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モンスターのご主人様 作者:ショコラ・ミント/日暮 眠都

2章.モンスターを率いる者

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16. 真島孝弘の物語

前話のあらすじ:

(一部抜粋)

 突然の少女の登場に、その場にいる全員が固唾を呑んでいた。
 目の前で起こった出来事だというのに、グリーン・キャタピラに対する彼女の攻撃は、おれの目に一切映らなかったのだ。
 信じられないことだった。

「スカート姿で動き回ってるのに、『見えない』だと……!?」
「いま言ったの誰かな!?」

(この抜粋は一部フィクションを含みます)
   16


 おれが思考を切り替えて顔を上げたのと同時に、素早くリリィは立ち上がった。

「わたしが出るね」

 ぴょんと跳びついたあやめを、リリィは胸元から服の下に匿った。おれも左手に包帯を素早く巻き直してアサリナを隠す。
 準備が整ったことを確認して、リリィはかけていた錠前をあけて、扉の隙間の向こうを覗きこんだ。

「はい。どなたでしょうか」

 慎重な対応は護衛としてのものだ。リリィは訪問者からおれのことが見えないようにしている。
 ただ、そうするとおれからも誰が来たのかわからない。
 歓待とやらの準備ができて、先程の男性が呼びにきたのだろうかと、おれが予想を立てた、その矢先。

「あ、あっれぇ?」

 なにやら素っ頓狂な声が聞こえた。
 どうやら訪問者は男性、というか、声の感じからすると少年らしい。学生たちの一人だろうか。……いや。しかし、これは。

「此処は孝弘の部屋だって聞いたんだけど、なんで水島さんがいんの?」
「それは……って、あ、あれ? あなたは確か……?」

 何か様子がおかしい。
 そう思ったときには、おれは立ち上がっていた。
 聞き覚えのある声だったのだ。
 おれは扉まで駆け寄ると、大きく開け放った。
 驚くリリィが振り返り、扉の外にいた男子生徒がこちらを向いた。
 おれより少し背は低いが、その分がっちりとした体格をした学生服の少年だ。ぼさぼさの髪が野暮ったい。かけている眼鏡越しにおれと目が合った。

「お前……幹彦、か?」

 知り合いだった。
 もっというなら、クラスメイトで友達だった。

「おう、孝弘。久しぶりぃ」

 へらっとした笑みを浮かべて、少年は片手をあげる。どうやら人違いではないらしい。

「孝弘も無事だったみたいで何より。もう知り合いになんて会えないかと思ってたよ。たはは。この世界、クリア難度高過ぎだよね。それとも、おれたちだけ難易度設定間違った? 人生ハードモードも大概にしろっつーの」
「ゲームかよ」

 と突っ込みながらも、如何にも『らしい』発言だとおれは思った。
 というのも、異世界転生・転移ファンタジーやチートについて何も知らなかったおれに、この異世界にやってきてからそうした知識を熱心に語り聞かせてくれたオタク趣味の友人というのが、この鐘木幹彦なのだ。
 コロニーではおれと同じ残留組で、チート能力を持っていなかった。てっきり、あのコロニー崩壊の日に死んでしまったのだろうと思い込んでいたのだが……

「いや、しかし、久しぶりだよなあ、ホント」
「……ああ。本当に、久しぶりだ」

 いかにも能天気そうな口調はおれの知っている幹彦のもので、目の前のこいつが幽霊や偽者ではないことを何よりも雄弁に教えてくれた。
 生きていたのだと実感が湧く。
 それが何らかの感情に変わる前に、幹彦が口をひらいた。

「まあ、それはそれとしてさ、孝弘。ひとつ訊きたいんだけど。どうして此処に水島さんがいんの?」
「……どうしてって」
「此処って孝弘の部屋じゃなかったん? おれ、そう聞いて此処に来たんだけど」

 ぶしつけといえばぶしつけな、どうでもいい問いかけだが、幹彦の表情は真剣だった。
 おれたちを見比べて深々と溜め息をつくと、大仰な仕草で天を仰ぎ、がっくり肩を落としてみせる。

「ひょっとして、これってそういうこと? そういうことなん? だとしたら、おれ、ちょっとばっかしショックなんだけど」
「あはは。相変わらずだね、鐘木くん」

 水島美穂の記憶から目の前の少年がどういった人物なのかを参照したらしいリリィが、苦笑まじりに言った。

「あれ。水島さん、おれのこと知ってんの? おれとはお喋りしたことないよね?」
「あれだけいつも騒がしくしてれば知らずにいるのは難しいんじゃないかな」
「アイタタタ! 水島さんも顔に似合わずけっこうきついねえ」

 おどけたように幹彦は自分の頭を叩く。おれはつい苦笑を漏らした。

「変わらないな、お前は……」

 本当に、変わらない。
 おれはほんの一瞬、此処が異世界であり、モンスターに襲われる危険のある森のなかで、砦のなかに用意された一室なんて非日常的な場所にいることを忘れてしまいそうになった。

 二度と会えないと思っていた友人と、こうして生きて言葉を交わすことができたことは嬉しい。
 その相手が変わらない一面を見せてくれるなら、尚更なことだった。

「うん? そうかな。そういう孝弘は、ちょっと変わったよね」
「そうか。自分ではよくわからないが」
「なんていえばいいのかわかんないけど、精悍? 男っぽくなった? なんかそんな感じ」

