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男なら一国一城の主を目指さなきゃね 作者:三度笠

第二部 冒険者時代 -少年期~青年期-

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「裏百六十四話」

「兄さん、右よ!」
「おうっ!」

 ゴブリンを相手に妹のユリエール(ヨランフィーヌ・ゲクドー)と戦っていた。ビンスの操る長剣はすぱっとゴブリンの首を斬り裂き、隣のゴブリンの胸板に吸い込まれる。さっと長剣を引き抜いて更に新たなゴブリンの肩口へと斬り付ける。その隙を狙って粗末な短槍を突いてきた別のゴブリンをユリエールがフレイムボルトの魔術で仕留めた。

 兄妹だけあって素晴らしい連携であった。

 もう立っている魔物が居ないことを確認したビンスは微笑んで妹に振り返る。

 妹はビンスに背中を向けて立っており、その前からはケイブボアーが襲い掛かっている所だった。

「左だっ!」

 咄嗟に口を付いて出た警告のお陰で、なんとかユリエールはケイブボアーの攻撃を躱すことに成功した。

 脇を駆け抜けたケイブボアーを他所にビンスは後ろからユリエールを抱きとめる。

(良かった!)

 そう思うが、すぐにハッとして妹を抱きとめた手を見つめる。

 手は夥しい血液で赤く染まっていた。

(何故っ!)

 思わずユリエールの向きを変えこちらを向かせる。

 彼女の脇腹にはケイブボアーの牙で貫かれた大きな穴が開いており、血は止まらない。

 瞼は閉じられ蒼白になった表情のない顔の口の端から血が垂れている。

 視界が血の色で塗りつぶされ、次いで白く染まった。

「っはあっ! はあっ! はあっ……また……最近見なくなったと思ってたのに……」

 太陽が昇ってから、ゆっくりと目覚めたビンス(ビンノード・ゲクドー)はここ四年程に亘って宿泊するサーマス亭のベッドの上で汗びっしょりであった。

(あ、今日は例の日か……)

 暗い中、窓の隙間から漏れる日差しを頼りに部屋を横切り、閂をずらして鍵を外すと窓を上に跳ね上げ、支え棒で跳ね戸を固定する。首に下げた小さな布袋をそっと撫で「おはよう」と小さな声で呟くと下着を身に着け、服を着て厠に向かった。

 適当ないている飯屋で軽く朝食を済まし、ぶらぶらとバルドゥックの街を散策しつつ目的地へと向かって歩を進める。目的地であるボイル亭の前には既に何人かの顔見知りが居て、何か話していた。

「おはよう、キャシー」

「あ、おはようございますビンスさん」

「「お、おはようございます、ゲクドー様」」

「ああ、二人共おはよう」

 同じ殺戮者スローターズに所属するサージの妻のキャシーとリーダーの奴隷のジョンとテリーに挨拶をする。ジョンとテリーは上半身の服を脱がされ、キャシーに背中を流れる汗を拭いて貰っているようだ。少し照れ臭そうな表情を浮かべながらも荒い息を吐きながら朝の挨拶を寄越してきた。

