浦島子記《うらのしまこき》
一
むかしむかし。
といっても、ちょっとやそっとの昔ではない。大宝の時代をはるかにこえて、古墳の時代、雄略の大王の率いる大和の軍団が最大の敵である吉備氏をくだし、日本の最初の統一政権となる目星がついたころの話。
丹後は筒川の河口、つまり今の京都の北の、海に面したところに端江浦という集落があった。その端江浦に美貌と風流でちょっとばかし有名な漁師がいた。庶民に姓などない時代であったから、端江浦島子、あるいは単に浦島子と呼ばれていた。
姓がないから下層の者だったかどうかというと、わかりかねる。土木の発展していない時代のこと。稲作は山と平野の境目の谷地で行われていた。軍事力の原動力となる穀物は谷地で生まれた。征服者の大和政権は本質的に山の民であり、海の民は支配下に置かれ低く見られた。海幸彦は山幸彦に敗れたのである。大和政権がその遠征においてワダツミなど海洋民の助力を得ていたにせよ。
そもそも浦という言い方が、盆地や谷地に住んだ稲作支配階級から見て
「山の裏側」
であった。海洋民の助力を得て遠征を成功させておきながら、彼らが海の民を低く見ていたことがよくわかる言葉である。
しかしこれは勝者からの偏った見方であって、浦島子が美貌だけでなく風流でも有名であったというのが事実を伝えているのであれば、海の豪族の主か、もしくはその嫡子であったのかもしれない。丹後が日本海に面していることを考えると、百済や高句麗、あるいは中国に興っては消えた五胡十六国の王族が国難を逃れて日本へ落ちのびた、その末裔なのかもしれぬ。島子という名前も、陸続きでない海上の島に住んでいたという意味ではなく、端江浦に勢力──すなわちナワバリという意味の「シマ」──をもつ一族の嫡子という意味と思われる。
いずれにせよ、考えても詮無いことであるし、かりに浦島子が土豪の息子であろうと、一人で漁に出かける日もあった。倭と呼ばれていた頃の日本は、まだそんな素朴な時代だった。
さて、浦島子がいつものように漁にでかけようとしていたところ、ガチャンという大きな土器が割れるような音が聞こえてきた。見れば、村の子供達が大きな土器を割っていた。
「これこれ、もったいないことをしてはいかん。どうして甕を壊す?」
と浦島子が問えば、子供達はすねたように言い返した。
「大人に言われて壊しているんだいっ!須恵器の甕がたくさん完成したから、いままで使っていた土師器の甕はもうジャマだから、叩き割るようにいわれたんだ。祭祀で使う『かわらけ』にするんだって」
言われてみれば豊漁祈願の神事が近々おこなわれる季節だった。浦島子はすっかりそれを忘れていたわけだが、風流人というものは、とかく自分の失点を認めない。平静を装って浦島子は言った。
「なるほどなるほど。しかし、『かわらけ』はそれだけあれば十分だろう。須恵器に劣るからといって、まだ使える土師器の甕を壊すにはしのびない」
そういって、腰につけた黍の団子を子供達に見せて、まだ割られていない甕を指差して言った。
「土師器の甕でも漁のえものを入れておくのに使えるかもしれん。わたしにゆずっておくれ」
黍の団子は浦島子が漁の昼飯にと持っていたものであった。いまでこそ黍は雑穀であるが、古代の海辺の子供達にとってはめったに口に出来ないごちそうであったから、大人の許しを確認するまでもなく自分の判断で甕を浦島子にゆずってしまった。なに、『かわらけ』はもうたっぷりできている。甕ひとつ分たりないくらい、気づくものか。気づいたところで、もともと要らぬ甕なのだ。浦島子は助けた甕に水を溜め自分の舟に積むと漁へ出発した。
二
海と空は異様な様相であった。
大荒れというほどではなかったが、曇天は重く頭上にひろがり冷たい雨がズルズルと降り、強いわけではないが止まぬ風が浦島子の舟を沖へ沖へと押し流した。浦島子は岸へ舟を戻そうと櫂をしきりに漕いだが、潮流がひっきりなしに変化するため、まるで行きたい方向へ進めず、ついにはへたばってしまった。