 自分の顔を手で触るおれに、幹彦がけらけら笑った。

「水島さんは前より美人さんになったね。二人とも大人っぽくなった……って、なにこれすげえ意味深!」
「……何を言ってるんだ、お前は」

 もっとも、おれとリリィがそういう関係なのは事実なので、幹彦の言うことは正しい。リリィを水島美穂と誤認しているところを除けば、だが。

「馬鹿なことばかり言ってないで、まあ、入れよ」

 折角来てくれたのだ。立ち話もなんだろう。おれは幹彦を部屋に招き入れる。すると幹彦は体の前で手を振った。

「あ、いや。おれが此処に来たのは、孝弘たちを呼びに来たんだよ。歓待の準備ができたみたいでね。孝弘がいるって聞いて、だったらおれがって」
「ああ。そういうことか」
「ついてきてよ。案内するからさ」

 拒否する理由はない。おれは素直に幹彦の案内に従った。
 部屋を出て煉瓦の通路を進んでいく。幹彦が半歩先導して、おれとリリィがそれを追うかたちだった。
 歩く幹彦の腰で、騎士団のものと同じ意匠の短剣が左右二本ずつ、鞘同士がぶつかって、かちりとかちりと鳴っている。変わらない友人の出で立ちのなかで、そこだけが以前とは違っていた。

「隣同士肩並べて寄り添って歩くとか恋人同士かよ畜生。距離近くね? っつーか、さっきちらっと見た感じ片一方のベッドが使われてる形跡なかったんだけど、どういうことよ」
「細かいところ見てるな、お前……」

 呆れて溜め息をついたおれは気を取り直して、リリィを挟んで向こう側を歩いている幹彦へと言葉を投げた。

「おれたちよりも先に森を抜けた生存者っていうのはお前のことだったんだな、幹彦」
「あ。よくわかったね」
「それはまあ、消去法でな」

 シランたち騎士団が保護した学生たちのなかには幹彦はいなかったし、かといってこいつは探索隊のメンバーじゃない。とすると、可能性は絞られる。
 とはいえ、その可能性というもの自体が、にわかには信じがたいものではあるのだが。

「よく生き残れたな、お前」

 無意識のうちに、口調には賞賛の響きがこもっていたかもしれない。
 コロニーの混乱を生き延び、モンスターの跋扈する森を歩いて抜けたというのは、生半可なことではない。もちろん、幸運もあったのだろうが、諦めずに森を歩き続けたというだけでも、その根性は賞賛に値する。
 ふざけてばかりの男でもないのだ。これで。

「ま。何度か死にかけたけど。でもそれは孝弘だって同じでしょ」
「……。まあな」
「それに、おれは最後まで一人だったってわけでもないしね」

 やや不自然におれの返事が遅れたことに、幸い、幹彦は気付かなかったようだ。

「おれはさ、ほうほうのていでコロニーを落ち延びて、ああもう駄目マジ死ぬって思ったそのときに、同盟騎士団の団長さんに拾われたんだよ」
「おれたちも似たようなものだけどな。おれたちは副長の方だが」
「ああ。シランさんね。彼女、あとで話をしたいって言ってたよ。孝弘には砦に着いたら色々説明する約束をしていたからって」
「そういえば、そんな話もしていたか」

 そんなのは部下にでもやらせればいいと思うのだが、どうやらシランは印象を裏切らず、律儀な性格をしているようだ。

「彼女はいま、何か話し合いをしていると聞いたが」
「うん。今頃、生き残りの学生たちの救出作戦について話をしているはずだよ」

 こくりと頷いて、幹彦は口をひらいた。

「今回、シランさんたちが回ったのは、あくまで一部の拠点だけだったからさ。あんまり学生の数が多くても守り切れないし、樹海のなかでの長時間の活動は危険じゃん。だから、いまやってるのは、シランさんに続く第二陣をどうするかって相談だね。つっても、こうして探索隊が来たからには、多分、出るのは帝国騎士団の方で決まりだと思うけどね」
「ちょ、ちょっと待て、幹彦」

 おれはマイペースに話す幹彦の話をとめた。こういうところも変わっていない……というか、直っていないらしい。

「悪いが、話についていけていない。順を追って説明してもらえないか」
「そっか。孝弘たちはまだ全然話を聞いてなかったんだっけね。いいよ。掻い摘んでってことになるけど、それで構わなければ」

 おれたちより一足早くこの砦に辿り着いていた幹彦は、どうやら此処の事情にも相応に通じているらしい。
 これはチャンスだ。道中短い間ではあるものの、おれは幹彦の話に耳を傾けた。

   ***

 幹彦の話によると、第一次遠征隊が東の地に在る別の砦――エベヌス砦に辿り着いたのが、いまから十日ほど前のことになるらしい。
 それと前後して、コロニー崩壊の報が遠征隊にもたらされる。
 このあたりの詳しい事情は幹彦も知らなかったが、水島美穂の幼馴染である高屋純が遠征隊に助けを求めて東に向かったという話もある。同じように東に向かった者がいたか、あるいはそれこそ件の高屋純が危急の報せを持って駆け込んだのかもしれない。
 次に、それからほとんど時間差なく、此処チリア砦に連絡がもたらされた。
 二つの砦にはかなりの距離があるが、こういうときのために遠隔地への連絡手段が用意されているそうだ。魔法を用いた方法らしいが、幹彦も詳しいことは知らなかった。
 こうしてチリア砦に連絡がもたらされてすぐに、同盟第三騎士団からシランが率いる数十名の団員が救助のために砦を出ることになった。
 その一方で、探索隊は速度を重視した少人数のメンバーを選抜して派遣し、これが二日前にチリア砦に到着した。砦に着くまでシランが探索隊の到着を知らなかったのは、このあたりが理由というわけだった。

