34. 悲劇の顛末
(注意)本日2回目の投稿です。
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マルヴィナの勧めもあって、数日の間、おれたちは竜淵の里に逗留して、旅の疲れを癒すことになった。
隠れ里であるこの集落には、普通なら旅の人間が立ち寄ることはないため、滞在のための施設はない。
貸し出されたのは、里の者が住んでいる家屋だった。
竜に合わせて作られたものではなく、一般的なサイズのものだ。
人間の姿でいることを好まない者が、あまり使わずに放っておいたのを、あらかじめ掃除して、準備しておいてくれたものらしい。
ロビビアも、おれたちと一緒にいた。
リリィと一緒に帰ってきた彼女は、努めて平気なふうを装っていた。
強い子だと思う。
あれだけ酷く拒絶されていて、傷付いていないはずはないのに。
たとえそれが、仕方のないことだったとしても……。
「……」
おれは、ひとり部屋でベッドに腰掛けていた。
少し考え事をしたい気分だったのだ。
リリィたちはおれの気持ちを察してくれて、別の部屋に移っている。
そうして考えているのは、マルヴィナから聞いた話のことだった。
脳裏に、その内容を浮かべる。
元勇者が殺された、その経緯を……。
***
当時、マルヴィナは元の縄張りであるこの森から出て、別の場所で暮らしていたのだという。
人里離れた場所で、ひっそりと。
華やかさはないものの、静かで満ち足りた暮らし。
ああ。それは、ある種の憧れさえ抱いてしまうような……。
そこに、人間の軍勢が現れた。
マルヴィナは、子供たちを連れて逃げ出した。
そうするしかなかった。
子供たちの何人かは大人になっていたが、まだ小さな子供もいたし、なにより彼女は身重だったからだ。
旦那である元勇者は、彼女が逃げ出すための時間を稼ごうとした。
最初は彼も、話し合いを試みたらしい。
すでに成竜となった子供たちと一緒に、交渉に出向いた。
だが、駄目だった。
その場に出向いて帰ってきた者はいなかったので、詳しい事情はわからないが、交渉は成立しなかったらしい。
壮絶な戦いのすえに、彼は邪悪なドラゴンとして討たれた。
彼を殺した『敵』は――聖堂騎士団と、次代の勇者だった。
この話を聞いたシランとケイは、蒼い顔をしていた。
元とはいえ、勇者を騎士が殺したというのは、彼女たちにしてみればショックな出来事だったのだろう。
もちろん、相手が元勇者だと知っていて、騎士たちが戦ったというわけではないだろう。
彼らはモンスターを討伐しにきて、偶然、元勇者に行き遭ったはずだ。
マルヴィナと出会った元勇者が人間の世界から姿を消して、その時点で長い年月が経っていた。
竜に化ける彼の力や、その姿については、教会には記録が残っていたとはいえ、不意の遭遇でそれに気付けというのは無理がある。
交渉が成立しなかったのも、そう考えてみると、当然といえば当然だった。
この世界では、意思を持ち、人間に害を及ぼさないモンスターというのは、認知されていない。
また、ドッペル・ゲンガーのように、人間の姿を取るモンスターもいる。
話をしようとして、その前に滅多打ちにされてしまってもおかしくないのだ。
結局、元勇者は子供とともに殺された。
また、当時の勇者は生き残ったものの、片腕を失う大怪我をしたらしい。
随伴していた聖堂騎士団も、大きな損害を被った。
シランに話を聞いたところ、該当する代の勇者は早々に戦闘能力を失ったために、世界中で大変な被害が出たのだという。
偶然のもたらした悲劇と言うべきだろう。
事件のあと、マルヴィナは人間との接触を完全に断つことに決めた。
あれだけの戦力を持ちながら、慎重に慎重を重ねていたのは、ひとえに大切なものを多く失った経験のためだったのだ。
「なあ、サルビア」
「なにかしら、旦那様」
虚空に投げたおれの声に、サルビアがふわりと正面に姿を現した。
「マルヴィナは復讐心を呑み込んで、人間たちと接触を断つことを決めた。この昏き森の、誰も立ち入れないような奥地に、隠れ里を作った。……サルビアも手を貸したんだよな。ずいぶんと貴重な魔法道具を使ったと聞いたが」
