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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
1章.ご主人様と眷族の彼女たち
12/321

12. 怪物

前話のあらすじ:


 主人公とローズとの抱擁――

 ――があった頃の、狩猟中のリリィ。

「はっ!? なんかいま、なにか大切な瞬間を逃した気がする!?」

   12



 明けて、翌日。


「おはよ。ご主人様っ」

「……おはよう」


 昨日は結局、あのまま眠ってしまったらしく、おれはローズを胸に抱きかかえたまま、妙に嬉しそうなリリィの笑顔に迎えられて目覚めた。


 どうやら彼女は、妹分であるローズがおれと仲良くしているのが嬉しかったらしい。

 昨日、『リリィ姉様』という呼称を聞いた時にはどうかと思ったが、意外といいお姉さんをしているのかもしれなかった。


   ***


「拠点を変える? どうして?」


 朝食を済ませ、おれが話を切り出すと、そこが自分の居場所なのだと言わんばかりにぎゅっとおれの腕に抱きつくリリィは、黒目がちな目を瞬かせた。


「昨日の……あの先輩から聞いた話ですか?」


 リリィとは違って、加藤さんはぴんときたようだ。ローズは話こそ聞いているものの、会話に加わる様子はなく今日も今日とて木材を削っている。


 おれは加藤さんに頷きを返して、リリィに説明をすることにした。


「昨日聞いた加賀の話が正しいのなら、この周辺にはチート能力者でさえ殺されてしまうような強力なモンスターがいる可能性がある。このまま此処に留まるのは危険だ」

「あ、そっか。例のバラバラ死体五人の中に、探索隊のメンバーがいたっていう話。……でも、それって本当なの? いまいち信用おけないんだけど」

「まさか。信用なんてするわけない」


 おれは肩を竦めた。


「ただ、あえてリスクを取ることもないってだけだ」


 確信が持てなかったためリリィにはこう答えたものの、この件についておれは、加賀が真実を語っていたものと判断していた。


 たとえば、加賀が話していた別の事柄――『遠征隊の遠征計画について詳細を知っている』というのは嘘だろう。あれはおれの興味をひくための虚言だった。


 それに対して『五人組のバラバラ死体を見付けた。そのうち一人がチート能力者だった』という話には、嘘をつくことで加賀が得られる利益がなかった。

 嘘をつく理由がないのだ。加賀は自分の欲望に忠実な馬鹿だったが、何の意味もない嘘を撒き散らすホラ吹きではなかった。


 まず間違いなく、あの五人組の一人は探索隊のチート能力者だったと考えていい。


 極一般的なウォーリアとはいえ、その力はこの森にいる大半のモンスターなど容易に蹴散らせるレベルにあるはずだ。


 それを殺したモンスター。

 そんな危険なモンスターからは、なるべく早く離れたいところだった。


「それにしても、チート能力者を殺せるようなモンスターがいるなんてな」


 おれとしては信じられない……信じたくないことではあるが、これは事実だ。

 多数に囲まれたのかもしれないとも考えたが、あの場に他のモンスターの死骸はなかった。あれはたった一匹のモンスターによる虐殺だと考えるのが妥当だろう。


「そんなに不思議?」

「リリィは不思議じゃないか? この世界にやってきたチート能力者は、ドラゴンさえ素手で殺せるんだ。それを殺すようなモンスターって、ちょっとおれには考えられない」

「っていっても、モンスターにも格があるからねえ」

「格?」

「うん」


 リリィは頬を腕にこすりつけるようにして頷く。


「どういうことだ?」

「うーんと」


 リリィは少し考える素振りを見せてから、口を開いた。


「こっちの世界に転移してきた学生たちがモンスターって呼んでいる存在が、魔力を持つ生き物だっていうのは知っているよね?」

「ああ」

「基本的には、モンスターはより多くの魔力を持つ方が、より強い力を持っているの」


 これはわかる。『魔力を持っていない大熊は、魔力を持つ鼠に絶対に勝てない』という喩え話は、その極端なケースだと考えればいいだろう。


「で、モンスターの平均的な強さっていうのは、その土地にある魔力量に比例するのね」

「ちょっと待て。土地の魔力量って何だ」

「ん? あ。そっか、ご主人様は魔力が感知出来ないんだっけ」


 当たり前のように口に出された台詞に文句をつければ、リリィはおどけたようにちろっと赤い舌を出した。


「魔力っていうのは、もともとは土地に依存するものだからね。大気の流れとともに移動し、雨とともに地面に染み込み、土地に根付くのが魔力なの。そして、それを吸収して体内で濃縮したのがモンスター。わたしたちね」

