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第2話
 他の人間は誰もいなかった。あるのは自動販売機一台と、灰皿が一つ、そして、くたびれた長椅子だけだった。
 あまり広いとはいえない休憩所で、小五郎は一人長椅子に腰かけ煙草をふかしていた。
 肺いっぱいに煙を吸い込み、静かに吐き出す。吐き出した煙は空気中に広がり、音もなく消えていく。
 小五郎はただ、それを見ていた。
 三十分程そうしていたであろうか、周りが静かすぎて耳鳴りがして仕方がない。頭の奥では、蘭の言葉がずっと鳴り響いていた。

『心細いはずなの……』『あまりにも、しっかりして……』『笑うのよ、まるで大人みたい……』

 コナンに不安はないのだろうか?

 幸島に銃で撃たれ、そして今度は原因不明の病気だ。幼い子供が経験するにはあまりにも非現実的な出来事ばかりだ。
 頼るべき親はそばにおらず、激痛に耐える毎日。それでも、あいつは笑みを見せるというのか。
 
 まだ七歳になるかならないかの子供が……。

(まだ七歳)

 小五郎は自分の言葉に驚いた。 
 ふいにコナンと幸島が対峙していた時の姿が思い出された。
 幼すぎる。
 多少大人びた子供というのはどこにでもいる。それにしたって幼すぎやしないか。小五郎は今更ながら、それを思った。
 姿形が子供でも、ふとした時に見せる表情や、しぐさ、周囲に与える印象は子供のそれではない。あの時、十分に理解した。

 だけど。

 コナンは七歳。

 大人びた子供……?

(この違和感はなんだ)

 まだまだ大人に保護されるべき存在のはずなのに、大人びた子供というよりは、大人をそのまま子供にしたといった方がしっくりくる気が−−−

「……はっ、何考えてんだ俺は」
 ガターンッ
「!」
「コナン、だいぶ落ち着いたで」
 静寂を破った物音に顔を上げると、丁度、自動販売機から飲み物を取り出すところだった。
「服部」
「急に出て行くからびっくりするわ、ホンマ」
「あ、ああ、みててくれたのか」
「しゃあないやろ、俺以外誰もおらんようになってんから。ま、今は薬が効いて、よう寝とるから、出てきたんやけどな」
 手にしたコーラを開け、平次は自動販売機にもたれかかる。
「……なあ」
「ん」
「いつからや?」
「……」
「退院が延びてる原因て、あれやろ?一度や二度の事とちゃうな」
 新一が落ち着くまでの間、ずっとそばにいた平次は、その腕にある注射針の痕に気が付いた。細い腕の一部が青黒く変色していた。
 何度も繰り返し、鎮痛剤が使用された証拠だった。
「退院予定の三日前くれえからか……」
「そうか……」
 ということはもう二週間もあの状態が続いているということか。
 平次は眉をひそめ、空になったカンをゴミ箱に投げ入れる。
「……服部、お前どう思う?」
「なんや、急にあらたまって」
「あいつ……かわいくねえよなあ」
「はっ!?」
「蘭も言ってたろ?全然子供らしくねえってな。幸島に撃たれた時だって、今だって、泣き言一つ言ってこない。寂しい時とか、不安とかないのか?それでなくても、親元を離れて、他人の家に住んで……?」
 その時小五郎は気が付いた。

(あいつの口から、親の話、聞いたことがない)

 子供が自分の親を話題にのぼらせない事があるのだろうか。入院してからも、その前も一度もない。
 他人の家に預けられて緊張もしただろう、そんな時に浮かぶ事は自分の身近にあったもの、両親や、友達、今まで住んでいた場所の事ではないのだろうか。
(今まで住んでいた場所……?)
 コナンはここに来て、学校もかわったはずだ。住んでいた場所…前の学校…両親…。

 何一つ聞いた事がなかった。
 
 次々に浮かぶ疑問に愕然とする。

 −−−俺は、何も知らない。

 いつしか吸うことが忘れられた煙草は、灰となり、その手から床へと落ちた。

「今更何言うてんねん。あんたはもう気付いてると思っとたけどな」
「服部?」
「あいつはずっと一人やったで。肝心な事はなんでも自分で解決しようとしよる。どんなに苦しくてもな。そんな奴や。こっちが気付いてやらんと無茶するし、人に頼るなんて事知らんしな」
「……」
「それに……」
 平次は自動販売機から体を起こし、小五郎に視線をやる。
「あいつ、大切な人間守る為やったら何でもするで」
「……そう、だな」
「で、あいつの退院のめどたってんのか?」
「……いや」

『俺だって苦しいんだ』

 コナンの言葉が頭の中でこだまする。

「まだか。そうか…」

「服部……、コナンな」

 幸島に向って叫んだ言葉。

『辛いんだ』

「発作の間隔、短くなってんだよ」

「!」
「一日に何度も起こる。…一体どうなって…」
「…!」
(まさか)

