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モンスターのご主人様 作者:ショコラ・ミント/日暮 眠都

6章.

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26. 停滞した時間の終わり

(注意)本日2回目の投稿です。(4/16)












   26


 襲撃は突然だった。

 気付いたら、竜淵の里を守る『霧の結界』が解けていた。

 視界を閉ざし、迷いの力を持つ結界は、この世界でドラゴンたちが隠れ潜んで生きていくために、必要不可欠なものだった。

 それが、解けてしまった。

 こんなことは、この地に里を築いてから一度もなかった。
 みんな混乱するのは、仕方のないことだった。

 即座に動き出すことのできたのは、レックスをはじめとした数人だけだった。

 彼らはとにかく、なにがあったか調べようとした。
 その矢先に奇襲があった。

 里への侵入者がいたのだ。

 数は三人。

 彼らは大規模な魔法攻撃を行い、里を吹き飛ばした。

 建物は残らず薙ぎ倒されて、逃げ遅れた何人かが犠牲になった。

 魔法攻撃が途切れ、立ち昇る噴煙の向こうに襲撃者の姿が現れた。
 レックスたちは、ドラゴンとしての本性を剥き出しにして、応戦に出た。

 ドラゴンは、通常のモンスターとは比べものにならないくらいの力を持っている。
 そのうえ、何人か殺されてしまったとはいえ、まだ二十体近くが残っていた。

 兄弟の命を奪った襲撃者を圧し潰すべく、彼らは牙を剥いた。

「グォォオオオ!」

 猛り狂う竜の怒り。

 レックスは兄弟たちの先頭に立ち、暴れ回っていた。

 甲殻竜マルヴィナの子供である彼らは、強くその性質を受け継いでいる。

 大きな体は頑丈な甲殻で覆われており、通常のモンスター相手ではびくともしない。

 なかでも、レックスの体躯は特に巨大だ。
 兄弟たちの平均が十メートル前後のなかで、二十メートルを超える堂々たる巨体を誇っている。

 甲殻はひと際分厚く、生半可な攻撃では傷付きさえしない。
 そのはずだった。

 しかし、敵は強かった。

 レックスたちの常識を、遥かに上回るくらいに。

「おおぉおおお!」

 雄叫びとともに繰り出されたハンマーの一撃が、レックスの巨体をよろめかせた。

「もらった!」

 動きがとまったところに剣が振るわれて、甲殻に覆われていない箇所を抉った。

「グッ……グオォオオ!」
「っと、あぶねえ」

 レックスは反撃するが、効果はない。
 絶大な威力を誇る爪は避けられて、ブレスは魔法によって相殺される。

《レックス!》

 苦戦する弟の姿に、エラが悲鳴をあげた。

 姉の呼び掛けに、レックスは叫んだ。

《さがっていろ、エラ! ええい、忌々しい人間どもめ!》

 歯軋りをして罵るが、その言葉は相手に通じない。

 ドラゴンの姿を取っている間は、人間の言葉は使えないからだ。
 ただ、今回の場合、どちらにしても言葉は通じなかったかもしれない。

「硬いな、こいつ」

 巨大なハンマーの柄を肩に載せて、黒髪の、まだ年若い少年がぼやいた。
 もうひとりの剣士も少年だった。

 とても戦いに慣れているようには見えないが、その身に充溢する魔力は常軌を逸していた。

 振るう力は理不尽なほどに強い。
 きっと世界を救えてしまうくらいに。