「えーっと。わかりやすくいうと、工場廃液として垂れ流された有害重金属みたいなイメージでいいのか?」

「……正しいけど、すごく否定したいなぁ、それ。正しいんだけど」


 あまりにイメージが悪すぎたせいか、リリィは嫌そうな顔をした。


 まあ、確かにイメージは最悪だが、現象としてはわかりやすいと思う。

 重金属が水中に溶け、それをプランクトンが吸収し、小魚がそれを食べ、更に大きな魚が小魚を捕食し……最終的には人間がそれを食べることで害を及ぼす。


「この森にすむ小動物や植物には、極々微量だけれど、魔力が含まれているのね。勿論、空気中にもね。それがモンスターに蓄積している。だから正確には、モンスターというのは『魔力を蓄積する生き物』だと定義するべきなのかもしれない。その魔力っていうのは土地から吸収するものだから、当然、その土地が魔力に溢れていれば、モンスターはそれだけ多くの魔力を持つことになるの」

「詳しいんだな」

「それはまあ。わたしたち自身の生態にもかかわることだからね」

「生態?」

「うん」


 リリィはこくりと頷いた。


「魔力を一定以上に蓄積させた……というか、するだけの魔力容量がある一部の個体は、長い年月を生きると、定期的に生殖活動を行うようになるの。わかりやすくいうと、子供を産むのね」

「……そう」


 なんだろうか、これ。

 リリィのような可憐な女の子が『生殖活動』とか言っているのを聞くと、ひどく微妙な気持ちになるな。


 真面目な話だということは、わかっているのだが。


「無性生殖になるのかな。あ、でも。そうして生まれたはずのモンスターには、魔力容量に若干だけど差があるから、何か違うのかな? ごめんね、そこはわからない。とにかく、わたしみたいなスライムとか、ローズみたいなマジカル・パペットは、このタイプのはずだよ。ファイア・ファングとかの動物っぽいモンスターがどうなのかは知らないけど」

「ということは……土地の保持する魔力量に対して、魔力容量があまりに大きすぎるモンスターは、個体数が増えない?」

「そう。だから、モンスターの強さは土地の魔力量に依存するの。ただし、これはあくまで普通のモンスターについての話だけれど」

「普通の?」


 ということは、普通ではないモンスターもいるということか。


「わかりやすさのために、水島美穂の中にあるゲームの知識を流用するけど……通常のモンスターにたいして、たとえば、さっき言った生殖活動を行うようになったモンスターはクイーン・モンスターって感じかな?」

「当然、通常のモンスターよりは強いんだよな」

「かなりね。ただ、生殖活動を行うたびに魔力が落ちるから強さは一定しないけど。で、次にわたしみたいなのは、そうだね、ユニーク・モンスターって言うべきかな」

「ユニークってことは、一体だけしかいない?」

「そうそう。無性生殖の中で生まれたイレギュラー……いわゆる突然変異ね。まあ、物珍しいものだと思っておけばいいと思うよ。別に、ユニーク・モンスターだから強いってわけじゃないし。わたしは特に、スライム程度のユニーク・モンスターだから」


 確かにリリィはあまり素の戦闘能力が高くない。

 ただ、その擬態能力は唯一無二のものだ。そういう意味では、ユニーク・モンスターの名前は、まさに彼女に相応しい。


「それで、ローズはレア・モンスターって感じかな」

「なに? ローズも普通のモンスターじゃなかったのか」


 おれは驚いて、思わずローズの方を振り向いた。

 彼女はあくまで慎ましく頭を下げた。


「ローズは普通のマジカル・パペットよりちょっと強いもの。心当たりはない?」

「言われてみれば。優秀だなと感心したことはある」

「リリィ姉様の優秀さに比べれば、誤差のようなものですが」


 ローズが口を挟むが、そんなことはないとおれは思う。


 リリィも少し困ったように妹分を眺めて笑ってから、話を続けた。


「そして、レア・モンスターより上には……そうね、ハイ・モンスターとでもいうべきモンスターがいるわ」

「それは、レア・モンスターとは何が違うんだ?」

「何もかもが」


 リリィはきっぱりとした口調で言い切った。


「ローズには悪いけど、レア・モンスターってわたしが呼んだのは、同じ種類でくくったときに、他よりも優秀ってだけのことでしかないの。それだって、十分に『希少レア』の名に恥じない、千に一つの個性なのよ? たとえば、いずれはクイーンになれるくらいにね。……ただ、ハイ・モンスターはそもそも存在の格が違ってるの」