 小五郎の言葉に平次は愕然とする。

『俺には時間がねえ』
「時間が……ない?」
 平次の言葉と、コナンの言葉が同時に重なる。小五郎は目を見開き驚いた。
「服部……お前、どうして」
「え?」
 
 手から煙草がポロリと落ちた。

「何で…(知ってる?)」
 小五郎は鼓動が早まるのを感じた。
(偶然か?)
 床に落ちた煙草を広い上げ灰皿に捨てる。
(何を驚く必要がある?ただ、同じ言葉を口にしただけじゃねえか)
 小五郎は無意識のうちに平次を凝視していた。
 その視線に平次は不安を覚える。何かまずいことを言ったかと。

「!お、俺もう行くわっ。もう一回コナンの顔見て帰るよって、またな。ほな、さいならっ」

「え、おい!?」
 平次は余計な事を聞かれぬ前に退散した方が良いとふんで、そそくさとその場を後にする。
 平次が去った後には、再び静けさが舞い戻る。切れかけた電球のチカチカという音と、低音で鳴り響く自販機の機械音。
「なんでえ、あわただしく帰りやがって……」
 軽く舌打ちをし、ここに来て何本目かの煙草をくわえる。
(……あいつ、何か知っている…?)
「毛利君、ここにいたのか。さがしたよ」
 そこに現れたのは目暮だった。
「目暮警部殿」
 小五郎は椅子から立ち上がる。
「今そこで、服部君に会ってね。ここだと聞いたんだ。で、コナン君の怪我の方は?」
「ええ、傷はおかげさまでよくなりました。ただ、ちょっと、退院のめどはたっていませんが……」
「そうか、まあ、傷が良くなって何よりだ。……で、毛利君。ここに来たのはほかでもない。君に頼まれていた件なんだが」
 実は、一向に見つからないコナンの両親の行方を捜してくれないかと、目暮に頼んでいた。自分の力が及ばないのならば、もう警察の力を借りるしか方法がなかったのだ。
 目暮は小五郎の頼みを引き受けてくれた。それはコナンの置かれた状況を不憫に思ってのことだった。ただし、警察組織には内密に。目暮個人としてだ。
 それは、こちらとしてもありがたい申し出だった。わずらわしい手続き等で、コナンの身辺を荒立てることは避けたかった。今は、できればそっとしといてやりたかったのだ。
「両親の居所、わかりましたか?今は、こんな状態ですし、早く連絡を取りたいんですが……」
「毛利君」
 目暮は顔を曇らせる。嫌な予感がした。まさか…。
「何も、……わからなかったんですか?」
「いや、わかったよ……」
「じゃあっ」
「わかったのは、別の事だったんだ。毛利君」
 目暮の表情は晴れない。
「私は、君がとった方法でもう一度コナン君のご両親の行方を捜したんだよ。だが、君と同じでご両親の足取りはつかめなかった。捜しだす手がかりはあるのにだ。ここまで、何もわからないて……おかしい。君もそう感じただろう?」
「え、ええ」
「毛利君、コナン君の両親に会ったことがあると言ったね」
「……ええ、母親の方に一度だけですが、コナンをよろしくたのむと」
 高額の金額が振り込まれた預金通帳を置いて行った。養育費だと言って。
「変じゃないかね?」
「えっ、何がっすか」
 額に汗が浮かぶ。言いようのない不安が押し寄せる。
「見ず知らずの他人に自分の子供を置いて行くという事だよ」
「そ、それは」
「親にとっては君は他人に他ならない。そんな君に養育費だと言って、大金を置いて行くなんておかしいじゃないか。一時的に預けるだけで、そこまでの金が必要かね?」
「……目暮警部殿っ、それはっ、一体何を……っ」
 何を言おうとしているのだ。握りしめた拳から、折れた煙草が床へと落ちる。
「何も出てこないことを不審に思った。私は、コナン君の両親が日本を出たという日の事を調べた。そしたら、江戸川という日本人が出国したという形跡がなかったのだよ、毛利君」
「……!!」
「これはあってはならない事だ。彼らは、自分の息子を置いて、どこへ行ったというのだ。私は、……コナン君の事を調べようと考えた」
「目暮警部…それは…」
「コナン君が以前住んでいた場所、学校。そこならばもっと手がかりがあるかも知れない。調べるのは簡単だ…しかし」
「目暮警部!」
 小五郎は思わず叫んでいた。頭の中で激しく警鐘が鳴っている。
 一度早まりだした心臓は鎮まる事を知らない。とても、嫌な気分だ。
「聞きたまえ。君は聞かなければならないよ」
 目暮は真剣なまなざしで小五郎の方に視線をやる。
「……分かったのは、江戸川コナンという人物は存在しないという事だけだった。……彼には戸籍がない」
「……!」
 衝撃が体中を駆け巡る。頭の芯がしびれて声も出ない。

 目暮は言った。

「……コナン君。彼は一体何者なのかね……?」

 足元が揺らいだ。小五郎はそのまま崩れるように椅子に座り込んだのだった。


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