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39.魔女と吸血鬼と狂信者(四)




 礼拝堂にいたクレシスは、突然びくりと身体を痙攣させ、強く息を呑んだ。間違い無く何かが起こった事が分かったのだ。ちりちりとした全身の痛みを感じながら、やっぱり....と、内心強く思った。
 「兄貴......。一体、何をやらかしたんだっ!」
 叫ぶや、クレシスは外へと駆け出した。すれ違う娘達に声をかけられても、それに答える余裕など無かった。




 荒い息のまま立ち上がろうとしたウィードは、一瞬ふらつき地面に片手を付いて身体を支えた。
 「くそったれめ....」
 毒突くも、力無い声であった。能力ちからを吸い取られていた処へ持ってきて、七名の悪魔払いを一遍に相手にしたのである。さすがに疲れていた。しかし息を整えながら面を上げ、倒れ踞る魔女へと視線を馳せるやウィードはふらりと立ち上がり、半ば駆ける様に歩み寄る。そして、両手で顔を被いながら突っ伏し、酷く肩を震わせながらこの世の終わりを迎えたかの様に声を上げて泣いている魔女を抱え起こすや、強く抱き締めた。


 「嫌っ!嫌ぁぁっ!!ウィードっ!ウィードっっ!!」
 ジャスリンは突然何者かに強く抱き締められ叫び声を上げた。正気を失っているジャスリンの抗う腕は、しかし即座に封じられる。
 「俺だ、ジャスリン。落ち着け」
 耳元に降って来た低く静かな声に、ジャスリンの身体の力がふと抜ける。顎をそっとすくわれ涙で曇る瞳で見上げれば、そこに有るのはウィードの紺碧の瞳であった。
 「ウィード.....?」
 声が細く震える。
 「他に誰がいる?」
 いつも通りの素っ気無い口調に、ジャスリンの濡れた瞳が見開かれる。 
 気が付けば己を捕らえていたレジスの結界が消えている。ジャスリンは、震えの止まらぬ両腕を持ち上げ、目の前の端整な顔に触れた。
 「ウィード......、本当に?....生きているのですか?」
 「当たり前だ」
 ウィードの皮肉を帯びた微笑に、ジャスリンは酷くしゃくり上げ、両手で嗚咽を抑えようと口元を押さえた。
 「良か...」
 言葉にならなかった。あの七つの聖剣で貫かれてしまったと、本気で思ったのだ。ウィードが無事で本当に良かった......、そう安堵したら涙は止めどなく流れ、嗚咽は酷くなる一方となった。
 己のシャツにしがみついて泣きじゃくるジャスリンを、ウィードはもう一度抱き締めた。

 
 

 クレシスは街の門から駆け出し、そこに広がる光景に息を呑み足を止めた。辺りの木々が大方なぎ倒されていた。そして倒れ臥している幾人かの者達。その中心には、踞るジャスリンと、その彼女を胸に抱き締めているアレスウィードの姿があった。
 クレシスはゆっくりと歩を進めながら、今一度ぐるりと辺りを見回す。倒れている者達は、一様に白の聖衣姿の教会の悪魔払い達であった。七名の悪魔払い達の中には、わずかにうめき声を上げている者や身じろぎする者もあれば、全く身動きしない者もあった。
 「兄貴......」
 聖剣を握り締めたまま、身動き一つしない兄の姿に目を留めたクレシスは苦し気に呟く。
 「安心しろ、まだ殺しちゃいない」
 アレスウィードはクレシスを一瞥した。
 「領主殿.....」
 事の事情など想像に難く無かった。これらの悪魔払い達は、ウィードを罠にかけようとしてしくじったのだろう。それならば、命の保証などある筈も無い。クレシスは無言のまま項垂れた。
 ジャスリンがウィードの胸から顔を起こし泣き濡れた頬を幾度か拭った。
 「ジャスリン.....、兄は又、君に何か酷い事をしたんだね?」
 クレシスの哀しそうな表情を見上げたジャスリンは、困った様に言い淀む。
 「すまない....」
 クレシスは、今にも泣き出しそうな瞳を静かに伏せた。
 「...でも、私は大丈夫ですから、クレシスさん」 
 「ジャスリン....」
 「そんな顔、しないで下さい」
 泣き腫らした瞳でジャスリンは微笑んで見せる。ぱたぱたという足音と共に、門の方からルヴィーがまろぶように駆けて来た。その頃になって漸くこの場に辿り着いたルヴィーとドードは、そこにある光景に顔色を変えていた。
 「ジャスリンっ!大丈夫?」
 ルヴィーはジャスリンに縋り付いた。見れば半べそをかいている。
 「はい、大丈夫ですよ。.....ちょっと疲れちゃいましたけれど」
 「ジャスリンや、無事かぁ?」 
 ドードも転ぶ様にジャスリンの元に膝をつくと、その肩を取って幾度も幾度も怪我が無いか心配そうにジャスリンを上から下まで見る。
 「大丈夫ですよ、ドードさん」
 「すまんかった、すまんかったのう、ジャスリンや」
 ドードまでもが半べそ状態な事に、ジャスリンは苦笑する。取り乱すルヴィーとドードを前にして、ジャスリンはすっかり落ち着きを取り戻していた。彼等を安心させたくて優しく微笑む。
 「本当に大丈夫ですよ、ドードさんもルヴィーも安心して下さい。クレシスさんも」
 ジャスリンは再度クレシスを見上げた。
 「それよりも、ピートさんは?」
 ジャスリンが倒れたままのピートに気遣わし気な目を向けると、ウィードは無言で立ち上がり、倒れたままのピートの元へ歩み寄り様子を伺った。
 「眠っているだけの様だ。恐らくドード同様、暗示にかけられたんだろう。安心しろ」
 「そうですか、良かった..」
 ジャスリンはホッと胸を撫で下ろした。