 リリィは怖いくらいに真剣な顔をしていた。


「あれは生態系の外にいる。クイーン・モンスターみたいに、生殖活動を行わなかった個体なのね。多分、魔力を蓄積できる限界値が振り切れているんじゃないかな」

「魔力量がモンスターの強さを決めるんだったか」

「うん。だから、絶対にわたしたちじゃ敵わない。戦っちゃ駄目。争えば確実に殺される。逃げられるかどうかも運次第。たとえば……わたしが以前に見た個体は、百匹近いファイア・ファングの群れを全滅させていた。まさにあれは、『怪物モンスター』よ」

「モンスターの中のモンスターか」


 そんな奴と戦うなんて、ぞっとしない。

 見つけたら即座に逃げるのは当然として、やはり拠点を移動して遭わないようにするのが無難だろう。


 今後の方針が決まったところで、おれはふと一つ気になった。


「なあ、リリィ」

「なぁに?」

「ハイ・モンスターって言ったか。そいつなら、チート能力者を殺しうるのか?」

「……ううーん。そこなんだよねえ」


 何とも煮え切らない答えが返ってきた。


「シチュエーションにもよるけど、正面から戦うなら、難しいと思うよ」

「難しいのか」

「うん」


 リリィの返答に、おれはもう何をいうことも出来ずに溜め息をついた。


 どれだけ規格外なのだろうか、チート能力者。

 やはり恐るべきは人間だということか。


「ただ、わたしが知らないような強力なモンスターもいるかもしれない。わたしはスライムでしかないし、あまり行動範囲が広くはなかったからねえ。ローズなら他に知っているかもしれないけど」

「いえ。わたしも、わたし自身を含めて、姉様のいうところのユニーク・モンスターと、レア・モンスター以外は見たことがありません」


 二人の話を聞く限り、ハイ・モンスターとやらに出遭う確率はかなり低いように思える。


 だが、ここは慎重策を取るのが無難だろう。死んでから地獄で後悔しても遅いのだ。


「とにかく、そんなモンスターがいるかもしれない場所からは、早々に離れるべきだろう。加藤さんには悪いが」


 おれは話をまとめると、最後に加藤さんに視線をやった。


 加藤さんはここで待っていれば、探索隊がやってきてくれる可能性が高かった。

 しかし、ここを移動してしまっては状況は振り出しに戻ってしまう。


 おれが水を向けると、加藤さんは静かに目を伏せて、肩にかかるおさげを指先で撫でた。

 あまり落胆したような様子はない。

 というか、相変わらず感情が見えない。


 だいぶ復調したように見えるが、まだまだ本調子には遠いし、そもそも完全に精神が持ち直すのかどうかも微妙と言ったところか。何かきっかけがあればいいのかもしれないが、おれにはそれを提供することは出来ない。


「別に……構いません。わたしはそれで」

「そうか。なら、急いでこの場を離れるとしよう」


 そうと決まれば話は早い。

 おれたちは手早く荷物をまとめていった。


 これまでにローズの作成した武器は、剣が三本、槍が二本、斧が二本。あとは、盾や胸当、下半身を守るプロテクターなどの防具類だ。


 リリィには槍をメイン・アームにして剣をサブ・アームに。

 ローズは戦斧を片手に持ち、予備の斧を背負い。

 おれは例の剣を腰に下げ、背中にも一本剣を背負うと大盾を手に持った。


 胸当は全員に配布し、大盾を持っているおれ以外には、戦闘に邪魔にならないような小さめの丸盾を渡しておいた。

 本当ならおれと同じ戦力外の加藤さんには壁代わりの大盾を渡したいところだったが、いくら軽いといっても彼女の腕力的に運用が不可能だったのでいまのところ作成はしていない。