「ここまでがこれまでの経緯。でもって、これからの予定なんだけど、シランさんたち同盟騎士団が帰ってくるのを待って第二陣が出発することになっててね、探索隊のやつらは自分たちも救助活動に参加するつもりでいるんだ。その第二陣が帝国騎士団。まあ、これはおれの予想だけどね」

 現在、このチリア砦には帝国南方方面軍、帝国第二騎士団、そして、同盟第三騎士団というみっつの組織が駐留している。
 明らかに所属が違う軍事組織が混在しているわけだが、それにはいくつかの理由があるらしい。

「孝弘はこんな森のなかに砦があることを不思議に思わなかった? 要塞っていうのは、外敵に備えるためのものだろ。だけど、此処から先の森のなかには人間の集落なんて有り得ない」
「それは、つまり……」
「うん。チリア砦はこの森の向こうにある人間の世界を、樹海に棲むモンスターの脅威から守るために建設されたものなんだ。つまり、この砦は人類共通の敵に立ち向かうために造られた橋頭保ってわけ。でもって、帝国と同盟っていうのは、いわゆる宗主国と属国の関係にあるんだ。この砦の状況を正確に言い表すと、『樹海に面した同盟の領内にある帝国の軍事施設に、同盟が兵を派遣している』ってかたちになるのかな」
「……ややこしい話だな」

 ともあれ、そこにどんな事情があれ、国家をあげて立ち向かわなければならないほど、この世界におけるモンスターの脅威が大きいのは事実なのだろう。
 探索隊からの救助要請に騎士団が応えたという話に関しても、そうした事情を聞いた上でなら納得がいく。要は利益の問題なのだ。
 この異世界にいる騎士や兵士の戦闘能力がどの程度のものなのかはわからない。しかし、グリーン・キャタピラと対峙した騎士たちの様子を思い返すに、チート能力者が隔絶した戦闘能力を持つことは、まず間違いないだろう。
 異世界転移なんて出鱈目に巻き込まれたおれたちは、極めつけにイレギュラーな存在だ。この世界にどんな縁も持っていないし、したがって、おれたちを助けてくれるような組織は本来存在しない。
 しかし、ここ樹海のモンスターを軽く蹴散らせるだけの力を持つチート能力者たちは、この世界において非常に有用な人材だ。その力を知った異世界の住人たちが彼らに利用価値を見出し、便宜を図ったとしても、これはそれほどおかしなことではなかった。

「それで……っと。着いちゃったね」

 と幹彦がつぶやいた。
 まだ話は途中だが、どうやら目的地についたようだ。
 おれたちが連れてこられたのは、教室ほどの大きさの部屋だった。なかには人の気配とざわめきがある。

「悪いな、幹彦。参考になった」

 まだ聞きたいことはあるが、それは別の機会にすべきだろう。短い時間だったが、有用な情報が得られた。
 おれたちは話を中断して、部屋に足を踏み入れた。

 部屋には探索隊を含めて既にほとんどの学生たちが集まっていた。話をしながらやってきたせいで、おれたちは少しゆっくりし過ぎてしまったらしい。
 歓待と言っていたが、それはどうやら立食形式のパーティであるらしい。設えられた長いテーブルに様々な料理が並んでいる。
 見た感じ、食生活はあまりおれたちの世界と変わらないようだ。パンがあって、スープがあって、豪快な肉料理が並んでいる。土地柄、魚料理はなかった。果菜や葉菜は少なめで、代わりに根菜類が多く使われているようだ。
 久しぶりのまともな料理を見て、学生たちは待ち切れない様子だった。もっとも、このあたりはおれも変わらない。喉が鳴ってしまって、隣のリリィにくすりと笑われた。

 学生たちの他にも、部屋には年配の男性が数人いた。おれたちに用意されたテーブルではなく、部屋の奥で何やら打ち合わせをしている様子だった。
 鎧兜こそ身につけていなかったものの、男性たちには立ち振る舞いに独特の凄みがあった。きっと軍だか騎士団だかのお偉いさんなのだろう。彩りも鮮やかな軍服に、老いてなお強健な体を包んでいる。
 そのうちの一人と、おれは偶然目が合った。

「……?」

 向けられる視線に圧力を感じる。おれは思わず男の目を見返した。
 睨まれているわけではない。かといって、値踏みされているわけでもない。それでいて、その視線には不思議な熱があった。
 なんだろうか、これは。
 決して悪意に属するものではない。だが、単なる善意より重たいものを感じる。
 これまでの人生でおれが向けられたことのない感情が、その視線には込められていた。
 ……居心地が悪い。おれはこちらから視線を切った。

 改めて見回してみて気付いた。
 他の男性たちも同じだった。おれを含めた学生たちを見るときに、彼らの視線には奇妙な熱がこもっている。これは、そう。敬虔な信者が宗教画にでも向けるような……

 何より不思議なのは、そんな視線を向けられていることを、おれたち以外の学生たちがなんとも思っていないように見えたことだ。
 彼らは極々自然体で、隣にいる仲間たちと言葉を交わしていた。たまにちらちらとうかがい見られていることに誰一人として気付いていない……ということはないはずだ。なのに、彼らにそれを気にした様子はない。

