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魔女と吸血鬼
作:秋山らあれ



35.追憶(下)






 天井に届く程の、縦に細長い窓からは陽が差していた。等間隔で並ぶ窓と同様に、等間隔に光が差し込む。その一つが幻想的に照らす人物の見目良い姿を、絵描きは紙の上に写し取ろうとしていた。そのすらりと伸びた細身の身体には、白を基調とした詰め襟のチュニックを纏っており、その背では繻子のリボンで束ねられた少し癖のある髪の、艶のある漆黒が衣服の色との対象を成していた。年の頃は十四、十五といったところか・・・・・、少年は先程から一対の肖像画を見上げている。伯爵家の薔薇の家紋入りの紋織物で被われた壁には、沢山の絵画が処狭しと飾られており、その多くは絵描きの手による物であったが、無論もっと古い時代に彼以外の画家によって描かれた、異なる手法や画材による作品も含まれていた。

 「なあ、エデン、これもお前が描いたんだろ?」
 うら若い城主は、先程から見上げている然程大きくも無い肖像画から、その紺碧の瞳を離す事もせずに尋ねた。その姿をスケッチしていた年老いた絵描きは、くしゃりと皺を寄せて柔和に微笑み頷く。
 「ええ、随分と若い頃に・・・・・」
 絵描きは手を止めて、その昔に彼が描いたさきの城主とその奥方の肖像画を懐かし気に見上げる。少年城主は黒髪の貴婦人から眼を逸らすと、絵描きへとそのおもてを向けた。窓から差し込む光が織り成す強烈な明暗が、少年の整った容貌を浮き上がらせる。
 「俺は、この女に似ているな」
 「はい、良く似ていますよ、城主殿。それに父君にも・・・・・・・」
 少年城主は、視線を戻すと左側の男性の肖像画を見上げる。
 「そうか?」
 美しい面の表情を殆ど動かす事も無く彼が問えば、絵描きは静かに肯定した。人間離れした美貌の少年の姿を紙の上に写し込みながら、老いた絵描きは昔を懐かしむ。艶やかな黒髪に大小の真珠を散らした小柄な貴婦人の幻影が少年城主の顔に重なる。豪華な紋織りのウープランドの裾を長く引きながら優雅な身ごなしで歩く奥方と、この少年城主と同じ鮮やかな紺碧の瞳をしていたさきの城主。
 「貴方の瞳は、真に父君と同じ色ですよ」
 「ふうん・・・・、まあ、何だっていいんだけどな」
 素っ気無い少年の表情と言葉に、絵描きは只静かに微笑み手にした木炭を再び動かしたが、やがて左手で両目を押さえて小さな溜息を洩らした。
 「どうした?疲れたのか?」
 「年を取ると、どうもまなこがきかなくなって困ります。細かなものがてんで見えない・・・・、やれやれ・・・・・・・」
 「無理はするな」
 無愛想な少年の気遣いの言葉に、絵描きは嬉し気に頷く。
 「あれからもう五十年・・・・・・、貴方の父君と母君に初めてお会いしてから五十年が経ちました。貴方にとってはほんの一瞬の時でも、人間にはとても長い年月・・・・・」
 絵描きはしみじみと語る。
 「あんなに小さかった貴方も、立派に成長された。私も年を取るわけだ・・・・・・・」
 少年は無言のまま歩み寄ると、絵描きの座る椅子のすぐ傍らの床に無造作に腰を下ろした。
 「年を取って物忘れも酷くなりましたが、だが、若い頃の事は不思議と良く覚えている物でしてね。この頃頓に昔の事を思い出す。特に貴方の父君ディアルーユ様と母君セレーネ様の事をね・・・・・・・」
 言いながら絵描きは左腕の袖を捲り上げ、その老いた腕の内側に残る赤紫色の小さな痣を見詰めた。薔薇の花びらの形をしたその痣は、前の城主の加護の印であった。
 「いくら下等な魔物に喰われそうになった処を助けられたからって、よく吸血魔族なんかに心を許したよな、お前は・・・・・・・・」
 「それは相手があのお二人だったからでしょう」
 「だって助けられていきなり血を吸われたんだろ?」
 「はい、その為に助けて下さったのだそうで・・・・・」 
 脳裏に甦った美しい奥方の言葉の拗ねた様な声音に、絵描きは堪えきれずに静かに笑い出す。

