挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
男なら一国一城の主を目指さなきゃね 作者:三度笠

第一部 幕間

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

67/509

幕間 第十話 須藤弥生(事故当時39)の場合

 その日、私は日用品や食料品などの買い物をするため、路線バスに乗っていた。高校生ぐらいの若い女の子たちがきゃあきゃあとかしましい声で騒いでいるのを耳にしながらバスに揺られていた。それが、あんなことになるなんて思いもしなかった。

 いきなり乗っていたバスに電車が突っ込んできたのだ。多分私は即死だったと思う。大きなショックを受けたと思ったら、今度は赤ん坊に生まれ変わっていたのだ。多分死んだ直後に生まれ変わったのだろう。

 少し前に逢った神様が言っていたことだから本当だと信じられる。その時私は6歳になっていたので、生まれ変わった後の人生にも慣れていた頃、久しぶりに聞いた日本語だったからまず間違いなく神様だと信じられた。日本語自体は何かのステータスを見ることで目にする機会はあったが、聞くのは本当に久しぶりだった。尤も、音声で聞いたわけではなく、頭の中に直接響くようにして聞いたのだが。

 話の内容は突拍子もないような物ではあったのだが、前後の関係や、何よりこの世界に生まれ変わっていることやあんな夢を見せられること自体があの存在が神であるという事の証明になっているとしか思えなかった。因みに、6歳になるまで何のレベルアップもしなかったのは私に与えられた固有技能のおかげだ。何しろ私の固有技能は耐性(毒)という奴で、おいそれと試すことははばかられたからだ。

 小さな頃に知ったステータスオープンで自分のステータスを見たときに固有技能という項目を見たときは吃驚したものだが、軽々しく誰かに話さなくてよかった。その後わかった事ではあるが、固有技能なんて私以外の誰も持っていないし、そんな言葉さえ知らないようだったから。

 例え両親に話したとしても信じてはもらえなかったのではないだろうか。それに、耐性なのだから仮にこの固有技能という奴が本当だとしても恩恵を受けられるのは私一人だけなのだろう。わざわざ話す必要もないと思った。両親は私のことを愛してくれているのは解っていたが、オースの常識に囚われ、いろいろな価値観(この場合は地球の日本で言う人権や常識などについてだ)を認めようとはしない人達だった。

 私の両親は大きな町で食堂を経営しており、かなり安い値段で市民に食事を提供している自由民という階層に所属している。自由民の下には奴隷階級があり、上には平民と貴族がある。上と言っても平民は実質的には自由民と変わらないが。私には不動産を取得するときに後ろ盾となる貴族などを持っているかいないかくらいの違いしか無い様に思える。

 本当はもっと違いがあるのかも知れないが、そこまでは私は知らないし、別段興味も無い。そのときの私が興味あったのは、自分や家族、身分が低いとされている人達の権利が不当に侵されているかどうかということだったからだ。だが、人の権利や義務を設定するのは法であり、立法権は国王が持っている。そして、現状では法によって権利や義務が規定されており、別段それを逸脱しているわけではない。

 昔は身分によっていろいろ権利や義務が異なることについて「法が間違っている!」と両親に一席ぶってみたりもしたものだが「そこまで言うならお前が王様にでもなって全員平等な国でも作ればいい」と言われてしまい、言い返せなかった。力が無いものは何かを主張することも出来ない窮屈な社会に対して理不尽さを感じないのだろうかと、一時は軽蔑すらしたものだ。

 だが、そんな状況にも拘らず、毎日を元気良く楽しそうに過ごしている両親や近所の人達と付き合っていくうちに私自身、こう言ったことについてどうでも良くなりつつあった事は確かで、いつの間にか立派なオースの人間になっていたようだ。

 ともかく、5歳になる頃には児童福祉法なんて無いオースらしく、私も店の手伝いをするようになった。精神的には40をとう超えているから肉体的な辛さはともかく、働くこと、まして家業を手伝うことには何の不満も抱くことは無かった。だいたい家業と言っても食堂だから料理を作ったり、食器を洗ったりすることが殆どだ。曲がりなりにも普通の主婦であった私はさほど苦労することなく仕事をこなせる様になっていた。

