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モンスターのご主人様 作者:ショコラ・ミント/日暮 眠都

4章.モンスターと寄り添う者

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32. 竜淵の里

前話のあらすじ:

お留守番の深津明虎「……寂しい」
   32


 アケル北部の昏き森には、下生えの類がほとんど存在しない。

 霧のせいで昼でも薄暗く、草木の生育に十分な陽光が得られないからだろう。
 剥き出しの地面からは、太陽の光などなくとも生育に支障のない樹海の木々だけが生えている。

 ただ、そうした木々も太陽の位置が感じられないためか、幹は真っ直ぐに伸びることがない。

 赤茶けた地面に、歪に捻じれ曲がった樹木が生え、それら全てが霧に沈んでいる光景は、一言で表すなら『魔境』といったところだろうか。

 これが竜の棲む森かと、興味深く思いながら歩を進める。

「なあなあ、孝弘」

 呼び掛けとともに、くいっと裾が引かれた。
 竜淵の里まで、あと少しという道中での出来事だった。

 視線を落とすと、ロビビアが近い距離を歩いていた。

 少しばかり、歩きづらい。

 たまに、広げたままの彼女の翼がこつこつと背中にぶつかった。
 とはいえ、おれは特になにかを言うつもりはなかった。

 それが彼女の抱えた不安の表れであることは、明らかだったからだ。

「わかんないことがあるんだけど、訊いていいか?」

 昨日までは無口なロビビアだったが、今日はこうしていろいろと尋ねてくる。
 そうした行動も、不安の裏返しだとわかっているから、おれはなるべく軽い口調を心がけた。

「なんだ。わからないことがあったら、なんでも訊けって言っただろ?」

 ロビビアは、赤い髪を揺らして首を傾げた。

「孝弘は、リリィと番いなんだよな?」
「……」

 思っていた以上に、直球な質問がきた。

「……あー。まあ、そうだな」

 周囲の耳が気になるが、なんでも訊けと言ってしまった以上、おれは質問に答えざるをえない。
 ロビビアは更に尋ねてくる。

「それで、ガーベラも番いなんだよな?」
「う、うむ。そうだぞ」

 なぜか、この質問にはうしろを歩いていたガーベラが答えた。

「妾と主殿は両想いなのだ」

 豊かな胸を張り、拳を握り締めて言う。

 むずむずと嬉しげな口元。真っ赤になった顔が可愛らしい。
 おれとしては、他人の耳もあるこの状況、恥ずかしい限りなのだが、それと同時にガーベラの素直な好意の表明には嬉しい気持ちも湧いてしまう。
 こういうところが、惚れた弱みというやつなのだろう。

 少し頬が熱を持つのを感じていると、振り返ったロビビアが首の傾きを逆にした。

「ふぅん? なのに、ガーベラは孝弘と一緒の布団で寝ないんだな?」
「ぐはっ!?」

 ガーベラが悲鳴をあげた。
 大ダメージだった。

「そ、そのあたりは、いかんともしがたい事情があるのだ」

 よろよろと足取りを怪しくしたガーベラが、胸を押さえながら口を開いた。

「両想いというのは難しいものでな」
「難しい?」
「まあなんというか……興奮しすぎると、こう、つい主殿のことを抱き潰してしまいそうになってな?」
「抱き潰す……っ!?」