《くそ! やはりこいつら、転移者か!》

 敵の正体を悟って、レックスは呻いた。

 その声には、絶望的な響きがあった。
 状況を正しく判断してしまったためだった。

 竜淵の里の戦力は十分なものだったが、即座に全員が動員できたわけではなかった。

 とにかく、想定を超えて事態は突発的だったのだ。

 もともと、里に人間たちが攻めてくるにしても、『霧の結界』を強引に抜けるのに時間がかかり、逃げ出すだけの時間はあるはずだった。

 いきなり『霧の結界』が解除されるなんて、想像もしていなかった。

 当初、三人の転移者相手に、里の竜は有利な戦いを繰り広げた。
 しかし、防御に徹されてしまったために瞬殺とはいかず、わずかな時間を稼がれてしまった。

 そのわずかな間に、敵の増援があった。

 といっても、十人ほどだ。

 けれど、その全員が転移者であったとすれば――もはや、勝ち目などなかった。

 すでに、その場には二体のドラゴンが巨大な屍を晒していた。

《エラ! キャス! 妹たちを連れて、逃げろ!》

 叫んだレックスは、不用意に飛び掛かってきた転移者の少年に爪を叩き付けた。

「おごっ!?」

 咄嗟に防御したものの、少年は弾き飛ばされて地面に背中を打ち付けた。
 悶絶する彼を、仲間のひとりが回収する。

 そうしてできた時間に、レックスは別の敵に対して尻尾を振り回し、炎のブレスを吐き付けた。

《ここは、おれたちに任せろ!》

 襲撃者たちを牽制して、竜の咆哮をあげる。
 それに合わせて、傷だらけの弟たちも決死の叫び声をあげた。

《そ、そんなこと……!》
《キャス!》

 反論しかけたキャスを、エラが制した。

《……二手に分かれて逃げるわよ》

 エラはグルグルと喉の奥を鳴らした。
 無念の響きがあった。

 妹を窘めこそしたものの、内心は同じようなものなのだろう。
 それがわかったから、キャスは竜の牙をぎりぎりと鳴らした。

《う、ううう……! わかった! わかったわ!》

 震えるエラの言葉に応えると、兄弟に背中を向けた。

 当然、半数近くが逃げ出せば、襲撃者たちもそれに気付く。

「あ! あいつら、逃げるぞ!」
「逃がすな、追え!」
《させるか!》

 追い掛けようとする転移者たちの前に、レックスは立ち塞がった。

《ここは通さんぞ……!》

 決死の覚悟を固めるのに、躊躇いはなかった。

 レックスは、里の『守り人』である。

 けれど、もとから誰かを守れるような強さを持っていたわけではなかった。

 レックスは泣き虫な子供だった。
 幼いころからしっかりしていたサディアスに、ついてばかりいた。

 けれど、元勇者の父が殺された日を境に、レックスは変わった。

 父は幼いレックスとサディアスに、家族を守れと言い残したからだ。

 年長の兄はみんな死んでしまった。
 自分たちが、弟や姉妹を守れるようにならなければならないと思った。

 レックスの頑ななところのある人格は、元の性格を矯正したがために生まれた歪みだった。

 そうでもしなければ、強くなれなかったのだ。

 結果として、レックスはいまのような男になった。
 心身ともに鍛え上げて、偉大な母を除けば最大の体躯と、分厚い甲殻の鎧を手に入れた。

 すべては家族を守るために。

 実際、レックスは真っ先に侵入者に挑みかかりながら、他の兄弟への攻撃を庇いつつ、ここまで食い下がってきた。
 犠牲者がふたりで済んでいるのは、彼の奮戦の結果だった。