「『世界の礎石』ね。あれは、遠い昔に古い知人からもらったの。聖堂教会が抱え込んでいる魔法道具で、帝都には、同じものがいくつかあるらしいのだけれど……いったいどうやったのか、拝借してきたと言っていたわね。貴重だからと言って、抱え込んでいても意味はないし、数少ない友人の頼みだったから、使うことにしたのよ」
と、なんでもないことのようにサルビアは言ったが……どうなのだろうか。
本来それは『霧の仮宿』を、おれのような契約者なしでこの世界に固定するために、古い知人とやらから渡されたものだったのではないだろうか。
真実を淡い微笑みの裏に隠して、サルビアは女性らしい唇を開いた。
「わたしは『霧の結界』で森を包み込んで覆い隠すことにしたの。もう二度と、あのようなことがないように……」
重い吐息が、その唇から漏れた。
「ただ、マルヴィナ自身は、その選択を正しいものだとは、決して思っていなかったみたいだけど」
「……そうみたいだな」
それは、話を聞いているうちに、おれも感じていたことだった。
彼女は『この里を閉じることでしか守れない』と口走っていた。
それ以外に方法がなかったから、やむをえずに、そうしただけなのだ。
実際、マルヴィナは自分たちの身に起こった悲劇について語ったあとで、こう続けた。
――わたしたちには、先がない。あとはもう、ここで誰にも知られずに、ひっそりと朽ちていくだけさ。
先がない。
未来がない。
その言葉の真意は、夫を失った当時のマルヴィナのお腹のなかにあった。
事件のあとで、身重だった彼女はひとつの卵を産んだ。
新しい命。
失ったものが大きいからこそ、それは彼女たちにとって、希望の象徴だったはずだ。
けれど、その卵は長いこと孵らなかった。
新たな命さえ生まれることなく消えてしまったのかと、夫を喪ったマルヴィナは、更なる絶望に叩き落されることになった。
それでも彼女は待ち続けた。
ずっと、ずっと。
そして、奇跡は起きた。
卵が孵ったのだ。
……孵りはした、というべきだろうか。
それが絶望の上塗りになるとは、誰が予想できただろうか。
生まれた子供には、他の子供たちと違って、自我が芽生えなかった。
そう。他でもない、ロビビアのことだ。
いったいどうして、彼女は自我を持たなかったのか。
言い換えるなら、なにが他の子供たちと違ったのか。
恐らく、原因は元勇者の不在だろう。
おれとはまた別のかたちで、彼には『モンスターと心通わせる力』があった。
それは、眷属であるモンスターの自我の形成に大きな関わりを持っていたはずだ。
とはいえ、マルヴィナや他の子供たちに影響は出なかったらしい。
彼女たちは、すでに自我が確立していたからだろう。
だが、新たに生まれてくる子供にとって、彼の存在は絶対に必要なものだったのだ。
しかし、それは失われてしまった。
つまるところ、マルヴィナたちは、このような辺境に引っ込んだまま、未来を紡ぐことさえできなくなってしまったのだ。
あとはもう、マルヴィナの言う通り、誰にも知られることなく朽ちるだけだ。
いまなら、どうしてサディアスがおれの存在を指して、『自分たちに未来をくれる』と言っていたのかが理解できる。
おれがロビビアに自我を与えたということは、一度は元勇者の死によって途切れた未来が、再び紡がれたということ……その先があるということなのだから。
――真島孝弘。あんたは、わたしたちに未来をくれるのかもしれない。
マルヴィナは、こんなふうにも言っていた。
――あんたが竜の里に居ついてくれれば……などと、サディアスあたりは考えてもいるんじゃないかね。だけど、わたしはそれを望まない。わたしたちは、あのときにすべてを諦めた。だけど、あんたは違うかもしれない。わたしたちのために、あんたたちの可能性を狭めてしまってはならないんだよ。
その言葉には、強い想いが込められていた。
思い入れが感じられた。
おれがマルヴィナたちに自分たちの将来を見たように、彼女もまたおれたちに、あったかもしれない自分たちの『もしも』を投影しているのかもしれない。
だから、その可能性を自分たちが損ねてしまうことを恐れている。
――ロビビアを頼んだよ。
最後に、マルヴィナはこう言った。
彼女はきっと、この終わってしまった世界から、ロビビアだけでも外に出したいのだろう。
あの見るからに屈強なレックスでさえ、人間を憎悪し、深く恐れていた。
恐らく、例外はサディアスくらいのもので、多かれ少なかれ、ああした性質は竜淵の里のドラゴンならみんな備えているものなのだろう。