 びっくりした拍子に翼を大きく広げたロビビアが、べたっとおれに抱き付いてきた。

「お、おいっ」

 おれは危うく足をもつれさせそうになる。

 が、ロビビアは聞いていなかった。
 グルゥと喉の奥を鳴らすと、ただでさえ鋭い目を三角にして、ロビビアはガーベラを見詰めた。

「……潰すのか?」

 全身から迸る警戒心が、まるで棘のようだった。

「つ、潰さん! 潰さんとも! だから、主殿と同衾はしてはおらんだろ?」

 慌ててガーベラが弁明する。

 どこかで見たことのある光景だった。
 そう。これはローズに怒られるガーベラの図とよく似ているのだ。

 棘のある花同士の、意外な共通性といったところだろうか。

 そんなことを考えていると、ぷっと噴き出す声が聞こえた。
 振り返れば、先導するキャスが「失礼」と言って口許を押さえたところだった。

 彼女は優しい目で、おれにくっついたままガーベラを睨むロビビアを眺めていた。

 クルルル、と喉の奥でロビビアが唸り声をあげて、翼を収めた。

「潰さないのならいいけど……わけわかんねえな」
「むぅ。仕方なかろ。どうにも興奮してしまうと、力加減ができぬのだから。お主も、そのうちわかる」
「どうかなー、ガーベラ。それは、あなただけだと思うけど……」
「リリィ殿!?」
「ガーベラは強いのに、情けねえなあ。いっそのこと、手足を縛っちまえばいいんじゃねえの」
「むぐ。ロビビア。お主もなかなか言ってくれるな……ん? 縛る?」
「おい。お前たち、楽しそうなのはいいけど、それくらいにしておけ。ここだって、昏き森なんだ。モンスターが出てこないとも限らない」

 多少の雑談はかまわないが、ちょっと緩み過ぎていたので注意をする。

 それぞれ思い思いの返事を聞いたところで、おれはロビビアがなにやら思案顔をしているのに気が付いた。

「どうした、ロビビア。なにか気になることでもあるのか?」
「いやぁ……だからなのかなと思ってさ」

 首を上に向けて、ロビビアはおれの顔を見詰めた。
 吊り気味の大きな赤褐色の目に、おれの姿を映し出して、尋ねてくる。

「孝弘のなかに、ガーベラとリリィの魔力があるじゃん。それって、番いだからなのか?」
「……なに?」

 目を見開いたおれたちの反応を見て、ロビビアはきょとんとした顔をした。

「え? お、おれ、なんか変なこと言った……?」
「ガーベラの魔力はともかくとして……リリィの魔力も? それは、本当か?」

 おれが問い掛けた直後、ロビビアとは逆側にいたリリィと、うしろのガーベラが動いた。

「ちょっとご主人様。確認させて」
「妾も」

 側面と背後から身を寄せてくる。

 うしろのほうを歩いていたケイが「わわっ」と小さな声をあげた。

 見た目、桃色の光景かもしれないが、おれとしては捕獲された感が強い。
 さすがに歩けるはずもなく、一行も足をとめた。

 数秒後、ふたりが身を離した。

「……ほんとだ。わたしの魔力がある」
「うむ。近くにい過ぎて気付かんかったの」

 ふたりとも、口々に言う。
 ということは、ロビビアの言っていたことは本当らしい。

 そういえば、出会ったばかりのときも、ロビビアは不思議そうにおれたちのことを見比べていたような覚えがある。
 あれは、魔力の類似性に引っかかっていたせいだったというわけだ。

「でも、いつから?」
「……そういえば」

 首を傾げたリリィの言葉に、おれは思い出した。

「最近になって、魔力が増えたような気はしていたんだったか。まさかそれが、リリィの分の魔力が増えたからだとは思ってなかったが」

 タイミング的には、『霧の仮宿』の遭遇前後だ。
 増えた魔力に体を馴らしていたこともあった。

「時期的に、考えられる原因としては……リリィが水島美穂の転移者としての能力を擬態できるようになったことか?」

 あるいは……と、言いかけた言葉をおれは呑み込んだ。

 狂獣と化した高屋純との戦闘において、ガーベラの白い暴虐の力を一瞬とはいえ再現できるようになったことも、関係しているのかもしれない、と思ったのだ。

 あれはおれにとって、ひとつ大きな成長だった。
 能力が深まり、ひとつ先の段階へと踏み出した。

 他に影響が出ているのかもしれない。

「よくわかんねえけど、番いかどうかは関係ないってことか?」

 おれたちの考えが纏まったところで、ロビビアが尋ねてくる。

「ああ。関係があるのは、眷属であるかどうかだ。パスを介して、魔力が流れ込んできているんだよ」
「ふぅん」

 くっついたままのロビビアは、さっきのリリィたちと同じように目を閉じた。

 眉間に皺を寄せて、集中する様子を見せる。

「……あ。本当だ」

 目を開けて、つぶやく。

「ほんのちょっとだけだけど、おれの魔力もある。他は……ちょっと、感じられねえけど」
「それは、魔力量の問題ですね」

 ローズが言った。

「わたしは、ガーベラやリリィ姉様ほど魔力が多くありませんから。ご主人様の魔力量の増加に寄与できていないのでしょう。……そういう意味では、ご主人様のお役に一番立てていないのはわたしですね」
「なにを言ってる。おれの装備を揃えてくれたのはローズだろう。十分に貢献してくれている」
「わたしたちの装備だってそうだしね」

