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書籍化&商業化

【乙女ゲーム原作】婚約破棄されたご令嬢は、今日も王子を塔の上から突き落とす


 わたくしは、今日この日をずっと待っていましたの。

 貴族達が通うエンデール王立学園。

 その中庭で、わたくしはいま、第二王子のレムナス様に睨みつけられています。

 えぇ、えぇ。

 何もかも、予定通り。


「ハーナベル・カンタール伯爵令嬢。お前との婚約を、ここに破棄する!」


 言い切ったレムナス様の隣には、花のように愛らしいご令嬢がそっと寄り添っています。

 とてもお似合いですね。

 

「……な、何か反論はないのかい?」


 レムナス様が、ちょっと焦り気味に言いました。

 あら、泣かないと駄目だったかしら。

 流石に笑ってしまわないように、顔の筋肉を総動員して無表情を保っていましたのに。


「えぇ。わたくしのような者は、レムナス様には不釣合いだと、常々感じておりました。

 ですから、これからはどうか、愛する方とお幸せになってくださいませ」

「えっ、あの、そのっ……」

「ごきげんよう」


 わたくしは優雅に一礼して、その場を立ち去りました。

 走り出して笑いたいのをぐっとこらえます。

 これからは自由です。 

 やりましたわ!!!




◇◇


 わたくしハーナベル・カンタールはカンタール伯爵の第四令嬢です。

 昔から、わたくしは本を読む事が好きでしたの。

 そう、本を読んでいると、そこがどこであるのか、誰といるのかすら忘れて熱中してしまうぐらいに。


 だって、そうでしょう?

 本を読んでいると、どうしてもその本の世界に入り込んでしまうのですもの。

 騎士がドラゴンを倒し、魔王が世界を制し、転生者が無双し、世界が平和に満ちるの。

 そんな時に話しかけられても、現実世界は遠い夢のようなもの。


 ですから、お兄様とお姉様が王子との婚約破棄を聞いて部屋に飛び込んでこられても、父上と母上が困惑気味に話しかけて来ても、わたくしの意識は遠い彼方。

 なんとなく、何を言われたかは覚えているのですけれどもね。


 えぇ、わたくしには目標がありますの。

 王子の后となってしまったら、決して叶わない目標であり夢が。

 ですから、今日この日を、婚約破棄される日を、今か今かと待ち望んできましたのよ?

 

 わたくしは、知っていましたの。

 いえ、正確には予想できたというべきでしょうか。

 わたくしは、ありとあらゆる本を読むことが好きですの。

 

 ですから、数ある本の中に、異世界からの本もございましたの。

 その中に、わたくしとよく似た状況の物語を見つけたのですわ。

 最初は、気のせいかと思いましたの。

 でも、王子の名前といい、わたくしとよく似た婚約者といい、王子を見事射止めるヒロインの名前といい、酷似していて。

 ですから、わたくしはその本を預言書のように、未来を夢を見ました。

 もしかしたら、この物語のように、わたくしも王子に婚約破棄していただけるかもしれないと。

 

 伯爵令嬢として生まれたからには、高位貴族の妻となることは、ほぼ決定事項でした。

 ですから、幼い時から本が好きでも、自分の未来を思うと絶望しかございませんでした。

 わたくしは、本当は、『本の塔』ビブリオ・タワーに住みたいのです。

 

 ビブリオ・タワーは、この世界の中心に位置し、ありとあらゆる本が納められている塔です。

 天を貫くかと思われるほどに高くそびえた塔には、一階からてっぺんまで、本がぎっしりと詰まっています。

 なんて素敵なのでしょう。


 わたくしがその塔を初めて訪れたのは、七歳の時でしたわ。

 その時のわたくしの感動が分かりまして?

 伯爵家の図書室よりも、王家の図書館よりも、ずっと多くの本、本、本!

