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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
4章.モンスターと寄り添う者
110/321

21. 再び町を訪れて

前話のあらすじ:


韋駄天さん、真島くんのこと意識し過「関係ないわ」

   21



 予想しなかった『霧の仮宿』との邂逅を経て、リリィたちと合流を果たしたおれは、キトルス山脈の山道を下ってアケルに入国した。


 魔石を手に入れるために訪れた町、ディオスピロに再び向かったのは、そこがシランやケイの故郷の村に向かう中継地であったからだ。


 明日にはディオスピロに着く夕刻のこと。

 日課の稽古を終えたあとで、おれはローズ、シランと一緒に、野営をするみんなのところに戻ってきた。


「お疲れ様です。……あれ? ローズさん、なにかあったんですか?」


 ケイと隣り合って座り込んだ加藤さんが、こちらを見上げて首を傾げた。


「ちょっと嬉しそうですけど」


 その言葉に、おれはローズを振り向いた。


 くすんだ銀髪をみつあみにして、背中に垂らした少女の顔がそこにある。


 ローズの表情は、基本的に薄い。

 あまり大きく表情を動かすと人形であることがわかりやすくなってしまうので、そうしないようにしていると聞いている。


 おれたちしかいないところなら、別にかまわないだろうと思うのだが、見苦しい姿を見せるのが嫌らしい。

 まあ、ローズも女の子だから、そうしたことが気になるのは理解できる。


 現在は、割とニュートラルな状態だ。


 感情が完全に抜け落ちると、人形そのものの無機質な美貌になってしまうので、そうならないように気を付けつつも、特に笑顔などを作っているわけではない。


 ただ、おれにはパスを介して、彼女が上機嫌であることが伝わってきていた。


 加藤さんは適当なことを言ったわけではない、ということだ。


「わあ。よくわかりますね、真菜さん」


 ケイが感心した様子で歓声をあげた。


「どこでわかるんですか?」

「え? えぇっとですね。そう尋ねられてしまうと、言葉では言いづらいんですが……」


 加藤さんが眉尻を下げる。


「……全体の雰囲気がどことなくぽわぽわした感じと言いますか」

「ぽわぽわ?」

「えー……あと、足取りが軽いような気がしないでもないです」

「あの、ごめんなさい、真菜さん。ちょっとわからないです……」


 すまなさそうな顔をするケイだが、いまのについては、そんな顔をする必要はないと思う。

 仲睦まじいのはけっこうなことだが、それでは、加藤さん以外わからなくても仕方ない。


 長くローズの傍にいた加藤さんは、パスがなくてもローズの感情を読み取る特別な術を身に付けているようだった。


「それで、ローズさん。なにかあったんですか?」


 改めて加藤さんが尋ねると、ローズは頷いた。


「ええ。真菜。ご主人様が、わたしから初めて一本を取ったのです」


 口を開いてさえしまえば、ローズの機嫌のよさは明らかだった。


「へえ。すごいじゃないですか」


 驚いた様子の加藤さんを見て、ローズは嬉々とした様子で両手を握る。


「鋭い一撃でした。こう、わたしの斧を受け流すようにして懐に入り込むと……」

「おいおい、ローズ。やめてくれ」


 自分がやられたことだというのに、これ以上なく嬉しそうなローズの様子におれは苦笑をこぼした。


「これまで百や二百じゃ利かない数、手合わせしてきたし、今日だけでも十回はやりあっただろう? まぐれみたいなもんなんだから。おれがまだまだ全然ローズに敵わないことは自覚してるし、そんなふうに大仰に言われると困る」


 実際、一本取れたあとは連続でやられてしまっているのだ。

 褒められてしまうと面映ゆいものがあった。


「しかし、ご主人様。そのまぐれは、ご主人様の不断の努力が実を結んでいなければ起こりえなかったものです。今日はお祝いをすべきではないかと思います」

「あ。それいいねー。追加で、お肉とか入れちゃおっか? どうせ明日には、ディオスピロに一度寄るわけだし。いいよね」


 鍋を煮る火の様子を見ていたリリィが乗っかってくる。

 おれは勘弁してくれと天を仰いだ。


 そんなおれたちを見て、くすりと笑ったシランに、ケイが声をかけた。


「そうだ、姉様。戻ってきて早々申し訳ないんですけど、お願いがあるんです」

「なんですか」

「真菜さんに魔法のお手本を見せてあげてほしいんです。第一階梯の水魔法が、どうしても安定しなくって。わたしのじゃ、お手本にするには構成が甘いのかなって。姉様のを見せてあげたほうがいいんじゃないかなって思うんですけど」

