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モンスターのご主人様 作者:ショコラ・ミント/日暮 眠都

2章.モンスターを率いる者

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13. 森のなかの小道

前話のあらすじ:
人間と遭遇したかと思ったらモンスターだった件。
   13


 次の日から、おれたちはグールの足跡を辿り始めた。
 やや蛇行気味ではあったものの、グールは基本的には『北西』の方向から真っ直ぐにやってきたようだ。
 ファイア・ファングの嗅覚が擬態による劣化を経てなお非常に優秀であったことと、血やら何やらを溢しながらのグールの移動は痕跡が多く残されていたこともあって、数日の間は順調に足跡を辿ることが出来た。
 こうなってくると、実際に人に接触したあとのことも考える必要が出てくる。
 ある夜、おれは焚き火を囲んだ食事の席で、眷族たちを相手に話を切り出した。

「人間と接触する時には、おれとリリィ、あとは加藤さんとで向かおうと考えている。残りのみんなは待機しておいてほしい」

 予想通りというべきか、置いていかれる者たちから反論が噴出した。

「何っ! 主殿、それはどういうことだ!」
「危険です、ご主人様。どうかわたしたちにも随伴をお許し下さい」
「そうは言われてもな。仕方がないだろう。リリィと違って、お前たちはモンスターであることを誤魔化せないんだから」

 言い募るローズやガーベラの気持ちもわかる。おれだって、彼女たちと別れたいわけではない。
 しかし、人間たちに接触する際には自分の能力について伏せておきたいというのが、おれの一貫した方針だ。異世界人はモンスターに対してどのような反応を示すかわからない以上、おれの持つ力を軽々に明かすべきではないし、また、おれと同じ転移者に対しては単純に手札を伏せておきたかった。
 そうすると連れて行ける者は、自然と限定されてしまう。
 アサリナはおれの左手から離れられないから、もうどうしようもないとして、あと連れて行けるのはリリィくらいのものだった。

 このあたりのおれの考えは、眷属である彼女たちもよく知っていることだ。とはいえ、納得できるかどうかはそれとはまた別の話だが。

「妾はついていくからの! 主殿が危険やもしれぬというのに、森のなかでのうのうとしておれるか!」

 興奮のあまり、ガーベラはきちきちと蜘蛛脚を鳴らしていた。
 その蜘蛛の下半身をおれは見下ろした。

「そんなことを言っても、誤魔化しようがないだろう。それとも何か考えがあるのか?」
「腰から下を引き千切っていけばよい! 上半身だけなら、妾は人間と変わらぬ!」
「……いいわけないだろう。どんなホラー映画だ」

 根本的なところで解決になっていなかった。
 それに、流石の白いアラクネも下半身と泣き別れになっては生きていられないだろう。

「し、しかし……」

 無理なことを言っている自覚はあるのか、ガーベラが呻き声をあげた。
 いまの彼女は感情的になってしまっている。恐らく彼女だって頭ではわかってくれているはずだが、その頭に血が昇っているいまは冷静な判断を下すことができなくなってしまっているのだ。
 これは時間を掛けて説得するしかなさそうだ。
 そんなことをおれが思ったそのとき、いつもガーベラの白い頭の上にいるあやめが突然鼻を鳴らした。

「くぅ!」

 それまでだらんと両手を垂らしてガーベラの上に乗っかっていたあやめは、勢いよくガーベラの頭から飛び降りた。
 何事かと視線が集まるなか、地面に降り立った彼女は一直線にリリィへと飛びかかる。いや。飛びついたという方が正しいだろうか。咄嗟にリリィはそのちいさな体を受け止める。
 あやめはじたばた短い手足をばたつかせてリリィの腕から逃れると、ジャージの胸元から服の中に顔を突っ込んで、そのままもぞもぞ服のなかに潜り込んでいってしまった。

「ちょ、ちょっと、あやめ?」

 このままだと服のなかを素通りして、地面に滑り落ちてしまいかねない。同じことを考えたらしく、リリィはジャージの裾を押さえてやっていた。
 あやめは袋状になった服の中でしばらくばたばたしたあとで、ジャージの胸元から頭を出した。
 つぶらな瞳がガーベラを映し出す。ガーベラが赤い目を見開いた。