《我らの里に踏み込んできたこと、後悔させてやるぞ、人間ども!》

 巨体を活かして、レックスは暴れ狂った。

 生き残れるなどと考えているわけではなかった。
 ただ、このまま踏み躙られるばかりではいられなかった。

 家族のために、一秒でも長く、時間を稼ぐ必要があった。
 そのための力だった。

 そう簡単には、甲殻竜レックスは殺せない。

 ……相手が条理を覆す理不尽の化身、勇者でさえなければの話だが。

「よし、準備ができた。みんな、下がれ!」

 後衛のひとりが合図を出した。

 前衛が後退したのと同時に、煌々と赤く輝く巨大な魔法陣が宙に展開した。
 およそ、尋常な魔力によって作り出せるものではなかった。

《こ、これは……!?》

 さすがのレックスも絶句した。

 第五階梯の炎魔法。
 この世界における最大最強の暴力が、目前に残酷な顎を開けていて――。

《――みんな、下がれぇえええ!》
「燃え尽きろ!」

 勇者のなかでも一部の限られた者にのみ許された、極大魔法が発動する。

 狙いは、ドラゴンたちの中心になって戦っていたレックスだった。

《おおおおおおお!?》

 レックスの巨体をも上回る大火球が、魔法陣から射出された。

《レックス――ッ!》

 振り返ったキャスが叫ぶ。
 その目の前で、レックスの体が火球に呑み込まれた。

 灼熱の旋風が巻き上がり、大地が揺れた。
 町のひとつくらいは吹き飛ばせてしまえるほどの大爆発だった。

 直撃はしていないのに、レックスの近くで戦っていたドラゴンたちは全員が薙ぎ倒された。

 すさまじい熱量に、離れた場所のキャスの体も煽られて、炙られた甲殻は熱を持った。

 これでは、直撃を受けたレックスは……。
 血の気を失ったキャスの視界で、変化が起きた。

《舐め……るなァ》

 いまだに燃え盛る炎のなかで、大きな影が動いたのだ。

 一歩、また一歩と前進する。
 負けるわけにはいかないと、ただただその一心で。

 炎のなかから、巨体が抜け出る。

 凄惨な有様だった。

 分厚い甲殻はそこかしこが熱で炭化し、熱膨張による罅が縦横に走っていた。
 庇い損ねた一方の眼球は白濁し、背中の翼は歩く振動だけで崩れて落ちた。

 けれど、生きている。
 殺し切れていない。

 長年にわたる執念が、ついに勇者の理不尽さえも覆した瞬間だった。

《この、程度で……死んで、たまるか……》

 戦意を保ち、レックスは炎から抜け出す。

 その姿は勇壮であり、それだけに――哀れだった。

《おれは、まだ……あ?》

 唖然とした声。
 残った片側だけの眼球に、二重に展開された巨大な魔法陣が映り込んでいた。

《な……んだと?》

 愕然と、レックスは目を見開いた。

 こちらもまた、第五階梯の極大魔法。
 こともあろうに、ひとりの少年によって展開されたものだった。

 通常ならば、ひとりに展開できる魔法陣はひとつだけだ。
 唯一の例外が精霊使いだが、それは単に精霊が自身で魔法陣を展開できるというだけのことに過ぎない。

 単独での魔法陣の多重展開は不可能だ。

 けれど、その非常識を現実にするのが、勇者という生き物だった。

「すごい耐久力だね。ドラゴンにしても大したもんだ」

 魔法陣を展開した少年が言った。

 あとで援軍として合流した十人のうちのひとりだった。
 気取った調子で腕を高く上げてみせる。

「だけど、ぼくを相手にするには足りないかな」

 少年の名は、岡崎琢磨。
 探索隊では『万能の器』の二つ名で知られる少年だった。

 掲げられた指が鳴る。

 レックスの体を、上空から撃ち落とされた五本の巨大な氷の槍が刺し貫いた。

《がっ、ぁああ!? あああああ!?》

 甲殻が砕け、穿たれ、血を噴き出す。

 両手に両足、尻尾。
 磔にされたレックスが、苦痛の呻き声をあげた。

 けれど、それで終わりではない。

 ふたつ目の魔法陣が発動し、大地が隆起した。

 岩と土で作られた巨人の腕が、天高く屹立する。

 太く硬く、重量は莫大。
 ゆえに鈍重だが、破壊力だけは絶大だ。

 こんなものは避けるしかないが、磔にされていてはどうしようもなかった。

 レックスの目に、振り下ろされる岩石の拳が映り込んだ。

《おれは……みんなを……》

 それが、最期の言葉だった。

 轟音が響いた。

 ひとつの願いが、永遠に失われたのだ。
 その様を、キャスをはじめとしたドラゴンたちは、呆然と見守るしかなかった。

   ***

「いや。なかなか手強かったね」

 先程のすさまじい光景などなかったかのように、あっけらかんと琢磨は言った。

 さすがに負担があったのか、少し疲れた様子ではあるものの、立ち振る舞いにはまだまだ余裕があった。

「昏き森の主の討伐依頼。手助けに来てよかったよ。この分だと、ひとり、ふたりは犠牲者が出たかもしれないからね」

 自慢げな物言いを聞いたひとりが、むっとした顔をした。