「……そうですか」


 目を細めて一拍置いてから、シランは口を開いた。


「ケイ。試しに、さっきまでと同じようにやってみせてください」

「は、はい」


 ちょっと緊張した様子で頷いて、ケイは加藤さんの手を取った。


 その手が輝き、青色の魔法陣が構築される。

 手を繋いだ加藤さんは、瞼を落とすと、かすかに眉間にしわを寄せた。


 集中して、魔力の流れを感じ取っているのだ。


 もっとも簡単な魔法の伝授方法がこれだった。


 師である人間に触れながら、何度も何度も魔法を使ってもらい、その魔力の流れを記憶する。

 単純に魔法を覚えるだけなら、これが一番手っ取り早い。


 ここから、魔力の調整をすることで独自に魔法の構成を変えたりするのは、魔法の感覚的な部分を理論に落とし込んだ魔道学なる学問を修める必要がある。


 この専門家は、帝都にある教育機関や貴族に囲われたりしているらしい。


 もっとも、現実問題、前線で戦う兵士たちにそこまでの知識や技術は必要とされない。


 習得可能な第一階梯や、せいぜい第二階梯の魔法では、応用の幅も限られているし、なるべく威力の高いひとつの魔法さえ習得してしまえば十分だからだ。


 魔法の構築が重要になってくるのは、第二階梯を複数使いこなして魔法を主に戦う魔法使いとか、第三階梯まで至った大魔法使いなどに限られる。


 ちなみに、精霊使いはここでも大きなアドバンテージを得ている。

 精霊が使う魔法は、精霊自身が魔法の構築をするため、精霊使い当人ができないような構成も可能となっているからだ。


 モンスターはどうなのかと思ってリリィに訊いてみたところ、「そのへんは感覚かなぁ?」という答えが返ってきた。

 彼女が関われば、ひょっとして、魔道学の発展に大きな寄与ができるのかもしれない。


「……確かに構築の甘いところはありますし、もう少し効率化はできますが、教えるのに問題が出るレベルではありませんね」


 構成された魔法陣から水の弾丸が飛び出して、木の幹を抉るところまでを見届けたシランが、所見を述べた。


 魔法陣の構成に酷い綻びがあれば、魔法は発動しない。

 教えられる側はお手本の劣化コピーしか作れないから、教える人間の魔法の構築がそもそも甘ければ、それが理由で魔法が発動できないようなこともありうる。


 ただ、今回はそうではないようだった。


「もともと、ケイの魔法陣の構築は丁寧です。これなら、たとえば、わたしやリリィ殿がやっても同じでしょう」

「そう……ですか」

「だから言ったじゃないですか、ケイちゃん。わたしの出来が悪いだけですよ」


 加藤さんが、握ったままの手を上下に振ってケイを励ました。


「水魔法は、護身のために攻撃魔法も覚えられるなら覚えたらどうかって、先輩が勧めてくれたから試しているだけです。気長に覚えますよ」

「真菜さん……」

「ほら。先輩たちも戻ってきましたし、夕食まで休憩にしましょうか」

「わかりました」


 ぽんぽん頭を撫でる加藤さんに、こくりとケイは頷いて、腰を上げた。


「それじゃあ、わたしはリリィさんのお手伝いをしますね。リリィさん、お鍋見てるの代わりますよ」

「本当に? ありがとう。だったらわたしは、ささっとお肉の準備をしちゃおうかな」


 駆け寄ったケイと場所を変わったリリィは、車に戻って塩漬けにされた肉を持ってくる。


「お。ごはんかの」


 車の覆い布を持ち上げて、なかからガーベラが顔を出した。


「ごめんね、もうちょっと待ってて」

「あいわかった。……と、これ。あやめ、お主はなかだ」


 街道沿いでは、いつ人目があるかわからないため、基本的にガーベラとあやめは車のなかにいる。

 ガーベラは最近、なにかを熱心に作っているようで、退屈はしていない様子だった。


 ベルタは人目を気にしていて、日が落ちてしばらくしないと姿を見せない。近くにいるようだが、まあ、見つかるようなへまはしないだろう。


 手慣れた様子で塩漬け肉を削って鍋に入れて味を調整するリリィと、焦げ付かないように鍋をおたまでぐるぐる回すケイとを見ていると、加藤さんが抑えた声で話しかけてきた。


「本当にいい子ですね、ケイちゃん。よくお手伝いをしてくれて」

「そうだな」


 最近では、加藤さんの魔法の習得は、もっぱらケイが指導役となっていた。

 それ自体がケイの魔法の訓練にもなっているのだが、騎士を目指す彼女はそれ以外にも武芸の鍛錬が必要だ。ケイはどれも真面目にこなしていた。


 と、おれたちの会話が聞こえていたのか、シランがこちらもやや抑えた声で話しかけてきた。


「ケイは真菜殿を慕っているようですね。最近は、相談にも乗っていただいているみたいで。ありがとうございます」

「あ、はい。わたしも向こうの世界にいたときの知識が役に立つなら嬉しいですけれど」

「どうにもわたしでは、騎士としてはともかくとして、女性としては半人前の粗忽者ですから、真菜殿があの子にいろいろと教えてくださると助かります。これからも、あの子のことをよろしくお願いしますね」