魚も貝もまるでとれていなかった。浦島子は黍の団子を子供達に与えてしまったことを後悔した。しかし、買った甕に雨水を溜めることができたので、すぐに死ぬ心配はなさそうだった。
「なあに、荒天とて中休みがあるものよ。水さえあればなんとかなる。今は焦らず待つとしよう」
経験を積んだ屈強な漁師とはいえないまでも、浦島子も一人前の漁師であった。美貌と風流の男ではあったが、役立たずの公家ではないのだ。
そうして三日が過ぎた。さすがの浦島子も水ばかりでは腹に力が入らぬ。体力のあるうちに、がむしゃらに陸を目指して漕ぐべきかどうか、決めねばならぬときが近づいているように思えた。
だが、三日目の夜に、この異様な天候は急を告げた。大嵐になったのである。
三
浦島子の乗った小舟は簡単にひっくりかえった。
無念。俺はここで死ぬのか。浦島子はあきらめかけた。しかしそのとき、浦島子の目の前に、どんぶらこ、どんぶらこっこと、大きな丸いなにかが流れてきた。言うまでもない。浦島子が買った粗末な甕であった。
これぞ不幸中の幸い、浦島子は必死の思いで甕をつかまえ、空気を入れてひっくり返し、これを浮きにしてしがみついた。そうしてひたすら溺れぬようじっと我慢すること数刻、しだいに嵐はおさまり、夜明け頃には雲の切れ間から太陽の光がチラチラと差してきた。
浦島子は、まだ助かったかどうかわからぬ。甕にしがみつくのがせいいっぱいで、もはや足を掻く力もなかったからである。どこへ行くかは波まかせ、甕まかせであった。そうして浦島子は意識を失った。
目をさましたとき、浦島子は粗末ながらも屋根の下にいた。それも、都でしかお目にかからぬ床のある建物の屋根の下だった。
「気がついたのね?よかった」
浦島子の視界がはっきりしていれば、そう声をかけた女性の美しさに畏れ入ったにちがいない。その美しさは、ほかならぬ浦島子に良く似ていた。美しく、まだ若い娘だった。
実際、岩礁にひっかかっていた浦島子を見つけた島の衆は、その顔立ちから乙姫の血筋の者だと判断して、浦島子を助けたのである。女は島では乙姫と呼ばれており、その島の最高権力者だった。
四
その島を冠島という。これは後の世の名称であり、当時、なんと呼ばれていたかはわからない。若狭湾に浮かぶこの島の大部分は断崖に囲まれており、容易には上陸できぬ島である。しかしそれはのちの地殻変動の結果であり、この頃の冠島は、少しは上陸しやすいが場所もあったのであろう。浦島子は助けた甕に連れられて、この島のかろうじて浜辺と呼べるような場所に流れ着いたのであった。
甕もまた、奇跡的に割れずにその場にとどまっていた。
乙姫の配下である若衆は相談のうえ、男を御殿へ運び入れた。男の顔はあまりにも乙姫に似ていたし、身なりから島に危害を及ぼす者とは思えなかったからである。
はじめ、乙姫は運び込まれた男の顔が自分そっくりであることに驚いた。面識はなかったが、話を聞きたいと思った。一族を統べる立場にあったとはいえ、二十歳そこそこの若い娘であり、見目麗しい男に惚れぬでもなかった。自分とそっくりであっても、自分ではないのだから。ようするに、地位と美貌だけ突出した、普通の女だったのである。
「あなたが助けてくれたのですか?」
浦島子は、突如現れた、自分にそっくりな女におどろきながらたずねた。
「そう。あたしはこの島の巫女で、乙というの。島のみんなからは乙姫と呼ばれているわ。というのも死んだ先代の長の娘だから。つまり、あたしが長もかねているというわけね」
「こんな辺鄙な島に、わざわざ御殿を立てて生活しているのかい?わたしもずいぶん風流をたしなんだつもりだったが、あなたがたには及ばないらしい」
「好きで住んでるわけじゃないわ。故郷を追われて、隠れ住んでるのよ」
「故郷を?」