 おれが言えば、リリィも口を添えた。

「ロビビアを助けるときにだって、ローズの作ってくれた装備が役に立ってくれたんだ。ありがたく思っているよ」
「ありがとうございます」

 ローズは少し嬉しげな声で言って、頭を下げた。

「よりいっそうの精進をいたします」

 真面目な彼女らしい言葉だった。

「さて。あまり時間をかけていると暗くなってしまう。そろそろ行かないか」

 足をとめてしまっていた一行を、サディアスが促した。

「竜淵の里は、もうすぐそこだ」

   ***

 サディアスの言葉は本当だった。

 十分もしないうちに、あれだけ重く立ち込めていた霧が唐突に晴れた。
 のれんかカーテンでもめくったみたいに、視界から白色が消える。

 次に目に飛び込んで来たのは、静謐な水面だった。

 中央に小さな島を抱えた、巨大な湖だ。

 真っ白な霧は、湖を囲む範囲だけ晴れているらしい。
 上空は霧に覆われており、まるで白いドームの内側にすっぽりと湖が収まっているかのようだった。

 鏡のように静かな湖面からは、数ヶ所、渦を巻く細い水柱が立ち昇っているのが見えた。

 低きから高きに向かう水の流れ。
 それが尋常な現象であるはずはなく、水柱の上端では飛沫が濃い霧となって、上空に広がる白い天井に新しい霧を供給していた。

 その光景は巨大な天蓋を支える天の柱のようにも見えて、おれはしばし言葉を失った。

「この湖が霧の供給源となっているんだ。霧となった水はいずれ大地に戻り、地下水として湖に戻ってくる」

 サディアスの言葉を聞きながら目の前の光景を見渡すうち、湖のほとりに、大岩を組み合わせて作られた家々がひと塊に立ち並んでいるのを見付けた。

 他に居住区と思われる場所もないし、あれが竜淵の里なのだろう。
 あそこに『歴史を知る者』がいるというわけだ。

「参りましょう」

 キャスの先導で、湖を回り込むように歩き出す。

 霧を抜けたために、かなり先程よりも明るくなったが、それでも少し薄暗い。
 上空を覆い尽くす霧のためだが、これならたとえ空を飛んでいる相手であっても、この里を見付けることはできないだろう。

 歩いていると、こつりと背中にぶつかるものがあった。
 ロビビアの翼だった。

 見れば、赤毛の少女はこれ以上ないくらいに表情を強張らせていた。

 あれだけ帰りたがらなかった里が目の前にあるのだから、不安が最大限に膨れ上がるのも無理のないことだった。

「なあ、ロビビア」

 呼びかけて、おれは赤毛の頭にぽんと手を乗せた。

 珍しく払いのけられることはなかった。
 ただ赤褐色の目がこちらを向いた。

「なんだ」

 返ってくる声も、表情と同じくらいに硬い。
 なんでもないことのように、おれは尋ねた。

「話し合いがうまく行ったらどうするつもりだ?」
「え?」

 ロビビアは戸惑いの声をあげた。

「ここに住むことになればそれでいいが、もし外に出るとなったら今後のことを考えなくちゃいけないだろう。どうしたいのか決めているか?」
「どうしたいかって、んなこと言われても……」