「あれ? どこか行くのか、シラン」


 踵を返したシランに、おれは声をかける。


「最近、なまりがちですから、わたしも少し剣を振ってこようかと。ついでに少しあたりの警戒をしてきます。夕食が終わるまでには帰ってきますから、精霊についての講義は予定通り行いますので、ご心配なく」


 アンデッド・モンスターになったシランは、食事や睡眠の必要がなくなっている。


 そのため、たまにこうして食事を抜くことがある。

 時間の有効利用ができると言っていたあたり、彼女らしい話ではあった。


 去って行ったシランを見送ったおれは、ふと気になって視線を移した。


「そういえば、加藤さん」

「はい。なんですか」

「さっき、向こうの世界の知識がどうこうと言ってたが、ケイになにか教えているのか?」

「教えているというか、その……」


 なにげない、興味本位の質問だった。

 しかし、おれが尋ねると、なぜか加藤さんは口ごもった。


「えぇっと……」

「下着のことです」


 代わりにローズが答えて、おれは硬直した。


「特に、上の下着ですね。この世界には、ご主人様の世界にあったような女性用下着がありません。ですから、わたしとガーベラとで作ろうかと。真菜の話では、成長期には、きちんと成長の段階に合った下着を選んだほうがいいそうですので」

「……その、ケイちゃんも成長期ですから。痛かったりもしますので」


 真面目に答えるローズと、やや恥ずかしげな加藤さんが対象的だった。

 おれはただ気まずい。


「それに、真菜自身やリリィ姉様たちも下着はあったほうがよいですから。姉様からは、そうした話は聞いておりませんか?」

「ああ。一度、聞いたことがある、かな? 向こうのみたいなのがほしいとか……」


 やや濁した感じになった理由については察してほしい。

 そうした話をするようなタイミングというのは限られているのだ。


 ちなみに、この世界の女性用下着は、バストに布を巻きつけるような簡単なものである。


「カップの形状からワイヤーの有無や種類、ベルトの太さ、デザインまで、いろいろあるのが面白いですね。まあ、姉様はあまり気にしないと言っていましたが」


 淡々と語るローズ。

 まあ、冷静に考えてみると、ローズが正しい。これは真面目な話なので恥ずかしがることはないのだから。


 とはいえ、理性でそうわかっていても、異性のこうした話題は居心地が悪いものだ。


 見てみれば、こちらの話が聞こえていたらしく、ケイがこちらを向いて硬直していた。


「おい、ケイ。焦げるぞ」

「あ、はいっ。ごめんなさい」


 これを口実に逃げてくると、鍋の前で待ち構えていたリリィが身を寄せてきた。


「さっきローズが言ってたけど、わたしはあまり気にしないから、ご主人様が好きな感じでいいよー」

「……」

「ご主人様の好み、あとで教えてね?」


 思わず無言になったおれは、赤い目がこちらをじっと見ているのに気付いた。


 リリィは一応、近くにいるケイに聞こえないように、こっそりした口調で言ったのだが、感覚の鋭いガーベラには聞こえていたらしい。


 目は口ほどにものを言う。


 おれはまだ、この話題から逃れられそうにないようだった。


   ***


 次の日、おれはディオスピロを訪れていた。


 物資の補充と、前にディオスピロを訪れた際に、魔石を入手する手配でお世話になった元同盟騎士団団員で、いまはアケルの王国軍にいるアドルフに礼を言うためだ。


 車を町に乗り入れるのはリスクがあるので、ガーベラやあやめはお留守番だ。


 メンバーは以前と同じ、シラン、ケイ、加藤さん、ローズだった。

 リリィはついて来たがったのだが、戦闘力が高く人前に出られるリリィは、いざというときのために車で留守番をしたほうがいいだろうという判断になった。


 半分冗談で拗ねるリリィを説得するために、好みの下着についていろいろと聞かれてしまったことは忘れた。


 ともあれ、ディオスピロに着いたおれたちは、早速アドルフにアポイントメントを取ることにした。