 そんなある日、川からあがった食材である、ケイスァーゴというかさごに良く似た魚を料理するときに毒のある背鰭を指に突き立ててしまったのだ。以前父が間違って同じように指を突き立てているのを見たときには相当痛そうで、ものすごく腫れ上がったのを覚えていたので、私はきっと自分もそうなるのだ、と覚悟をしたものだ。

 だが、幼い私が折角覚悟を決めたというのに、思ったほど痛まず、指も腫れた事は腫れたが、さほど酷いものではなかった。ただ、その時、指を刺してしまった場所が青く光ったのを覚えている。その直後私は強烈な眠気に襲われ、店が営業中だというのにうつらうつらしてかなり叱られた。眠気はものすごい努力で一時的に我慢することは出来るが、ちょっとでも気を抜くと襲ってくる強烈な睡魔にはなかなか抗うことが出来ず、その日は殆ど居眠りしていた。

 その後は間違って指や手に背鰭を刺しても眠くなるようなことはなかった。そりゃそうだ。これでも私は10年以上主婦をしてきたのだ。魚の背鰭に指を刺すなんてことなんか滅多に無い。そして何回か同様の経験をしたときにはっと気づいたのだ。これこそ【固有技能:耐性(毒)】の効果ではなかろうか、と。こんな魚の毒であれば死ぬことは無い。多少痛いだけだ。効果を確認するためにちくっと指先をわざと刺すことまでやってみた。

 案の定、私には毒に対する耐性があるようだ。勿論、毒の効果を受けないわけではなく、その効果を軽減するものだ。多分毒の力を弱めて半減するくらいだろうか。毒を受けた場合、受けた箇所がまるで魔法を使うときのように青く光ることもわかった。

 そんな時、神様に会ったのだ。1分という短い質問の時間では、もう地球には戻れないことと固有技能について確認するだけで精一杯だった。固有技能は使えば使うほど成長するらしい。私の場合は最終的には毒についてはなんら影響を受けることのない体になれるそうだ。

 嬉しくなって暫くはケイスァーゴやウォコーゼという毒の背鰭をもつ魚が入荷するたびにちくちくやっていた。あまりやりすぎるといつも物凄く眠くなるので、最近は回数については控えるようにしていたが。

 そうして何年か過ごしていくうちに私は10代になり、店の看板娘と言われるようになった。固有技能のレベルは8にまでなっており、大抵の毒は殆どその毒性が通じなくなっている。勿論弱くなっているだけで毒の効果自体がなくなるわけではないけれど。本来であれば物凄い激痛を感じたり、毒を受けた手がグローブのように腫れ上がったりするはずのものでも、殆ど痛くなかったり、ちょっぴり腫れるくらいで済むようになった、ということだ。ひょっとしら今なら河豚をまるごと食べても死なないのではないだろうか。似たような魚が手に入ったらぜひ試してみたい。

 そう言えば最近バークッドという村でゴムが作られているという。生魚を扱うから手はいつもあかぎれ状態なのでゴム手袋が欲しい。あと、ゴム長靴もあれば調理場でもっと動きやすくなるだろう。ここキールに入荷しているらしいからどうにかして買えないものだろうか? 調べてみるとゴム手袋とゴム長靴は無いみたいだ。

 これには正直な話、かなり落胆した。今まで存在しなかったゴム製品がここ数年で急に流通し始めたことで、あの事故で転生してきた日本人が作ったものかと思っていたのだ。普通の日本人ならゴム手袋やろくに靴もない生活に耐えられるもんじゃない。出来れば会ってみたかったと言う気持ちも多少あったしね。仕方ないので代わりにかなり高価ではあったがゴムサンダルを購入した。濡れた厨房の床で滑ることもなく、両親は「いい買い物をした」と喜んでいた。