 楽園に迷い込んだのかと思いましたわ。

 

 その時、わたくしは決めたのです。

 このビブリオ・タワーの住人になると。

 ビブリオ・タワーには『司書』と呼ばれる管理人が住んでいるのです。

 塔の各階に最低一人の司書がいます。

 司書になるには、ビブリオ・タワーの最高管理人、ブック・オブ・デイズ様の許可が要ります。

 ブック様は、わたくしがどれほど本が好きか、この塔に住みたいか。

 その熱い想いを受け止めてくださいました。


 ですが、住人になる為には、わたくしにはさまざまな障害がございました。

 数え上げればきりがございませんが、もっとも大きな障害は王子との婚約です。

 わたくしは、何故か、この国の第二王子の婚約者になってしまいましたの。

 婚約が決まった日には、部屋で一日中泣きましたわ。

 

 ビブリオ・タワーにわたくしは日々入り浸っていたのですけれど、そこで迷子を見つけましたの。

 それが第二王子のレムナス様。

 本の背表紙を思わせる、落ち着いた色味の赤茶色の髪。

 羊皮紙を思わせる、淡い茶色の瞳。

 わたくしは、本の妖精かと思いましたわ。


 沢山話をして、沢山笑って。

 お互いの好きな本について語り合って。

 あぁ、でも。

 そのせいで、わたくしはレムナス王子と婚約する事になってしまったのです。

 王子だと知っていれば、決して話しかけはしませんでしたのに。

 

 でも、その過ちも今日この日に清算されたといってよいでしょう。

 わたくしは、婚約破棄していただけたのです。

 王子に婚約破棄された令嬢など、傷物です。

 もうどこの貴族も、わたくしを娶ろうなどとは思わないでしょう。


 わたくしは、長い、長い髪を編み、一つに纏めます。

 身の回りのものも、必要最低限だけ鞄に詰め込みました。

 家族には、前々から何度も話しておりました。

 わたくしは司書になりたいのだと。

 王子と婚約破棄が叶ったいま、もう止めはしないでしょう。

 伯爵家を出て、わたくしはビブリオ・タワーの住民となるのです。




◇◇



 ビブリオ・タワーでは、ブック様がわたくしを待っていてくださいました。

 ブック様は今日は獣化していらっしゃいますのね。

 いつもは人型をとっていらっしゃいますのに。

 わたくしは獣化したブック様もとても好きですわ。

 人の二倍はある大きな身体に、ふさふさの二本の尻尾。

 両耳の上に生えた二本の角も、漆黒の体毛も。


「よくきてくれたね、ハーナベル」

「ブック様、お迎えをありがとうございます。ですが、そのお姿ということは、異界からの侵入者が、またあったのでしょうか……」


 ブック様はこの塔を守る守護者でもありますの。

 世界中、そして異世界からも集められたビブリオ・タワーの本を狙い、異世界の住民達が時折空間を開いて本を狙ってくるのです。

 ビブリオ・タワーの司書達は、本を案内するだけではなく、この塔の本を守ってもいるのです。


 わたくしがビブリオ・タワーの住民になるには、本を守れるだけの戦闘力が必要でした。

 でもこうしてブック様が迎え入れてくれたということは、わたくしの戦闘力に関しても問題がないのでしょう。 

 レムナス様と同じ王都の学園に通うのは苦痛でしたが、国内最高峰の魔術を教えてくれる場所でもありました。

 ですから、わたくしは精一杯学んだのです。

 努力が身を結ぶというのは、とても嬉しいことですね。


「あぁ、ハーナベル。この塔の最上階に、そなたの部屋を用意しよう」

「まぁ、嬉しい! 最上階の本は、まだ未読でしたの。そこに住まわせていただけるのですか?」

 

 上層階になればなるほど、貴重な本が納められているのです。

 わたくしが読めたのは、七階までの本。

 最上階の本は、見たこともございません。

 どのような本が、世界が広がっているのでしょう。


「あぁ、そうじゃ。近頃の侵入者は、地上付近の空間を開くことが多いからのぅ。最上階なら、安全じゃろうて」

 

