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モンスターのご主人様 作者:ショコラ・ミント/日暮 眠都

5章.騎士と勇者の物語

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09. 騎士の隠し事

(注意)前回、更新が週末ではありませんでしたので、ご注意ください。













   9


 魔法で生み出された赤い炎に照らされて、床に転がったモノの影が黒々と揺らめく。
 乱雑に放り出されていたのは、倉庫に貯蔵されていた群青兎の肉だった。

 一部の富裕層や特別な施設を除いて、冷蔵設備の普及していないこの世界では、保存のために、肉は塩漬けにされるのが一般的だ。
 ここにあるのは、その処理の最中のものだった。

 少なくとも、現時点では、そのまま食べられるようなものではない。

 ……いいや。もちろん、食べようと思えば食べられる。
 噛んで、砕いて、呑み込めさえすれば、どんなものでも食べることはできるのだから。

 だが、普通はそんなことはしない。
 そんな異常なことをする理由がない。

 しかし、現に目の前には、一部が喰い散らかされた肉片が散乱している。

 水が抜けかけて変色した肉片を見下ろしながら、おれはしばし呆然としていた。

「これは……」

 うしろから、少女の呻き声が聞こえた。

 振り向けば、口元を手で押さえて震えるヘレナの姿があった。

 このときまで、おれはすっかり、同行者のことを忘れていたのだった。

「た、孝弘様」

 ヘレナの声は虚ろだった。
 それだけ、衝撃的だったのだろう。

 混乱がありありとうかがえる声色だった。

「シランは……なにを? なにが、どうして?」

 その言葉を聞いて、おれは肝心なことを思い出した。

 ……シラン。
 そう、シランだ。

 なにがどうなったのかはわからないが、これをやったのは、彼女で間違いない。

 だとすれば、このままでは、まずい。

 沸き上がってきた焦燥感が、呆然としていた意識を叩いた。

 ふらふらと倉庫から出てくるシランの姿が、脳裏にフラッシュ・バックした。

 明らかに、いまのシランは普通ではない。
 放っておくわけにはいかなかった。

「シランを、追わないと」

 やらなければならないことを、口にする。
 そうすることで、遠くなっていた感覚が戻ってきた。

「リリィ」
「うん」

 表情を引き締めたリリィが、すんと鼻を鳴らした。
 シランがどこに行ったのかはわからないが、リリィの鼻なら追跡は可能だ。

 ことは一刻を争う。
 すぐにでも追い掛けなければならなかった。

 しかし、そう思って踵を返したところで、おれは足をとめることになった。

「孝弘様」

 ヘレナがおれを見上げていた。

 灯火に照らされた顔には、混乱の余韻がまだ色濃く残っていた。

「わたしも一緒に行きます」

 強張った声で、ヘレナは言った。

 予想できたことではあったが、まずい展開だった。

「……駄目だ」
「なんでですか!?」
「それは……」

 理由を求める少女を前にして、おれは口ごもった。

 正直に説明をするわけにもいかなかったからだ。

 そもそも、どうしてシランはこんな真似をしたのか。
 原因として考えられることなんて、ひとつしかなかった。

 ……アンデッド・モンスター、『デミ・リッチ』と化したことによる副作用だ。

 彼女は一度、ほとんどグールになってしまったことがある。
 いまの彼女は、あのときと似た症状に見舞われていることが予想された。

 だとすると、ヘレナをこのまま連れていくわけにもいかなかった。

 なにも知らない彼女にしてみれば、いまのシランの様子は、異常極まりないものでしかない。
 追いかけていけば、もっと酷いものを見る可能性だってある。

 それが、どれだけの衝撃をヘレナに与えることか。
 正体を明かすにしても、およそ最悪の展開であることは間違いない。

 それは避けるべきだと、おれは判断した。

 不幸中の幸いとでも言うべきか、チリア砦で見たときの状態に比べて、いまのシランは大人しい。

 最悪、グールそのものになってしまったのであれば、人間を襲っているはずだが、実際に喰われたのは群青兎の肉だ。
 異常な行動ではあるにせよ、一線は越えていないと見ることもできる。