 こうした武具類以外にも、これまでにローズには色々と生活にあると便利な品物を造ってもらっていたのだが、それらは持ち運びに不便なので捨てていくことにした。


 必要になったときにまた造ってもらえばいいだろうという判断だ。ローズには手間をかけさせるが、彼女は特に気にした様子もなく了承した。


 服などの品は、加賀から奪ったバックパックと、加藤さんのハンドバッグに詰め、燻製にした肉などの食料品は、ファイア・ファングの皮を剥いでなめして適当に四方をしばり風呂敷状にしたものに詰めておいた。ローズのスペアパーツなども同様だ。


「忘れ物はないな? ――よし、出発しよう」


 こうしておれたちは、暮らし慣れた洞窟をあとにしたのだった。


   ***


 木の枝がしなり、地面に叩きつけられる。

 鞭のように鋭いその一撃は、地面を大きく抉りぬくだけの威力を備えていた。


 恐らく乗用車くらいなら、これ一発でおしゃかだろう。おれが喰らってしまえば、地面の染みになってしまうことは請け合いだった。


 そんな血の気がひくような破壊力を誇る攻撃を、ぎりぎりのところで回避してみせたのは一体の木製人形……ローズだった。


「シィィ――ッ!」


 着地するや否やローズが鋭い気合とともに飛び掛る先には、トレントと呼ばれる大型のモンスターの威容がある。


 その姿は、一言で表すのなら『歩く木』だ。

 スライム形態時のリリィもかなり大きかったが、トレントの大きさはゆうに四メートルを超えている。


 周囲の木々を時に薙ぎ倒して向かってくるその姿は、一軒家がそのまま倒れこんできているような迫力があった。


 だが、ローズはそんな巨大な相手にも臆することなく向かっていく。


 左右から迫る木の枝の一方を斧で切断し、もう一方は大きくスウェーして回避――


「ッ!?」


 ――したところを、蛇のように枝が追いすがってくる。


 あわやというところで、ローズは片腕の盾でそれを弾いた。


 防御には成功したものの、それで彼女の体勢は大きく崩れてしまう。そこに、トレントが追撃をしかけようと、足代わりの無数の根を蠢かせた。


「姉様!」

「わかってる!」


 ローズが足止めしていたうちに、準備を終えたとっておきの攻撃魔法が、後方で待機していたリリィの手で輝く。


 属性は風。

 性質は弾丸。

 込められた魔力は三階梯。対物ライフルにも匹敵する、大威力。


 ――きぃん、と。

 鼓膜を引っ掻くような音の終点に、トレントの体躯の一部が炸裂する。


「ぎぃぃ!?」


 大人が二人で手を伸ばしあっても届かないくらいに太い幹が、ごっそりと半分ほど『もっていかれて』向こう側の景色が覗き見えた。


 流石のトレントもこの痛撃は堪えたのか、怒涛のようだった攻撃の手がとまる。


 その隙を見逃すことなく、ローズが戦斧を大きく振りかぶる。


「シィィイイイ――ッ!」


 とどめの一撃はリリィのあけた大穴に吸い込まれる。


 断末魔代わりの軋みをあげてトレントの巨体は見事に二つにへし折れて、どうと地面に倒れたのだった。


   ***


「かなり戦闘も安定し始めたな」


 おれはしみじみとつぶやいた。


 顔の辺りにきた木の枝を押しのける。先頭を行くローズが道を作って歩いているのだが、彼女の方が背が低いので、たまに歩いていて邪魔な枝があるのだ。


「初戦闘とかひどかったものね。わたし、死を覚悟したもの」


 おれの隣を歩いていたリリィが、おれの独り言に反応してくれた。


「おれもだ。特にローズが現れた時には心臓がとまりかけた」

「申し訳ありません。あの時は驚かせてしまいました」

「いや。結局、あの時はお前のお陰で生き延びたわけだからな。今日の戦闘もご苦労だった」

「恐れ入ります」

「リリィもな」

「あはは。わたしは楽しちゃってたからねえ」

「何を言っているんですか。リリィ姉様がいなければ、わたしは安心して前衛として戦うことが出来ません。その役割はわたしなどより余程に大きなものでしょう」