 ブック様はそう言って、わたくしの頭を撫でてくださいました。

 ブック様は、わたくしの髪がとてもお好きなのです。

 初めて会った時、わたくしの髪を「太陽の光を集めたようだ」と言って下さり、以来、わたくしはずっと伸ばしているのです。

 

 ここが今日から、わたくしの居場所。

 ずっと欲しかった、本の世界です。

 ブック様に抱き抱えられて、わたくしは最上階の部屋に向かいました。




◇◇



「ハーナベル、どうか私の話を聞いてくれ!」


 どこからか、レムナス王子の声が聞こえてきました。

 せっかく、異世界の住人がいままさに魔王と戦う所でしたのに。

 わたくしは本を閉じ、ふぅっと溜息をこぼします。

 なぜ、この塔の中で彼の声を聞かなければならないのでしょう?

 いつもなら、ブック様が門前払いをしてくださいますのに。

 なまじ王族なせいで、他の司書たちでは彼がこの塔の最上階へくるのを止め辛いのです。

 なんて厄介なのでしょう。


 本当は、無視してずっと、本を読んでいたいのです。

 ですが、それが無理な事はもう経験済みです。

 わたくしがビブリオ・タワーの住民となって早一ヶ月。

 彼は、あきらめないのです。

 わたくしが無視していると、最終的にはこの部屋のドアを叩き出すのですから。

 わたくしは本に没頭していれば無視し続けれるのですが、他の方たちにご迷惑がかかります。

 本は、静かに読むべきですから。

 わたくしは本当に、えぇ、心の底から溜息をついて席を立ち、しぶしぶ、扉を開きました。


「レムナス王子、今日はどのような御用件でしょうか」

「わかっているだろう? どうか、戻ってきてくれ」

「何度言われましても、わたくしの答えは変わりません。なぜ、わかっていただけないのですか」


 婚約破棄をしてきたのはレムナス様です。

 わたくしがどんなに望んでいても、こちらは伯爵家。

 王家に対して婚約破棄できる立場ではございませんでしたから。

 他の殿方と噂を流しでもすれば、もっと早く婚約を破棄していただけたのかもしれませんが、それではその殿方に迷惑がかかってしまいます。

 噂が出るほどに他の殿方と過ごす時間があるなら、わたくしは本を読んでいたかったですしね。


「どうしたら、考えを変えてもらえるんだ……」


 レムナス王子、泣きそうですね?

 本の妖精のような色合いの貴方に泣かれると、流石にわたくしも心が痛みますのよ。


 この世界のどこを見ても、レムナス王子のような色合いの方はいらっしゃいません。

 王家の方々は皆銀髪か金髪です。

 平民でも、王子のような落ち着いた色味の赤い髪の方はみかけず、羊皮紙のような優しいクリーム色の瞳はもっと珍しいのです。


 わたくしが一番好きな本の色合いに似ているから、初めて会ったあの時、わたくしは「この本の妖精さん?」などと聞いてしまったのでしたっけ。


「レムナス王子の邪魔は決していたしませんと、わたくしは何度も申し上げたはずです。信じてはいただけないのでしょうか」


 王子の思い人は、花のように可憐なあの少女ですよね?

