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バニラビーンズ

作者: 生駒美汐

これは俺が中学三年生で、弟のさとるがまだ幼稚園年中組だった晩秋の物語だ。


学校帰りの学生服のまま迎えにいくと、悟は幼稚園内の砂場にしゃがんでいた。

園舎の日陰だ。周りには他に園児はいない。

プラスチックの水色のバケツとスコップが放置されている。

身軽な足音が園舎の中から聞こえてくる。


声をかけるより早く、悟は俺に気づいた。

「あす兄ちゃん」

立つと、悟は体についた砂を払うでもなく、肘を曲げた不自然な万歳の姿で駆けてきた。

斜めかけの黄色いかばんが弾む。

「あす兄ちゃーん」

「おう」

俺は短く返事をし、自分の通学かばんを置いて抱きあげた。

この重さには慣れている。歓声が上がるまでぐるぐる回してやろうとしたら、

「うおーだめだー」

文句を言われた。

「お、どうしたよ? 便所か?」

「お団子が落ちちゃうよ。だめよ」

なるほど、悟が両手に持っていたのは泥団子だった。


十一月ともなれば夕暮れは早い。

気の早い防寒服にするかまたはマフラー程度で済ませようかと毎朝迷い、ときには予想を外して夕方にああ失敗だったと悔むくらいの日々の気温なのである。

風が冷たかろうに、迎えがくるまで外で砂遊びとはさすが俺の弟、元気なことだ。


降ろしてやると、悟は瞬きもせずに手の中の泥団子を鼻先に近付けてじいっと見つめた。

まるで凍える小鳥でもいるんじゃないかって様子だ。

「みたらしとつぶあんのお団子なんですって」

顔なじみの保母さんがくすくす笑っている。遠巻きに俺たち兄弟のやりとりを見ていたらしい。


送迎バスの出たあとも、家の都合で幼稚園に残る子は二十数人程度と聞いている。

パートを終えた母親が車で迎えにきて、スーパーに寄って帰る家もある。

わが来生家の場合も、ふだんは商工会議所パート勤務の母が自転車で送り迎えをしている。

今がお迎え時間のピークらしく、軽乗用車が入口の車寄せに続々と止まった。

母親や祖母の姿をいち早く見つけた園児は、どの子も先生にお行儀よく挨拶をして、すぐにお迎えの自家用車に乗り込んでいく。

悟くんばいばーい、と手を振られても、泥団子が大事な悟は口でばいばーいと言うだけで振り返さなかった。


「そうすか。悟、それ、右がつぶあん?」

「うんそう。あのさあ、松センセってばね、みたらしとつぶあんを間違えたんだよ。わかんなかったみたいなんだ」

なんとなく俺とその松センセとで目だけで笑いあった。


すみませんね、これすぐ連れて帰りますんで。

いえいえ、弟さんかわいいですよね。

そんな交信だ。


「気にすんなよ。んなこと忘れちまえよ。さあ、船の時間もあることだし、行こうぜ」

帰るというと反抗するので、言葉には気をつけている。

面倒くさいことだが、こじらせるともっと面倒くさいことになる。

悟は素直に頷き、泥んこ和菓子を持ったまま先生にさようならを言った。

「あっ、センセ」

「はい?」

「団子の材料は明日こいつに持って行かせます」

「?」

「泥団子の材料、お返しします」

いらないですよう、とセンセは笑い飛ばした。

このままじゃいつか我が家も砂場ができるからいらないですよう。


園の門を出たところから陽気なハミングをはじめる。