 気付けば、先程まで忘れていた『ずれ』の感覚が、またおれの体を足の先から捕えていた。

「お集まりいただけたようですな」

 おれたちがやってきたことで頃合と見たのだろうか。
 異世界人の一人である年配の男性が、部屋に集まった面々に呼びかけた。

「わたしはこの砦の責任者であるジェイラス=グリーンと申します」

 どうやら彼がこの砦で一番偉い人間らしい。
 彼は胸に手を当てて深々と腰を折った。おれは驚きに目を見張った。
 社会的地位もあるだろう、おれたちの何倍も年月を重ねているはずの男が、おれたちのような年端もいかない若造に対して最上位の敬意を表したのだ。
 それがどうやら単なる社交辞令ではないことは、声色からもうかがえる。男の声にあるのは、かすかな緊張と陶酔、そして紛れもない畏敬の念だった。

「ようこそ、我らがチリア砦へ。『異界より降臨せし勇者』様がた。お会いできて光栄に存じます」

 ……なんだ、それは。

 というのが、おれの正直な感想だった。
 完全に思考が停まってしまっていて、それ以外にまともな考えが思い浮かばない。結果としておれが呆然として見守る先で、男性は長々と下げていた頭をあげた。

「本来なら帝都にご招待した上で、皇帝陛下直々にご歓待するのが通例ではありますが、何分、この砦はこのように深い森のなか。このような粗末なもてなししか出来ぬことをお許し下さい」
「いいえ。それはおれたちの要望を叶えてもらったためですから。おれたちこそ、仲間の救助の手伝いをしていただいてありがとうございます。みなさんの助けがあれば、きっと他のみんなとも無事に再会できるものと確信しています」

 探索隊の大柄な男子生徒、十文字が口をひらいて男の言葉に応えた。
 礼を告げる十文字の態度は堂々としていて怖じるところがない。精悍な顔立ちに微笑みさえ浮かべ、当たり前のものとして目の前の男性の敬意を受け入れている様は、大柄な体がひとまわり大きく見えるほどだった。
 それは物語のなかに生きる主人公のような、伝説のなかで謳われる英雄のような……それこそ『勇者』としての振る舞いのように見えた。

 とんだ茶番だった。
 誰も彼も何を勘違いしているのか、とおれは思わずにはいられない。
 おれたちは英雄なんかじゃない。異世界転移なんて非日常的な出来事に巻き込まれた、何処にでもいるつまらない十代のガキでしかない。
 この異世界にやってきてからの全ての出来事は、そんな当たり前の事実をおれたちに思い知らせたのではなかったか。
 コロニー崩壊の日にあった、あの混乱と醜態を忘れたのか。
 あの無力さを、惨めさを、覚えているのなら勇者なんて夢を見られるはずがない。

 そのはず、なのに。
 そんなことを思っているのは、どうやらおれだけらしかった。
 騎士団に保護されて此処までやってきた学生たちは、特に疑問に思った様子もなく目の前の茶番を見詰めていた。
 その視線には憧れさえ宿っており、表情には称賛の色があった。

 わけがわからない。
 異世界の住人どころか、宇宙人のなかにひとりだけ紛れこんでしまったかのような違和感がぐらぐらとおれの脳味噌を揺さぶった。
 おれ以外にこの状況に違和感を覚えているらしいのは、隣のリリィだけ――

「くだらない」

 ――では、なかった。

「……幹彦?」

 それは本当にちいさなつぶやきだったので、近くにいたおれ以外には聞こえなかっただろう。
 しかし、確かに聞こえた。何より、眼鏡の下から部屋の様子を眺める冷たい視線が、おれの友人の心情を雄弁に語っていた。
 幹彦の目が、混乱するおれの姿を映し出した。

「よかった、孝弘はまともなんだね」

 ふっと唇がほころばせて、幹彦は言った。

「会食も始まったことだし、少し話をしようか。ついてきてよ」

   ***

 これまでおれは勘違いをしていたのだが、この異世界で転移者というのは、よく知られた存在であるそうだ。

「おれたちだけでも千人近く転移してきたんだ。そう不思議なことでもないだろ?」

 これは幹彦の台詞だが、言われてみればもっともな話ではあった。
 ただし、おれたちのケースには例外的なところもあって、これ程多くの転移者が同時に現れることは、これまでになかったことらしい。

 この世界を転移者が訪れるのは平均して百年に一度。
 一度に現れる人数は、普通は一人、多くて片手で数えられるくらいだそうだ。
 とはいえ、世界をまたいで漂流者がやってくるという事実は、おれたちのケースと変わりはない。
 そうして転移してきた者たちが、図抜けた力を持ち合わせているということも。

 おれはてっきり、東の地へ赴いた探索隊の保持するチート能力を知った異世界人が、彼らに利用価値を見出したのだろうと考えていた。
 実際のところは、最初から異世界人たちは転移者の有用性を承知していたということになる。
 ……いや。『有用性』と言ってしまうのは、この場合、正確な表現ではないか。
 有用だから重用するわけではない。異世界の住人たちがおれたち転移者に抱いているのは、尊敬さえ通り越した畏敬の念だ。だからこその『異界より降臨せし勇者』という発言と、畏まったあの態度なのだから。

 改めて考えてみれば、これはそれほど不思議なことではなかった。
 この世界の住人たちは常にモンスターの脅威に晒されている。
 そんな世界に常識外れた力を保持した人間が現れる。彼らはその強大な力を用いて脅威を鎧袖一触に蹴散らしてみせる。聞けば、彼らは異世界からの来訪者なのだという。
 なるほど。救世主扱いもされるだろう。そうならない方がおかしい。
 聞けば、伝承のなかで謳われる最初の勇者降臨は、それこそ、この世界の人間社会がモンスターに喰い潰される寸前のことだったらしい。
 放っておけば、モンスターの脅威は年々増大していく。ここ何千年というもの、おおよそ百年に一度という周期で『勇者』が降臨することによって、モンスターの勢力は削がれ、この世界で人間たちは息を繋いできたのだ。