「さぁ、これでよし。二人共一度戻って着替えてらっしゃい。その後朝ごはんに行きましょう」

 キャシーがそう言うと二人共「はい!」と元気よく返事をして宿に向かって歩いて行った。

「ビンスさん、今日は?」

 子どもたちの汗を拭いた手拭いを畳みながらキャシーがビンスに尋ねた。

「ああ、サージから聞いてないかい? 入れ替え戦だ。俺は手伝いで監視。近くにしてくれると良いんだけどね」

 肩を竦めながらビンスは答えた。

「え? それは知ってますけど、お昼からでしょう?」

「ああ、そうだ。早めに自分の持ち場を聞いておいて昼食を買ってゆっくり向かおうと思ってね。現場に先に着いておけば時間まで昼寝でもしてのんびり出来るだろう?」

 それを聞いたキャシーは口に手を当てると「まぁ!?」と言って少し可笑しそうに笑った。釣られてビンスも微笑む。

「それを聞いたらバルドゥッキーでも持たせてあげたいんですが、生憎今は皆さんが地上にいるので製造はお休みなんです。ごめんなさい」

 と言ってキャシーは少し眉根を寄せた。

「ああ、謝らないでくれ。そんなつもりで来たんじゃないし。時間に遅れたくないから早めに来ただけだよ」

「それでしたら中でお茶でも飲んでゆっくりとお待ちになられては? 皆さんが戻るまでまだ暫く掛かりますよ」

「ん、じゃあそうさせて貰うよ」

 キャシーは一度部屋に戻るようで、汗を吸ったタオルを持って宿に入っていった。ビンスはボイル亭のロビーのテーブルに着くと小僧にお茶を注文する。テーブルに灰皿は乗っているが使用された形跡はない。ボイル亭の従業員がこまめに掃除をしているのか、宿泊客に煙草を吸う者がいないかのどちらかであろうが、高級な嗜好品である煙草を嗜む者は大金持ちくらいだ。滅多にいない。恐らくは後者であろう。

 出てきたお茶を啜りながらぼんやりとそんな事を考えていたせいで、テーブルに近づいてきた人に肩を叩かれるまで気付かなかった。

「早いな、ビンス」

「ああ、ゼノムさん。おはようございます」

 ぼーっとしていたところを見られた恥ずかしさに少し顔を赤くしながら対面に座ったゼノムに挨拶をした。

「皆さん、もう戻られましたか?」

「いいや、まだだ。俺も今起きたばかりでね……」

 先ほどキャシーに話した内容をまたもう一度ゼノムに説明し、自分がこの時間にボイル亭にいる訳を話したビンスはすっかり冷めてしまったお茶を口に含んだ。

「時間に遅れないように余裕を持って行動するのはいいが、お前さんの場合は少し極端だな。まぁいい。今日はお前さんには東の山道を降りた辺りで見て貰うとしよう」

 ピンク色の髭をしごきながらゼノムが言った。

(あの辺りか……移動時間を考えても五時間はゆっくり出来そうだ)

 五月も近づき、すっかり気候の良くなったこの時期、昼寝には最適だ。
 ビンスは教えてくれたゼノムに挨拶をして早めに向かおうと腰を浮かせかけるが、ゼノムがそれを制した。

「そう急がなくてもいいだろう。俺がお茶を飲み終わるくらいまでは話し相手になってくれ」

 暫くとりとめのない話をして、ビンスはボイル亭を後にした。
 この後は昼飯を調達して、その足で東の山道まで向かうだけだ。ひょっとしたら途中でランニング中の殺戮者スローターズの皆に出会うかも知れない。それを考えるとビンスは少しバツが悪い気になってしまったが今は仕方ない。



・・・・・・・・



「……眠れん……」

 東の山道の脇の丁度いい場所で寝転びながらビンスは独りごちた。
 手足を大の字に広げ空を見上げる。
 春の午前、風も暖かく心地良い日差しが穏やかに照っていた。

 鳶が視界を横切る。

(まぁいいか……)

 眠るのを諦めたビンスはそのまま空を見上げていた。
 ボイル亭では結局ゼノムと一時間も茶飲み話をするハメになり、その後昼食を物色しながらぶらぶらとここまで来たのだ。
 街の周囲の耕作地では既に農奴が何人も農作業をしていた。
 登山道の両脇のなだらかな斜面も野菜などの畑になっている。

(しかし、ゼノムさんは良く見てるな……)

 一昨年迷宮内で危地から救ってもらった殺戮者スローターズにビンスは恩を感じていた。
 妹の魔石だけでも地上に還してやりたいという彼の望みを嫌な顔一つせず叶えてくれたばかりか、妹の遺体だけでなく、自分も連れ帰ってくれたのだ。
 当初は殺戮者スローターズに入れてもらい、恩返しをしたいとも考えていた。
 世話になった日光サン・レイには後ろ足で砂を掛けることになるが、それも仕方ないという気持ちだった。
 また、三種の元素魔法を使いこなす自分であれば諸手を上げて歓迎されるだろうという打算もあった。
 しかし、すぐに殺戮者にはミヅチが加わりフルメンバーとなってしまった。