 返事は「今日はちょっと時間が取れないので、明日来てほしい」ということだった。


 前回来たときにも忙しそうだったので、予想はできたことだった。

 おれたちは宿を取って、物資の補給をまず済ませてしまうことにした。


 明けて、次の日。

 おれは、シランとふたりきりで宿の部屋にいた。


 部屋はふたつ取ってある。


 護衛のローズと、彼女と仲のよい加藤さんがおれと同じ部屋で、シランとケイが別の部屋だ。


 いまは、アドルフとの約束の時間までということで、シランには精霊を扱う訓練に付き合ってもらっていた。


 精霊魔法は、発動までのプロセスが普通の魔法とは少しだけ違っている。


 本来、魔法は同時にひとつしか使えないものだ。

 言い換えるなら、魔法陣の構築は一度にひとつしか行えない。


 しかし、精霊使いは別だ。

 精霊は魔法陣を自前で構築できるため、術者はそれとは別に魔法陣を構築できる。


 これが、精霊使いが同時にふたつ以上の魔法を使うことが可能な理屈だった。


 ただし、これはあくまでも構築を精霊がやってくれるというだけのことで、魔力自体は術者自体のものが使われる。

 たとえるなら、蛇口の数が増えるようなものだと考えればいい。


 魔法を構築する必要はないが、術者は精霊まで魔力を届けなければならない。


 おれがいま、習得しようとしている技術がこれだった。


「いいですか、孝弘殿。よく感じ取ってくださいね」


 小さなテーブルの対面に座り、シランはテーブルの上に置かれたおれの手を取っていた。


 精霊に魔力を流す感覚を培うのも、魔法の習得と同じ要領で可能だ。


 どことなく楽しげに踊っている精霊に、シランが流し込む魔力を感じる。


「……」


 それと同時に、おれの手はシランの冷えた体を感じ取っていた。


 彼女の体は生命活動を停止しており、熱を発することはない。

 触れている部分からは、当然、体温を奪われる。


 もっとも、おれとしてはさほどそこになにかを感じたりはしない。

 木製人形のローズだって、体温がないのは同じだ。


 だから、ただ冷たいなと感じるだけだ。


「そろそろ、時間ですね」


 小一時間ほど経って、おれの体温でシランの冷たい手が温まりかけた頃、練習は終わった。


「しかし、孝弘殿の上達は早いですね」

「まあ、半分以上がこれまでやってきたこと、そのままだからな」


 シランの話によれば、精霊使いが精霊と契約したあと、精霊に魔法を使わせられるようになるには、大抵は半年から一年ほどの時間がかかるらしい。


 才能があったシランでも、これには三ヶ月かかった。


 ただ、これは七割以上の時間を、精霊との繋がりを感じ取り、その感覚を深めるのに費やすのだそうだ。


 精霊契約のときに感じたことではあるが、その繋がりというのは、おれのパスの感覚によく似ていた。

 繋がりを感じ取る部分は、ここ四ヶ月ほど慣れ親しんだものだったわけだ。


 そして、精霊との繋がりを深める部分についても、おれはアサリナとの意思疎通のために、パスを利用する訓練をしていたのでクリアしている。


 精霊使いとモンスター使いとの間で、必要とされる感覚や技術に似通ったものがあるというのは、運がよかったし、少し面白いとも思った。


 ともあれ、こうした事情から、おれが会得しなければならないのは、魔力を精霊に流す技術だけだった。


 こちらの指導をシランが引き受けてくれたことは、ありがたかった。


 あの『霧の仮宿』の世界でサルビアと契約したあと、おれはシランとケイに精霊がモンスターと本質的には同じ存在であることを伝えた。


 このあたりの事実を伝えなければ、『契約したモンスターであるサルビアの力を借りるために、精霊の扱い方を教えてほしい』という依頼は、意味不明になってしまうからだ。


 ただ、これはエルフにとっては衝撃的な事実である。


 さすがにシランもショックを隠せない様子だった。

 ケイも衝撃を受けていた。


 そのとき、座り込んでいたケイをうしろから覗き込んだガーベラが、不思議そうに尋ねた。


 ――なにか問題があるのかの?