「まさか、お主が代わりに行くというのか」

 戸惑ったようにガーベラが尋ねると、応えるようにあやめは鼻を鳴らした。
 わたしに任せろと言わんばかりに、きらきら瞳が輝いている。どうやら彼女は本気らしい。

「……流石にいくら掌サイズのあやめでも、服の下に隠れるというのは無理があるだろう」

 おれは思わず二人の会話に割り込んでいた。
 実際、あやめのもぐりこんだリリィのジャージの胸の部分は、ぽっこり不自然にふくらんでしまっていた。リリィの胸元は確かに豊かだが、それでもちょっと誤魔化しきるのは無理だろう。
 とおれは判断したわけだが、ここで意外なところから援護射撃がきた。

「いや。そうでもないかも、ご主人様」

 そう言うと、リリィはジャージの下側から服の下に手を入れた。
 あやめのお尻を片手で支えて、もう一方の手でジャージの裾を掴んでまくりあげる。
 滑らかな腹部、可愛らしい臍が露になり、下着を付けていない双丘のふもとまでが危うく覗きそうになり――その全てが、肌色を失って透明な半液体状の物質へと変化した。

「こうすれば……」

 胸部から腹部にかけてをスライムの体組織に戻したリリィは、その一部を器用にへこませて空洞を作ると、そこにあやめのちいさな体を押し込んだ。
 成る程、とおれは心中拍手を打った。これなら服の下のあやめの体積を誤魔化せる。ミミック・スライムであるリリィにしかできない運搬方法だった。やや窮屈かもしれないが、あやめ自身が言い出したことなのだから、そのあたりは我慢するだろう。

 あやめは再び、そのつぶらな瞳をガーベラへと向けた。
 どう? と首を傾げられてしまったガーベラは、困ったような笑みを口許に浮かべた。
 この分だと、どうやら彼女はあやめの行動により、冷静さを取り戻すことができたらしい。
 立ち上がったガーベラはあやめのもとまで歩み寄ると、身をかがめて、リリィの腹の空洞にちょこんと座るあやめの頭を撫でた。
 あやめはガーベラの指先に鼻面を押し付けるようにして甘え始めた。

 そんな彼女の鼻先に、不意に水滴が落ちた。
 驚いたあやめはくしゃみをひとつ。おれは天を仰いだ。

「……雨か」

 木々の切れ目には鼠色の雲が見えた。
 まずいことになった。

   ***

 おれたちはグールの移動経路を遡るためにリリィの嗅覚をアテにしていた。
 当たり前のことだが、臭いは雨で流される。手掛かりが失われてしまうのだ。これまで森を移動している間には、勿論、雨が降ることは何度かあったのだが、ここしばらくは降っていなかったために油断していた。といっても、それを考慮に入れていたところで、何か対策が打てたわけではないのだが……
 今更、折角手に入れた唯一の手掛かりを手放すのも惜しい。
 おれたちはその日のうちに出来る限りのところまで進んでしまうことにした。
 数度のモンスターの遭遇があったが、どれも簡単に撃退して、おれたちは先を急いだ。
 それだけ遠くに来たということなのか、最近はコロニーでも聞いたことのないモンスターと出遭うことが多い。その代わりに、以前はよく遭遇したファイア・ファングやマジカル・パペットの姿を見なくなっていた。

 雨は昼頃には本格的に降り始めてしまった。これでグールの足跡を臭いで追う事は難しくなった。
 だが、その頃にはそれは大した問題ではなくなっていた。
 その前におれたちは、面白いものを発見していたからだ。

 森の中の獣道と、そこにある靴跡。
 人間の痕跡だった。

 いままで以上に辺りを警戒しつつ、おれたちは草に半ば埋もれた小道を辿っていった。
 一日と経たないうちに、おれたちはグールに成り果てた兵士のものと同じ武具と、その残骸が散乱している場所に出くわした。
 踏み荒らされた灌木。折れた木々。あからさまな戦闘の痕跡がその場には残されていた。ただ、兵士の死体は見付けられなかった。跡形もなく喰い尽されたか、それとも生き残りが回収したのか……後者だとすれば、武具の類が残っているのは運搬が手間だったからだろうか。

 いずれにせよ、この小道は人間が利用しているものに違いない。
 この道は人の住む世界へと繋がっているのだ。
 おれたちはやっと見つけた確かな手掛かりを辿り始めた。といっても、馬鹿正直に小道を進んでいったわけではない。
 おれたちは森の中の小道と並走するようにして、基本的には森の中を進んでいった。これは、こちらから相手を見つけられるようにするためだ。人間を見つけたなら、しばらくは様子を見て、最悪の場合は接触を避けるつもりだった。
 そうこうするうち、グールを撃退してから一週間以上の時間が経過していた。