 予想していたことではあったのだが、ロビビアは答えを持っていなかった。

 里から外に出られるかどうか。いいや、むしろ本当に話を聞いてもらえるのかどうかというだけで、幼い思考はいっぱいいっぱいだったのだろう。

 だが、それではいけない。

 未来には希望がなければならない。
 そうであればこそ、いまを頑張ることができるのだから。

「ロビビアさえよければ、おれたちと一緒に来るか?」
「孝弘たちと?」

 返ってきた声は頼りない。

 そこには不安があり、怖れがあり……けれど、確かに一抹の期待があった。

「……おれが一緒でいいのか?」
「もちろんだ」

 頷きを返してやる。

「さっき、おれの体のなかにお前の魔力があるって言っていただろう? ロビビアが望むなら、眷属の……仲間のひとりとして一緒に行けたらと思ってる」
「そうだよー」

 おれの体を挟んだ逆側から、リリィがロビビアの顔を覗き込んだ。

「ロビビアだって、わたしたちと同じなんだから。なんなら、お姉ちゃんって呼んでもいいんだよ?」
「おお。それはいいな。妾のことも姉と呼んで慕ってよいぞ?」

 嬉々としてガーベラが賛同する。

 その白い頭の上に、ぴょんと飛び乗った小さな影があった。

「くぅ!」
「む、どうした。あやめ?」

 ガーベラの頭の上で、あやめは胸を張るようにして膨れた。
 リリィがぽんと手を叩いた。

「ああ。そういえば、あやめもお姉ちゃんだねえ」
「くぅー!」

 その通りだと鼻を鳴らして、ぴょんっとあやめは跳ぶ。

 飛び掛かられたロビビアは、反射的にその体を抱き留めた。

 つぶらな瞳と、三白眼とが見つめ合う。

「くう!」

 どこか誇らしげに、頼ってもいいんだぞとばかりに鳴くあやめの姿は、凛々しく見えないこともなかったかもしれない。

「こ……これが姉……」

 情けない顔をするロビビアを見て、くすくすと微笑ましげにリリィが笑った。

「それで、どうかな?」
「あ、う。えっと」

 問われたロビビアは、ちょっと顔を赤くした。
 要領を得ない言葉を口のなかで遊ばせたあとで、俯く。

「か……考えとく」
「そっか。楽しみ」

 少女の心から不安の影が薄れているのを確認して、おれもまた少し笑って、彼女の頭に置いていた手を離した。

 これなら、話し合いにさえなれば、言いたいことが言えないということはないだろう。

「ん?」

 そこでふと、おれは先導役のキャスがこちらを振り返っているのに気付いた。

 表情は変わらないのだが、彼女はどこか切なそうな眼をしていた。
 なんだろうか。気になる視線だった。

「……っ!?」

 そのキャスが、不意に表情を鋭く引き締めた。
 ばっと振り返ると、湖を囲うように広がる白い霧の壁の向こうへと視線をやる。

 ほとんど同時に、サディアスもそちらを向いていた。

 幻惑の霧を掻き分けて、そこからひとりの男が現れたのは、その直後だった。

「なっ!?」

 驚き身構えるおれたちの行く手を遮るように立ったのは、恐ろしく魁偉な男だった。

 サディアスたちと同じ衣装に包まれた体躯は、二メートル半はあるのではないだろうか。

 それだけ背が高いのに、印象としては横に大きい。
 顔は四角く、太い首は筋肉がみっしりと付いており、腕などは丸太のようだった。

 人間離れしている……という形容は、彼もここにいる以上、彼も竜淵の里の竜のひとりだろうから適切な表現ではないのだろうが、なんにせよ目を引く容姿であることは間違いなかった。

「レックス」
「どうしてこんなところに……」

 サディアスとキャスが口々に言うが、男はそれを無視した。
 ぎょろりとした目でロビビアを見る。

「里を出るなどということは許されんぞ、パトリシア」

 太い声で言う。

 パトリシアというのは、ロビビアの里での名前だった。
 そして、サディアスたちが口にしたレックスという男の名も、おれは知っていた。

 おれは事前にサディアスから、里には保守派というべき、ロビビアが里を出ることに反対している一派がいることを聞いていた。

 レックスというのは、そのなかの最先鋒の男の名前だったはずだ。
 まさかこんなタイミングで出てくるとは思わなかったが。

「あ、う……」

 おれの傍らで、ロビビアは顔面を蒼白にしていた。

 これではまともに話せるはずもない。

 ここは、おれたちで対応してやるほかなかった。

「おい。ちょっと待つんだ、レックス」

 おれと同じように考えたのか、レックスの前にサディアスが回り込んだ。

「いきなり現れたと思ったら、なにを言っているんだ? というか、隠れて立ち聞きとは行儀の悪い」
「里への闖入者に対して、里の守護者たるおれが対することのなにが悪い」

 ふてぶてしく言うレックスは、どうやら霧のなかに隠れて、おれたちを待ち構えていたらしい。
 あの霧には幻惑の効果がある。ガーベラでも気配を読むことができなかったのは、そのあたりが原因だろう。

 サディアスが大きな溜め息をついた。 

「闖入者? 真島孝弘の訪問は、事前に連絡がいっていたはずだ」
「おれは賛成した覚えはない」

 レックスはぎろりと、サディアスとキャスを睨み付けた。

「なにを考えているのだ、サディアス。それに、キャサリンもだ。里に人間を連れ込むなどとは」
「彼は『霧の仮宿』様の契約者だ」
「だとしても、人間だ。ただ契約者というだけで信用などできるものか」