 抱っこしていたあやめが、ぺろりとケイの顎を舐め上げた。


 ひゃっと悲鳴をあげたケイは、衝撃から目覚めたように瞬きをした。

 そして、上目遣いにガーベラを見上げて、ぎゅっとあやめを抱きしめると、「そうですね」と笑った。


 おれは、キトルス山脈に入る前の開拓村で、モンスターに似ていると小さな子供に身体的特徴を指摘されて、落ち込んでいたケイの姿を思い出した。


 自分が人間ではないことに劣等感を抱えていた彼女。

 もっと人間からかけ離れたおれの眷属たちとの交流は、彼女の価値観にいい影響を及ぼすと感じていた。


 それは、間違いではなかったようだ。


 ケイが立ち直った頃には、もうシランも苦笑をこぼしていた。


 そして、精霊使いとしての指導をしてほしいというおれの頼みを引き受けたのだった。


「しかし、わたしが孝弘殿に指導をするというのもおかしなものですね」

「なにがだ?」

「孝弘殿が契約を交わした『霧の仮宿』は、伝説の白い大蜘蛛よりも旧く、異界を作り上げるその緻密な魔力の扱いは、まさに『大精霊』とでも言うべき存在です。言わば、孝弘殿は大精霊と契約を果たした伝説に謳われるべき精霊使いでいらっしゃるわけです」


 珍しく、冗談っぽい口調だった。


「それを、わたしのようなしがない精霊使いが指導をするなどとは、おこがましい話ではありませんか」

「……よしてくれ。伝説の精霊使いなんて、がらでもない」


 おれが唇を曲げると、くすくすとシランは笑った。


「申し訳ありません。冗談です」

「勘弁してくれ」


 おれは苦笑して、ひとつ尋ねた。


「ところで、さっき『大精霊』と言ったが、そうした存在はいるのか?」


 おれは、シランの契約精霊に目をやった。


「前々から気になっていたが、シランの契約しているのは『小精霊』なんだろ? だったら、別の種類のものもいるのかって」

「無論、います。精霊は、契約直後は『小精霊』と呼ばれる存在です。そこから、何十年もかけて『精霊』となります。エルフは非常に長命ですから、昔は『精霊』と契約している者も多くおり、通常、『精霊使い』といえば、こちらを指したのだとか。現在では、本当の意味での『精霊使い』はほとんどいませんが」

「いない?」

「戦闘の才能を持つ者を遊ばせておくほど、この世界の現状は余裕のあるものではありませんから。結果、若くして戦で命を落とす者が多いのです。もっとも、こうした事情は、人間も同じですが」


 人間より長命であったとしても、若いうちに死んでしまえば同じことだ。


 実際、命を失っているシランの言葉は重いものだった。


「大精霊というのは、エルフの伝承である『始まりの精霊使い』のお話に現れる『原初の精霊』のことです」

「エルフの伝承?」

「ええ。勇者様の伝説ではエルフは出てきませんが、エルフにはエルフの伝承があります。『始まりの精霊使い』はそのひとつで、大精霊と契約を交わし、その死に際して、エルフという種族の行く末を見守るように頼まれた方なのだと伝わっています。それ以降、エルフという種族は、精霊との契約を交わすことができるようになったのだそうです」