 トレントとの遭遇戦を終えて、おれたちは再び森を進んでいた。


 方角としては、だいたい太陽の出てくる方向だ。

 いまは便宜的に東ということにしている。


 より具体的には、コロニーのあった場所から離れる方向だ。


 ……そのはずだ。たぶん。


 森の景色はおれのような都会っ子にはなかなか区別が付かないため、あまり実感はないのだが、きちんと離れているはずである。


 おれの方向感覚などあてにならないが、先導はローズに任せているので問題はないだろう。


 ほとんど空が見えない森の中でも、地形の高低差などでたまに遠くに見ることが出来る山々の中でも、ひときわ大きく立派な……さながら富士山のような山を目印に、第一次遠征隊は行軍しているらしい。


 これは加藤さんからの情報だ。より正確には、彼女にそれを話した高屋が持っていた情報である。


 彼らの向かったのと同じ方向に進むということは、コロニーからは遠ざかっているということだ。

 言い換えるのなら、あの洞窟付近からも遠ざかっているということだ。


 あの洞窟を出て、今日までに早くも五日が経過していた。


 これまでにかなりの距離を踏破した実感がある。

 勿論、ぐるぐる同じ場所を回っていなければの話だが。


 おれたち人間だけでは、こうも容易く森を進めはしなかっただろう。体力・腕力ともに人間とは比較にならないローズやリリィが道を作ってくれたからこそ、おれたち人間は楽が出来ている。


 この中では一番体力のない加藤さんも、よくがんばってくれていた。むしろ少し無理をするきらいがあるので、気を付けてやる必要があるくらいだった。


 不安だった野宿だが、いまのところは就寝中に襲われたことはない。


 それに、たとえ襲撃があったところで、睡眠の必要のないリリィとローズが、きちんと見張りをしてくれている。おれはリリィに抱かれて眠り、加藤さんは手や足のストックを黙々と作成するローズの近くで眠るのが常のこととなっていた。


「今日はこれくらいにしよう」


 森の夜は早い。

 夜目のきかないおれたち人間は、薄暗くなった時点で足元が覚束なくなり、事故の危険が飛躍的に増してしまうからだ。


 此処数日そうしていたように、おれたちはまだ明るいうちに、野宿の準備を始めた。


 野宿に適当な場所を見つけると、まずはリリィが元のスライム形態に戻って背の低い草木を溶かして食べてしまう。


 こうして、ある程度の空間が森の中に確保されると、すぐにローズが焚き火の準備を始める。


 火を焚くのには『目立つ』という大きなリスクもあるが、それよりも足手纏いである人間の視界が完全に塞がれてしまうことの方が危険だとおれは判断していた。

 勿論、なるべく明かりがもれないように、ロケーションには気を配っている。森には遮蔽物が多いが、こういう時には役に立ってくれるものだ。


 手馴れたもので、それほど待たずしておれたちは食事にありつくことが出来た。


 ぱちぱちと爆ぜる焚き火を真ん中にして、車座になって座る。

 いつもの食事の光景である。


 ちなみにローズが伐ってきた木はよく燃える。普通、生木は燃え辛いはずなのだが、簡単に火がつく。これも魔法的な力なのだろう。


「さて。此処まで無事で来られたわけだが……油断せずにいこう」

「そうだね。むしろ此処からが本番かもしれないし」


 同意を示すリリィに、おれは頷きを返した。


「そろそろ探索隊の行動範囲を抜けてもおかしくないからな。モンスターの生息数は、徐々に増加していくだろう」


 これまでおれたちは単体のモンスターとしか遭遇してこなかった。だが、それはあくまで探索隊がモンスターを狩り、その生息数を激減させていたからだった。


 第一次遠征隊が向かったのと同じ方向に進んでいるのも、彼らがモンスターを蹴散らしてくれていて、少しでもその生息数が少なくなっていれば……という、ささやかな期待が理由の一つでもある。