「そう。私たちの先祖は山幸彦に鉄器を貸したばかりに駆逐された海幸彦なの。故郷を離れ流れ流れてこの島にたどり着いて、隠れ住むようになったの。わたしたちは、ここを自虐を込めて流遇城と呼んでいるわ」
浦島子は乙姫の大言荘厳に思わずふきだした。
「城とは大きく出たね。まるで魏の国のようだ」
乙姫は急に神妙な顔つきをして問い返した。
「大陸の知識があるの?あなた、ただの漁師じゃないみたい」
浦島は笑った。
「いやいや、ただの漁師の小倅さ。まあ、境遇は似ているかもしれん。わたしの先祖もかつて、大和の軍と戦って敗れて、丹後に落ち伸びたと聞く。だが、こっちはあんたのとこほど一族の再興にこだわってなかったらしい。よい漁場に住み着いて、まじめに働き、しあわせにくらしましたとさ。めでたしめでたし……といったところかな」
乙姫は食い下がった。
「ただの漁師が、子に学問を教えるの?」
「そりゃあ、知らないよりは知ってたほうが何かと得さ。さりとてたいして役に立つものではない。丹後のような田舎では、ちょいと知識をひけらかして『あら風流だわ』と言われて女にモテるくらいの使い道しかない」
美しい乙姫に見つめられても、たじろぐことなく軽妙な言葉を返すあたり、浦島子もさすがに美男で知られた男であった。
五
浦島子はこの島で暮らすことになった。浦島子の舟はなく、乙姫と島の住人達は自分達の存在を大和朝廷に知られたくなかったので、浦島子に舟を貸さなかった。つまりは、軟禁であった。
故郷の父母を思うと浦島子の胸も傷んだが、ここでの生活がいやなわけではなかった。乙姫は浦島子に好意を抱いていたし、自分も乙姫を気に入っていた。姫との性生活はまんざらでもなかった。離島の生活は物質的には厳しかったが、大陸の知識のある島民との会話は風流人である浦島子の心を精神的に豊かにした。
三年も過ぎたころには、浦島子は事実上の、乙姫の夫として高い地位についていた。もはや、自分さえ望めば舟を得て故郷に帰ることも可能であった。だが、自分のわがままのために乙姫や島民を危険にさらしていいのか。浦島子はかつて自分を救ってくれた甕から水をすくっては、己の姿を映してふさぎこむようになった。
島でくらしているうちに、古老の記憶と浦島子が親から聞いた話をつきあわせて、島の一族と浦島子が共通の先祖を持つこともわかった。乙姫と顔が似ていたのは偶然ではなかったのだ。二人は遠い親戚同士であった。浦島子もまた、海幸彦の子孫であったが、乙姫の一族とちがって早々に忘れてしまっただけであった。
そうとわかれば、ますます自分ひとり逃げ出すわけにはいかぬ。お気楽に生きてきた浦島子であったが、島で生活しているうちに、一族の一員として責任感が芽生えていたのである。
思い悩む浦島子を見て、乙姫は決意した。
「移住しましょう」
六
乙姫は言った。
「このような辺鄙な島に移り住んだのも、一族の再興を図るためよ。いつかは出ていかなきゃと思っていたわ」
あいかわらずの凛とした美しい顔で浦島子を見つめて、さらに続けた。
「もはや島民も十分に増え、この島だけの生産量ではやりくりが難しいわ。本土に戻って新しい安住の地を見つけるときが来たと思うの。ねえ、浦島子、あなた。斥候になってくださらない?」
「わたしの故郷を奪うつもりかい?」
浦島子は、不安と不快をあらわにして言った。
「奪うとは限らないわ。もし、未開拓の土地があれば、そこでもいい。あなたにはこっそり調べてきてほしいだけ」
「なるほど。……だけど、きっとふるさとのみんなは、わたしが死んだと思っているだろうね。ひょっこり現れたら大騒ぎになるよ。こっそりというわけにはいかないな」
「それなら、翁に変装するといいわ」
乙姫はそう言って、自分の玉手箱に変装用の衣装一式を入れて浦島子に渡した。
数日後、晴天を見計らって浦島子は船に玉手箱と例の甕をのせて、ひとり出発した。