人目もはばからずライラライラライと歌いながら、先頭悟、二番手俺の縦列でゆく。

先頭とか縦列とか言ったって、たったふたりだ。

「フルーツのど飴、いるか?」

「いるー」

ポケットからのど飴を出して、包みを開いてやった。

餌付けされるヒナのように悟は口を開けた。



島――正確には二区島にくしまだ――へと向かう4時発の定期船に乗り、兄弟並んで腰をかける。

「あす兄、今日は学校をさぼったの?」

「違うよ。ほら見ろよ、他にも兄ちゃんと同じ制服のお兄さんやお姉さんがいるだろ」

「えーお姉さんはいないよ」

職員会議があるから放課後はすぐに帰るよう、中学校から事前連絡があったのだった。

船の中でも悟は泥団子を大事に携えていた。

いつもの光景なので、係員も注意なんかしない。

坊や、いいの持ってるね~なんて話しかけるおじさんもいる。この地域では怪しい人なんかじゃないのだ。

揺られること十分、降りてバス停へ、そこからさらにバスで十分、降車のバス停から徒歩二分で我が家だ。



帰ると、父さんと母さんの靴が揃ってあった。

部屋まで持ち込んで両親に見せたいという悟のグッドアイデアが出るまえに、俺は言った。

「悟。その団子な、せっかくだから通りすがりの人にも見せたほうがいいと思うんだよ。玄関出たところに置くのはどうだろう?」

「名案だね」

リビングで両親は大きなシュークリームを食べていた。

俺は通学かばんと通園かばんを降ろした。



「なんだよ母さん。こんなに早く帰るんなら、悟の迎え、俺が行くことなかったんじゃねーか」

母さんは悪びれた様子もなく、まあいいじゃないと適当に笑うと、エプロンで手をぬぐいながら流し台に向かった。

「父さんはなに? 今日はどうして仕事早いの? って、この質問はもしかしてデリカシーに欠けていますか?」

「アホな気を遣う息子だなあ。出張だったんだよ。おまえの好きな東京だ」

ほれ、と差し出された紙箱を受け取る。すかさず言われた。

「水原さん家に持っていってくれ」

「はあ?」

先日、水原さん家からいただきものがあったから、そのお礼として届けろということらしい。


水原さん家というのは、この島の向こうの戸里とり半島にある。

母の勤め先や、俺の中学や、悟の幼稚園なんかがある、さっきまでいたところがその半島だ。

つまり、今帰ってきた道をもう一度戻ることになるのだ。

徒歩二分でバス停、バス十分で港、船で十分でやっと対岸、そこから更にバスの距離。

これは待ち時間を無視した計算であって、なんの参考にもならない。

二区島のバスは一時間に一本。自転車で直接港に向かった方が早い。


ちなみにその水原さん家には、菜々という俺と同い年のいとこがいる。

同じ中学校に通っているのだ。

菜々はけっこうかわいいから、男子の間でもひそかに評判だった。

修学旅行の夜に、消灯後の部屋で、あいついいよなーって言う声を聞いた。

俺だってそうだ。あいつのことが実はかなり気になっているのだった。

だから、菜々のことを考えたら、まあ行ってやってもいいかなーという気持ちになっていた。


とはいえ菜々はいとこ。

下手なことを言って親戚の集まりで未来永劫冷やかされるのもごめんだから、事は慎重に運ばねばならない。壁に耳あり障子に目あり。ちなみにこの家は父さんの建築会社が建てたものだ。忍者屋敷まがいのアホな設計はされていないとは思うが、用心に越したことはない。