   ***

 おれの目に映る光景は、森のなかであることを差し引いても、なお薄暗かった。
 まだ朝早い時間なのだ。おれは朝食さえ食べていない。
 こんな時間におれが起き出してきたのは、何を隠そう、魔力による身体能力強化の鍛錬のためだった。

「――」

 おれは自分という器のなかに、魔力の存在を意識した。
 そうすると、体の中をどろりと魔力が動き出すのが感じられる。
 同種であるガーベラの魔力の流れに比べると、おれのそれはいかにも無様で見苦しい。ガーベラの魔力が奔流として迸るなら、おれのそれは押し流される泥のようにとろくさいものだ。
 それでも、こうして魔力を体に流すことによる効果は明らかだ。たとえば、いまのおれの握力は、二メートルを越える筋骨隆々な大男にさえ匹敵するだろう。
 あくまで人間の範疇ではあるが、筋力と耐久力は上昇している。とはいえ、力はただそれだけでは意味がない。扱い方を学ぶ必要があった。

「はあっ!」

 おれは踏み込み、片手に持った剣を振るった。
 これがなかなか難しい。身体能力の強化は常に意識していなければ解けてしまうし、意識し過ぎると手足の動きがおろそかになってしまう。最初の数日は走っているだけで何度もすっ転んでいたことは、早く忘れてしまいたい思い出だ。
 身体強化で速度だけはそこそこ見られるようになった剣が、横殴りに空気を裂いて走った。……残念ながらおれには腕に覚えがないので、『刃のついた棍棒で殴りかかる』程度の扱いしかできないが、凶器は凶器だ。下手に振るえば危険が伴う。
 だが、おれの振るった剣が向かう先にいるのは、下半身に蜘蛛を生やした白い少女、ガーベラだ。彼女にとってはおれが持っている剣なんて、爪楊枝ほどの脅威でしかないに違いない。ガーベラが軽く身を逸らすと、剣の切っ先は虚しく空を切った。

 反撃に飛んでくる蜘蛛脚の突きを左腕の盾をかざしてぎりぎりのところで受け止める。靴の裏で地面がざらりと鳴った。左腕がじぃんと痺れる。

「うおっ!?」

 そちらに意識を奪われているうちに、足を掬われた。背中から地面に倒れ込む。受け身を取るのは、最近随分と上手くなった。
 詰まった息を我慢してごろごろと地面を転がると、さっきまでおれのいた場所に蜘蛛脚が突き立った。危ない、もう終わるところだった。
 なんて、ほっとしたところで胸に衝撃。油断した。
 ガーベラの脚は八本あり、そのそれぞれは独立した生き物のようによく動く。時間差で繰り出した蜘蛛脚の一本が、胸あてを強く叩いたのだ。肺が潰されて、がふっと息が吐き出される。痛みと息苦しさが同時に襲いかかってきて、くらくらと意識が揺らいだ。押されたそのまま後ろに倒れてしまいそうになる。
 此処で転倒したら立て直すのは難しい。

「ま、まだ!」

 たたらを踏んでその場に留まると、無造作に繰り出された貫き手を剣で払った。ガーベラにしてみれば欠伸が出るほどゆっくりな攻撃なのだろうが、おれにしてみれば反射神経が焼き切れるくらいに集中していないと防げない鋭い一撃だ。

 たまに繰り出すこちらの攻撃は掠りもせず、盾でガーベラの蜘蛛脚を受けるたびに少しずつ左腕に疲れが溜まる。何度も転ばされて、何回も小突かれたせいで、全身の端々で鈍痛がうずく。だからといって少しでも隙を見せれば、もろに蜘蛛脚の一撃を喰らってしまい昏倒させられてしまうだろう。あるいは、胃のなかのものを全部ぶちまけて悶絶するかもしれない。
 これまでの訓練でも、そんなことは何度もあった。
 それくらいやらなければ意味がないと、おれが指示したからだ。