 言い方を変えるなら、この世界では『勇者』という存在が、社会を維持するシステムとして組み込まれているということになる。
 当然、社会としてもそれを受け入れる体制が整っている。たとえば、言葉が通じることなんかが、わかりやすい一例だろうと幹彦は言った。

「孝弘はおかしいと思わなかった? おれたちの世界だって、数千種類って言語があったんだよ。この世界にだって、独自の言語体系くらい存在するさ。本来なら、おれたちと言葉が通じるはずがない」
「そういえば……」

 おれはグールとなった兵士たちの遺体から回収した書簡のことを思い出していた。
 あのなかには異世界のものと思われる言語が記されていた。
 保護された学生たちが当たり前のように騎士たちと話をしている光景を先に見ていたので、これまで特に気にすることはなかった。しかし、確かに言葉が通じるというのは奇妙な話だ。

「この世界とおれたちの世界の言葉は違ってる。だけど、仮にも勇者様にイチから言葉を教えるのも迂遠な話だろ。かといって、地球上の何処の地域から転移者がやってくるかわからないから、百年に一度の勇者様の来訪に備えて、こちらの世界の人間たちが地球の言葉を覚えるというのも難しい。このあたりは、孝弘にはよくわかると思うんだけど」

 最後だけ冗談めかしてへらりと笑う幹彦に、おれは眉をひそめた。

「……悪かったな、リスニングが苦手で」
「はは。そんな孝弘でも、安心していいよ。この世界ではそのあたりを魔法でクリアしてるから」

 そういう魔法技術があるらしい。わかりやすくいえば翻訳機だ。
 この世界には魔力を溜めやすい鉱物があり、それに魔法陣を直接刻みつけて『魔石』を作成する技術が発達しているそうだ。たとえば、おれが案内された部屋に取り付けられた照明や、山小屋の結界石などもその類だろう。

「……しかし、魔石か。なんていうか、随分とベタだな」
「うーん。それも仕方のないところがあるんだよ」

 そういう幹彦が語るところによると、この翻訳機は『おれたちの認識から一番それらしい単語を選び取っている』そうだ。だから同じ話を聞いていても、人によっては聞こえる単語が違ったりすることがたまにあるそうだ。
 魔力や魔法というものが実在するのなら、それをどうにかして『魔法使いという個人の技術』ではなく、『万人に利用可能な道具』に落とし込もうとするのは、人間社会として当然の試みと言えるだろう。そして、そうして確立された道具の名称が『魔石』と聞こえるのは、それはもうこちら側の都合だということだ。
 とすると、先程から話に出てくる『勇者』というのも、おれたちにとって一番それらしい言葉が見繕われたものと考えるべきなのだろう。ベタだと感じられるのは、それだけ広く共有された概念であるからだ。

 しかし、翻訳機とは便利なものがあるものだ。
 ただ、このあたりについては『お前が言うな』という話ではある。おれのチート能力は『パスという魔法的な繋がりによってモンスターと意思を通わせる』というものなのだから。
 この翻訳機はその類型だろう。ただ、便利ではあるものの取り扱いが難しいらしく、専門の訓練を受けなければ使えないらしい。

「このチリア砦にはシランさんみたいなのが何人もいるから、此処にいる間は言葉の問題では苦労しなくて済むと思うよ」

 というのが幹彦の言だが、それはつまり『何らかの理由で此処から立ち去ってしまえば、たちまち言葉の壁に苦労する羽目になる』ということだ。
 今後の展開次第では、対策を講じる必要があるかもしれない。

 ともあれ、このように転移者はこの世界で勇者として厚く遇されている。
 異世界人にとって、おれたちは英雄なのだ。
 しかし、だからといってこちらがその気になるかどうかというのは、また別の話だ。

 おれたちはこの異世界に放りこまれて右往左往する子供でしかない。言うなれば、世界を跨いだ『遭難者』であって、間違っても『勇者』なんかでは有り得ない。
 あのコロニー崩壊の日を知っているなら、勇者なんて夢を見られるはずがないのだ。

 というのがおれの意見だったわけだが……しかし、である。
 仮にあの日を知らないとするなら、どうだろうか?
 コロニー崩壊と、それに伴う災難はおれの価値観を激変させた。その変化を体験していないとすれば、話はまったく違ってくるのではないか?
 此処におれが感じていた齟齬の原因があった。

「いいかい、孝弘。探索隊のやつらは三人とも、第一次遠征隊に参加していた連中なんだ。あいつらはコロニー崩壊の事実を知っている。だけど、あくまでそれは知っているだけだ。実際にそれを見たわけでも、あの場の空気を肌で感じたわけでもない」

 百聞は一見に如かず、という言葉を引くまでもない。
 彼らは本当の意味で、コロニーで起きた出来事を知らないのだ。だからこそ、さっき探索隊の十文字は、『この砦の人間の助けがあれば、きっと他のみんなとも無事に再会できるものと確信している』なんて甘いことを言っていたのだろう。
 こうした前提のもとで、これまで探索隊の辿ってきた道のりを考えてみろと幹彦は言った。

「異世界にやってきたことで強力無比な力に目覚めて、襲いかかってくる怪物たちを蹴散らして無力な学友たちを守ってやり、いざ立ち向かうは、森を横断する大冒険。やつらにとっては雑魚でしかないモンスターを相手に無双して、底上げされた体力で前人未踏の地を突き進み、ついに人の住む世界に到着すれば、勇者様だ英雄様だと持て囃される」