 そんな13歳のある日、あいつが店に現れた。

 あいつは私と同じ黒髪で目も黒かった。初めて来たときはこのあたりでは荒くれ物で通っているような乱暴な連中と一緒だった。本人達は自分達のことを『冒険者』と言っているが、本物の一流の冒険者はこんな安い食堂なんかには来る事は無い。普段は安酒を飲んで自堕落に過ごし、金が無くなったら犯罪行為の片棒を担ぎに行ったり通りを歩く大人しそうな人に難癖をつけて小銭を稼いだり、それなりにまとまって暴力団のような組織を形成していろいろな店から保安料と称してみかじめをふんだくるようなやくざ者だ。

 冒険者には一般的に言って三つのランクがある。別段正式に定められたものではないが、最高なのは国家機関から依頼を受けるような極一握りの人たちだ。次が普通の冒険者で自称冒険者のうち三分の一から四分の一くらいの人たちはここに入る。ここキールのような都市だと侯爵の行政府や騎士団に対して、地方領主などからさまざまな依頼が入る。

 大抵は領内を荒らす魔物退治だが、中には多少飛び地になっても構わないから次の開墾地の調査だとかの依頼もある。又は医者も兼ねる薬屋などから原材料の採取を依頼されることもある。ウェブドス商会のような大店おおだなをはじめとした、それなりの規模の隊商の護衛などをして王国各地まで旅をすることもあるらしい。そういった各種の依頼を行政府や騎士団が捌くのだ。大規模な退治などは直接騎士団が出向くこともあるようだし、そんな時には傭兵として冒険者を一時的に雇うこともあるという。こういった人達はそれなりに収入もあり、やたらと乱暴狼藉を働くこともない。金持ち喧嘩せずだ。

 だが、そういった正規の依頼で生計を立てられる人だけではないのだ。実力が足りなかったり、騎士達や、行政府の役人と堅い話をするのが嫌いだったり、何らかの犯罪行為に加担した経験があり、それが知れ渡ったりなどさまざまな理由で正規の依頼を受けないで生活する、どこからどう見てもごろつき一歩手前、という冒険者も沢山いるのだ。

 私の知る限り、キールの冒険者達には最高レベルはいない。国家機関から依頼を受けるようなレベルであれば王都であるロンベルティアを根城にするだろうし、これは仕方ない。次の普通の冒険者は2~30人ばかりはいるようだ。だが、こんな安食堂には滅多に来ることは無い。依頼を完全に達成できなかったりして金欠のときに来るくらいだろう。そして全部集めても百人はいないだろうが、底辺のごろつきはこういう安食堂に来るのだ。

 私の店に来たあいつは他のごろつきと同じように笑い、同じように安酒を飲んでいた。そして、私の顔を見てすこし驚いたようだ。その日は特に何事も無く過ぎたが、翌朝そいつは一人で店にやってきた。

 黒髪黒目は滅多にいない。私の知る限り私だけだったはずだ。そして、日本人に近いような顔つき。こいつは私と同じ転生者だろう。二回も顔を合わせればピンと来る。

「よう、店はもうやってるか?」

「開いてるわ、ご注文は?」

 空いている席に着きながら、

「少し話がしたいんだけど、いいかな?」

 と話しかけてきた。やっぱりか。只のナンパ目的なら適当にあしらえばいい。

「少しならいいけど、注文が先。あと、先払いだから」

 と答えてやった。

「しっかりしてるな。じゃあ豆茶」

「20ゼニーよ」

 大賎貨2枚をテーブルに置かれたので回収し、豆茶を取りに行く。そのわずかな間で、対処法を考えないと。

「豆茶よ」

 豆茶を置いて、厨房に戻ろうとするとやはり声をかけられた。

『なぁ、あんたも日本人なんだろう?』

 日本語で話しかけてきた。涙が出るほど懐かしい気持ちを必死で堪えながら、振り向きもせず歩き続ける。そう、こいつも私と同じ転生者なら必ず日本語で話しかけてくると踏んだのだ。あらかじめ覚悟を決めていなかったら反応してしまうところだった。私は「変な外国語で話されてもそれはあたしにではないでしょう」と云う風を装って僅かな反応も表すことなく歩き続けられた。