「どうぜ学校に行けば菜々がいるんだし、明日学校で渡してもいい?」

俺が努めてやる気なさそうに言うと、聞いているのかいないのか、父さんはワイシャツのボタンを上から外しはじめた。

風呂に行くにしてもここで脱ぐなよ。

「あー、ナマモノだからだめだよ」

「ちぇっ」

仕方ない、という体裁で俺は回れ右をした。このまま身内に悟られるな俺の恋心。



ところが、である。

洗面所で手を洗っていた悟が慌てたように寄ってきた。

「あす兄ちゃんどこいくの?」

おまえこそ、濡れた手を拭かずにどうした。

子供の勘はバカにできない。

「兄ちゃんはちょっとお使いを頼まれたんだ」

菜々の名前は出さなかった。

悟はなにを思ったのか、スニーカーをはいた俺を玄関で待たせたまま奥の部屋へ取って返した。


ついていくと言い出したらやっかいなことになるな、と俺は舌打ちをした。

時間がかかって、悟のメシも風呂も就寝も遅くなって、俺が母さんに怒られるだろう。

叱られるくらいどうってことないが、今日一日飛び回って最後にその仕打ちはあんまりなのではないか。

悟が戻ってきた。

「あのさー、いいものを見せてあげる。あす兄ちゃんだから特別だよ」

そう言って、A3サイズのスケッチブックを広げてみせた。



描いてあったのは、見どころが伝わってこない、形容しがたい奇妙な絵だった。

紙の中央に薄黄色の大きな丸い雲があった。面積でいったら紙の半分を占めている。

雲なのかそうでないのか。

意図的に描いたらしい、スイカの種のような黒い点々が無数にあるから、雲ではないと思う。それに色も変だ。

余白には紺色の縦長の長方形だ。看板に見えなくもない。

ビルらしきものが真横にあるから、やはり看板なのだろう。

数字も飛んでいる。大きく3。と、ゼロがいくつか。

脇には眉毛が八の文字になった人間が立っている。

灰色の服に四角くて黒いかばん。サラリーマンか? 

すべてクレヨンで描いてあった。


わからないなりに考えてみた。

子供が描く人間といったら、家族や架空のヒーローである場合が多い。

「これ、ここにいる人は父さん?」

指さして聞くと、悟は頬を染めて頷いた。

わかってもらえたのが相当嬉しかったらしい。

感極まって泣き出しそうな顔で、ふっくらした頬もまぶたも睫毛も震えている。


俺のことは描いてくれないのかと尋ねたら、悟のやつ、口を尖らせて、しかしどこか得意げにこう言った。

「だってー、あす兄ちゃんは行かなかったでしょ。東京に行ったのはお父さん。お父さんはね、駅から歩いたんだよ。駅までね。そしたらケーキ屋さんがあったよ。あとね、お金が当たったけど、恥ずかしかったんだ。お父さんさ、お姉さんから知らないことを聞いただけなのに、どうして恥ずかしいって思うのかなあ。僕も東京に行ったら、知らなくて恥ずかしい人なのかなあ。僕は、どうして、って思うのにお父さんに聞けなくてね、うわーってなったんだ。だからね……」