 ある意味、まっとうなことを言って、レックスは岩石のような拳を握り締めた。

「人間は信用できん」

 頑なな言葉だった。
 同時にそれは、かすかに悲痛なものを含んでいた。

「おれたち竜は、この里を出るべきではないのだ。なぜ、それがわからない? おれたちは、それをあのときに知ったはずではなかったのか……?」
「レックス……」

 名前を呼ぶサディアスの声にも痛みがある。

 彼らに、なにがあったのか。
 まだ『歴史を知る者』と言葉を交わしていないおれにはわからない。

 それでも、目の前の大男が深くなにかを悲しんでいることは、その声色を聞くだけでわかった。

 だが、彼が悲しみに沈んでいたのも、一瞬のことだった。

「人間なんぞにパトリシアを任せられるか」

 吐き捨てるように言って、レックスの目がこちらを向いた。

 そこにあるのは、すでに敵意の一色だけだった。

「よく見ろ。そこにいるのは、人間だ。あのような貧弱な者にパトリシアを任せて万が一があったらどうする。あのような薄汚い者に里の存在を知られて、もしものことがあったらどうする」

 レックスは、おれを正面から睨み付けた。

 だが、その目はおれという存在を見てはいないように思えた。

 おれと言う個人を、彼は認めていない。
 口にされた言葉は、おれに対するものではない。

 それは人間という存在に対する不信の表明であり、膨大なまでの怒りの吐露だった。

「大人しく帰れ、人間。パトリシアを助けた義理に免じて、命だけは取らずにおいてやる」

 存在感が、のしかかってくる。
 人間としてはありえないような大きな体ですら、ちっぽけに思える質量。

 竜の威圧。

 ……ここで臆するわけにはいかなかった。

「おれたちは話をしに来たんだ。そこを通してくれ」

 眦を決して、正面から大男を見返した。

 一瞬だけ、レックスは意外そうな顔をした。
 ここで、おれが彼を恐れなかったことが意外だったらしい。

 だが、それだけだ。

「……薄汚い人間の言葉なぞ聞く価値もない」

 一言のもとに切って捨てて、レックスが一歩踏み出した。

 サディアスとキャスが腰を落とした。
 いざというときは、レックスを押さえつけるつもりなのだろう。

 そんなふたりの姿を見ても、大男は一顧だにせず歩を進める。

 緊張が張り詰める。

 そのときだった。

「……ちょっと待てよ、レックス」

 幼い声が、男を呼んだ。

「いま、なんつった?」

 問いかけたのは、ロビビアだった。
 その声には震えもなく、ぞっとするほど静かに空気を震わせた。

「……ぬ」

 レックスが足をとめた。

 理由は明白。
 大男の一歩をとめるものが、いまのロビビアの声には込められていたのだった。

「孝弘のこと、薄汚いとか言いやがったか?」

 ばきばきと音を立てて、少女の両腕が竜のものに変わった。

 見開かれた目のなか、瞳孔がトカゲのもののように拡縮する。
 まるで少女の内心を表すかのように、うっすらとあいた口から、ぱちぱちと火の粉が噴き出した。

「なにも知らずに上等だ、てめえ。ぶっ殺すぞ」

 完全にキレていた。

 一時的にではあろうが、あれだけ怯えていたことさえ忘れてしまっている。

 小さかろうと彼女は竜。
 少女の矮躯から噴き出す威圧感は、レックスのものにも劣らない。

「……そうですね、いまのはさすがに少し度が過ぎています」

 そして、もうひとり。
 表面上は静かな態度ながらも、怒り心頭に発している者がいた。

「話し合いをしに来たご主人様に対して、その態度。看過するわけにはいきません」

 シンプルなデザインのエプロンのポケットからずるりと吐き出されたのは、長い柄を持つ武骨な大斧。

「撤回していただきましょう」

 みつあみにした灰色の髪を揺らして、ロビビアの隣にローズが立った。

 ――実際のところ、竜の一族が不義理を働かないように、抑止力としておれたちがロビビアに同行している以上、この場面での示威行動は必要なことだ。

 誠意と言うのは、相手もまたそれを持ち合わせている場合に成立するもの。

 それを、ただの甘さと取られては、なんの意味もない。

 舐められてはいけない。
 そこまでわかっていて、ローズは武器を抜いたに違いない。