 わたくしが読んだ異世界の本にもありましたの。

 本が好きで、本しか眼に入らない伯爵令嬢は、王子の心をつかむことは出来ず、王子は真に愛する少女と結ばれると。


「あの時言った言葉は、本心なんかじゃない。何故か急に、そんな言葉が出てきてしまっただけなんだ」

「レムナス王子、それではあまりにも恋人に対して失礼ではありませんか」

「こ、恋人?! まだ私を恋人と呼んでくれるのかい?!」

「え? 恋人同士ではございませんの? あの花のように可憐なご令嬢は、王子の言葉にとても嬉しそうでしたわ」

「あ……あぁ、そちらのことかい。私達のことではないのだね……」


 レムナス王子、なぜそこで肩を落とされるのでしょう。

 わたくしたちは親の決めた婚約者であって、そこに愛情もなければ恋人関係などございませんでしたのに。


 そしてそろそろタイムリミット。

 ブック様が帰宅されますわ。

 空間の揺らぎを感じますもの。


「レムナス王子。今日は扉から帰ってくださいますよね?」

「……っ、待ってくれ、まだまだ話したいことは沢山あるんだ、私は……っ!」


 伸ばされた手を払い、わたくしは左手をくるりと回し、魔導書を出現させます。


「ま、まってくれ、頼む!」

「さようなら、レムナス王子。もう二度と会う事がないように、お祈り申し上げますわ」


 わたくしが呪文を唱えると、魔導書から魔法陣が浮かび上がり、レムナス王子を拘束します。

 そして――。


「うわぁああああああああああああああ……っ!」


 窓の外へ、ぽいっ。

 王子の絶叫が響き渡ります。

 でも大丈夫です。

 塔の最上階から落としていますけれど、決して死にはしませんから。

 魔法陣がクッションになって、傷一つつきません。


 えぇ、えぇ。

 いくら読書の邪魔でも相手は王族です。

 殺してしまったら、わたくしは永遠に読書が出来ないように捉えられてしまいますからね。


 あぁ、この程度の無体はビブリオ・タワーの住民には許可されておりますの。

 塔の中は一種の治外法権といいますか。

 殺しさえしなければ、ある程度は自由なのです。

 だから、レムナス王子もわたくしを無理に連れて帰ることが出来ないのですわ。

 塔の中にさえいれば、わたくしは安全安心です。




◇◇




「最近、誰かと会ったかい? 妙な臭いがするのじゃが」


 ブック様に問われて、わたくしは首を傾げました。

 わたくしはこの塔から外には出ませんし、乗り込んでくるのはレムナス王子ぐらいです。

 レムナス王子の事はブック様もご存知ですから、このように聞かれることはないと思うのですけれども。


「わたくしは、塔の外に出ませんから。最上階まで訪れることが出来るのは、レムナス様だけですわ」

「ふむ……」


 ブック様は、長いひげを前足で撫でました。

 一体、どんな臭いなのでしょうか。

 

「ハーナベル。どうか気をつけておくれ。わたしがいる間は問題ないはずじゃが」


 ブック様がわたくしの頭を撫で、そして長い髪を梳いて下さいます。

 このように心配をかけてしまうなんて、いけませんね。

 とてもお世話になっておりますのに。

 わたくしは決して塔から出ないと誓いました。




◇◇


「…………?」


 ふと、声が聞こえたような気がしました。

 わたくしは本を閉じ、耳を済ませます。

 また、レムナス王子が来たのでしょうか。

 いつもいつも、ブック様がいらっしゃらない時に限って。

 ため息が出ます。

 

 予想通り、レムナス王子が扉の前にいるようです。

 でも、おかしいですね?

 いつもは、もっと騒がしくいらっしゃるのに。


 しんと静まり返った扉の前に、レムナス様の気配を確かに感じます。

 

「開けないで……くれ……っ」

「え」


 苦しげな声が、搾り出すように扉の前から聞こえてきました。

 開けないでくれ?

 開けてくれではなく?


 訝しむわたくしに、王子とは別の声が話しかけてきました。


「さっさとここを明け渡しなさいな。じゃないとぉ、王子は死ぬわよ?」


 くすくすと嗤うのは、いったいどなたなのでしょう。

 聞いたことが無いお声です。

 そして、王子が死ぬというのは……。


「あっ、ぐ……っ!」

「ほらほらぁ、きこえなーい? ここを開けないと、王子壊れるわよぉ!」


 一体、何が起こっているのでしょう。

 苦しげなレムナス王子の声に、わたくしは扉を恐る恐る開けました。


「なっ……!」

「開けちゃ、駄目だ……っ、早く、中へ……っ」 


 血まみれの王子が、ドアの前に蹲り、その隣で可憐なご令嬢がくすくすと嗤っています。

 これは一体、何事なのでしょうか。


「よーやく見つけたぁ! 全ての本を、わたしが頂くわ。お退きなさい!」

「あっ」


 ご令嬢に思いっきり突き飛ばされ、わたくしは尻餅をつきました。

 本を頂く?