 その後も厨房から出てくるたびに声を掛けられた。日本語の場合は無視した。そのうち向こうも飽きたのか、それとも周りでここらの住人が食べている朝食セットを見て自分も食べたくなったのかは知らないが、同じように朝食セットを頼んできた。朝のご飯時の間中、居座る気になられても迷惑だと思ったが、注文以外はすべて無視してやろうと心に決めた。

 だが、食事が終わると素直に立ち上がり帰っていった。

 しかし、忙しい朝のご飯時が終わる頃、また現れた。今度は私がテーブルを拭いている時に後ろから声を掛けられた。

『落ちるぞ』

 ビクッとして思わずテーブルの上の塩や胡椒などの調味料の瓶の無事を確かめてしまってから気づいた。

『やっぱり日本人なんだな。ちょっと話くらいいいだろ?』

 仕方ない。少しだけ付き合うか。

『そうよ、私は日本人だった。あなたもあの事故で?』

『うん、高校一年生だった。俺は小島正志、こっちではクロフト・バラディークだ』

 なるほど、子供だったわけか。考えなしの子供みたいな馬鹿であればこんな冒険者崩れになったのも肯けなくはない。考えようによっては可愛そうだとも言えなくはないが正直なところ関わりたくはない。

『そう、私は40近い小母さんだったわ。日本人なら年上には敬意を払うものよ』

『こっちじゃ全員同じ日に生まれてるんだろ。なら同い年じゃんか』

 やはり子供だ。前世と合わせれば30歳近くになっているはずなのにまだこんなこと言っているとは。まぁ、他人だし、いいか。

『それもそうね。で、何の用?』

『同じ日本人同士なんだしさ、話くらい別にいいじゃん? だいたい、俺は自己紹介したけど、俺はまだあんたの名前も知らないんだ』

 確かにこの小島、いやバラディークは子供だろうが、その気持ちは痛いほどわかる。日本語で会話をするうちに私もだんだんと会話を続けたくなったのも感じている。お互い、情報交換くらいしてもいいだろう。

『……須藤、弥生よ。こっちではマリッサ・ビンスイル』

『……っふ。須藤……弥生さん……か……。日本人の名前を聞くだけでこんなに懐かしくなるなんて……』

 そう言うとバラディークはぼとぼとと涙を零した。急に泣き出したバラディークに吃驚している私をよそに、バラディークは身の上話を始めた。確かに泣き出したことに少し驚きはしたが、こんな最低のやくざ者になるにはそれなりの事情だってあったのだろう。それに私はまだ私以外の転生者のことについて何も知らないのだ。興味がないわけはない。

 話を聞いてみると驚くことがいくつかあった。バラディーク、いや、クロフトはやはりそれなりの苦労もあったらしい。田舎の村で農奴の何番目かの息子として生まれ、赤ん坊時代から喋り始めたことで最初はかなり期待もかけられたらしいが、産業が農業中心だったためうろ覚えの知識でいろいろ挑戦したらしい。尽く失敗したらしいが。

 農奴という言葉から想像するにかなり悲惨な境遇だったのではないだろうか。ここキールにも奴隷はたくさんいるが、田舎の農村での奴隷の扱いがキールのようなまともなものかどうかまではわからない。確かに言葉のイメージから私も幼い頃は奴隷制度自体を容認出来なかった。実態を知った今ではあまり気にしていないが。