 けれど、なにか言おうとする彼を、精悍な印象の少年が制した。

「……ああ。助かったよ」

 神宮司智也。
 こちらもまた、探索隊で『竜人』として知られる二つ名持ちだった。

 そして、この地に琢磨を連れてきた人物でもあった。

「協力に応じてくれて感謝している」
「なに。気にすることはないさ」

 琢磨は応じた。

 少し前に町角で、接触をしてきた神宮司智也に協力を請け負ったときと同じ、軽い口調だった。

「昏き森は、この世界の人間の生活を脅かすものだ。森の主は討伐しなくちゃならない。それが勇者であるぼくたちの責務だからね」

 琢磨が口にしたのは、この世界で当たり前の常識だった。

 疑問を差し挟む者は、その場にはいなかった。

「だけど、そうすることにもリスクはある。なるべくなら、安全にやらないといけない。神宮寺くんの気配りは理解できるよ。だからぼくもこうしてここにやってきたわけだしね。とはいえ、少し慎重過ぎる気もするけれど」
「それは……」
「わかっているよ。この間まで、神宮司くんがいたっていう、西の小貴族領での出来事だろう。探索隊を離れて、自滅したやつらがいるんじゃないかって。考え過ぎだと思うけど」
「……だったらいいんだけどな」
「なんにせよ、ここでは関係のない話だろう。これは絶対に安全な討伐だ。なにせ、きみがいるし、ぼくもいるんだからね」

 探索隊の二つ名持ちがふたり。
 加えて、十名以上の転移者たち。

 これほどの戦力によって、昏き森が攻略されたことは、過去になかっただろう。

 付け加えて言えば、この昏き森は例外的にモンスターが少ない。
 これは、人間社会に被害が及ぶことで目を付けられないように、竜淵の里のドラゴンたちがモンスターを間引きしていたからだ。

 そのために、侵入者たちは大した疲労もなくここまで辿り着いてしまったのだった。

「さてと。話はまたあとにしようか」

 琢磨が話を切り上げる。

「ドラゴン退治を終わらせよう」

 キャスたちに視線が向けられた。

「あれが逃げ出したら、力のない人たちに被害が出るかもしれないからね」
《う……っ》

 さっきのレックスへの魔法行使の余波だけでも、キャスたちはかなり傷付いていた。
 ましてや、直接攻撃を受ければひとたまりもない。

 屈強なドラゴンも、こうなってはただの獲物でしかなかった。

「行こうか」

 絶望的な追走劇が始まる。

 ――このままなら、そうなっていただろう。

「これは、予想外だったねえ」

 そのとき、小さなハンターたちの頭上に影が落ちたのだ。

 あまりにも巨大な影が。

「なっ!?」

 ぎょっとした様子で、転移者たちが足をとめた。

「思いもしなかったよ。まさか『霧の結界』が、最初に解除されるなんてね」

 翼を広げた甲殻竜マルヴィナが、子供たちへの追跡を遮る位置に割り込んだのだった。

《お母様!》

 呼び掛けるキャスに、マルヴィナが応える。

「遅れちまって悪かったね。足留めを喰らってさ」

 我が子を振り返ることはなかった。

 その目は転移者たちを油断なく睨み付けていた。

「さあ、わたしが相手してやるよ、人間!」
《お母様! いけません! わたしたちも戦います!》

 キャスが言うと、マルヴィナは鼻を鳴らした。

「馬鹿なことを言うもんじゃない。逃げな、キャス。あんたたちは生き残るんだ。なにがあってもね」
「こ、こいつが昏き森の主か! みんな、気を引き締めろ!」

 話をする間に、少年たちが声を掛け合っていた。

 さすがに、この巨大なモンスターを前にしては、警戒せずにはいられなかったのだろう。

 それ自体は、マルヴィナにとっても好都合なことだった。
 慎重になってくれた時間だけ、キャスたちが逃げられる可能性が増えるのだから。

「にしても……」

 キャスたちが遠ざかっていく気配を感じながら、マルヴィナは小さく吐息をついた。

「『さっきからなにを言ってるのかさっぱり』だねえ。まったく。恨み言のひとつもぶつけられやしないなんて、わたしも『翻訳の魔石』を持っておけばよかったかね……」

 子供たちとは違い、マルヴィナはドラゴンの姿のまま人語を操ることができる。

 しかし、そもそも、異世界からやってきた転移者とは、たとえ人間であっても『翻訳の魔石』なしに言語による意思疎通は行えない。

 話し合いができない以上、自分たちが理性ある存在であることを訴えかけることは不可能だった。

 もっとも、ことここに至っては、それは大した問題ではなかったかもしれない。
 もはや言葉による和解などありえないのだから。

「ふん。なるほどね。『霧の結界』を突破できたのは、そういうカラクリかい」

 身の裡の魔力を高めつつ、敵の集団を観察していたマルヴィナの目が細められた。

 その視線の先には、神宮司智也の姿があった。

「あの人と同じ『その身をドラゴンと化す能力』か。そういや、馬鹿みたいにたくさんの転移者がやってきてたんだったね。同じ能力を持っているものがいたとしても、おかしくはないか」