しかし、父や兄弟姉妹の喪失を知らないロビビアだけは、ある意味、過去の呪縛を受けていない。
自由でいられる。
だからこそ、マルヴィナはロビビアをああして追い出しもした。
下手に里心が付いてしまって、自分たちの存在が足を引っ張る鎖になってしまわないように。
そうしてロビビアをおれに託したことも、おれという存在に可能性を見ればこそ、なのかもしれなかった。
「……可能性、か」
ぽつりと、口からつぶやきがこぼれた。
重い言葉だと思った。
なぜなら、可能性という言葉の意味は、必ずしもよいものばかりとは限らないからだ。
投げたコインの裏表。
いいこともあれば、悪いこともある。
「ひょっとして、マルヴィナたちのこと、知って後悔しているかしら?」
無意識のうちに溜め息をついたおれの様子を見て、サルビアが眉尻を下げた。
「……いや。そんなことはない」
おれは、かぶりを振った。
「これまでも将来のことを考えていなかったわけじゃないが……実際に起こった出来事を、その想いを、直接聞けたことはやっぱり大きかった」
マルヴィナの話には、当事者のリアルな重みが感じられた。
これからのおれたちにだって、なにがあるかわからないのだと……ある種、思い知らされたと言っていい。
あらゆる最悪を想定しなければならないのだろう。
けれど、悲観的になり過ぎてもいけない。
そうしてうちに籠ってしまえば、おれたちの可能性は閉ざされてしまうだろう。
それは、マルヴィナの言う通りで……思えば、シランたちとわかりあえたのだって、そうだった。
慎重に、けれど、怖じることなく、おれはこの世界を知らなければならない。
無論のこと、リスクがあるのは承知している。
だから、いざというときは、決断を迷ってはならない。
敵が誰であろうとも、抗い、戦い、打ち倒す覚悟が必要だ。
そうしたすべてが、リリィたちを率いるおれの責任なのだった。
「ここに来て、話を聞けてよかった」
おれが言うと、サルビアはにこりとした。
「旦那様なら、そう言ってくれるだろうと思っていたわ」
言いながら、重さを感じさせない動作でおれの隣に腰掛ける。
二本の腕が伸びてきた。
「なんだ、いきなり?」
それは、やわらかな抱擁だった。
契約者と精霊という関係性からか、普段から気安くスキンシップを取るサルビアではあったが、このように改まって抱き締められるのは、これが初めてのことだった。
戸惑うおれに、サルビアは言った。
「ありがとう、旦那様。マルヴィナの話を聞いてくれて」
「……あれは、おれにとっても有益な話だった。サルビアだって、そう思ったから、おれをここに連れてきたんだろう? 礼を言われるようなことじゃない」
「ええ。だけど、可能性って言葉を口にしたマルヴィナの気持ちまで、旦那様はきちんと受け止めてくれたでしょう? それが、わたしは嬉しかったの」
サルビアにとっても、マルヴィナと元勇者に降りかかった悲劇的な事件は、大きな傷になっていたのだろう。
ここにおれを連れてきたのも、そのためだ。
ゆえに、ここでサルビアの浮かべたのは、心の底からの喜びの笑顔だった。
「だから、ありがとう」
「こちらこそだ。ここに連れてきてくれて、感謝してる」
おれも、言葉を返した。
自分はこれからどうするべきなのか。
これまで漠然としてきた目標が、この地に来たことで定まったような気がしていた。
リリィたちと話をしなければならない。
ロビビアにも声をかけてやらないと。
そんなことを思いながら、少し瞼が重くなるのを感じた。
旅の疲れが溜まっていた……というのもあるが、どちらかといえば、原因は寄り添う温かさのほうだっただろうか。
サルビアの抱擁は、リリィやガーベラからのそれとは、少し違う感触がした。
そこには、年長者からの労わりと慈しみが多分に感じられた。
互いの生きてきた時間のことを考えれば、子供扱いするなと反発する気にもなれない。
それに、親から子に向けるようなそれは、存外に悪くない気分だった。
どこかにあった喪失感が、埋められるような安心感があった。
そうして、いつの間にか、おれは眠ってしまっていた。
ノックの音が眠りを破るまで、おれはしばしの休息に身を委ねた。
◆週末に更新したかったのですが、月曜になってしまいました。
ちょっと苦戦しました。
先週分含めて二話のお届けになります。