『それにしても、奴隷なのになぜキールにいるの? 生まれた場所からは離れられないでしょ?』

『それについては……いいや、日本人のあんたにやるつもりはなくなったから。全部種明かしする。軽蔑してもいいよ……』

『? なぁに? 誰かを殺したとか? 今更そのくらいじゃ驚かないよ。それくらいのことはあっただろうしね』

『固有技能だ。俺にステータスオープンしてみな。ひょっとしたら転生者なら見えっかも知れねぇし』

 そうだ、固有技能。忘れていた。だが、クロフトの差し出した手に触れてステータスオープンをかけても【特殊技能:小魔法】だけだ。

『そうか、転生者同士でも固有技能は見えないのか。俺の固有技能は誘惑ってやつだ。でもあんたに使う気はないから安心していいよ。ああ……そうだ、誘惑は使うのにいくつか条件がある。だから避ける方法を先に教えておくよ。誘惑の固有技能はステータスオープンみたいにまず相手に触ってないとだめだ。それから目を合わせる必要がある。だから、目をつぶれば大丈夫だ。あと相手の名前と一緒に、好きだ、とか愛してるって言えばいい。効果は固有技能のレベルの二乗くらいの日数、相手の気持ちを俺に向かせることができる。白状すると、昨日の晩、あんたを見て使おうと思って来た。可愛かったから』

 びくっと身が硬くなった。それを見てちょっと寂しそうに笑った。

『安心してくれ。別に俺を見てすごく気になったり変にドキドキしたりはしねぇだろ。今のは本当だ。嘘じゃねぇよ……。この誘惑を使って村に来た隊商の護衛の女冒険者を誑し込んだんだ。最低だろ? 俺を買い取らせてキールに連れてきてもらって奴隷身分から自由民へ解放して貰った』

 確かに私の身に何か変わったことは起きなかった。別にクロフトを見てもなんとも思わない。誘惑を避ける方法が本当かどうかは別にして私を固有技能で誘惑していないのは本当かも知れない。だけど、既に誘惑にかかっていてそれに気づいていないだけ、ということもありうる。例えば今晩から気になり出すとか。

『まぁ、身構える気持ちは分かる。今の俺は底辺の冒険者崩れだしな。だけど、信用してくれなきゃ話も出来やしない。それとも、もう今日は帰ったほうがいいか?』

『……いいよ、取り敢えず今は信用してあげる。もう誘惑にかかっているなら何しても遅いだろうし……』

『仕方ないよ。だけど、俺が言っている事は本当だ。さっき言った通りあんたには使わない。約束する。俺からはあんたに触らないし、愛を囁いたりもしない。目を閉じるかすぐに振りほどけば大丈夫だよ』

『もういいよ。で、その女の冒険者はどうなったの? まだ一緒なの?』

『いや、半年……半年少し前にモンスターに殺された。それまでは俺もくっついて真っ当に依頼を受けてたんだ。だけど、あいつが、ジェーンがいなけりゃ俺の力なんてとても冒険者でやれるようなもんじゃない。それからは……わかるだろ。適当な女を誑し込んでヒモみたいに暮らすしかなかった。剣の使い方はジェーンが簡単に教えてくれただけだし、剣道は高校2年からだったからまだ習ってなかったし……ゴブリンくらいのモンスターなら一対一ならなんとかなるけどゴブリンが一匹でいることなんかまずないしね。あってもそんなのどの村だってわざわざ金払って退治の依頼なんかしやしないよ』

 そうか、方法はともかくそれなりの苦労はしたんだ。少なくとも私は奴隷階級ではなかったし、家業という定職もある。苦労らしい苦労はしていない。料理をちょっと工夫したくらいだ。

『それより、須藤さん、いやビンスイルさん、あんたの方はどうだったんだ?』

『マリッサでいいわ。私はこの家で生まれてからずっと一緒。5歳くらいからこの食堂で働いてる。もともと主婦で料理は嫌いじゃなかったからあんまり苦労らしい苦労はなかった。あんまり話すことなんかないの』

『そうか……まぁいいや。また話に来てもいいかな。久しぶりにたくさん話した気分だ。日本語なんか使わないし』

『暇なときならいいよ。あ、そうだ、ちょっと待ってて』

 私も久しぶりに日本語を聞き、話したことには満足していた。勿論完全にクロフトを信用したわけじゃない。13歳の男の子を見ていたら似ても似つかないのに前世の息子を思い出したのだ。クロフトは別に美男子という訳でもないけれどハーフっぽいから生粋の日本人よりは多少格好良く見える気がする。勿論これは私の美的感覚が日本人のままだからなんだけど。