 「しかしこの神父達は.....、性懲りも無くお前に挑戦しに来たのか?」
 「そういう事だ」
 「無謀じゃの....」
 ウィードの返答にドードは溜息を洩らし、痛まし気に倒れ臥している悪魔払い達を見渡す。ウィードは忌々し気に鼻を鳴らした。
 「綺麗に消し去ってやりたいところだが....」
 そう言ってジャスリンを振り返れば、案の定縋る様な責める様な、そんな瞳を向けられる。ウィードは小さな溜息を吐いた。
 「目覚めたら、さっさと追い払え」
 その言葉にジャスリンは安堵すると、立ち尽くしたままレジスの姿を見詰めるクレシスを見上げ、そして身動きしないレジスへと首を巡らした。
 「ジャスリンや、立てるか?」
 「あ、はい」
 ドードとルヴィーに両側から支えられながらジャスリンは立ち上がった。
 「取りあえず何処かで休んだ方が良さそうじゃな」
 「はい...」
 「クレシス、お前も行け」
 ウィードに声をかけられ、はっとした様にクレシスは兄の姿から顔を上げる。
 「こいつ等が目覚めた時、お前がここにいたら都合が悪いだろう。とっ捕まって異端審問の末の火炙りが望みなら別だがな」
 「アレスウィード......」
 「クレシスさん、行きましょう」
 ジャスリンの呼びかけに、躊躇いがちにもう一度兄の姿へと目を向けるクレシス。その様子にジャスリンも胸が痛み、レジスの姿へと目を向ける。その時であった。レジスがわずかに身じろぎをし、ゆるりと頭を起こした。
 「兄貴...?」
 そのクレシスの呟きもジャスリンの耳には入らなかった。考えるよりも先に、ルヴィーとドードの腕を振り切ってジャスリンは飛び出していた。レジスの憎しみに満ちた灰色の瞳は、ウィードへと向けられ、その握り締められた聖剣は光を孕み、ウィードへと向かって放たれた。そして.........。
 そして、それは、ウィードの名を叫びながら飛び出したジャスリンの背を斬り裂く事となった。
 
 ジャスリンの細い両腕はウィードへと差し伸べられ、紅い飛沫を背に散らしながらその身は傾く。ジャスリンの名を叫びながら受け止めようと咄嗟に飛び出したウィードの手は、しかし届かず、ジャスリンの身は彼の目前で残酷にも頽れた。ウィードの瞳が再び深紅に染まるや、振り上げた手からは鋭い光が飛び、レジスの身を斬り裂くと同時に白炎で包み込んだ。それと同時にクレシスもよろめき胸を押さえ思わず呻く。呻きながらも、咄嗟に能力ちからを放っていた。咄嗟に放った能力ちからは、兄を包み込む白炎を一瞬にして消し去った。

 生まれ落ちた時からそうであった。片割れの受ける痛みを、己も共に受けてしまう。骨までをも焼き尽くすと言われる魔族の炎は辛うじて消し去ったものの、己の片割れが受けた傷を消し去る事など、クレシスには出来ない。熱く疼く胸を押さえつつ兄の元へ駆け寄り、血に染まり、処どころ焼け焦げた身体に触れる。 
 「この期に及んで....、まだこんな愚かな事を...」
 クレシスは悔し気な怒りと、そして哀しみを込めて、苦し気な息の双子の片割れを抱き締めた。


