別に、移動しながらでも……」
「さっき、妾が合流したときのことなのだがの」

 ガーベラが、おれの言葉を遮った。
 強い視線は、変わらずおれに向けられたまま、艶やかな唇が開かれる。

「お主、妾が近付いておったことに、気付いておらんかったな?」
「は?」

 おれは自分の耳を疑った。

 いま、なんと言っただろうか。
 ガーベラが近付いていることに、気付いていなかった?

 それが、どうしたというのだろうか。

「ローズ殿は、気付いておったようだったぞ」

 おれの表情の変化を気にした様子もなく、ガーベラは続けた。

「……なんの話だ」

 少し口調にとげが混じった。
 この緊急事態に、わけのわからない話を突然始められたのだ。誰だってこうなるだろう。

「それが、足をとめてまで話すようなことか」
「そう判断したから、妾はこうしておる」

 やや強い語調でおれがたしなめても、ガーベラは退かなかった。
 その赤い瞳は、おれを捉えて揺るがない。

「お前……」

 居心地の悪さはいや増して、苛立たしさが頭をもたげた。

 状況がわかっているのかと怒鳴りつけたくなる衝動が、胸の奥底から湧きあがる。
 こうして足をとめている間にも、リリィは遠ざかっているのだ。こんなことをしている場合ではない。

「……いいか、ガーベラ。いまは緊急事態だ」

 おれはすんでのところで、自分の感情を抑えつけた。
 それでも、語尾が震えるのだけはどうしようもなかったが。

「おれだけじゃリリィを救い出すことはできない。さっきから言っている通り、お前の力が必要なんだ。協力してほしい」

 力を合わせなければ、到底、リリィを取り戻すことはかなわない。

 おれはひとりでは駄目なのだ。
 これはリリィがかつて、おれに教えてくれたことでもあった。

 モンスターを率いる主として、おれがどうあるべきか。
 眷属と手を取り合って、協力し合っていくのが、主人としてのおれの在り方だ。

 ましてやいまは非常時だ。
 ここで不用意に感情を爆発させて、ガーベラとの間に不協和音を作るなんて、もってのほかだ。落ち着いて話をしなければならない。

 そう自分に言い聞かせることで、おれは自分自身を抑制した。

 だが、そんなおれの姿を見て、ガーベラは唇を噛んだのだ。

「……やはり、リリィ殿でなければならんのか」
「なにを……?」

 嘆くようにガーベラが口にした言葉に、おれは眉を寄せた。

「なにを言っている、ガーベラ。お前だって、リリィのことを取り戻したくないわけじゃないんだろう?」

 そんなはずなかった。
 おれの知る限り、ふたりの関係は良好だ。実際の年齢差とは食い違うが、ガーベラは同じ眷属として、姉であるリリィを慕っていた。
 それが見せかけだったはずもない。