『これあげる。懐かしいでしょ?』

『? なにこれ?』

『微妙に違うけど梅干っぽいのと浅漬け』

『……ありがとう。大事に食べる』

『気にしなくていいよ。家でもどうせ食べるのは私だけだしね』

 その日クロフトは大事そうに梅干と浅漬けを抱いて帰っていった。

 それから暫く、たまにクロフトが来ると日本の話をしたり、テレビ番組やタレントの話題で盛り上がったりもした。話しているとお互い郷愁にかられる事もあり、会話が止まったり、家族を偲んで涙を浮かべることもあった。だけど、私は完全にクロフトに信用を置くことだけはしなかった。どんなことを言ってもやくざ者だし定職はおろか定住している家さえないのだから。両親にもあんなわけのわからないやくざ者と付き合うなと注意された。髪と瞳の色が珍しくも同じだから、たまたま気が合っただけと言って誤魔化している。言葉については用心して周りに人がいない時だけ日本語で喋っていたのでバレていなかったので突っ込まれることはなかった。

 一度、誘惑の固有技能を使っているところを見せて欲しいと頼んだことがある。本当に使っている所を見ればあの対抗策が有効かどうかわかると思ったからだ。渋るクロフトを説き伏せ、女を替える時にわざわざこの店で口説いてもらった。確かに相手に触れ、見つめ合った状態で愛を囁いた。その時、クロフトの目が薄青く光った。あまり強い光ではなかったことと夕暮れとは言えまだそれなりに明るかったのであまり目立ちはしなかった。すると、急に女はクロフトにしなだれ掛かり始めた。まさに魔法のような誘惑だった。何となく面白くなくてその日はとっとと店を追い出した。

 その後も数日おきにクロフトは店に顔を出していた。すっかり店の常連で、店では乱暴なことはしないし、暇なときに静かに私と話をするくらいで何の害もなかったから両親もあまりうるさい事は言わなくなった。そして、2月14日、クロフトは誕生日プレゼントだと言って私に小さなブローチをくれた。その日は私たちの14歳の誕生日だった事をすっかり忘れていた。大して儲からない食堂では誕生日を祝うなんてことはなかったから、私は何の用意もしていなかったことを恥じた。バレンタインデーでもあるし、チョコレートは無理にしても何か甘いお菓子くらい用意しておけばよかった。

 その日、クロフトはついに定職を持ったらしい。仕事はキールから30km程南のデンズルの街を週に2回往復する定期的な隊商の護衛だそうだ。デンズルは侯爵領第二の都市といっていいくらいの街で、そこまでの街道は綺麗に整備されているから片道は1日で行ける。大きな街道で中間くらいに村もあり、かなり治安もいいのであまり危険は無いと言っていた。もう冒険者崩れのやくざ者からは足を洗うのだと言って笑っていたが、ああいう連中は自分のグループからの足抜けを嫌う傾向があるだろう。注意すると、大丈夫、それはわかっていると言ってまた笑った。

 まっとうに仕事を持ち、暮らして行けるなら何も問題はない。

 真面目に働けばいずれそれが報われる時が来るだろう。

 普通に働いていれば一人で年間金貨二枚くらいは稼げるものだ。半分は人頭税で取られてしまうが、金貨一枚あれば贅沢さえしなければ一年間食べていくには困らない。こんな安食堂だって年間の利益は金貨六~七枚くらいはあるのだ。売上はその倍以上だけど。

 がんばれ、オースの日本人。

 
クロフトの給料は週で銀貨4枚という設定です。年間で銀貨240枚、金貨2枚以上稼ぐことになりますから。充分生活可能です。年間で金貨1枚分を税金として取られますから可処分所得は銀貨で140枚、農村と比較するとかなり高給ではありますが、宿代が必要だったり食事代もかかるので贅沢はできないでしょう。
また、この世界の都市圏の人々はあまり自分たちで料理をしません。全くしないわけではありませんが基本的に外食です。このあたり、数十年前の現実の東南アジアに多少近い感じです。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