 『良いでは無いか少し位恵んでくれたって、そなたの神は怒りはせぬと思うぞ。吸い尽くす様な下品な食事の仕方はせぬ故、案ずるな。ほんの少しだけじゃ。代わりにそなたの血肉になる様、精のつく食事を施してやる故』
 そう言うや美しい女吸血鬼は、うら若かった絵描きに抱きつき首筋に噛み付いたのだ。絶体絶命と諦めかけたものだったが、何故か不思議な気持ち良さに襲われ朦朧としかけた。だがその感覚も間も無く止んで、満足げな溜息を洩らした魔族が絵描きの目の前で婉然と微笑んでいた。
 『美味じゃった。礼を言うぞ。牙の痕はすぐに消える故、案ずるな」
 焦って首筋を押さえた絵描きの青年に、傍らに立っていた栗色の髪の長身の魔族が低く笑った。絵描きはぎくりとし、じりじりと後ずさる。その様が可笑しかったのか、長身の魔族は整った顔を更に綻ばせ笑い声を上げた。
 『そう怯えるな、私は男の生き血は好かぬ』
 その言葉にほっとし、絵描きはへたへたと座り込んだ。

 『そなた、良い腕をしておるな、エデン。ここで好きなだけ絵を描いてゆくが良いぞ』
 うら若い絵描きの作品を甚く気に入ったらしい美貌の城主と奥方は、絵描きに仕事部屋を与えた。摩訶不思議な超常現象や、人間味の無い召使い達や、奥方に半ば面白がって頻繁に抱きつかれては血を吸われたりする事に、初めの内はびくびくと怖れてはいたものの、そんな事にはすぐに慣れた。それよりも何よりも、彼は描かずにいられなかった。月夜城のあらゆるものが、絵描きを魅了し創作意欲をかき立てさせたのだ。
 そして、思ったよりも長居をしてしまい暇を告げたとき、城主は絵描きの腕に印を付けた。
 『下等な魔物や魔族に襲われぬ為のまじないだ。ついでに良からぬ人間からもそなたを守るだろう』
 その城主の言葉通り、その後三十年に渡って絵描きは各地を旅したが、危うい目にあった事は一度として無かった。そしてその三十年の間にも幾度となくこの月夜城を尋ね、滞在し多くの絵を描いた。


 「早いものだ・・・、貴方ももう三十五の年におなりですか・・・・・」
 「今日はやけに年寄りじみてるな、エデン」
 三十五とはいえ、見かけはほんの十五程にしか見えない城主が苦笑する。
 「私は、本当に果報者でした。世界を見ながら、好きな絵を好きなだけ描いて来ました」
 絵描きはしみじみと言う。
 「残る望みは只一つ。ここに骨をうずめたい」
 「分かってる・・・・・」
 城主が答えてやると、絵描きは人好きのする笑顔を見せた。それから間も無くして、絵描きは月夜城で息を引き取った。