「うぐ……」

 疲労が積み重なり、ついにはがくりと足が折れそうになる。
 気合いでその場に踏みとどまったが、このままだと追撃にやられてしまうと経験が教えてくれた。
 咄嗟におれは『左手』に指示を出した。
 左手の甲から伸びた蔓――アサリナが、鞭のように宙を走った。
 追撃をかけようとしていたガーベラは地に伏せて、この攻撃をやすやすと避けた。それどころか、地に放射状に広く伸ばした脚の一つで、ついでのように足払いをかけてくる。
 アサリナの攻撃は瞬きほどの余裕をくれていた。十回に一度の幸運が発揮されて、辛うじて後方に飛び退っての回避に成功する。
 酸素不足でくらくらと揺れる意識に鞭打って、おれは汗ですべりそうになる剣の柄を改めて握りしめた。前に出る。

「はあ!」

 気合一閃。剣を振り切った。
 途端、掌から剣の柄の感触が消えた。

「……は?」

 振るった剣の切っ先を、あっさりと掴み取られて奪われたのだ。
 呆然としたおれの意識には、ぽっかり空白ができていた。

「最後に減点かの、主殿」

 背中に、ほんの軽い衝撃があった。
 どうやらおれは、伸ばされた八本脚の一本で、背中をぽんと押されたらしい。これまで何度も何度もやられていることだから、見えていなくても感覚で判断が出来た。
 体が泳いでいたおれは、それだけで体勢を崩してしまう。あとは、打ち込みの際についていた勢いだけで十分だった。
 地面がものすごい勢いで眼前に近づいた。そして、激突。

「うぉあっ!?」

 間の抜けた悲鳴が、まだ薄暗い森のなかに小さく響いて消えた。

   ***

 節々が痛む体を、萎えた腕で仰向きに引っ繰り返した。
 そこで、おれは力尽きる。森の狭い空を見上げて、荒い息をついた。

「大丈夫かの、主殿」

 仰向けになったおれの正面に、白い髪を垂らした柔らかな美貌が現れた。表情はやや気遣わしげなものだ。

「だ、いじょ……こほっ、げほ」
「まずは息を整えるがいい」

 おれの頭を愛情のこもった優しい手つきで撫でると、ガーベラは八本の脚を折り畳んでその場に座りこんだ。
 そこに、おれたちのことを見ていたリリィもやってくる。
 彼女は毎夜そうしているように下半身をスライムに戻すと、おれの体をひょいと軽く抱き上げてその上に寝かせてくれた。
 リリィはおれに回復魔法をかけたあとで、全身を一通りチェックして、満足げに頷いた。

「はい、全部治ったよ」
「毎朝、悪いな」
「いいってば、そんなの」

 おれの頭のすぐ上に生えているリリィの上半身は、にっこり笑顔でおれの顔を覗きこんできた。
 現在のおれは、リリィに膝枕をされているかたちになる。ただし、思いっきり変形だが。
 頭の後ろの弾力は女の子のふともものものだが、同時にひんやりと冷たくつるつるとしたスライムの感触も備えている。
 スライム化したことで下半身は何も着ていないから、正座するかたちの膝から上を、スライムのままで大体のかたちだけ作ったらしい。見方によっては、少し扇情的な格好かもしれない。

「ふふ。ご主人様もなかなか動けるようになってきたじゃない」
「転んでばっかりで、みっともないところを見せていた記憶しかないんだが」
「転ぶ回数は減ってきたじゃない」
「……」
「なんてね。冗談、冗談。ちゃんとご主人様は上達しているよ」
「主殿は力を付けておるよ。思った以上に順調と言ってよかろ」

 おれたちのことを横目で見つつ、きちきち蜘蛛脚を鳴らしていたガーベラがフォローをしてくれた。おれとしては苦笑するしかない。

「あれだけひょいひょい避けておいて、そんなことを言われてもな……」

 力をつけているなんて言われても、そんな実感はまったくもってない。
 溜め息のひとつも出て当然というものだった。

「……魔力の扱い方は、なんとなくわかってきたんだがな」

 ぼやきつつも全身を満たす魔力を意識すると、それはねばっこい泥水のように動き出した。
 ガーベラの手ほどきにより初めて身体能力強化に成功した時には、それはもう興奮したものだった。空を飛ぶ鳥のような気持ちだった。あるいは、初めて歩き始めた赤ん坊はこんな気持ちになるのかもしれない。