 猶予は残されている。
 いま捕まえれば、まだ誰にも知られずに、事を収めることができるかもしれない。

 もちろん、すでに知ってしまった目の前の彼女を除けば、だが……。

 言い澱むおれの反応を見たヘレナが、ふと、なにかに気づいた顔をした。

「ひょっとして、シランがどうしてこんなことをしたのか、孝弘様は知ってるんですか?」
「……ああ」

 ここで否定することに、意味はない。
 おれが頷くと、もどかしげにヘレナは胸を押さえた。

「シランは、病気なんですか?」
「そのようなもの、だな。体の問題を抱えている、という意味では」
「……そうですか」

 奥歯に物が挟まったようなおれの返答を聞いて、ヘレナは唇を噛んだ。

 シランがただの病気ではないことは、当然、察しているのだろう。

 そもそも、この倉庫の光景を見られた時点で、誤魔化しようなどなかったのだ。

 ……これは、多少無理にでも、口止めをしなければ駄目だろうか。

 そんな思考が頭を過ぎって、おれは奥歯を噛んだ。

 実際のところ、やろうと思えば口止めは可能だった。

 おれには、それができた。
 勇者としての強権を行使して、黙っているようにとヘレナに命じればいいのだ。

 言うまでもなく、これは最低の手段だ。
 信頼関係を築くという当初の目的から言っても、悪手というほかない。

 だが、最悪を避けるためには、それもやむをえなかった。

「……」

 シランの顔を思い浮かべて、おれは心を決めた。

 しかし、それより一拍早く、ヘレナが動いていた。

「わかりました」
「……なに?」
「孝弘様の言う通りにします」

 固い声で、おれの指示に従うことを宣言する。

 これには、こちらが戸惑ってしまった。

「いいのか?」
「孝弘様は、シランが信頼してる方ですから」

 返答は、シンプルなものだった。

 あまりにも簡単過ぎて、かえって真意が掴めないくらいに。

「わたしに、できることはありますか」

 真摯な表情で、ヘレナは尋ねてくる。

 その様子を見る限り、シランに対して嫌悪の類は抱いていないらしい。
 純粋に、協力を申し出ているように見えた。

 おれは少し考えてから、口を開いた。

「……それじゃあ、この場を頼んでいいか」

 こちらの言うことを呑んで、ずいぶんと簡単に引き下がってくれた理由については気になったが、話し込んでいる時間はない。
 協力してくれるというのなら、願ってもないことだった。

「このままじゃ、なにかあったと丸わかりだからな。誰かが後始末をする必要がある」
「任せてください」

 あたりを示しておれが頼むと、ヘレナは力強く請け負った。

「どうすればいいですか?」
「そうだな……幸い、散らかってはいるものの、食べてなくなってしまった量は多くない。減っている分については、明日からの旅の準備のために、おれが融通してもらったことにしよう。メルヴィンさんたちには、そう言っておいてくれ」

 必要なことを考えながら指示していく。
 こうなってしまえば、むしろこの場にヘレナがいたことは、都合がよかったかもしれない。

「食べかけのものについては、適当な袋にでも詰めて、ローズたちの……おれの連れのところに届けてほしい。こっちで処分する」
「わかりました」
「ローズたちには、心配は要らないから待っていてくれと言伝を頼む。それと、この件についてなんだが……」
「村のみんなには内緒ですね。わかってます」

 先んじて、ヘレナは言った。

「頼まれたことについては、必ずやり遂げます」

 その瞳には、使命感が宿っていた。

 そして、縋るような色があった。

「だけど、その代わりに……シランのことはお願いします」
「ああ」

 この場はヘレナに任せれば大丈夫だろう。

 おれはリリィと目配せをし合うと、倉庫をあとにした。

   ***

 ヘレナにあとを任せて、おれたちはシランを追った。

 おれと眷属は、互いを繋ぐパスを介して、お互いの位置を感じ取ったり、心を伝えたりすることができる。

 だが、シランにそれは当て嵌まらない。
 元人間である彼女は、眷属として特殊な成り立ちのせいか、パスの繋がりが弱いからだ。

 リリィの嗅覚だけが頼りだった。

 おれは、先行するリリィを追いかける。

 しばらく走ると、行く手に高い壁が立ち塞がった。

「村の防壁? ……シランは、外に出たのか?」
「みたいだね」

 村は夜の間もモンスターの襲撃を警戒している。
 不用意に壁を越えれば、見付かる可能性が高い。

 しかし、夜警についているエルフたちの間で、騒ぎが起きている様子はなかった。
 どうやらシランは、見付かることなく村の外に抜け出すことに成功したらしい。

 やはり、以前の暴走状態とは、少し違うのだろう。

 おれたちも、こっそりと壁を乗り越えた。

 工藤陸の配下でもなければ、基本的にモンスターが秘密裏に村に侵入を企てるなんてことはない。
 よって、エルフたちもそのあたりは想定しておらず、気を付けてさえいれば、見付かることはなかった。