 「どけ、邪魔だ」
 ぞっとする程の冷たい声が背後からかけられた。頬をさす様な凍える程の冷気が辺りを包んでいた。クレシスは己の片割れを抱き抱えたまま、観念して目を閉じた。
 「兄の命乞いはしないよ、アレスウィード。兄は...、貴方に殺されても文句の言えない様な事をした。ジャスリンを.....、ジャスリンを、再度傷付けた....」
 「それが分かっているなら、どけっ!」
 苛立を含んだ、押し殺した様な声。これ程の恐ろし気な怒りの念を、容赦無く撒き散らすアレスウィードをクレシスは初めて知った。しかし彼は兄の前から退こうとはしなかった。
 「レジスと私は共に生まれ落ちた。その時から語り合い、分かち合い、今まで生きて来た。だから、死ぬ時も一緒でありたい。彼を消すなら私も共に消してくれ、領主殿」
 「クレシスっ!何を言うかっ!?」
 ジャスリンの元に跪いていたドードがはじかれた様に叫ぶ。ルヴィーも不安そうな瞳を上げた。
 「本気か?」
 「ああ」
 ウィードの問いに頷いたクレシスの腕を、レジスの腕が弱々しく振り払おうとした。
 “そこをどけ、クレシス”
 心にレジスの声が響いた。クレシスは身を起こして兄を見下ろす。微かに開いた灰色の瞳が見上げていた。斬り裂かれた胸元の傷は、純白の聖衣を禍々しく染めていた。あたかも深紅の薔薇をその身に纏っているかの如くであった。その傷と同じ場所が熱く痛む。何物にも代え難い兄との絆である痛みに、クレシスは微笑み首を横に振った。
 “嫌だよ、兄貴。死ぬ時は一緒だって、昔約束しただろう?”
 “そんな約束、したかな...?”
 “したよ、子供の頃...”
 レジスはフッと笑みを洩らした。

 アレスウィードは、双子の悪魔払いへと数歩歩み寄る。ドードが焦った様に立ち上がった。
 「ウィード、もう充分じゃろう、許してやれ」
 「許せるか。こいつは、一度ならず二度までもジャスリンに手を上げた。この悪魔払いが今まで多くの魔族達にしたのと同じやり方で葬ってやる」
 「殺してはいかんっ!益の無い事はするな」
 「こいつを葬り去れば嬲り殺しにされる魔族が減る。俺達魔族にとっては有益だ」
 「ウィードよ....」
 ドードがウィードを思いとどまらせようとしているその時、突然ルヴィーが「あっ」と声を上げた。
 「駄目だよ、ジャスリンっ!動いちゃ駄目だよっ!」
 悲鳴の様なルヴィーの声に皆が一斉にそちらを振り返ると、怪我を負ったジャスリンがふらふらと立ち上がろうとしている処であった。
 「何をしてるっ!?」
 ウィードは驚き駆け寄ると、頽れそうになるその身を支えた。
 「お願いです、ウィード。あの人を殺さないで下さい」
 「俺達を殺そうとした奴だぞ、分かって言ってるのか?」
 「分かっています」
 ウィードは荒い息のジャスリンをそっと座らせると、背中の傷に手を当てて癒し始めた。
 「分かっていますけれど、クレシスさんが死んでしまったら、ハレンガルの皆さんは、とても悲しみます。ウィードがクレシスさんを殺したと知ったら、きっともっと悲しみます。.....私も悲しいです」
 ジャスリンはウィードのシャツの胸元を両手で握り締めながら訴える。
 「そしてあの人は、私達にとても酷い事をしましたけれど...、クレシスさんにとってはたった一人のお兄さんなのです」
 「お前は.....、お前は何時まで、馬鹿が付く程のお人好しでいるつもりなんだ。少しは成長したらどうだ。その甘ったるい考えが、お前の命を縮める事になりかねんと、何故分からない?」
 ウィードは、紅く染まった瞳を隠しもせずにジャスリンを射抜く。押し殺した様な苛立を含むその声音に、ジャスリンのスミレ色の瞳が哀し気に揺れた。
 「命を縮める事になったって良いのです」
 「良いわけがあるかっ!」
 激高するウィードの頬にジャスリンの手がそっと触れた。
 「良いのです。誰かが悲しむよりは....。だからお願いです、ウィード。あの人を殺さないで...」
 ジャスリンの瞳からは、ぽろぽろと留め処無く涙が流れた。ウィードはジャスリンから目を逸らし溜息を吐いた。俺が悲しむ分には良いのか....、と内心思ったウィードであったが、何も言わずにジャスリンをそっと胸に抱いた。
 その様子を見詰めていたクレシスの瞳からは涙が零れ、レジスのわずかに開かれた瞳からは、驚愕と疑惑の色が覗いていた。


 
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