「へえ。なかなか面白い話だな」


 考えてみれば、どうしてエルフという種族だけが精霊と契約する力を持っているのかは、不思議なことではあるかもしれない。


 いまの話からすると、エルフのなかから特異な才能を持った者が現れて、それが『始まりの精霊使い』だったということなのだろう。

 彼が自分の種族を精霊に託したから、エルフは精霊と契約する権利を得たと。


 もちろん、この伝承が本当にあったことであるのなら、という話だが。


 そこまで考えたところで、おれは対面に座るシランに目をやった。


「……?」


 視線が合ったシランが、きょとんとした。

 こういう瞬間の表情は、ケイのものとよく似ていて、血の繋がりを感じさせる。


「なんですか、孝弘殿。わたしの顔に、なにかありますか?」

「いや。その……顔ではなくて」


 気付いていないのか、とおれは左手で頬を掻いた。


 やや気まずい感じはあるが、指摘しないわけにはいかないらしい。

 おれは視線をテーブルの上に落とした。


「訓練は終わったのに、手が……」

「……ああ」


 力を抜いたおれの手を、シランの手は握ったままだった。

 練習が終わってからこれまで、精霊の話をしている間もずっと、シランはおれの手を握りっぱなしだったのだ。


「すみません」


 言いながら、シランは手を離した。

 ぱっと離すのではなく、手を軽く握ったまま引っ込めるようにして――体温のない彼女の指が、おれの指の上を滑る。


「――」


 それは、どこか名残を惜しむような、未練を残すような仕草に見えた。


「……それでは、わたしはアドルフのところに行ってきます」


 引っ込めた手を軽く握ると、シランは立ち上がった。

 おれも彼女に続いた。


「それじゃあ、おれもローズたちのところに行こうかな」


 ふたりで廊下に出る。


「昼過ぎには帰ってこられると思いますので」

「わかった。今日はありがとう」

「いえ。では」


 シランが背中を向ける。

 その姿が見えなくなっても、おれはしばらく廊下で佇み続けていた。


   ***


 部屋の窓から宿の裏の通りを見下ろしながら、おれはぼんやりと考え事に耽っていた。


 脳裏にあるのは、出て行く前のシランのことだった。


 ……違和感は、もともとあった。


 それが形になったのは、『霧の仮宿』の世界だろうか。


 おれは、シランとケイのやり取りを覗き見してしまった。

 ケイを抱き締めている、幸せそうなシランの姿を見た。


 最後の夜に話をしたとき、サルビアは言っていた。


 ――旦那様や真菜ちゃん、あやめちゃん、ケイちゃんは、なにも変わっていなかったわ。


 言い換えれば、他の面々は変わっていたということだ。

 シランも変わっていたということだ。


 あの『霧の仮宿』の世界には、望みを現実にする力があった。


 サルビアは、わざわざ精霊の感知能力を誤魔化してまで、おれにあのふたりの姿を見せた。


 それは、幻惑の魔法攻撃を受けていると勘違いしたおれに、霧の異界が望みを現実にした光景を見せることで、敵意がないことを伝えるためだったわけだが……逆に言えば、あれはサルビアが介入したからこそ、ありえた光景だったということでもある。


 現実では、シランがケイを抱き締めるようなことはありえない、ということだ。


 そう考えてみると、気付くことがある。


 あの『霧の仮宿』の世界以外で、シランはケイと肌を触れ合わせていないのだ。

 少なくとも、おれの記憶にある限りはない。


 幼いのもあるのだろうが、割とケイは、人との距離が近い子だ。

 おれ自身、腕を引かれたり、胸元まで詰め寄られたりしたことがある。


 そんなケイのもっとも身近にいるのが、シランなのだ。

 それなのに、シランとケイとが触れ合っている場面を、おれは見たことがない。


 正確には、シランはケイを含めた誰とも触れ合っていない。

 うまいこと避けているのだろう。


 最近になって、精霊の扱い方を教えるために、おれに触れたのが唯一の例外だ。


 これについては、避けようがなかった。

 シラン以外に、おれに教えられる者がいなかったためだ。


 そうして接触を避けている理由も、推測はできる。

 できないほうがおかしい。


 おれの掌が覚えている冷たさが、その理由だろう。


 熱を失った死者の体。

 シランがいかに強い騎士の心を持っていたとしても、なにも感じない鋼鉄の剣、無機物のような精神性ではありえないのだ。


 だとすれば、おれはどうしたらいいだろうか?


 シランは死者のものである自分の体を気にしていて、他人に触れたくないと思っている。


 自分にしかできない頼み事であったために、おれとの接触を避けられなかったものの、本当は内心で嫌がっている……ということなら、おれはシランから指導を受けるのをやめるべきだ。

 上達は遅くなるだろうが、彼女を傷付けてまでやるようなことではない。


 ただ、難しいのは、シランはそう嫌がっていないようにも思えることだ。

 さっきの一幕を思い返してみてもそうだ。本当は嫌なのだとすれば、すぐにでも手を離すのが自然ではないだろうか?