 壁から降りると、そこはもう夜の樹海だ。

 昼でも薄暗い森は、夜ともなれば、ほぼ見通しが利かない。

 おれはリリィに言って、魔法の灯火を用意してもらった。

 気持ちは急くが、明かりがあっても夜の森は暗い。
 もどかしくても、モンスターの襲撃を警戒しつつ進んでいかなければならなかった。

 そうして、十分ほども歩いただろうか。

 その背中を見付けた。

「……シラン」

 森のなかでうずくまっているうしろ姿。
 あれは、シランのものに違いなかった。

 無事に見付けられたことに、まずは安心して呼び掛けると、彼女はぴくりと反応した。

 だが、それだけだ。
 こちらを振り向くことはなかった。

 リリィを伴って、おれは彼女に近付いていく。

「……」

 異臭が鼻を突いた。

 独特の生臭さ。
 生き物の内側の臭いだった。

 それで、うずくまったシランが『なにをしていたのか』に気付いた。

 一拍遅れて、リリィの掲げた灯火の光が、シランのもとに届いた。

 不吉な赤さが、目に付いた。

 夜闇に浮かび上がった少女の姿は、血塗れだったのだ。
 金色の髪も、白い鎧も、血に汚れてどろどろになってしまっている。

 そこで、うずくまっていたシランが、ようやくこちらを振り返った。

「孝弘殿でしたか」

 ある意味、この場にそぐわないような、落ち着いた声だった。
 ひとつきりの青い瞳が、静かにおれを見返している。

 何事もなかったのかと錯覚してしまいそうなくらいに、シランは平静な様子だった。

 けれど、振り返った彼女の向こうに転がっている群青兎の屍が、そんな逃避を許してはくれなかった。

 斬り捨てられたと思しき群青兎は、全部で三匹。
 そのうちの一匹に、獣にでも食い荒されたような形跡があった。

 そして、先程、落ち着いた言葉を吐いたシランの口元は、返り血ではありえないくらいに真っ赤に染まっていた。

 なにがあったのかは、わざわざ尋ねずとも明らかだった。

「驚かれないのですね。予想されていましたか?」
「さすがに、ここまでくるとな」

 苦笑する。

 笑えていた、と思う。
 普段のように。

 そのために、シランを探しながら、必死で考えを巡らせていたのだから。

「『デミ・リッチ』化の副作用……ってことでいいんだよな? どういう理屈かはわからないが、シランには、モンスターの肉を食べる理由があったんだろう? そのために、貯蔵されていた群青兎の肉を喰らった」
「……ああ。あれを見られてしまったのですね。道理で、こんなところに孝弘殿が現れるわけです。村に戻ったら片付けるつもりだったのですが、失敗しましたね」

 おれがどうしてこの場に現れたのか、それで納得行ったのか、シランもまた苦笑いを零した。
 口元の赤色を無視すれば、それは、やはり普段通りの光景と言ってよかった。

「孝弘殿が片付けてくださったのでしょうか。……いえ。その割には、ここに来るのが早いですね。ひょっとして、そのままでしょうか。だとすれば、今頃、騒ぎになってしまっているかもしれませんが……」
「いや。ヘレナが一緒にいたから、片付けは任せてきた」
「……ヘレナが?」