 幹彦の言葉には隠しきれない皮肉があったが、言っていることは間違っていない。
 苦痛も、恐怖も、絶望も、挫折も。
 そこにはおれがこの異世界にやってきてから経験した諸々の苦難は一欠けらだって存在しない。
 もちろん、彼らにも不安はあっただろう。だが、それはみんなで励ましあって乗り越えるために用意された程度のもので、たった一人で森をさまよう心細さと惨めったらしさに比べれば、何てことはない。そんなのは英雄譚を彩るためのスパイスだ。あとはただただ、華々しい活躍だけが彼らを輝かせる……

「同じ異世界転移ファンタジーでも、物語のジャンルが違っているんだよ」

 とても彼らしい物言いで、幹彦はそれを表現した。
 そして、そのジャンル分けでいうのなら、おれとともにこの砦にやってきた学生たちは、おれたちではなく探索隊の側の登場人物なのだというのが幹彦の指摘だった。

「一口にコロニーとはいっても、それなりに広かっただろ。一時的にとはいえ、一千人が暮らしていた集落だったんだからさ。どこもかしこも均等に地獄絵図ってわけじゃなかったんだよ。さっき孝弘と一緒に此処にやってきたのは、みんな、被害に遭う前に探索隊に連れ出されて、山小屋に避難していたやつらだよ」

 似たような話を聞いたことがあった。
 加藤さんのことだ。
 彼女は崩壊するコロニーを逃げ惑ったあとで、水島美穂の幼馴染である高屋純に保護されて、山小屋へと連れて行かれたと聞いている。
 加藤さんと違って保護されることなく死に掛けたおれのような者もいれば、あの地獄を見ることさえなく保護された運のいい者もいたということだ。

「だからか……」

 おれはこの砦までやってきた道中での、保護された学生たちの様子を思い出していた。
 和気藹々とした空気。掛けられた温かい言葉。励ましあう学生たち。まとめ役の生徒。不良にいじめられっこ。現代日本で何処にでもある教室の光景を、そのまま森に持ってきたような印象を受けたことを覚えている。
 ……それがそもそも不自然なのだ。こんな世界に放り込まれてなお、彼らが変質していないことには、それなりの理由があったのだ。

 彼らはずっと守られてきた。転移の直後から、コロニー崩壊を経て、森を移動して砦に到着するまで、ずっとだ。
 思い返せば、砦のすぐ外でグリーン・キャタピラに襲われたとき、学生たちがパニックに陥ったのも当然のことだったのだろう。彼らはあのとき初めて、その身に迫る危機に直面したのだから。
 そして、またしても彼らは救われた。探索隊の手によって。
 彼らにしてみれば、探索隊はこれまでずっと自分たちを守ってくれた存在だ。異世界人の反応を見ても疑問に思う余地はない。おれたちの英雄が認められたと思うだけだ。
 いや。それだけではなかった。

「転移者は例外なく、おれたちがチートって呼んでる強大な力を持っている。この世界では『恩寵』と呼ぶんだけどね。それは、おれたち残留組の学生たちも転移者である以上、例外じゃない」

 既に自分の力を自覚しているおれは知っていたことではあるが、残留組の学生たちも、いまや自分が隠された力を持っていることを知っているのだ。
 だとすれば、彼らにとって探索隊の英雄たちは、追いつくべき先達といえる。
 いずれは自分たちもあんな風に。憧れているからこそ強くそう思うことは、決して不自然なことではなかった。

「まったく、ふざけた話さ! 何が勇者だっての!」

 話をしているうちに感情が煮立ってきたのか、幹彦は拳を握り締めた。
 その怒りには義憤の色合いが強い。
 コロニーでの惨劇を知っているからこそ、そこで失われていった命の重みを肌で実感しているからこそ、何も知らずに勇者様だ何だともてはやされて能天気に喜ぶ学生たちのことが気に入らないのだろう。
 気持ちはわかる。痛いくらいに。

 だが、その一方でおれは、それを幹彦のように表に出す気になれずにいた。

 ――よかった、孝弘は『まとも』なんだね。

 これは幹彦がさっき、この場の『異様な雰囲気』を疑問に思うおれを見て、口にした言葉だった。
 しかし、果たしてどちらが『まとも』なのか。『異様』だったのは何であり、誰なのか。そのあたりを考え始めてしまうと、おれは身動きがとれなくなってしまったのだ。

   ***

「あ」

 そうして一通り話が終わった頃のことだ。幹彦が声をあげた。
 まさに宴もたけなわという部屋のなか。探索隊の三人を主役にしたパーティに、丁度、二人の人物が入って来ているところだった。
 二人とも女性だったが、軍服を着ていることから給仕ではないことがわかる。

「団長!」

 幹彦が声を上げると、こちらに気付いた女性二人がやってきた。
 前を歩く銀色の髪を短く刈った背の高いがっちりした体格の女へと、幹彦が駆け寄っていく。あれが同盟第三騎士団の団長らしい。背の高い女に小柄な幹彦が駆け寄る図は、何処となく飼い主に駆け寄る犬めいた印象があった。
 随分懐いているらしい。おれにとってのリリィみたいなものかと考えれば、それも不思議ではないのかもしれないが。