 その心理状態については、想像がつかないというのが本音のところだ。


 他人に触れられなくなってしまった人間が、否応なしとはいえ、久々に他者と触れ合う機会を得たときに、なにを思うのか……。


「……難しいな」


 現在はまだ、判断材料が足りない。


 もしも仮に指導をやめてもらうにせよ、口実が必要だ。

 シランが他人との接触を避けていることに、おれが気付いている――それをシラン本人に知られてしまえば、彼女の心の柔らかいところを傷付けてしまう可能性だってある。


 むしろ、シランがそれを気にしているのなら、おれがそんなことは気にしていないことを知ってもらったほうが、彼女にとっていい方向に作用する可能性もある。


 とりあえず、まだしばらくはどちらに転んでもいいように、指導を中止するときの口実を考えつつ、様子を見るかたちでいくしかないだろう……。


「どうかなさいましたか、ご主人様」


 そのとき、ローズがおれに声をかけてきた。


「なにかお悩みですか?」


 どうやら先程の独り言を聞かれていたらしい。

 首を傾げるローズになんでもないと返すと、気持ちを切り替えて、おれは室内に視線をやった。


 丁度、魔法の練習をしていた加藤さんとケイが休憩を取ろうというところだった。


 ふたり並んでベッドに腰掛けている。

 ケイのほうは、魔法で作り出した水で満たされたコップを傾けて、こくこくと喉を鳴らしていた。


「……やっぱり、水魔法は難しいですね」


 加藤さんが言うと、ケイが小さく肩を落とした。


「ごめんなさい。わたしにもっとなにかできればいいんですけれど」

「いえ。ケイちゃんのせいじゃないですよ」


 腰をちょっとだけ浮かせると、加藤さんはベッドの隣に座っていたケイとの距離を詰めて、体に腕を回した。


 女性としても小柄な加藤さんは、ケイとあまり身長が変わらない……というか、ちょっと低いくらいかもしれない。

 そんなふたりが並ぶ姿は、人形がふたつ並んでいるみたいに可愛らしいものがあった。


 実際のところは、別のベッドに座って、そんなふたりを見ている長身の少女のほうが人形なので、世の中というのはわからない。


「わたしとしては、もともと覚えたかった回復魔法に適性があっただけでもよかったと思っていますから。……正直、闇魔法とかのほうが、わたしのイメージには合ってるでしょう?」

「そ、そんなことないです!」

「そうですよ、真菜」


 冗談めかした加藤さんの物言いにケイが反論すれば、ローズも口を挟んだ。


「真菜は優しいですから。他者を慈しみ、癒す魔法はぴったりだと思います」

「……」


 素で言っているとわかるローズの言葉に、不意打ちを喰らった加藤さんが顔を赤くした。


 可愛らしい反応に、おれは思わず笑ってしまった。


「そうだな。おれも、加藤さんに回復魔法はけっこう似合ってると思うよ」

「せ、先輩!」


 加藤さんは眉を八の字にして、赤くなった顔を俯けた。


「……もう。困ります」

「悪かった」


 言って、おれはふと、窓の外から聞こえてきた声に視線を落とした。


「あ。なにか見えるんですか」


 話題を変えたかったのか、立ち上がった加藤さんがこちらに歩いてきた。

 そのうしろに、ケイもついてくる。


 おれは窓の外を指差した。


「あれ」


 そこに、数人の小さな男の子たちの集団がいた。


 手にしたパンのようなものを歩き食いしていたのだが、どうやらひとりがそれを落としてしまったようだ。小さな騒ぎになっていた。


「ああ。お菓子ですね」

「あれが……」


 と、反応したのは加藤さんだった。


「加藤さん、甘いもの好きなのか?」

「甘いものが嫌いな女の子は少ないと思いますけど」


 それもそうかとおれは納得した。


「先輩はどうですか?」

「おれか? まあ、嫌いではないけどな」


 特別好きかと言われるとそうでもない。


「女性ホルモン云々が原因で、女性は本能的に甘いものが好きなのだそうですよ。男性は逆に、本能的に女性と炭水化物の奪い合いにならないようになっているとか」

「そうなのか」

「いえ。そういう説がある、というだけですね。水島先輩がそんなこと言いながら、コンビニ・スイーツをぱくぱく食べていたのを思い出しました。……あの人、太らない体質だったんですよね」


 そのときのことを思い出しているのか、加藤さんはちょっと恨めしげな声だ。


 眼下の子供たちを眺めていたケイが口を開いた。


「多分、あれは教会で配られたものですね」

「聖堂教会の?」

「はい。わたしの村だと一年に一度あるかないかですけど、このあたりだともうちょっと頻繁にあるのかな。教会が焼いたお菓子が配られるんです。村だと甘味は本当に貴重だったので、毎回、楽しみにしていました。ちなみに、あれで姉様も甘いもの大好きなんですよ」