 ほんの少し、シランは驚いた顔をした。

「そう、ですか。それなら安心ですね」

 すぐに、その驚きも引っ込められる。

「あの子なら、信頼できるでしょうから」
「……なあ、シラン。いったい、なにが起こっているんだ?」

 微かな笑みを口許に浮かべるシランに、おれは問い掛けた。

 予想していたより遥かに落ち着いた彼女の様子に安堵したものの、疑問は膨れ上がるばかりだった。

「こうして村から出てきたのは、モンスターを狩るためか? ひょっとして、旅をしている間、夜の見回りをすると言い出したのも、そのためだったのか?」

 リリィの話では、ただ見回りをしているにしては不自然なくらいに、シランは多くのモンスターと遭遇していたのだという。

 そのたびに、彼女は血の臭いを漂わせていた。

 目の前のシランの姿を見れば、なにをしていたのかは誰でもわかる。
 シランは見回りの枠を超えて、モンスターを積極的に狩っていたのだろう。

 しかし、わかるのはそこまでだ。

「貯蔵されていた群青兎の肉では駄目だった、ということか? そこに、どんな理由がある?」

 わからない。
 そして、それ以上に歯痒かった。

「事情があるなら、どうして言ってくれなかったんだ?」
「申し訳ありません。孝弘殿」

 シランは深々と頭を下げた。

 そこにあったのは、血に塗れていようとも、なにも変わらず実直で高潔な騎士の姿だった。

「ご心配をかけたくないと思い、事情を伏せていました。そのせいで、かえってご心配とご迷惑をかけてしまったようです」

 それは、とてもシランらしい言葉だったから、おれはそれ以上、彼女を責められなくなってしまう。
 頭を下げるシランと、言葉を失ったおれの間に、沈黙が落ちた。

「ご主人様。とりあえず、一度落ち着いてから、話をしたらどうかな」

 そんなおれたちに、絶妙のタイミングでリリィが声をかけた。

「ほら。シランさんだって、汚れているし」

 このままでは、埒があかないのも確かだった。

「……そうだな」

 おれが頷くと、シランも顔を上げた。

「はい。わたしも、すべてをお話いたします」

   ***

 シランの支度が済むまで、おれとリリィは少しその場を離れた。

 それほど時間はかからずに、シランは姿を現した。

 丁寧に血は拭われている。
 臭いと、あとは服に染みが残っているくらいだった。

「『普段』はもう少し気を付けているのですが、『今回』はちょっと余裕がなくて、汚してしまいました。この服はもう駄目ですね。お見苦しいところを、お見せしました」
「もう大丈夫なのか?」
「はい。ご心配をおかけしました」

 シランは律儀に頭を下げると、改めて口を開いた。

「それでは、お話をさせていただきます」
「ああ」

 頷いたおれに、シランは語り始めた。

「孝弘殿もお察しの通り、いまのわたしはモンスターの肉を必要としています。これは『デミ・リッチ』としての、わたしの体質に原因があるようです」

 なにを話すべきか、すでに考えていたのか、説明はスムーズなものだった。

「わたしの体は人間の頃とは違って、食物を摂取してその栄養で動いているわけではありません。食べることはできても、その必要はない体ですから。それを可能にしているのが『デミ・リッチ』としての特性……魔力によって、すでに死したこの体は動いています」

 広げた手を見下ろして、シランは言った。

「ですから、食べ物を摂取する必要はない。そのように、最初はわたしも考えていました。しかし……」
「実際は必要だった?」

 話の先が見えてきて、おれは眉を顰めた。

「とすると、魔力を?」
「ええ。なにも摂取せずに維持できるほど、この体は効率のよいものではなかったようです。わたしには、なんらかのかたちで魔力を摂取する必要がありました」

 魔力の低下による体調不良。

 思い返してみれば、その兆候はあった。
 団長さんが捕縛されたあと、しばらくしてからシランは前線に立つことがなくなり、のちほど、それは『デミ・リッチ』としての体のバランスが崩れて、戦闘力が低下したのが原因だと聞かされた。

 けれど、それは事実のすべてではなかったのだろう。
 体のバランスが崩れているという話も、まったくの嘘ではなかったのかもしれないが、実際には、魔力の低下という別の深刻な問題を抱えていたのだ。

「そこで、モンスターです」

 シランは、おれの隣にいるリリィに、ちらりと目をやった。

「モンスターの屍を食べることで、魔力を得ることができることは、孝弘殿もご存知でしょう? チリア砦では、そうしてリリィ殿の魔力を高めていた。わたしがモンスターを喰らっていたのも、同じ理屈です」
「……それじゃあ、なにか。減少する魔力を喰い止めるために、シランはモンスターを喰らっていたっていうのか?」
「そういうことです」