 ――これでおれも戦える。
 気持ちが昂ぶるのが自覚出来た。おれだって今年で十七の男だ。強さに対する純粋な憧れはある。

 そんなおれの興奮を一瞬でへし折ってくれたのもガーベラだった。

 彼女との戦闘訓練は、魔力による身体強化を行おうが行うまいが変わらなかった。
 いくら剣を振るってもかすりさえせず、アサリナを繰り出しても捉えきれない。明らかに手加減された様子で足を引っ掛けられたり背中を押されたりして地面に転がってばかりいれば、どんな興奮だって冷めるというものだった。

「……」
「ご主人様、落ち込んでるの?」

 ぼんやりと今朝の訓練の様子を思い返していると、リリィがおれの頬を両手で包み込んできた。
 まだ火照りの残る体に、ひんやりとした少女の体温が気持ちいい。

「それなりにへこみはしてる。格好悪いのは確かだからな」

 おれが答えると、リリィはこちらの目を覗き込んでくる。その口許には笑みがあった。

「その割には、嬉しそうな顔してるよね」
「……まあな」

 おれは頷きを返した。自分の才能のなさにへこまされてはいるものの、最近のおれが充実していることは事実だったからだ。
 魔法のような不思議な力のあるこの世界でも、おれのような凡人は一歩ずつ進んでいくしかない。それくらいのことはもともとわかっていたことで、本気で落ち込むようなことではなかった。
 こうしてゆっくりとでも進んでいけるということは、きっとこの過酷な世界では、とても幸運なことなのだと思う。
 その上、笑顔で見守ってくれる人もいてくれるのだ。これ以上を望むというのは、少し欲張りすぎというものだろう。

「そろそろ朝食にしよう」

 リリィの頬を一度撫でて、おれは身を起こした。
 そうするとすぐにリリィがおれの体についた泥を払って落としてくれた。衣服の不足はガーベラの眷族参入により解消され、現在のおれたちは彼女に作ってもらった白いお揃いの服を着ていることが大半だ。
 今朝は転んだ場所が悪かったせいで、随分と汚してしまっていた。これはどうも食事の前に着替えた方が良さそうだ。

 そんなことを考えながら、おれは視線を巡らせた。
 すると、マネキンのような白っぽい人形と、シーツにくるまった少女が隣り合って座っているのが視界に入った。

「なんだ、加藤さんも起きていたのか」
「おはようございます、真島先輩」

 近づいて行っておれが声をかけると、加藤さんはローズの二の腕に押し当てていた掌を離してこちらに向き直り、律儀に頭を下げた。
 彼女もおれと同じように魔力を操り、ゆくゆくは魔法を習得するための訓練をしている。
 とはいえ彼女の場合は、ローズが魔法道具を作っているところに触れて、魔力の流れを感じ取るところからだが。

「どうだ、進捗は」
「……難しいですね。魔力を感じ取ろうとしても、経験のないことですからどうすればいいのかわかりません」

 加藤さんは眉を寄せて渋い顔だ。どうやら彼女もうまくいっていないらしい。

「それは仕方ない。難しいことは最初からわかっていたことだろう?」
「はい。ですけど、一週間以上も経って何も進展がないというのは少しへこみます」
「おれも似たようなものだけどな」
「真島先輩は動けるようになってると思いますよ。横目でずっと見てましたけど、どんどん動きがよくなってるのがわかりましたから」

 本当だろうか。……いや。多分、慰めだろう。そうでなければ社交辞令というやつだ。
 此処でリリィくらいに親しければ「そうですよね、転ぶ回数が減ったくらいのものですものね」なんて冗談を言ってしまえたかもしれないが、そのためには、おれたちの距離は少しばかり遠い。
 加藤さんとの距離感は、おれの感覚的には『友達の友達』とか、あるいはひょっとすると『女の子の男親と、その子の友達』くらいのものだ。
 それでもまだ、世間話が出来るようになっただけ以前よりマシだが。

「まあ、おれのことは置いておくとして……慣れないことだし、加藤さんは大変だろう。何か手伝いが必要なら遠慮なく言うといい。可能な範囲で応じよう」
「ありがとうございます」

 といっても、おれに……おれたちにできることなんて、たかがしれているが。
 能力的な意味だけではない。時間的な意味で、加藤さんにしてやれることには限りがあった。
 おれたちが人間と接触する目的は、おれ自身が物資を得るためというのは勿論あるのだが、もうひとつとして、加藤さんを託せる場所を見つけるためというのがある。
 おれたちは既にこの世界にいる人間の痕跡を掴んでいる。人間社会に接触することができれば、場合によっては、そのまま加藤さんとはお別れということも有り得る。
 ローズの友人である加藤さんには、なるべく便宜を図ってやろうというのは、既に決めたことだ。
 彼女への恩を返すためにも、それまでにできることはしてやろう。いまのおれは、そう考えることができていた。