「ひょっとして……リリィだから、おれがこうして必死になっていると思っているのか?」

 思い付いた可能性を、おれは口にした。

「だったら、それは違うぞ、ガーベラ。これがガーベラであっても、おれは同じように取り戻そうとした」

 ガーベラに限らず、連れ去られたのがリリィ以外の眷族であったとしても、おれはいまこうしているように、高屋を追ったはずだ。

 嘘ではない。
 だが、ガーベラは首を横に振った。

「……それはどうかの」

 ガーベラの声色は彼女らしくもなく、どこか皮肉に笑うようだった。

 そうした態度に、再び苛立ちを抱きかけたおれだったが、ガーベラの顔を見たところで、そんな衝動的な感情は吹き飛んでしまった。

「多分、違うのではないかと思うよ」
「……ガーベラ?」
「攫われたのがリリィ殿でなければ……ここにリリィ殿がいたのだからな」

 言葉に漂うのは、ただただ、無力感だった。

 いまは四本しかない脚で、ガーベラが不自由そうに歩み寄ってくる。
 ゆらゆらと不安定な足取り。まるで強い雨に打たれる花のようだ。

「妾の力が必要だと言ったな。ああ、それはそうだろう。力を合わせねば、リリィ殿は取り戻せないのだから」

 よろめきながらも、ガーベラはおれから目を離すことはなかった。

「だがな。必要なのは、力だけか?」
「……」
「力を合わせるとは、そういうことではなかろ?」

 肩を掴まれる。
 ガーベラの美貌が、息の届くところに近付く。

 悔しげに唇を噛んで、彼女は眉を寄せていた。

「……なんて顔、してるんだよ」
「それは、妾の台詞だ」

 確かに、その通りだった。

 血のように赤いガーベラの瞳が、焦燥感に擦り切れそうな少年の顔を映し出していた。
 なるほど。これが、いまのおれか。

 これは……酷い。

「不安をひとりで抱え込むな。焦燥をひとりで噛みしめるな」

 掴んだおれの肩を、ガーベラが揺らした。

「自分では気づいておらなんだろうがな……お主、まったく余裕がないぞ。誰でも簡単に気付けるようなことも見逃しておるのが、その証拠だ」

 ――どうにかしてガーベラと合流しなければと考えながら、すでに彼女が近くにまで来ていることに気付かなかった。
 ――飯野と同行していた高屋が、リリィの正体を知っていることを見逃していた。

 これだけわかりやすい見落としをしているのだ。他にも見落としていることがあるかもしれない。

 惨憺たる有様としか、言いようがなかった。

「……自分では、落ち着いているつもりだったんだが」
「それほど、お主は強くなかろ」

 それも、ガーベラの言う通りだった。

 ――大事なリリィを奪われてしまって。
 ――リリィを奪った高屋には、水島美穂を喰わせた負い目があって。
 ――高屋が道を踏み外したのは、おれのせいだと責められて。

 そんな諸々をひとりで抱え込んだまま、それでも平然としていられるほど、真島孝弘は強くない。

 そう認めた途端、先程から感じていた疲労が大きくなった。
 正確には、感じていなかった疲労が、ようやく感じられるようになった、というのが正しいか。

 知らず、追跡に熱が入り過ぎていたらしい。
 完全にオーバー・ペースだった。

 さっきガーベラが話していた通り、リリィがいますぐ害される可能性は低い。
 それなのに、焦って全速力で追いかけて、結果、高屋に追いつく前に消耗し切ってしまっては、世話がない。

 ガーベラがとめるわけだった。

 体内に魔力を巡らせることで、体力の回復を促しながら、おれは情けない気持ちを噛み締めた。

 リリィに教えてもらったことを、全く実践できていなかった。
 協力しようなんて口にしながら、形をなぞっているだけだった。
 これまでは、できていたはずだったのに。

 今更、どうしてこんな失敗をしてしまったのか。

「ここにリリィ殿がいれば、なんの問題もなかったのであろうがな」

 ガーベラが、おれの疑問に答えをくれた。

「リリィ殿になら、主殿は不安を吐露できたであろうからな。だが、リリィ殿は攫われてしまった。残念ながら、ここにいるのは妾だ」
「残念、なんてことは……」
「気休めはよせ。主殿にとって、リリィ殿が特別過ぎるほどに特別なのは知っておる」

 言いかけたおれを、ガーベラはかぶりを振ってとめた。

「第一の眷族。主殿の心に、最も近い眷属。逆に言えば、それは……妾たちが、主殿の心から少し遠いということだ」
「……」
「だからな、主殿よ。妾は自分にリリィ殿の代わりが務まるなどと、傲慢なことは思っておらんのだ。抱き合って、分かち合って、心を溶け合わせるのは……恋人であるリリィ殿だけの特権だ。妾では足りぬ」

 わかっているのだ、とガーベラは笑った。

「ゆえに、縋りつけなど言いはせぬよ。抱き返せとも言わぬ。それは、いまだ想いに応えてもらっておらぬ妾にできることではないと弁えておる。無論、妾の想いに応えろなどとは言わぬ」

 肩に乗せられていた手が、おれの背中に回された。
 羽のように軽い抱擁だった。それでいて、まるでおれを包み込むような。

「ただ、せめて寄りかかってはくれんか。ほれ、以前に一度、そうしてくれたことがあったであろ?」

 ガーベラが言っているのは、彼女とふたりきりで森を探索していた頃の出来事だろう。
 コロニーで負ったトラウマに打ちのめされたおれに、ガーベラはただ寄り添ってくれた。

