解離性同一性障害ってやつです。
窓の外が赤く色づいてきた頃、僕はその場で伸びをした。
ふー、疲れた。
お茶飲も。
キッチンに向かおうと席をたった時、目の前の少女が顔を上げた。
「なに、ずっと寝てたの?」
「……いえ、考えごとしてました。」
「へぇ。」
「私はいつ死ねるのかな、と。」
「へぇ。」
「………」
「じゃあそこの縄プレゼントするから自分で首しめなよ。」
そう言って棚の上に置いておいた縄の束を指差す。
彼女はそれを見つめ、手を伸ばして手繰りとった。
「……これで死ねれば、楽なんですけどね。」
「え、それで首締めれば簡単じゃん。」
「簡単じゃないんです。……実は私、何度も自殺しようと思いました。でも出来ないんです、自分じゃ。」
「なんで?やっぱ怖気付いちゃうから?」
「違います。首を吊ってみても包丁を刺してみてもお風呂で溺れてみてもビルから飛び降りようとしても、一度も死ねなかった。私は悪い子だから、誰かに制裁してもらわないと意味がないんです。」
「へー、そうなんだ。」
「だから貴方の手で私を殺して下さい。」
「やだねってば。ていうかなんでそんなに色々試しても死なないの?君超人なの?」
「違いますよ。自殺しようとしたら、必ず意識が飛ぶんです。死ねたかなって思っても、必ず目が覚めて生きている。なぜだか、死ぬ前に必ず意識を飛ばしてしまうみたいです。」
「ふーん。凄いね、やってみてよ。」
「…ここで、ですか?」
「うん。その縄で首くくってみ?」
「………」
彼女は何も言わず、持っていた縄で自分の首を巻いた。
そして巻いた縄を拘束された両手で引っ張る。
それはもうどっからどう見ても本気の勢いで。
わー凄いな、と感心して見ていると、
ふと、彼女の手が力が抜けたように膝の上に落ちた。
「ん?何?死んだ?」
ゆっくりと近づいて様子を伺ってみると、
彼女が勢い良く顔を上げた。
「…けほっ…あっぶな……」
「……?」
「全く、本当この子は懲りないなぁ。またこんな馬鹿なことやって……」
「おーい。さっきから何言ってんの?」
「ん?あれ?貴方誰?」
「は?」
「え?しかもここどこ?手縛られてるし……お兄さん、もしかして誘拐犯?」
「はぁ?君が勝手に付いてきたんだろ。」
「私が?いやいやいや、そんな訳ないよ。あたし知らない人に付いて行ったりしないから。あ、もしかしてこの子が……本当危機感ないなぁ、全く。」
「………あんた、誰?」
「あたし?あたしはうーん、何て言えばいいのかな。遥香なんだけど遥香じゃないみたいな……」
「………」
「その胡散臭そうな物を見るような目やめてよ。別に演技でもなんでもないんだってば。そうだね、しいて言うなら、遥香のもう一つの人格が私かな。」
「へぇ……」
あー、そういうこと。
彼女の言いたい事は理解出来た。
つまり、柳瀬遥香は多重人格者な訳か。
「遥香が色々自分の中に溜め込んで溜め込んで、それに耐えきれなくなった時にあたしは生まれたの。零れた物を拾う、受け皿みたいな役割かな。遥香が壊れないように、あたし達は色々な物を共有してるの。」
「ふーん。じゃあなんで死んであげないの?彼女はそれを望んでるのに。」
「まぁ確かに遥香は本気の本気で死にたいって思ってるよ。でもあたしは彼女を殺したくない。遥香は何も悪くないのに、罪悪感を抱え込んで自分を悪者にしてる。遥香が死ぬ意味なんてないよ。だからあたしは彼女が死のうとする度にこうやって無理矢理表に出て止めてるの。これが本当手間がかかるってなんの。」
「へー、随分面倒くさい人だね。」
「まぁ否定しないけどね。お兄さんも人のこと言えなそうだよ。」
「………」
「あ、そろそろ落ちついてきたみたい。じゃああたしはそろそろ戻るよ。お兄さん、遥香をよろしくね。」
彼女はそういうと、ぐったりと項垂れるようにその場で脱力した。
そしてしばらくして、再び瞼が開かれる。
「ん……」
「おはよー、遥香ちゃん。」
「……やっばり、ダメだったんだ。」
「うん。残念だったねー、死ねなくて。」
「………」
「それよりお茶飲む?今丁度淹れてくるとこだけど。」
「……結構です。それより、自殺出来ない訳が分かったでしょう?」
「うん、まぁね。」
「だから、殺して下さい。今は貴方しかいないんです。」
「まぁー、本当に自分じゃ死ねないみたいだし、考えてあげなくもないよ。」
「本当ですか……?」
彼女が期待を込めた眼差しを僕に向けてくる。
分かりやすいなぁ。
「うん。ただし、条件付きね。」
「条件?」
「そ。心の底から生きたいって思えたら殺してあげる。」
「……そんなの、無理です。」
「じゃあ君はずっと生きたままここで拘束された生活を送るんだね。」
「…本当に、生きたいって思ったら殺してくれるんですね?」
「うん。約束するよ。」
「………」
問いかけてから暫くの間が空き、ようやく彼女が口を開いた。
「……分かりました。生きたいと思えるように頑張ります。その代わり、約束通り必ず私を殺してください。」
「いいよ、お望み通り殺してあげる。だから精々生きがってね。」
それだけ言って、僕はリビングを後にした。
紅茶を淹れながら、頭の中で生きたいと縋る彼女の姿を思い描いてみる。
ああ、いいね。
泣き喚いて泣き喚いて、
僕から逃げ回る彼女を捕まえて、
その白い首に刃物を突き立てたくなるなぁ。
そしたらあの時みたいに、最高の気分になれるかも。
紅茶を淹れたティーカップを二つ持ち、リビングへと引き返した。