 もう一つの理由は勿論、加藤さんを彼らに引き取ってもらうためだ。うまく合流できればいいのだが。


「あの洞窟周辺に危険なモンスターがいるとして、何処まで逃げればいいのかっていうのも問題よね」

「想定していたのより順調に進んできている。そろそろ腰を落ちつける場所を見付けるのも一つの手だが」

「このまま遠征隊のあとをついていって、森を抜けてしまうっていうのは?」

「それが可能なら、それでもいいけどな。現実問題としてそれは難しいんじゃないか?」


 こうして風景の変化の乏しい森の中を何日も何日も歩いていると、疲労感よりもむしろ徒労感の方が重くのしかかってくる。


 モンスターであるリリィやローズはどうかしらないが、人間にとってこれは精神的にかなりきつい。


 気持ちの部分でだれてしまえば、それだけ道中の危険性は増す。

 勿論、疲労だって溜まる。


 モンスターに襲われなかったところで、斜面で足を踏み外せば人間なんて簡単に死んでしまいかねないのだ。慎重になるに越したことはない。


「洞窟を出て、まだたったの五日だが、そろそろ新しい拠点を作るべきかもしれないな」

「ご主人様がそういうのなら、わたしはそれに従うよ」

「少なくとも、これ以上進むのは、少し休んでからにするべきだな。正直、おれは少し疲れを感じている。おれにはお前たちの足を引っ張っているという自覚があるからな。致命的なミスはおかしたくない」


 こうして喋っている間、おれたちは携帯していたトカゲやモンスターなんかの燻製肉を、焚き火でもう一度焙っている。

 おれはその一つのトカゲを手にとって、頭から噛り付いた。


 そうだ。食料の問題もあった。


 移動中はどうしても食料の確保が難しい。襲いかかってくるモンスターがたとえばファイア・ファングなら食えるが、トレントだと食べられない。


 やはり一度、腰を落ちつけて食料を集め、休んで体力を回復させるべきだろう。なるべくなら、以前にねぐらにしていた洞窟のような場所が見つかればベストなのだが。


「そういえば」


 と、口をひらいたのは、かりかりになるまで焼いたトカゲを、両手で掴んで齧っていた加藤さんだった。


 彼女は基本的に無口だ。

 元々からそうだったのか、そうなってしまったのかはわからないが、おれとリリィの会話を聞いているだけのことが多い。


 せっかく会話機能を手に入れたローズも自己主張をしない性格なので、道中はおれとリリィとが二人で話をしていることが多かった。


「なんだ?」

「なに?」


 珍しいことだとおれとリリィは、同時に彼女に視線を向ける。


「あー、その……」


 居心地悪かったのか、シーツに包まれたいつもの加藤さんは、もじもじと体育座りをした膝をこすり合わせた。


「これからの予定を聞いていて、思ったんですけど、その」

「なんだ?」

「先輩は……元の世界に戻ろうとかって考えていないんですか?」


 その質問は、ある種の爆弾だった。


 ぴくん、とおれに寄り添っていたリリィの体が小さく震えた。

 ローズが削っていた木材から、やや慌てた様子で顔をこちらに向けた。


 わかりやすい反応だった。

 これがそれだけ重要な話題だったということでもある。


「特にそういったことは考えていないな」


 だが、おれの答えはひどくあっさりしたものだった。


 意外だったのか、加藤さんは珍しく目を見開いて驚きを露わにしていた。


「そう、なんですか?」

「ああ」


 おれはトカゲの肢肉を食いちぎって咀嚼した。


「そりゃ、この世界にやってきた最初の方は、いつ帰れるんだろうかって、そればっかり考えていたけどな」

「だったら」

「だけど、おれにはいま、こいつらがいるからな」


 おれは隣にいるリリィの頭を撫でた。


「……ご主人様」


 リリィが彼女にしては珍しく、遠慮がちな声でおれを呼んだ。


「わたしたちは、ご主人様が帰りたいのなら……」

「ああ、いや。そうじゃない。これはおれの言い方が悪かったな」


 眉根を寄せたリリィの上半身を、おれは片腕で引き寄せた。


「おれがお前たちと一緒にいたいんだ」

「ご主人様……」

「そもそも、こうした仮定自体に意味がない。帰るかどうかは、帰れることがわかってから考えるべき事柄だろう。現状、その手掛かりの一つさえないし、それ以前に、今日一日を生き延びるだけでも精一杯って有り様だ。そうした手段を探索する余裕はない」