 そんなことはさせれません。

 わたくしは、この最上階の司書なのですから。

 全ての本は、わたくしが守らねばなりません。

 

 ご令嬢が、何か呪文を唱えると、本という本がふわりと浮かび上がりました。

 頭上には、巨大な魔法陣が揺らめいています。

 あれは、転移陣です。

 全ての本を本当に盗むつもりなのですね。

 させません!


 わたくしは左手に魔導書を出現させ、即座に迎撃しました。

 右手から、稲妻が迸り、ご令嬢を拘束します。


 ですがすぐにその戒めは解かれてしまいました。


「生意気ね、他の司書達は全員眠ったのに、何でアンタだけ起きてるのよ!」


 ご令嬢から忌々しげな言葉と共に、氷の剣が出現しました。

 間髪いれずに放たれた氷の剣を、わたくしは結界を出現させて防ぎます。

 他の司書が眠っているというのなら、助けを求めるのは絶望的ですね。


「貴方は、一体なんなのですか?」


 ただのご令嬢でないことは、すでに判っております。

 彼女から放たれる剣を全て結界で弾きかえし、風で刃を繰り出します。

 ご令嬢は難なく風の刃を避け、わたくしに氷の剣で切りかかってきました。

 

「わたしはドーワ。大人しくここの本を渡しなさいな。そうしたら、命だけは助けてあげる。あんた達の命なんて、何の価値も無いもの」

「ここの本は、全てブック様の所有物です。わたくし達司書は、ここを守る義務があります!」

「そう、ならあんたも王子も消してあげるわ!」


 ご令嬢は、わたくしの目の前で異形と化しました。

 その姿は、いつもブック様が迎撃している異界からの侵略者です。

 人を蝙蝠のようにしたら、きっと、こんな姿になるでしょう。


 本来の姿に戻ったドーワは、何十本もの氷の剣を次々と出現させ、わたくしの結界に放ちます。

 わたくしは倒れ伏すレムナス王子を背に、風の刃で迎撃しますが全て避けられてしまいます。

 なんて、すばしっこいのでしょう?

 

 わたくしも、周囲に本さえなければもっと激しい攻撃呪文を繰り出せるのですが、出来ません。

 いまここで最大火力を出せば、大切な書物が消し炭です。

 それは絶対に避けねばなりません。


 一分が一時間に。

 十分が永遠に感じるほどの戦いの中で、ドーワとわたくしは疲弊し、それでも攻撃の手を休めることはありません。

 二度、三度。

 互いの攻撃が、徐々に避けきれず防ぎきれず、各々の身体に刃をつきたてます。

 

 不味いですね……。


 わたくしは攻撃力には長けておりますが、治療は得意ではありません。

 戦闘中に治療するすべを持ち合わせていないのです。

 ですがドーワは戦いなれているのか、薬を飲みながらも攻撃魔法を繰り出し、治癒と攻撃を難なくこなしてきます。

 せめてわたくしも治療薬を持っていればよかったのですが、あいにく一つたりとも持ち合わせておりません。


 次で、終わりにしなければ。


 魔力がどんどん減っていくのを感じます。

 このまま攻撃され続ければ、いずれ結界は解かれてしまうでしょう。

 維持し続けるだけの魔力がもうあまり残されていません。


 わたくしは、左手の魔導書に右手をかざします。

 魔導書が一際強く輝きます。


「それは、その呪文は……くっ、させないわよ!」


 わたくしの目的に気づいたドーワが、攻撃を加速させます。

 何度も何度も切り刻まれる結界は、あと少しで突破されることでしょう。

 わたくしの呪文詠唱が終わるまで持つかどうか。

 どうか、もって。


 ドーワが放った最大の攻撃がわたくしの結界を壊すのと、わたくしが呪文を詠唱し終わるのと。

 それは、ほぼ同時でした。


 わたくしの目の前で、ドーワは霧散しました。

 

「レムナス、王子……?」


 相打ち。

 そう思っていました。

 本を守れたのだから、それで本望。


 ですが王子が、わたくしと、ドーワの前に立ち塞がっていました。

 ぐらりと。

 王子の身体が傾きます。

 その胸から腹にかけて、ざっくりと裂かれ、血が溢れ出しました。

 え、なぜ?!