遭難する心配はないと思われたが、例の甕をのせたのは縁起をかついでのことだ。浦島子は甕を助け、甕は浦島子を助け、切り離せぬ関係ができあがっていたのである。たとえ相手が物言わぬ、粗末な土器であったとしても。
七
故郷の浜に舟をつけた浦島子は、岩陰にかくれて玉手箱をあけた。封がしっかりしていなかったらしく、小袋から洩れた白粉の煙がもうもうと立ち上った。浦島子は手早く着替え、どこから見てもただの老人の漁師であった。
旅が気軽にできるほど交通網の整った時代ではない。村人じゃない老人がうろついていれば、それだけで怪しまれる時代である。しかし、漁師となれば話はべつだ。潮加減ひとつで見知らぬ土地に流れ着くなどよくあることだったので、漁村は農村よりは見知らぬひとへの警戒心が薄かった。
そうして浦島子はさして怪しまれることもなく、かつての自分の家へと向かった。
だが、帰って見れば、なんとまあ。元いた家も村も無く、行き交う人もまた、見知らぬ人がわずかにいるばかり。
いったい、なにが起こったのか。浦島子は通行人をつかまえてたずねてみた。
「じいさん、あの土砂崩れを知らんのか?三年前だよ。大嵐と地震がいっぺんに来た日があっただろ?なに?大嵐のときは海で泳いでたから地震に気がつかなかった?ハッハッハッ……おもしろいじいさんだ」
「地震そのものはたいした揺れじゃなかったんだがな。雨で地盤がゆるんでたんだろうな、岬にあった高くて険しい山がドシャーッと土砂崩れをおこしてな。ふもとの家々を全部押し流してしまったんだよ。あの浦島子の家もだ。浦島子も嵐のあと帰ってこなかったし、泣き暮らすよりはあそこの両親にはよかったのかもしれないが、まあ、とにかく、かわいそうなことだよ」
「浦島子を知ってるかって?いや、噂しか聞いたことがないね。じいさん、あんたみたいな男前だったそうだよ」
男が去ったあと、浦島子は地面に突っ伏して号泣して親不孝を詫びた。まだ阿弥陀の教えも法華の教えも伝わってない時代であるため、浦島子は唱えるお経を知らなかったのである。ただ、大陸の人々はこういうとき号泣するものだと父から習っていたので、そうしたのだ。
ひとしきり号泣し、心が落ち着くと、浦島子は岬の先端に向かった。土砂崩れによって、島のような岬が新たに生まれていた。その広さは流遇城のあった冠島より、ひとまわり大きかった。
壊滅した浦島子の村にも、新たに住んでいる者はほとんどいなかった。それもそうだろう、土砂崩れで埋まってしまったばかりの土地に住む物好きはいない。
そう、安住の地を求める流浪の民のほかは。
八
浦島子は舟に戻ると、あらかじめ甕にいれておいた燃料に火をつけ、狼煙をあげた。一族に向けての、乙姫に向けての、喜びの狼煙であった。煙につられたのか、一羽の鶴が沖に向かって飛んでいった。
こうして浦島子と乙姫の一族は、新たに生まれた岬に移り住んだ。先住者と武力衝突することなく、大和朝廷から疑われることもなく、安住の地を手に入れたのだった。浦島子は晴れて、正式な乙姫の夫となり一族の長になった。その後、一族が再興したという話は聞かぬ。そのまま土着して大和朝廷の一部に組み込まれたか、あるいは流散して血脈が途絶えたかはわからない。はてさて、そのような顛末は歴史においてはよくある話で、ことさらこの物語でつまびらかにする必要はなかろう。
重要なことは、三年前に浦島子が粗末な甕を助けたことがきっかけだったということである。浦島子はわが命を救い、乙姫に引き合わせてくれた甕を称えるため、自分達の土地を甕島と名付けた。これが現在の京都府与謝郡伊根町の亀島の由来である。
〈 完 〉
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付記
この話は創作であり、ほとんどが史実にまったくもとづかない作者の空想と嘘八百である。ゆめゆめ、事実と思い込まないよう、ご注意申し上げる。