 向こうに残した両親や兄弟たちのことを考えないわけではない。

 自分が無事であることくらいは、どうにかして伝えたいと思う。


 だからといって、こちらで出来た大切なものを手放そうとも思えない。

 彼女たちのことを連れて帰れるならともかくとして。


 よく考えてみればかなりのジレンマではあるが、幸いなことに、現状は『たられば』の話でしかない。


 あてもない帰還の可能性を探るよりも、まずはこの世界で生きていける目処を立てることの方が優先度は高いだろう。


 ただ、この世界で生きていくことについては受け入れるにしても、こうして危険な森の中で暮らしていくのは、それとはまた別問題だった。


 端的に言って、いずれ限界がくるだろう。


 モンスターの襲撃で命を落とす可能性もそうだが、食糧問題だって深刻だ。今は辛うじて食いつないでいるものの、最近は栄養の偏りが気になっている。コロニーの方で食べられることが確認されていた小さな木の実などを食べたりはしているが、どうしてもビタミン類は欠乏気味のはずだった。


 あまり長期間このような生活を続けていれば、体調を崩すこともあるかもしれない……というのが、水島美穂の記憶を持つリリィの言い分だった。

 おれはあまりこういうことに詳しくないが、壊血病がどーこうと極端な例をあげつつ説明をされれば、それが深刻であることくらいはわかる。


 モンスターを従えるおれという存在が、この世界の人間たちにどのように受け止められるのかはわからないが、一度は森を抜けて、人間のいる世界に足を踏み入れる必要がありそうだった。