「へえ」


 それは少し意外だ。

 と言ったら、失礼か。シランだって女の子なのだから。


「お菓子か」


 この世界のお菓子は、蜂蜜や細かく切った果物を加えたりといったものだと聞いている。


 砂糖ベースのお菓子に慣れたおれたちからすると甘みは足りないだろうが、おれたちもこっちに来てからは長いこと甘いものを食べていない。

 そう考えてみると、ちょっと甘味が恋しいような気がしてきた。


「シランには世話になっているし、今度、お礼も兼ねて買ってこようか。もちろん、みんなの分もな」

「ほんとですか!?」


 ケイが嬉しげな声をあげた。


「あ。でも、三食分くらい飛んじゃいますけど……」

「それくらいなら大丈夫だろう」


 旅の間、贅沢といったらスープの肉を増やそうかというくらいの、質素な生活をしてきたのだ。

 目的地はすぐそこであり、軍資金には十分余裕がある。


 それくらいならかまうまい。


「……ん?」


 そうして算段を立てていると、ふと、加藤さんがまだ窓の外を眺めているのに気付いた。


「そんなにお菓子が気になるのか?」

「ち、違います」


 加藤さんは、慌てた様子で否定した。


「そうじゃなくて……あの子たち、可愛いなあって思いまして」


 お菓子ではなく、それを持っている子供を見ていたらしい。


「加藤さんは、子供好きなのか」

「そうですね。小さい子は好きです」


 それは初めて知った……が、思い返してみれば、納得がいく部分もあった。


 加藤さんは、チリア砦にやってきた直後から、ケイとも打ち解けていた。

 ローズとの関係を見ていると、割と世話好きなところもあるし、意外というほどではないかもしれない。


「漠然とですけど、将来は小学校の先生なんかになれたらいいなと思っていました」

「へえ。意外なような、そうでもないような」

「安定した職業ですしね」

「ああ。これはなんか納得できるな」

「先輩は? 将来の夢とかってありました?」

「おれか? おれは特には。大学に行って、卒業後は普通に企業に就職するか、公務員か。……ただ、色んなところに行ってみたいとは思っていたな。親が旅行好きだったんだ。弟と一緒に、国内の旅行はよく連れて行ってもらっていた」


 まさかこんなふうに異世界を旅することになるとは、そのときは思ってもみなかったが。


 まだほんの半年前のことを思い出して、おれは懐かしさに口元を緩めた。


「海外には行ったことがなかったけど、行きたいところはいくつかあったな。ほら。サグラダ・ファミリアとか。一度は行ってみたかった」

「ヨーロッパ……スペインでしたっけ? 水島先輩も似たようなこと言ってました。何年だかに完成する予定だから、その前に一度、建築途中のものも見ておきたいとかなんとか。……あれ? だけど先輩って、英語とか苦手なんじゃなかったでしたっけ? 海外なんて行って大丈夫なんですか?」

「……誰から聞いたんだ」


 渋い顔をしたおれに、加藤さんがくすりと笑った。


 おれは肩から力を抜いて、笑みを返した。


 ――最近では、元いた世界の想い出を、こうして加藤さんと話す機会も少なくない。


 リリィたちとこの世界で生きていくと決めたとはいえ、おれも元いた世界に未練がないわけではなく、あまり思い出さないようにしていた部分もあった。

 加藤さんを相手にこんな思い出話をできるようになったいまも、未練は確かにこの胸を焦がしている。


 それなのに……いや。違うか。

 むしろ未練があるからこそ、おれはこうして加藤さんと、元の世界のことを話しているのかもしれない。


 こうして話をすることで、未練を心の棚に仕舞っている。


 もちろん、それはただ仕舞っているだけだ。


 行きたかったところには行けない。

 戻りたい場所には戻れない。


 この未練が解消されることは、永遠にない。


 ただ整理されただけだ。

 けれど、多分、それだけでいいのだ。


 それだけでも、救われている部分がある。

 加藤さんには、感謝しなければならないだろう。


「あ。孝弘さん」


 そのとき、ふとケイが声をあげた。


「姉様が帰ってきましたよ」


 言葉の通り、見下ろす路地の向こうにシランの姿が見えた。


 距離はあるが、あちらもこっちに気付いたらしい。

 眼帯で半分隠された顔に、笑みが浮かんだ。


 けれど、その笑みはすぐに引っ込んだ。


 彼女の行く手を遮る者があったのだ。


「あいつは……」


 黒髪の少年だった。


 背中を向けているので顔はわからないが、背格好からそれが誰なのかわかった。


「ご主人様、あれは……」

「ああ」


 以前に、ここディオスピロの町で会ったことのある転移者の少年だった。


 一度目は宿のロビーで、二度目はローズとのデートの最中で。

 名前は確か、深津明虎とか言ったか。


 隣には、民族衣装を着た青年、サディアスの姿もある。


 深津はシランに声をかけたようだ。

 シランの表情が険しくなった。


 なにを喋っているのかは、距離があるのでわからない。

 ただ、なにか言い争っている様子なのはわかった。


 こうしてはいられない。

 おれは部屋の扉へと駆け出した。


「先輩……!」

「加藤さんとケイはここで待機だ。ローズは一緒に来てくれ」

「はい」


 指示を出すと、すぐにローズがあとに続いた。

 焦る気持ちを押さえ付けて、おれは部屋を飛び出した。

◆お待たせしました。

うまい切れ目がなかったので、長めになりました。


◆業務報告です。

12月末に、書籍版『モンスターのご主人様』の5巻が出ます。


詳しい情報については、また後日にアナウンスさせてもらいますね。

(ΦωΦ)ノ

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