 などと思いつつ見守っていたおれは、女性の後ろから姿を現した金髪碧眼の少女の姿が目に入って……ぽかんとした。

「エルフ?」

 やや癖のある長い髪の隙間から、先端の尖った大きな耳が覗いている。その特徴は、ゲームや漫画でおなじみのエルフのものにとてもよく似ていた。
 流石は異世界。ふつういうところのヒトではない――ホモ・サピエンスではない『人』も存在するらしい。そうすると、ドワーフやホビットなどの種族も存在するのだろうか……
 くすりと笑って、おれとほぼ同じ年頃に見えるエルフの少女が言う。

「貴殿らは、みな、わたしのことを見ると同じ反応をなさいますね」

 その微笑みは目を惹きつけずにはいられないものだ。よく見れば少女は非常に整った顔立ちをしていた。たとえるなら一輪の野花のような控え目な可憐さが、少女のなかで軍人らしい実直さと両立している。
 ただ、おれは彼女の魅力的な表情よりも、別のことに気を取られていた。

「……ひょっとして、シランさん?」
「はい。孝弘殿に顔をお見せするのは、これが初めてでしたね」

 森のなかにいる間は、ずっと全身を白い鎧で覆い、兜をかぶっていたので気付かなかった。しかし、そういって頷く少女の声は、確かにこの砦にやってくるまでの間、言葉を交わした彼女のものに違いなかった。

「これまで顔も見せずにいたご無礼をお許し下さい」

 かっちりと踵を合わせて頭を下げる。そうした動作も、これまでと同じ大仰なものだった。
 おれは微妙な気持ちで、金色のつむじを見下ろした。

「頭をあげてください。そんなの謝るようなことじゃない。それに、おれはそんなたいした人間じゃありませんから」
「なにをおっしゃいますか。孝弘殿は異界の勇者様の御一人であらせられる。あまつさえ、あの樹海を踏破された方ではありませんか」

 以前はそれほど気にならない仰々しい物言いだったが、いまのおれは、そうした態度が何に由来するものなのか知っている。それだけに、畏まられると非常に居心地が悪い気持ちになった。
 だが、おれがなんといっても、シランの勇者に対する信頼は揺るぎそうになかった。
 以前は兜に隠れていた眼差しが、表情が、彼女の抱いている信頼と期待を雄弁に物語っていた。

 これはもはや信仰に近い。
 と考えてから、おれは気付いた。

 実際、これは信仰なのだ。
 ある種の現人神と言ってしまえば、わかりやすいかもしれない。
 魔法が存在し、定期的に勇者が降臨するこの異世界では、伝説が現実のものとして息づいており、異世界からやってくる勇者に対する絶対の信仰として、この地に生きる者たちの胸に宿っている。
 この世界の人間たちがみんなそうなのかどうかは知らない。だが、少なくとも、目の前にいる素朴な彼らは信じているのだ。自分たちが命がけで戦い、堪え忍ぶことで、いずれは勇者が現れて、ともに戦ってくれるということを。
 そして、此処にこうしておれたちは降臨した。
 彼らはおれたちが勇者だということを疑いもせず、困っているところを見れば躊躇いなく救援の手を差し伸べて、敬意を払って下にも置かぬ扱いをしている。

 おれがこの服の下に鎧とともに疑いを隠しているなんて、彼女たちは考えさえしないのだろう。
 何も知らずに愚かなことだ。
 ……なんて、そんな風に思うことはできそうになかった。

 隣人を信じること。
 他人の悪意を疑わないこと。
 おれだってかつてはそうして生きてきた。
 この世界に来ておれが失ってしまった素晴らしいものを、彼らは当たり前のものとして所有している。

 そして、それはきっと探索隊を含めたこの場にいる他の転移者たちも同じことなのだ。

 これから探索隊は、この世界で勇者として活躍していくのだろう。彼らの強大な力を以ってすれば、この世界の脅威であるモンスターを駆逐することなど、害虫駆除よりも容易いことだ。逆説的ではあるが、勇気など必要ないくらいに強大な力が、彼らが勇者として活動することを保証してくれている。
 彼らに保護された残留組だって、いずれは己の力に目覚めて、英雄として生きていくに違いない。
 おれとジャンル違いの彼らの物語に、悲劇など存在しない。素晴らしいものを、そうと意識することさえなく保持したまま、彼らは勇者として生きていく。
 これもまた悪いことであるはずがない。彼らは力を正しく使おうとしているのだから。

 確かにおれは、彼らの知らないことを知っている。
 おれは崩壊するコロニーで人間の汚さを知った。絶望を覚えた。苦痛にまみれて惨めったらしく地を這う経験をした。
 だが、だからといって素朴に他人を信じている人たちのことを『わかっていない』とこきおろすのは、少し違っているだろう。

 おれは他人を疑えるようになったわけではない。信じられなくなっただけだ。
 経験から何かを得たわけではなくて、人間として大切なものを失っただけだ。

 隣人を信じられる彼らと、疑ってしまうおれ自身。どちらがまっとうかなんて問い掛けは、あえてするまでもないことだろう。

「孝弘殿?」

 不意に呼び掛けられて、おれは我に返った。
 シランが気遣わしげな目でおれのことを見詰めていた。

「あ、ああ。なんですか?」
「色々とご説明を差し上げると先刻お約束した件についてなのですが、申し訳ありません。少し待っていただけないでしょうか」

 そんなことかとおれは頷いた。

「それは構いませんが。そういえば、パーティに参加するのが遅れたみたいですけど、それも何か関係が?」
「いいえ。それはまた別件です。どうも昼のグリーン・キャタピラの襲撃が気になりまして。少し城壁の上から森の様子を見てきたのです」