「少しよろしいでしょうか、ご主人様」

 ローズが声を掛けてきたので、おれは思考を打ち切った。
 加藤さんからローズへと視線を移す。彼女はかしこまって告げた。

「お渡ししたいものがあります。以前にガーベラと協力して作っていたものが、昨晩のうちに完成いたしました」
「っ! 本当か!」
「はい。ご確認いただけますか」

 そういいながらローズが差し出してきたのは、丁寧に折りたたまれた白い布だった。
 広げてみると、それが長袖の肌着であることがわかる。
 布の作成と縫製はガーベラの手によるものだが、これは各所にローズの作った薄い装甲板が仕込まれている。これは例の『疑似ダマスカス鋼』製で、薄くてもそれなりの防御力が見込めるものだ。

「いいぞ。期待以上だ」
「恐縮です」

 これは人間世界と接触する際の用心として用意させていたものだ。それがこうして事前に仕上がったことは素直に喜ばしい。早速、試しに着てみることにしよう。

「……っと、その前に一度汗を流した方がいいか」
「そのほうがよろしいでしょう」

 ローズはおれの傍らにいるリリィへと顔を向けた。

「それではリリィ姉様は水浴びの準備をしていただけますか。その間にわたしは火の準備をしますから」
「わかった。それじゃあ、ガーベラはローズの準備を手伝って……って、ガーベラ? 何をきょろきょろしているの?」

 リリィが不思議そうな顔になる。その視線の先で、何処か焦った顔をしたガーベラが落ち着きなくあたりを見回していた。

「あやめの姿が見当たらぬのだ」
「そういえば……」

 おれもあたりを見回すが、ちいさな子狐の愛くるしい姿は見当たらない。
 おれの眷族なかでは飛びぬけて奔放なあやめがいなくなることは、これまでもたまにあったことだった。
 そういう場合、近くで遊んでいるのが大抵だ。子供は遊ぶのも仕事だとおれは思うのだが、ガーベラなどは随分と気を揉んでいる様子だった。

「てっきりおれは、ローズたちと一緒にいるものと思っていたんだが」
「いえ。わたしはリリィ姉様が相手をしているものかと」
「わたしは知らないけど……あら?」

 リリィが声をあげると同時に、がさがさと近くの茂みが音をたてた。
 そこから勢いよく飛び出してきたのは、いま話題にのぼったばかりのあやめだった。
 彼女は茂みを飛び出すと、あたりを落ち着かなく見回した。
 おれのことを見つけるや、彼女は一直線に駆け寄ってくる。

「どうした、あやめ」

 ズボンの裾に噛みついて、ぐいぐいと引っ張り始めたあやめにおれは尋ねる。あやめはズボンを噛んだまま、おれのことをじっと見つめた。
 パスを通じて、彼女の興奮が伝わってくる。
 はっとして、おれは目を見開いた。

「……何か見付けたんだな?」

 あやめは引っ張っていた服の生地から口を離した。どうやらこれで正解らしい。
 風船狐のあやめは、ファイア・ファングの嗅覚を擬態できるリリィと同じか、あるいはそれ以上に鼻がいい。おれたちが訓練をしている間に、彼女は何か発見したのだろう。

 何かを。
 予感があった。おれは自然、固い声になって指示を下した。

「全員、出発の準備を。周囲には十分に警戒するように。あやめはおれたちをその場所に案内してくれ」

 朝食は後回しだ。すぐに出発したおれたちは、この近辺を探索し始めた。
 あやめを先頭に、リリィがそのすぐ後ろにつく。索敵能力に優れた彼女たちなら、誰よりも早く異変を察知してくれることだろう。
 そうして数分ほど歩いただろうか。
 あやめが足をとめ、リリィが抑えた声で報告した。

「……見つけた」

 彼女の視線の先には、先日からおれたちが並走している森の中の小道がある。木々の影に隠れて、おれも小道を覗き込んだ。

 そこには、実に久々に見る人間たちの姿があった。
◆やっとここまできました。
今度こそ、ちゃんと人です。
生きてるやつです。

◆次話更新は4/12(土曜日)を予定しています。
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