「王子、王子?!」

「ハーナベル……どうか、逃げて……」


 王子はもう、目も開けれないのか、必死にわたくしに逃げろといい続けます。

 

「なぜわたくしなどを庇ったのですかっ! ドーワはもういません。王子、しっかりなさってください」

「なぜ……? わからないのかい……ハーナベル……」


 ぐっと。

 王子は、力を振り絞り、わたくしを抱きしめました。

 

「王子?」

「君だけだ……君だけだったんだ……私の髪の色も、瞳の色も、好きだといってくれたのは……」


 うわ言のように、王子は言う。

 この世界に、王子と同じ色彩の人はみたことがありません。

 王家にも。


 だから、心ない事を言う人もいることは知っていました。

 でも、わたくしにとっては、他のどんな色彩よりも好きな色です。

 本と同じ、優しい色合い。


「王子、どうかじっとしていてくださいませ」


 わたくしは、意識を集中します。

 治癒魔法は苦手です。

 ですが、やるしかないでしょう。


 わたくしは、王子の口に、そっと、自身のそれを重ねます。

 唇から、王子の中へ、一気に魔力を流し込みました。

 

 レムナス王子の傷口から流れる血が止まり、傷が塞がってゆきます。

 

 良かった、上手くいったわ。


「うっ……」

「王子、まだ動かないで下さいませ。魔法で癒したとはいえ、仮の処置です。きちんと、治癒術師に診ていただきませんと」


 わたくしの魔法は治癒には向いていないのです。

 確実に効果を出すには、対象の身体の中にわたくしの魔力を流し込むしかないのです。


 王子が、うっすらと目を開きました。


「ハーナベル、いま、私に……」

「なんのことでしょう」


 わたくしは、そっぽを向きました。

 これは、治療です。

 治療。

 決して、キスなどではないのです。


「ハーナベル……っ」

「っ、離して下さいませんか、王子」

「無事だね? どこも、怪我をしていないね?!」


 なぜ、わたくしを抱きしめるのか。

 意識が戻って動けるようになった瞬間、することがわたくしの無事を確かめることだなんて。

 

「ハーナベル、顔が赤い……」

「気のせい、ですわ。わたくしは無事ですから、この腕を離してくださいませ」


 顔が熱くなるのを感じますわ。

 熱でもあるみたい。

 

「いやだ」

「王子?」

「どうか戻るといってくれ。婚約破棄は、私の本心ではなかったんだ」

「それは……」

「信じてくれ」


 きっと、ドーワが王子を操ったのでしょう。

 王家の蔵書を手に入れる為に。


 ぐっと、王子はより一層わたくしを強く抱きしめます。

 王子の顔が、わたくしに近付き、そして……。


 空間が揺らぎ、ブック様が出現しました。


「おや、お邪魔だったかのぅ」

「ブック様!」


 わたくしは、パッと立ち上がりました。

 ブック様の出現に驚いて、レムナス王子の腕が緩んだので。


「ドーワが現れましたの。でも、無事に迎撃できましたわ」

「そのようじゃの。じゃが、そちらの迎撃はせんでも良いのかのぅ?」


 ブック様が、レムナス王子を見つめます。

 そのお顔は、まるで悪戯っ子のよう。


「彼は、その……」

「ん?」


 ブック様は、優しくわたくしの頭を撫でてくださいます。

 それをみていたレムナス様は、ブック様に向かって土下座をしました。

 