 ……とはいえ、そうした理屈はそれとして、ローズが怒っているのは事実だった。

 でなければ、あまりにも判断から行動に移すまでの時間が短過ぎる。

 普段は冷静なくせして、おれのこととなると沸点が低いローズなのだ。

 ロビビアとローズの違いは、キレた瞬間に爆発するか、一度は怒りを呑み込んで理性的に判断を下してからスイッチを押すかの違いでしかない。

 ゆえに、二輪の花はここに棘を剥き出しにする。

 これに慌てたのはサディアスだった。

「ま、待ってくれ!」

 こんなところで戦いが始まれば、それはもうおれたちの陣営と村との戦争になってしまいかねない。

 そんなの認められるはずもないし……いや、これが示威行為である以上、こちらとしては本気で戦うつもりはないので、そんなことになればロビビアを連れて逃げ出させてもらうだけだが、それはそれでサディアスも困るのだろう。

「レックス! いい加減にしろ!」

 巨躯を見上げて、怒鳴り付けた。

「これ以上、孝弘に無礼を行うようなら、わたしが相手になる」
「正気か、サディアス。竜同士で争うというのか」

 太い眉を寄せて、レックスが尋ねる。

「孝弘たちと戦わせるよりましだ」
「……外の世界に出て、狂ったか」

 唸るような声があがった。

「これだから『探し人』の任など要らぬというのだ……」
「狂ったなどという言われようは心外だな。わたしは孝弘こそが、閉塞していた我らに未来をくれるものと考えている」

 サディアスはあくまでも静かに、けれど断固とした口調で返した。

 それは、以前にも聞かされたことのある言葉だった。

 ――きみの存在は、ある種の希望でもあるのではないかと、わたしは考えているんだ。

 サディアスががおれの存在に、なにを見ているのかはわからない。
 ただ、彼はロビビアを慈しむような目で見ると、その目を竜のそれに変えた。

「これ以上、邪魔をするなら叩きのめさせてもらう。折角、孝弘との間にできた繋がり、こんなところで失うわけにはいかないのだから」
「閉塞していた里に未来を、だと? 薄汚い人間になにができる! 閉じていて、なにが悪い!? 大切なものを失うくらいなら、そちらのほうがましだろうが!」
「それでは未来がないと言っている!」
「それは貴様が里の外で生きていけるから言えることだ。我らにはここしかないのだ!」

 怒鳴り合ううちに、ふたりとも興奮してきているのか、徐々に人のメッキがはがれつつあった。

 肌に鱗が広がり、牙が尖る。
 喉の奥から威嚇の声があがる。もはやふたりとも臨戦態勢に入っていた。

「サディアス……レックス……」

 即座にそこまでの覚悟は決められないのか、キャスはひとり、焦った表情で身内のふたりを見比べていた。

 その彼女の顔が、ぱっと明るくなった。

 視線の向けられた先、こちらに駆けてくる女性の姿があったのだ。

「エラ!」

 ほっとしたようなキャスの呼びかけを聞いて、男ふたりの戦意が鈍った。

 間もなくして、女がこの場に到着した。
 サディアスたちよりも少し年上と見える、妙齢の女性だった。

「……朝から姿が見えないと思ったら、こんなところにいたのですか、レックス」

 駆け付けた女性は、まずレックスに咎める目を向けた。

「おれは……」
「聞く耳持ちません。下がっていなさい」

 レックスをたじたじとさせておいて、女性はおれのほうを向いた。

 敵意の類は感じ取れない。
 彼女はしとやかに頭を下げた。

「よくぞお越しくださいました、『霧の仮宿』の契約者様」

 どうやら彼女はおれを歓迎しているらしかった。

 これで、三対一。
 レックスもさすがにこの状況で暴れようという気にはなれないらしく、ただ怒鳴り声をあげた。

「エラ! お前、パトリシアが里を出ることには反対だったんじゃないのか!?」
「反対です。……が、それと契約者様への敬意は別のこと」

 竜のなかにも、考え方はそれぞれあるようだ。
 この女性は、保守派のなかでも穏健派なのだろう。

「なにより、わたしは人間という存在を必ずしも悪しきものだとは思っていません」
「しかし……」
「それに、決を下すのは長です。長は会うと言っているのです。もう一度言います。お下がりなさい」