 その後どうなるかは、その時にならないとわからない。


 たまに不安になる。

 おれたちに安住の地はあるのだろうか。


「ご主人様」


 その時だった。

 これまで押し黙っていたローズが、低く押し殺した声をあげた。


 ほとんど同時に、おれにしなだれかかっていたリリィが、きりりと目尻を吊り上げた。

 すんすんと鼻を鳴らしているのは、先日倒したファイア・ファングから手に入れた優れた嗅覚によって、周辺の情報を得ようとしているのだろう。


「お気を付け下さい。……囲まれております」

「わかった」


 ローズの警告に即座におれは腰を浮かせて、近くに置いておいた大盾を手に取った。身に着ける防具の類は寝ている時でも装備したままなので、これで交戦準備は整った。


 リリィは片手に槍を引き寄せて魔法陣展開の準備を始め、加藤さんは素早くおれのもとへと駆けてくる。このあたりは慣れたものだった。


 おれたちが戦闘準備を整えてから、数秒後。


「……ぅぐるぅううう」


 森の奥から現れたのは、二体のファイア・ファングだった。


「いえ。もう一体」


 ローズが油断なく身構えながら、二体が現れたのとは逆の方向へと目鼻のない顔を向けた。


 囲まれているとローズは言った。その言葉通り、もう一体のファイア・ファングが、ひそんでいた灌木から姿を現した。


 奇襲は失敗したものと判断したらしい。


 かといって、狼たちが退く様子はなかった。

 これは自分たちが優勢であると判断しているということだ。


「三体か。ちょっとマズいな」


 おれたちよりも数多いモンスターとの遭遇。

 ファイア・ファングとはもう何度か戦っているが、いずれも相手は一体だけだった。


 それが、三体。


 いつかくるとは思っていた事態ではあるが、それにしても、実際に取り巻かれてしまうと恐怖を感じずにはいられない。


「どうにかして一匹は早く片付けないとな……」


 緊張でかさついた唇を舌で湿らせ、つぶやいたおれが見据える先で、ゆっくりと狼たちが時計回りにおれたちの周囲を回り始めた。


 隙を窺っているのだ。


 狙いは……畜生。明らかにおれと加藤さんを見ている。

 狼たちは野生の勘でおれたち二人が弱者であることを嗅ぎ取ったのかもしれない。


 だとすると、少しマズい。弱い部分を突くというのは、戦いにおいて常套手段であるからだ。


 おれは思わず、ごくりと喉を鳴らした。


 この危機的状況をリリィとローズの二人だけで、果たして切り抜けられるのか。おれたちという足手纏いさえいなければともかく……


「大丈夫だよ、ご主人様」

「ご安心ください、ご主人様」


 と、そんなおれの不安に気付いたのか、口々にリリィとローズが声をかけてきた。


「わたしたちがご主人様を守るから」

「我が身に代えても、ご主人様のお命はお守り致します」


 彼女たちには、パスによっておれの抱いている不安が伝わってしまっている。

 彼女たちが即座に声をかけてくれたのは、そのためだ。


 そして、おれにも彼女たちの心が伝わってくる。

 それはおれのことを絶対に守りぬくという決意であり、そのためにならなんだってするという強固な覚悟だ。


 彼女たちのおれに向ける想いが、おれの心を支配しかけていた怯懦を押し流していく。

 代わりに困難に立ち向かうための勇気を吹き込んでくれる。


「リリィ、ローズ……」


 おれは拳をぎゅっと握り締めて震えをとめると、強張る口元を無理矢理に歪めてみせた。

 不敵な笑顔というにはあまりにも不恰好だが、これがおれのせめてもの強がりであり、彼女たちの気遣いに応える唯一の方法だった。


「馬鹿なことを言うな。生き残るなら、全員でだ」

「うん!」

「承知しました!」


 どんな相手であろうとも、おれたちは負けない。


 そう信じるのだ。

 おれがそう信じることが、パスで繋がっている彼女たちにも力を与えるはずだから。


「リリィは一体を担当! なるべく早く倒してくれ! ローズはおれたちを守りながら、二体を相手にどうにか持ちこたえてほしい。加藤さんはおれの近くを離れるな!」


 待ちに徹していては先がない。

 三体同時におれか加藤さんを狙われたら、守りきれるはずがないからだ。


 まずはこちらの最大火力を持つリリィをぶつけて、早急に一体を倒す。

 その間、戦闘技能に優れたローズには、時間稼ぎに徹してもらう。


 あとは彼女たちを信じるだけだ。

 おれに出来るのは、それくらいのことしかないのだから。


「いけ!」


 おれは命令を下す。


 リリィが手にした魔方陣の緑の輝きをあとにひいて突貫する。

 ローズがおれたちの盾として、一歩も退かぬと立ちふさがる。


「ぐるぅうぅああっ!」


 おれたちに合わせたわけでもないのだろうが、狼たちは一体がリリィを迎撃し、残りの二体がおれや加藤さんを狙って駆けてきた。


「やあぁああ――っ!」

「シィィ――ッ!」

「ぐるぅぅうあ!」


 五体のモンスターが交錯する――

 ――その直前。


 白い何かが視界を横切った。


「ぎゃんっ!?」


 おれたちの方へと向かっていた狼の一体が、口内に炎をたくわえ、大きく飛び上がった空中で、不自然に体勢を崩した。


 おれが目撃したのは、信じられない光景だった。


 二メートルを越す狼の体が、空中を真横にすっとんでいく。

 当事者である狼は己の身に何が起こったのか、まったくわからなかったに違いない。


 吹き飛んでいく先には、ひときわ大きな巨木がそびえたち、狼は頭から弾丸のような勢いで――……ぐしゃり。


 夜に不吉な赤い花が散り、衝撃に耐えかねた巨木が地響きを立てて倒れゆく。


 それは、あまりにも唐突過ぎる出来事だった。

 何が起こっているのか、誰もが状況を掴めない。


「ぐるる……?」


 その場の全員が唖然と動きをとめる中、おれたちの方へ向かってきていた二体のファイア・ファングのうち、死なずに済んだ方の一体が、何かに気づいたかのように上空を振り仰いだ。


 遅かった。


「ぎゃぅん!?」


 落ちてきた何かに、狼が潰されて悲鳴をあげた。


 そして、二度と動かない。


「な……にが?」


 呻き声をあげたおれが目の当たりにしたのは――真っ白な、蜘蛛だった。


 ふさふさとした真っ白い毛に全身が覆われた巨大な蜘蛛だ。

 八本ある脚の先には鋭い鉤爪がついており、その一本が押しつぶされたファイア・ファングの頭部を串刺しにしていた。


「こいつは……まさか」


 脚を広げれば三メートル以上になるに違いない巨大な白い蜘蛛は、その頭胸部に、其処に在るべきではない異形を宿していた。


 それは、年若い女の上半身。

 蜘蛛の糸のような細く白い髪を長く垂らした女が、嫣然とした笑みを浮かべておれたちのことを見つめていた。

◆冒頭部は、ローズが主人公と仲良く寝てるのを微笑ましく見守りながらも、内心ではちょっと寂しいリリィ……みたいな感じを想像していただけたら。


◆次回更新は、1/8(水曜日)になります。

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