 明け方にはまだ早い時刻、唐突に眠りから解放されたアレスウィードは髪を無造作に掻き揚げながら溜息を吐いた。
 「何だってあんな夢を・・・・・」
 呟いてはみたものの訳など分かっていた。仕舞い込んでいたエデンの遺品を久方ぶりに目にした所為だ。遠い昔にエデンが描いた己の肖像画を、魔女が一枚残らず引っ張り出して陽の目に曝した。正直あんなに沢山あったとは、思っても見なかった。生まれて間もない頃の姿から、エデンが命を引き取るその直前に描いた物まで・・・・・・・。とはいえ、エデン最晩年に描かれたウィードの肖像も、せいぜい十五〜六といった姿であったが....。
 ウィードは気怠げに、闇に包まれた室内の壁へと目を向けた。魔族の眼を持ってすれば、闇の中を見通す事など、何でも無い事であった。
 「・・・・・・・・」
 壁に飾られた数点の絵画に、ウィードは知れず苦い顔をしていた。結局魔女は、ウィードの肖像画の数点を自室に飾っていた。女に見間違えられる様な己の幼い頃の肖像画など、見ていて楽しい筈も無い。だが愛しの魔女は、それらを甚く気に入っているらしい。何とも複雑な気分でウィードは肘をつき頭を支えながら、傍らで安らかな寝息を立てている魔女を見る。一つに緩く編まれた豊かな髪の幾筋かが解れかけ頬にかかっていた。ウィードがその頬にかかる解れ髪を、そっと耳の後ろにかけてやると、魔女は微かに微笑んだ。それが愛らしかったので、ウィードは身を屈めると魔女の唇にそっと口付けを落としてみた。すると魔女は、「うふっ」っという小さな声と共に幸せそうな笑顔を浮かべた。
 「全く、寝ている時は素直だな、お前は」
 昼日中、唇など奪おうものなら、顔を真っ赤にしてきゃんきゃん吠え立てるくせに....と、ウィードは苦笑する。苦笑しつつ、魔女の解れ髪に指を絡ませ、彼女の寝顔を見詰める。緩んだその瑞々しい果実の様な唇を、もっと塞ぎたくなった。舌を絡め、血を吸って、快楽に弾む息を上手く吐き出せずに、喉の奥から洩らす彼女の苦し気で悩まし気な細い声を聞きたくなった。その細いうなじに、肩に、紅い印を付けたくなった。だが、さすがにこんな時刻に起こすのも忍びなく、ウィードはただぼんやりと魔女の幸せそうな寝顔を見ていた。

 『若君、貴方にもいずれ、命よりも大切だと思える女性が現れるのでしょうね。・・・・・・・・・将来貴方が愛する女性が仮令貴方の眷属で無かったとしても、そんな事はきっと大した問題にはなりますまい』

 遠い昔のエデンの言葉がふと脳裏に木霊し、ウィードを再び苦笑させる。微かな笑い声のせいであったのか、ぐっすり眠っているとばかり思った魔女が薄らとけぶるスミレ色の瞳を開いてウィードをぼんやりと見上げた。
 「起きているのですか?ウィードったら・・・・・・」
 「・・・・・・すまん・・・・・・、起こしたか?」
 「いいえ、良いのですけれど・・・・。ウィードったら、今日は早起きさんなのですね、いつもは信じられない程お寝坊さんなのに・・・・・・」
 「・・・・・夢を見た」
 闇の中、ウィードがぽつりと呟いた。
 「夢ですか?」
 「お前が要らぬ物を大量に引っ張り出しくれたお陰だろう・・・・」
 「ほえ?」
 「エデンの夢を見た」
 「エデンさんの?」
 ウィードが魔女の頭上に腕を回すと、魔女は大人しくウィードの腕枕に頭を乗せた。
 「俺が生まれ落ちて接した、初めての人間がエデンだった」
 「そうだったのですか・・・・・。それを聞いたら、ルクスは又吃驚しますわね。エデンさんにとっても傾倒していますから」
 そう言ってクスッと笑う魔女の柔らかな髪を、ウィードの腕枕の手先が撫でた。
 「エデンさんは、ハレンガルの方だったのですか?」
 「いや、生まれは確か王都近郊だった。旅が好きな奴で、若い頃からあちこちを放浪していたらしい。彼がまだ二十歳にもならない頃、ハレンガルからそう遠くも無い山道で下級魔族に喰い殺されそうになっていた処を、たまたま俺の両親が助けたらしい。尤もその後、俺の母親の吸血の洗礼を受けたらしいがな・・・・・・。それなのに、あいつは魔族を怖れるどころか五十年に渡ってここに出入りした。まるで自分の家に帰る様な気安さで・・・・・・」
 「ウィードにとってエデンさんは、とっても特別な人だったのですね」
 ジャスリンの優しい声に、ウィードは目を細める。
 「さあ・・・・・、どうだろうな・・・・・・」
 暗闇の中、ウィードは微笑み瞳を閉じた。 

 