 ……ガーベラあたりが見つからなかっただろうなと心配してしまったのは、彼女のうっかり加減を知っているからだ。
 スペックだけなら段違いなのに、同じことをローズに対しては心配しなかったあたり、普段の行いというのは大切だと思わされる。
 我慢しきれずに近くにまでやってきて発見されて大騒ぎ……なんてことになったら冗談では済まない。此処にはチート能力者が三人もいるのだ。大人しくしておいてほしいものだと思う。

 おれの微妙な表情を砦の防備に関する不安と解釈したのか、シランは整った顔立ちに微笑を浮かべて言った。

「ご安心下さい。恥ずかしながら、わたしの取り越し苦労でありましたから」
「そうでしたか。でしたら良かった。本当に」
「わたしはこれから、此処まで同行させていただいた方々に、ご挨拶をして回らなければなりません。そのあとでよろしければ、お話させていただきたいと思うのですが」
「ああ、申し訳ないですが、おれはそろそろお暇しようかと思います。ですから、また後日に時間を取ってもらえませんか」
「あれ? 孝弘、部屋に戻るの?」

 尋ねてきた幹彦に、おれは頷いた。

「到着したばかりで少し疲れた。悪いが、幹彦。まだいまいち地理が掴めてない。部屋まで案内を頼めるか」
「いいよ。水島さんはどうする?」
「わたしも戻るよ。真島くんだけにはしておけないし」
「了解、了解。お熱いことで。じゃ、団長。あとでもっかい来ますんで」

 団長とシランに挨拶をしてから、おれたちはその場をあとにした。
 部屋に着くまでの間、案内をしてくれた幹彦とは他愛のない話を交わした。ほしかった情報は大体手に入れられたので、おれからはもう質問はない。
 ただ、幹彦は違ったようだ。

「孝弘さぁ」

 部屋の前にたどり着き、別れようというところで幹彦は切り出した。

「あんまり思い出したくないだろうし、嫌なら答えなくてもいいんだけどさ。おれたちのコロニーが終わったあの日のことなんだけど、ひとつ訊いてもいいか」
「なんだ」
「お前、正樹と総司と同じ区画で仕事してたじゃん」

 幹彦が口にしたのは、おれたちの共通の友人の名前だった。

「あいつらがどうなったか知らない?」
「死んだよ」

 訊かれるだろうなとは予測していた。
 だから、比較的平静な声で答えられたと思う。

「あの日に死んだ。おれの目の前で」

 それ以上、詳しい話をするつもりはなかった。

 ――ひとりは惨めに痛めつけられて死んで。
 ――もう一人は炎に巻かれて灰になった。

 そんなことを伝えても何にもならないだろう。
 だったら、黙っていたほうがいい。そう思ったのだ。

「そっか」

 なるべく簡潔に伝えたつもりだが、ひょっとしたら勘付かれたかもしれない。幹彦はそれ以上彼らについて尋ねてこなかった。その代わりに、こう言った。

「お前が生きていてくれてよかったよ。もちろん、水島さんも」
「ああ。おれもお前にもう一度会えてよかった」

 にっと笑って幹彦は去っていった。
 その背中を見送りながら、おれは溜め息をひとつこぼした。
 もう一度会えて嬉しい。口にした言葉は本当だった。しかし、結局、おれは最後まで幹彦に隠し事をしたままだ。
 失われたものは、もう二度と戻ってこない。
 人の命も、裏表のない関係も、あるいは、かつての自分自身さえ。

「ご主人様」

 腕に抱きついてきたリリィが、耳元で囁いた。その声は何処か不安げに震えている。おれのことを心配してくれているのだ。
 おれはこちらからも腰に手を回して、彼女のことを抱きしめ返した。

「ありがとう。だけど、大丈夫だ」
「……本当?」
「本当だ。強がって言っているわけじゃない」

 羨ましくない……というと、流石に嘘になるか。実際、おれは自分にはできない無条件の信頼を示す学生たちや騎士団たちに『ずれ』を感じたし、ショックを受けてしまっていた。
 今更おれはああいう風には生きられない。あの輪のなかに入ることはできない。そのために必要なものは、もう二度とこの手に戻ってこない。
 だけど、そんなことはどうだっていいのだ。

「おれにはお前たちがいてくれるからな」

 失ってしまったものを嘆くより、この腕のなかにある温もりを守り抜くべきだろう。
 そのためにだったら隠し事だってするし、どれだけでも慎重であろう。それがいまの真島孝弘という人間なのだ。そのことを恥じはしない。

 これから英雄として生きる彼ら彼女らのことを認めないわけではないし、馬鹿にしたりもしないが、だからといっておれ自身のことを無闇に卑下するつもりはない。
 彼らに勇者としての物語があるように、おれにはリリィたちと共にあるおれだけの物語があるのだから。

 あるいは、彼らと自分を比べることでそれを強く感じられたことこそが、今日一日で一番の収穫かもしれなかった。

「そろそろ部屋に戻ろうか」

 おれはリリィから体を離した。

「打ち合わせをしよう。現状は大体把握できた。明日はまた、色々とシランさんに訊かなくちゃいけないことがあるからな。おれ以外のモンスター使いがいるのかどうか、食料調達に関して、あとは……言葉の問題もどうにかしないとな」
「苦手だもんねえ、語学」
「お前までそれを言うか……魔石に期待だな」

 リリィと連れ立っておれは部屋に入る。
 そして、ぱたんと扉をしめた。
◆いやそれ多分速度関係ないんじゃないかな。
という、前話のあらすじについての話。あるいは、漫画なんかに働く不思議な力についての話でも可。

◆次回更新は5/3(土曜日)を予定しています。
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