 なるほど。あのときのことを思い出して、ガーベラはこうしてくれたのか。

「ほんの一部でも、主殿の心が楽になるのなら、妾はそれでかまわぬのだ」

 自分以外の他者の体温。パスで伝わる彼女の心。
 不安が、ほっと溶ける。

 ガーベラの心に包まれている。
 そう感じながら、なぜだろうか。おれは、ガーベラとまだ名付けられる前の『白いアラクネ』に出逢ったときのことを思い出していた。

 不幸な出逢いだった。
 むしろそれは、遭遇と表現すべきものだった。

 おれはひとり、アラクネの巣に攫われてしまった。
 膨大な白い感情に晒されて、塗り潰されて、心が折れてしまいそうになった。
 蜘蛛の糸でがんじがらめにされて、籠のなかの虫のように囚われた。

 ――妾はな、主殿。いまでも変わらず、お主のことを、この手に捕えてしまいたいよ。

 もちろん、あの暴力的な束縛と、この温かな抱擁は、まったく違ったものだ。
 ガーベラは、おれの弱った心を支えようとしてくれている。伝わる愛情は純粋で、一途な想いに満ちていて、とても温かい。

 だけど、本質的なところで、きっとガーベラは蜘蛛なのだ。

 そう思った。

 なぜなら、このときおれは、捕らわれたと感じていたからだ。
 あのときよりも、ずっと強く。

 どうしようもないくらい、がんじがらめに。

「……やっぱり、お前はどこか抜けてるな。ガーベラ」
「主殿?」
「お前が足りていないなんて、そんなことあるわけない」

 きょとんとした様子のガーベラに少し笑って、おれは彼女の背中に手を伸ばした。

「おれは、お前を抱きしめたら、自分の気持ちにもう歯止めは利かないって思っていたよ」

 これまでおれは、元の世界にいた頃の貞操観を引きずっていた。
 別にこだわりがあったわけではない。自分たちの関係が元の世界にはないものである以上、大切な彼女たちと向き合うためには、そのままでいては駄目だと感じていたくらいだった。

 それなのに、引きずっていた。

 そこには、ひょっとしたら、変わってしまうことに対する恐れがあったのかもしれない。

 この世界に来て、おれは様々なものを失った。否応なく変わってしまった。
 だから無意識に、自分のなかにある元の世界にいた頃のままの部分を、保とうとしてしまったのかもしれない。

 恐れは楔のように、心を閉じ込める。

 だけど、それもそろそろ、おしまいにしよう。

 おれは、ガーベラを抱き締めた。
 恐るべき力を秘めた少女の体は、おれよりも華奢で、肌は恐ろしく滑らかで、溺れてしまいそうなくらいにやわらかい。

「待たせて、悪かった」

   ***

 こうして、おれは白い蜘蛛の糸に捕らわれた。
 もう逃げられない。

 逃げるつもりもなかった。

 そして、それと同時に、おれのなかにあって、おれのことを縛り付けていた楔が、またひとつ抜け落ちた。

 大切な彼女たちとの交わりを経て、これからもこの異世界で、真島孝弘という存在は変わっていくのだろう。
 良きにせよ、悪きにせよ。

 そんなことを、おれは思って――。

「ふぁああああああ!?」

 ――ガーベラが突然、大声をあげた。

 びっくりして、それでも抱き締めた腕は解くことなく、おれは間近にあるガーベラの顔を凝視した。

 抱き締めていたはずのガーベラの両手はバンザイの形になって、下半身の蜘蛛脚は落ち着かず、きちきちきちきちと蠢き始める。
 脚が足りない状態でそんなことをすれば、当然、バランスを失ってしまう。

「う、うわっ!?」

 ガーベラのことを抱えて、おれも地面に膝をついた。
 目と鼻の先にある、真っ赤になった顔が可愛い。ぱくぱくと口が空回りしてから、短く言葉を紡いだ。

「お、驚いた」
「それはおれの台詞だ。どうした?」

 喜んでもらえると思ったのだが。
 この反応は、ちょっと予想外だった。

「い、いや。嬉しかったのは確かなのだがな」

 違った。喜んではもらえたらしい。
 ……でも、だったら、どうして?