 神宮司智也は『竜人』の二つ名に相応しく、その背中に竜の翼を広げていた。

 それこそが『霧の結界』を無効化したものだった。

「ドラゴン以外はそう簡単に抜けられないはずの『霧の結界』も、相手が同じドラゴンじゃ意味を為さない。これは、やられたね」

 マルヴィナは吐息をついた。

「まあ、腑に落ちないところはあるが、言葉が通じないんじゃどうしようもないね。いいや。そもそも、今更、なにを訊いたところで意味はないか。……ふん。覚悟はしていたはずだったんだけどね」

 マルヴィナは長い時間を生きてきた。
 もう十分に生きたと考えていたし、この里に人間たちが押し寄せてきたら、子供たちの囮となって討伐されてもいいとさえ思うこともあった。

 なにがなんでも生き延びてやるという気力がなかった。
 奪われて、逃げ落ちて、隠れ棲むしかない生活に惓んでいたのだ。

 けれど、いまは少し違っていた。

 なぜなら、彼女は希望に出会っていたからだ。

 古い友人が連れてきた、かつて喪った大事な人を思い出させる少年。

 その望みの行き付く先、こんなふうに隠れ住む必要はなく、子供たちはのびのびと自分の人生を生きるのだ。

 そこでなら、こじれてしまった小さな娘との関係もやり直せたかもしれない。
 愛していると伝えられたかもしれない。

 そんな未来が、きっとあったのだ。

 だけど、自分はここまでだ。

 それが、甲殻竜マルヴィナが理性的に紡いだ、最後の思考だった。

 ここより彼女は、憎悪の怪物と化すと決めていた。

「……よくもやってくれたね、人間ども」

 常に理性的だった瞳の奥の光が、どす黒い感情に塗り潰された。

 踏み出した足が、首なしのレックスの亡骸から広がる血の池を踏んだ。

 愛しい子供たち。
 逃避と停滞の結果だとしても、穏やかだった日常。

 奪われた。壊された。踏み躙られた。
 絶対に、許さない。

 敵である彼らが自分たちの事情をなにも知らず、ただ正義感だけで襲ってきたのだとしても、そんなのはなんの免罪符にもなりはしない。

「ここまで好き勝手をした以上、ただで帰れると思うんじゃあないよ」

 彼我の強度など関係ない。
 その感情の強さとおぞましさが、対峙する転移者たちに息を呑ませた。

 敵は世界を救う力を持つ勇者たち。
 憤怒と憎悪に身を任せ、狂気に落ちなければ、対抗することなどできないことは知っている。

 ゆえに、大事な人からもらった心を投げ捨てて、いま一度、古き竜は理性なき怪物に立ち返ったのだ。

 マルヴィナは、べっと口のなかのものを吐き出した。

 攻撃かと思った転移者たちが警戒した。

 吐き出されたものは、彼らの立つ場所より前の地面に叩き付けられた。
 それきり、なにが起こるわけでもない。

 なにかと思って目を凝らした琢磨が、ひっと声をあげた。

「あ……あああ。そんな、嘘だ!」

 赤黒い塊でしかないそれが、噛み殺された友人だと認識できてしまったからだ。

 里に侵入してから、マルヴィナの足留めをしていた少年だった。
 先程、レックスの命を奪った第五階梯魔法の二重展開の際、そちらに気を取られた一瞬の隙を突いて、マルヴィナは彼を殺していた。

 転移者たちは、本当の死線を越えたことがなかった。
 たとえ戦闘能力が超一級品であろうとも、頭は平和惚けした子供たちだ。

 徹底的にそこに付け込み、差し違える覚悟でいれば、殺すことは不可能ではない。

 無残極まりない仲間の死を目の当たりにして、浮き足立った転移者の隙を逃すことなく、山のような体躯に相応しい咆哮を迸らせて、マルヴィナは前に出た。

 子供たちのうち、その場に残った数体も、狂気と憎悪に突き動かされるように彼女に続いた。


 絶対安全なはずの討伐は、血みどろの殺し合いにもつれ込んだ。
◆まだ更新します。
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