 単純にグールのように屍を衝動的に欲していたわけではなく、そこには魔力の補充という目的があったということだ。

 ここ数日で貯蔵された塩漬けの肉では駄目だったのも、そのあたりが原因なのだろう。
 時間が経っていたせいか、すでに加工されていたせいか……いずれにせよ、必要な魔力が得られなかったのだろう。

「旅の間は、夜の見回りのたびに、モンスターを狩っていました。幸いなことに、誰に気付かれることもなく……いえ。一度だけ、ベルタに見付かってしまったことがありましたか」
「ベルタに?」
「彼女も夜の見回りがてら、獲物を狩っていましたから」

 ベルタの場合、特に隠してもいなかったため、夜な夜なモンスターを狩っていることは、おれも知るところだった。

 ベルタの場合はリリィと同じく、自身の強化が目的だったが、やっていることはシランと変わらない。
 両者が遭遇するのは、ある種の必然でもあったのかもしれない。

 これで、ベルタがいち早くシランの異変に気付いた理由についても、納得がいった。

「ああ。この件について、ベルタが黙っていたことについては、責めないでやってください。わたしが、黙っていてくれるようにと彼女に頼み込んだのです」

 ベルタが誠実であることは間違いないが、黙っていたせいで発覚が遅れた面もあるわけで、おれにはなんというべきかがわからない。

 代わりに、別のことを尋ねた。

「夜回りのことについてはわかった。だが、町にいる間はどうしていたんだ?」
「たまに機会を見計らって、町の外に出ていました。軍と連絡を取ったり、物資を手配したりと、単独行動を取っていることもよくありましたので」

 その間に、こっそりと町の外に出ていたということらしい。

 実際、これは言われて思い出したのだが、以前にローズとふたりでディオスピロの町に出たときに、町の外から戻ってきたシランらしき人物の姿を見かけたこともあった。

 一瞬だけだったので、見間違いかとも思っていたのだが、あれは当人だったのかもしれない。

「このまま、誰にも気づかれないようにやり過ごせると思っていました。しかし、わたしの見立ては甘かったようです」

 シランは、小さく溜め息をついた。

「村の者たちと合流してからは、そうもいかなくなりました」
「そうか。エルフたちと一緒にいたときには、夜の見回りに出ていなかったから……」
「はい。モンスターを食べるわけにはいきませんでした」

 結果、シランは飢えた。

 それが、今回の騒動の顛末だった。

「今日の昼間、討伐作戦の途中で様子がおかしかったのも、そのせいか」
「はい。あれは、少し危なかったです。我慢が続いていたところに、紅玉熊の血を浴びて、理性の箍が外れかけました。どうにか夜までは堪えたのですが、結局は我慢が利かず……お恥ずかしいところをお見せしました」

 シランは深々と頭を下げた。

 おれは、かぶりを振った。

「空腹で我慢の限界だったんだろう? それなら仕方がない。……ただ、相談してくれれば、こんなことになる前に、おれたちも協力できたのに、とは思うが」
「申し訳ありません」
「いや。謝ることはない。これからは頼ってくれれば、それでいいんだから」

 失敗は誰にだってある。

 おれだって、目を覆うような大失敗をして、死にかけたことがあった。
 シランのことは責められない。

 取り返しのつかない大失敗をしたわけではないのだから、これから気を付けてくれればいいのだ。

 立派な騎士であるシランなら、おれなんかよりも余程にうまく、この失敗を糧にすることだろう。

「まずは、村に戻ろう。それから、必要なことはみんなで話し合おう」

 おれはシランに語り掛けた。

「大丈夫だ、モンスターを食べるのなんて、別におれたちにとっては大したことじゃない。リリィのことを考えれば、そんなの今更だしな。みんな、力になってくれるはずだ」
「ありがとうございます、孝弘殿」

 シランは頭を上げて、微笑を浮かべた。
 相手を無条件で安心させるような、頼もしい騎士の貌だった。

 それを見ることができて、ようやく胸を撫で下ろしたおれは、ふたりを引き連れて、村への帰路に就いたのだった。
◆連続更新です。

もう一回、更新します
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