「そっかー。あ、兄ちゃんもう行かないと」


悟のたどたどしいおしゃべりがこんなにも続くのは珍しいことだった。

何故今それを話すんだ、とも思った。

そのとき、確か、思ったはずだ。

しかし、時間が気になっていた俺は、適当なところで遮ってしまった。



外に出て自転車の鍵を外しながら、携帯の発信記録からコンビニの田中さんを選ぶ。

コンビニの田中さんはコンビニ経営をしていない。そもそも、島にはコンビニがないのだ。

田中さんは額縁職人である。昔は螺鈿細工もしていたそうだが、作品を見たことはない。


数回の呼び出し音で出てくれた田中さんに戸里へ行きたいから船を出してほしいと伝えると、二つ返事で了解してくれた。

『いいよ。ちょうどコンビニに行きたいと思ってたんだ』

口癖がこれだから、コンビニの田中さんと呼ばれている。

船着き場まで行くと、準備を終えた田中さんが待っていた。

俺はお礼の二十世紀梨を渡し、小型船に同乗した。

定期船は一日当たり、通勤や登下校の時間帯に合わせた3往復しか運航していない。

時間を外した場合は、こんなふうに島側か半島側の消防団員にお願いして、所有の船で行き来しているのだ。

コンビニの田中さんも消防団の一人だった。



想い人に会いたい一心で犬のように海を越えてきたというのに、菜々は留守だった。

「菜々にもなにかご用があったの?」

伯母さんがにこにこ顔で聞く。

「ないです」

俺は……シュークリームの箱を渡し終えたら用なしだった。

上がって夕飯でも食べていったら、せめてお茶でも、という誘いを丁重に断った。

港でコンビニの田中さんが待っているから戻らないといけなかったし。



晩飯はとんかつだった。

父さんも母さんもビールが進んだ。

テレビは芸能人が大勢出演する家庭の医学番組がつけっぱなしだった。

誰もどこも悪くなかったが、俺の好きな芸人が司会、というだけの理由でそのままになっていた。

俺はあちこち飛び回ったから、腹が減っていた。食後のシュークリームもしっかり食った。

悟は煮豆を一粒一粒、のろのろした動作で口に運んでいた。

「そういえば」

と、父さんが言ったとき、悟の体がぴくっとなった。

「出張中にな、東京って狭いんだなあと思う出来事があったよ」

母さんは聞き流し専門なので、俺が父さんの話相手になった。


「知り合いにでも会ったとか?」

「山手線が止まってしまってな、一旦降りて、次の駅まで歩いたんだ」

「線路の上を?」

わかってないな、という顔になった父さんは、グラスを持った手で俺を指す。

「歩いたのは道だよ、舗装されてるさ。近くにはビルや住宅ばかりだよ。海も崖も見えない。緑だって手入れがされている。ここら辺の感覚で想像したら大間違いだよ。だけど、そういうことなんだよ。必要とされて、すべてが町の中にある。電車が止まったから一駅分歩いたんだが、俺の足でもたった五分で着いたよ」

「五分! すごいな」

「そこから地下鉄の方に行こうとしたら、ケーキのショーウインドーがあって、人が並んでいてなあ。そうだ、土産をまだ用意していなかったーと思って、買ってみたんだ」

「ふうん」

悟が煮豆をつかみ損ねて、ダイニングテーブルの下に潜った。


「お母さん、味噌汁装ってくれないか」

「はいはい」

「あとな、年末ジャンボ宝くじが当選していたから、ついでに銀行に寄ったんだ」

「えっ、すげえ! で、いくら?」

「なんだよ、そっちのほうが驚くのか。金額は大したことないんだ。印の出ている売り場なら交換できるってことだったんだが、売り場に印が見当たらなくて、銀行に入ったよ。つつーっと係りの人が寄ってきてさ、小声で聞かれたり、当選番号を専用の用紙に書かされたりして、あれは緊張したなあ。それで、順番が来て、受け取りに行ったら、これは表の売り場でも引きかえ可能でございますーなんて言われてさ……はは。田舎者だから上がっちゃうよなあ。見えるものも見えなくなっていたのかなあ」

「そうね。で、いくら?」

「なんだよ。お母さんまでそれなの?」

しかし、父は頑として金額を言わなかった。

次の年末ジャンボの軍資金に充てておしまいだよ、と言い捨てて、飯を平らげると、疲労を口実に寝室へ退散した。


悟がテーブルの下から耳を押さえて出てきた。

俺と目が合うと、へへーと笑って、

「避難訓練」

と言った。



翌朝、余ったシュークリームを冷蔵庫のまえで食べていると、パジャマ姿の悟が入口の柱に持たれてこっちを見ていた。

俺が半分にしてほいっと差し出したら、寄ってきて黙って手に取った。

とはいえ、起きぬけでぼんやりしている様子だ。

俺は気にせず食った。つきあっていたら遅刻する。


悟の見つめる対象が俺からシュークリームに移った。

「……あす兄ちゃん」

「むう?」

「この黒いの、なに?」

シュークリームの断面の真ん中を指している。

そんなものは見ないでもわかる。

「バニラビーンズだよ」

バニラビーンズ。新たな呪文を覚えた魔法使いのように、神妙な面持ちで悟はつぶやいた。


「お前よくこんな小さいのを見つけたなー」

それは何気ない一言だった。

俺としては褒めたつもりだった。

なのにどうしたことか、悟は半分のシュークリームを俺に突き返した。

「見つけたのはあす兄ちゃんだよ。僕は知ってただけだ!」

なにが気に障ったのか、わからない。

悟は両親のいる寝室に籠ってしまった。



そんな出来事があったとしても、俺の朝の忙しさは変わらない。

新聞を取りに行ったついでに、外玄関を箒で掃く。

ライラライと歌を口ずさむ。

いやはや、どうにも砂っぽくていただけない。

ひと雨くればいいのに、いや、俺たちが出勤や通園や通学を終えた頃にひと雨くればいいのに。

そんなことを思いながら、新聞の降水確率を確かめる。十パーセント。

あとは朝食をかきこんで、時間割通りに教科書を詰めたら、自転車で港へダッシュだ。

リレー小説に登場するキャラクターを練習するため、また世界観を描くために書いたものです。

なお、結果としてこの「あす兄ちゃん一家」はお蔵入りすることになってしまいました。

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