 ぐっと声をあげて、レックスは顔を赤くした。

「……勝手にしろ。ただ、おれも話し合いには同席させてもらうからな!」

 言い捨てると、レックスは踵を返した。

 どすどすと足音を立てて去っていく。
 巨体が小さくなっていくのを、おれたちは見送った。

 誰かがほっと息をつく。

 見れば、女性がこちらに済まなさそうな微笑みを向けていた。

「お騒がせいたしました、孝弘様。同胞が失礼なことを言ってしまい、申し訳ございません」
「いや。それほど気にしていない」

 レックスとは、最初から最後まで会話にならなかった。
 だが、それは同時に、あの男が口にした言葉のなかには、おれという個人に向けられた言葉はひとつもなかったということでもある。

 これで腹を立てても、虚しいだけだ。

 竜の隠れ里に人間が足を踏み入れるのだ。最初からこういうことはありえるだろうと予想もできたし、ロビビアとローズが怒ってくれたのもある。これ以上、おれからなにか言うつもりはなかった。

 それに、徹頭徹尾、レックスの頭にあったのは里のことだけだった。

 人間は信用できない。
 ただ、静かに里で暮らしていたい。

 それは一概に間違った考えとも言い切れず、おれとしても共感できる部分はある。

 彼にとっておれは、里の平穏を乱す外敵でしかなかったというだけのこと。
 あれはあれで、きっと悪い奴ではないのだろう。

「それよりも、長のところに案内してもらえるか?」
「はい。キャス、ご案内なさい」
「わ、わかりました」

 キャスの返事に頷きを返した女性は、ふとなにかに気付いたように振り返った。

「それと、お帰りなさい、パティ」

 視線を向けられたロビビアがびくりとした。
 先程は燃え上がっていた怒りの熱は消えてしまっており、少しおどおどとしていたものの、それでもはっきりと言う。

「……おれの名前は、ロビビアだ」
「ああ、そういえば、いまはそう名乗っているのだったわね。それでは、ロビビア。改めて、おかえりなさい」

 女性は、にこりと微笑んだ。

「あなたの無事な姿が見られて嬉しいわ」

   ***

 湖畔に建てられた数戸の家は、造りこそ素朴な石造りの建物であるものの、町で目にするものとは違っていた。

 端的に言えば、でかいのだ。

 スケール感が狂っている。

「寝るときには竜の姿のほうが楽という者もおりますから」
「なるほど。竜の形態でも利用できるようにしているのか」

 キャスの言葉に納得して、おれは尋ねた。

「それで、長というのはどの建物にいるんだ?」
「長はここにはおりません」
「どういうことだ?」
「長がいるのはあそこです」

 キャスが指差したのは、水柱を噴き上げる広大な湖の真ん中にぽつりとある小さな島だった。

 島にはごつごつとした小さな山があり、遠目に祠のようなものが建てられているのが見えた。

「あんなところにいるのか……?」
「ええ。いまから、あそこに渡ります」

 里にいる一族は、当然のことながらみんな飛べるので、橋はかかっていない。
 キャスとサディアスとに分乗して、おれたちは島に渡った。

 ひとっ飛び、島に降り立つ。
 その時点で、おれはひとつ大きな勘違いをしていたことに気付いた。

 キャスの先導で島を歩き、里の他の建物とは違って常識的な大きさの祠の脇を抜けて、島の中央部へ向かった。

 そこに、『歴史を知る者』と、先回りしていたらしいレックスが待っていた。

「……よく来たね」

 やや不明瞭な、くぐもったような声がおれたちを出迎えた。

 レックスの傍らにあった、幅は十メートル、高さは五メートルはあろうかという大岩とも見えるモノの中央部がぱっくりと裂けた。

 ぎょろりと現れたのは、巨大な眼球だった。

 こんなの、息を呑まずにはいられない。

 大岩とも見えるものが、横向きの頭部であるのなら。
 遠目に山と見えたものは、巨大なドラゴンの全身であったのだから。

「お前が……」
「ああ。そうだよ。わたしは甲殻竜マルヴィナ。この里を統べる長だ」

 サルビアに会うように頼まれた、サディアスの一族の長である竜。

 それは、体長五十メートルを超える、山の如き巨竜だった。
◆ローズとロビビア、性格はかなり違いますが、割と反応は似通ってたりします。

ついに、『大地の怒り』と、ご対面です。
+注意+
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