 ラベンダー、ダリヤにベゴニア、ヒメサユリ。ガーベラ、ネモフィラ、ナスタチューム。魔女の花壇は夏の花も真っ盛りである。色鮮やかな花壇で、ジャスリンとルヴィーが楽しそうに室内に飾る為の花を切っていた。切り花を両腕に抱えるルヴィーと、植木ばさみを片手に花を物色しながら歩くジャスリン。時たま揃ってはしゃぎ声などをあげている。そんな姿を日陰に置いた椅子に座ってのんびり眺めている者達二人と、スケッチブックに納めようとしている者が一人。木炭を握るルクスの手は、白い紙の上を忙し気に動き、見る見る内に目の前の光景を描き出していった。
 「へえ〜、上手いもんだな、お前」
 横から覗き込んでいたラーグが素直に感心する。その言葉につられ、反対側に座っていたウィードも黒眼鏡ごしにルクスの手元を覗き込んだ。その時、腕まくりされた少年の左腕の内側にくっきりと浮かぶ、赤紫色の印が目にとまった。その小さな薔薇の花びらの形に、えも言われぬ程の懐旧と親愛の情を呼び起こされ、ウィードは思わずルクスの左腕を掴んでいた。
 「ウィード様?」
 「これは?」
 「えっ?」
 ルクスは吃驚するも、ウィードが黒眼鏡を外して己の左腕を喰い入る様に見詰めている事に気付く。
 「この痣ですか?これは生まれ付きあるんです、ウィード様」
 「生まれ付き?」
 訝し気な表情のウィードに、ルクスは微笑み頷いた。
 「その痣が何なのよ?何か、ちょっとハートみてえな形してんなぁ〜.」
 横から口を出すラーグに、ウィードはフッと笑みを零し、ルクスの腕を解放した。
 「あ、何だよそれ?その意味ありげな笑いはさあ?」
 目を丸くするラーグを焦らすかの様に、ウィードは低く笑いながら椅子に背を預け、口を開く。
 「それは、薔薇の花びらの形だろう」
 「薔薇の花びら?」
 「そういえばそう見えますね」
 ルクスが己の腕の痣をまじまじと見詰めた。
 「ルクス、お前、エデンに勝るとも劣らない画家になるかもな」 
 「え・・・・・・?」
 ウィードの唐突な言葉に、今度はルクスが目を丸くした。
 「お前が何処かで絵を学びたいなら、援助してやる。考えておけ」
 「ウィード様・・・・・」
 ルクスは驚きに目を瞬かせるも、次の瞬間には瞳を希望に輝かせ、頬を紅潮させていた。
 「良かったですね、ルクス」
 いつの間にか花を抱えたジャスリンとルヴィーが傍らに立って微笑んでいた。
 「は、はいっ!・・・・・あ・・・でも・・・・」
 ぱっと顔を輝かせたルクスは、しかし家の事を思いしゅんと肩を落とす。農家の一人息子である自分がいなくなれば、残される両親の仕事量が増えるだろう。
 「家の事なら案ずるな。お前の留守中は働き手を貸し出してやる」
 まるでルクスの心の内を読んだかの様なウィードの言葉であった。ルクスは今度こそ本当に瞳を輝かせ、嬉しそうに顔を綻ばせた。



 その後、ルクスはウィードの援助の下、王都の芸術学校に入学する為に月夜城の面々始め、町中の人々に見送られながら商人ハルケットの隊商と共にハレンガルを発つ事となった。町中の人々に励まされ、両親に心配そうな瞳を向けられ、ルクスは目を潤ませながらも希望に心を膨らませていた。
 「ウィード様、ありがとうございます」
 これから羽ばたかんとしているルクスに、ウィードはただ静かに頷いたのみであった。
 「ルクス、身体に気を付けて、沢山の絵を描いて来て下さいね。それから沢山お勉強したら、必ず帰って来て下さいな」
 「はい、魔女様」
 ジャスリンは微笑み、ルクスをそっと抱き締めた。
            
 「まさか・・・・・・、又、エデンに会おうとはな・・・・・・」
 「えっ?」 
 ウィードの溜息混じりの呟きに、ジャスリンは弾かれた様に見上げるも、ウィードはルクスの乗る隊商の馬車を見詰めたまま、それ以上口を開く事は無かった。


 画家としてのルクスの名はその後、王国中に知れ渡る事となる。しかし、それはまだ、ずっとずっと未来の事でありましたとさ・・・・・・。


 
 







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