「ブック様、どうかハーナベルを返してください!」

「っ、レムナス様、急に何をおっしゃいますの?」

「いいや急じゃない、何度もお願いしているんだ。今日こそ、聞き届けていただくんだ!」

「ふむ。わしも何度も言ったがのぅ? わしはハーナベルを捕らえているわけではないのじゃ。ハーナベルさえ良ければ、いつでも出て行ってかまわぬと。

 この間塔を出ないように言うたのは、妙な気配が付いておったからじゃしのぅ」


 妙な気配は、きっと、令嬢に擬態していたドーワ。

 レムナス王子にその残り香が付いて、わたくしに移ったのでしょう。


「ハーナベル、どうしたい?」

「ブック様、わたくしは……」


 レムナス王子が、すがるようにわたくしを見つめます。

 ですが、わたくしの気持ちはずっと昔から決まっているのです。


「この塔にいたいのです。ビブリオ・タワーで過ごす事が、幼い頃からの夢でしたから」


 絶望に染まったレムナス王子が、顔を伏せます。

 ごめんなさいね。

 でも……。


「わたくしは、この塔で過ごせるのなら、身分は問いません。平民でも、伯爵令嬢でも……王子妃でも」

「ハーナベル、それじゃぁっ……っ」

「レムナス王子、抱きしめないで下さいませ! わたくしは、この塔からは決して出ませんからね?!」

「かまわない! どんな身分でもいいというのなら、私が王子をやめてここに住む!」

「えぇ?! 部屋は空いていないのではないですか?」

「ハーナベル、そういった問題ではないと思うのじゃが……」

「部屋はここでいいではありませんか。ハーナベルと同じ場所で、生きていたい」

「わたくしは読書の邪魔をされたくはありません!」

「邪魔なんてしない、一緒に本を読み続けよう。そして、二人の物語を共に紡いでいこう。この世界にたった一つしかない物語だよ」


 たった一つの物語。

 その言葉に、わたしの心臓はとくんと跳ねました。

 本と同じ色彩の、レムナス王子。

 彼と紡ぐ物語を、わたくしは、読んでみたい、気がします。


「決まったようじゃの。彼の部屋を用意しよう。彼は今日から、この塔の住人じゃ」


 ほっほと笑って、ブック様は彼を連れてゆきました。





 それから、数日後。

 

「ねぇ、ハーナベル。今日は、『魔王と七人の小人たち』について語り合わないかい?」

「そうですわね。魔王はまず、なぜ小人を城に置いたのかから、始めましょうか」


 約束通り、レムナス様はわたくしの読書の邪魔を決してしませんでした。

 毎日わたくしの部屋に通っては、本を読み耽り、時折こうして、本の内容について語り合います。

 わたくしは、本というものは読むものとばかり思っておりました。

 ですが、内容について深く語り合えるというのは、とても良いものですね。

 問題は……。


「どうして、今日もわたくしを抱きしめておりますの?」

「抱きしめたままでも、語り合えるからだよ」


 本を読んでいるとき以外は、レムナス王子はこうしてずっと、椅子に座るわたくしを抱きしめて放してくれないことでしょうか。


「ハーナベルは、嫌かい?」

「……言わせないで下さいませ」


 わたくしはそっと、王子の背に腕を回します。

 胸に頬を寄せると、王子の鼓動が早まるのを感じます。

 きっとわたくしの鼓動も、同じぐらい早くなっていることでしょう。


 わたくし達が紡ぐ物語は、幸せな未来です。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 末永くお幸せにとは思いますが、図書館でこんないちゃいちゃカップルいたらよそでやれ!と思いそうww まぁ、王子様がんばってよかったですね。 王子様の色からくるほんとに王の子なのかという疑いも…
[一言] 本好きなら一度は望む夢ですよね。 図書館に住みたいと。 王子が深草少将にならずに済んで良かったです。
[良い点] 面白かったです! [一言] 私も図書館に住みたいと思ってたので羨ましい… 身分より愛を…な王子様…(最初だけハーナベルとブック様がハッピーエンドなのかも?と少し思ったせいか)ちょっと王…
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