 おれの疑問の視線に、両手をばんざいで上げたまま、ガーベラは答えてくれた。

「嬉し過ぎて、うっかり抱き締め潰してしまいそうになった」
「怖ぇよ」

 抱き締め潰すなんて言葉、初めて聞いた。

 どうやら効果があり過ぎたらしい。さっきまで、おれのことを逃がさないと据わっていたはずのガーベラの赤い目は、いまはぐるぐる泳いでいた。

「どうしよう。どうすればよい? 興奮し過ぎて、力の加減が利きそうにないのだ」

 下手な冗談だ。
 と、思いたいところだったが、蜘蛛脚が地面を耕しているのをみると、あながち冗談ではないらしい。

 ガーベラから身を離して、おれは溜め息をついた。

「抱き合うのは、ガーベラがきちんと自分を抑えられるようになってからだな……」
「あ、あううう……」

 ガーベラは呻き声をあげて、がっくりと肩を落とした。
 抗議めいた響きはあるが、自分が悪いことはわかっているらしい。

 ふっと、おれは思わず笑ってしまった。

 これまでのおれなら、ここで仕方がないからと退いてしまったのだろうけれど……。

「うひゃっ!?」

 こちらから抱きしめると、ガーベラが変な悲鳴をあげた。

「ご、ごごごごっ、ご主人様!?」
「うろたえ過ぎだ」

 苦笑する。手は離さない。

 おれはもう、白い蜘蛛の糸に捕らえられて、逃れられない。
 だが、そうなった以上、相手を逃がすつもりもないのだ。

「リリィを取り戻して、落ち着いたら、ふたりきりで時間を取ろう」
「そ、それは……」

 ガーベラは、かっと赤い目を見開いた。

「乳繰り合うということか!?」
「……ああ、まあ。そんな感じだ」

 ……喰いつくなあ。
 これまで我慢していた分が大きいのだろうから、半分はおれのせいか。

 それにしても、赤裸々というか、なんというか。人によっては、ひいてしまうのではないだろうか。まあ、これを可愛いと思えてしまう時点で、もうおれはどうしようもないのだろうけれど。

「そ、それでは、そのときには、せ、接吻っ! 接吻をしよう!」
「キス?」

 喰い気味にまくしたてて、ガーベラはこくこく頷いた。
 おれは少し考えてから、言葉を返した。

「わかった」

 これからの困難を思えば、少しくらいのご褒美はあってしかるべきだろう。

「ほ、本当か!? 約束だぞ!」
「ああ、約束だ。だから、そのためにも……」
「うむ。必ずやリリィ殿を取り戻そうぞ!」

 おれは、抱き寄せていたガーベラから、身を離した。

 拳を握る。
 指先まできちんと神経が通っている感覚があった。

 体力は八割方回復した。ガーベラのお陰で、精神状態も平常運転だ。これならきちんとやれるだろう。

 決意も新たに、ガーベラに手を差し伸べる。
 手を取って、ガーベラが微笑んだ。

 不思議だった。これまでとは、なにかが違って感じられる。物理的な距離は普段と変わらないはずなのだが。
 お互いの空気が近いとでも言えばいいのだろうか。

 たったそれだけで、おれはなんだか力が湧いてくるような気がしたのだ。

「よし、行こう」

 出発しようとした、そのときだった。

「仲良きことは美しき哉、といったところですね」

 人里離れたキトルス山脈の森に、あるはずのない他者の声が響いた。

「主殿!」

 即座に、ガーベラがおれを声のしたほうから守る位置に動いた。

「ですが、その蜘蛛一匹では手が足りないでしょう」

 ガーベラが睨みつける先、木の影から細身の人影が姿を現す。

「良ければ、ぼくが手を貸しましょうか?」

 傍らには、ハッハッと生臭い獣の吐息。
 木陰から、影絵の軍団が太陽の下に滲み出る。

「まさか……」

 おれは、目を見開いて、現れた少年を見詰めた。

「……工藤陸」
「お久しぶりです」

 二つ頭の狼と、影の軍団を引き連れて、もうひとりのモンスター使いが微笑みを浮かべた。

◆本日の更新、ラストとなります!
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