 少し引っ込み思案な部分を持っていたビンスは移籍を諦めてしまう。
 彼が感謝の対象にしていたのは殺戮者スローターズのリーダーであるアルだけでなく、メンバー全員に感謝の念を抱いていたのだ。
 その彼らが(リーダーの意向もあるのだろうが)参加を認めたメンバーを押しのけてまで強引に殺戮者スローターズへの参加をすれば迷惑が掛かる。
 または、自分を採用する代わりに誰か旧来のメンバーがパーティーから外されてしまうかも知れない。そうであればその人に対して恩は返せない。
 昔の日光サン・レイのようにメンバーを入れ替え(ローテーション)つつ迷宮探索を行うパーティーは居なかったからだ。

 しかし、ビンスはその後暫くして後悔する。
 殺戮者は十人しか居ないにも関わらずパーティーを割り始めた。
 それならば旧来のメンバーに迷惑を掛ける事無く殺戮者スローターズに加わることも出来るかも知れない。
 酒の席などでポロリと本音が漏れるようにもなった。
 今考えてみると自分のこういった日光サン・レイへの忠誠心の低さもコーリット夫妻に見抜かれていたのかも知れない。
 だからあの時六層探査のメンバーに入っていたのかも知れない。
 今となってはどうでもいいことではあるが、そこまでビンスは思い至る。

 そして、その年の暮れにはどこの馬の骨とも知れないキャットピープルの小僧が殺戮者スローターズに加わっていたのだ。
 これには流石に動揺した。
 このままで良いのかと自問したりもした。

 しかし、そうこうしている間に月日はどんどんと経ち、すぐに二人の騎士を中心とした小パーティーを吸収し、自分は彼らの教育役となってしまった。別段恩などを感じては居ないが、彼らは殺戮者スローターズ同様に前途ある有望そうな若者であった。それなりの実力は兼ね備えていることは明白だが、冒険者になりたての常識知らずだとも言える。ここで彼らを見捨て、殺戮者スローターズへと走ることはビンスの同じパーティーでの先達としての矜持が許さなかった。「せめて彼らが一人前になるまでは面倒を見よう」そう思い、冒険者の先達として指導を重ねていた。

 その後、紆余曲折があり、大恩ある殺戮者スローターズのリーダーのアルが日光サン・レイに入ったり、気がついたらその日光サン・レイごと殺戮者スローターズに吸収合併されていたりしたが、とにかくビンスは殺戮者スローターズの一員としての地位を手に入れた。

 ビンスはアルの役に立ち、それを以って恩返しとしたかった。
 ゼノムの、ラルファの、トリスの、ベルの、グィネの、ユリエールの遺体を運んでくれたズールーの、マルソーの役に立ちたかった。

 吸収されてすぐ、虐殺者ブッチャーズのリーダーとしてゼノムが来た時に彼に聞いたことがある。

「ゼノムさん。今の殺戮者に一番必要なことは何でしょう?」

 ゼノムは笑って「それは自分で考えることだろう」と答えなかったが、ビンスとしては恥じ入るばかりであった。確かにその通り、自分で考えるべき問題であった。

 それからゼノムを始め、幾人もの殺戮者スローターズのメンバーが虐殺者ブッチャーズのリーダーとしてやってきた。彼らを観察して改めてビンスは理解した。「強いだろうというのは想像していたが、これは相当なものだ。それに、年齢の割には戦い慣れし過ぎている……。これじゃあ俺が虐殺者ブッチャーズから殺戮者スローターズに行っても足を引っ張るだけだ」と思った。

 ビンスとてトップチームに所属していた(今もしているが)一流の冒険者である。高い実力を備えていると自負していた。魔法にも自信はあるし、余程の相手でなければ剣での白兵戦もこなせる。これは事実だ。しかし、リーダー達の戦いぶりを見て愕然としたのも確かであった。

 最初のうちこそお互いの実力も知らず、連携はギクシャクすることもあった。

 しかし、数回の戦闘でそのズレを修正し昔からの一個のパーティーのようにこちらに合わせ指揮を執るゼノムやミヅチ。同様に自分を囮として別の方向で上手に纏めるトリス。後方から巧みにパーティー全員の目標を指示し、支援することで一個の有機的な動きとなすベル。なんとかトリスのようにしようと頑張り、着々と成果を現していくズールーとマルソー。異色なのは殆ど全て自分の戦闘力でケリをつけるラルだが、彼女はリーダーには向いていないだろう。

 また、一緒に迷宮で行動することによって一人一人の実力の高さについても理解が及んでくる。ゼノムやミヅチは言うまでもない。それらに次ぐラルあたりまでは旧日光(サン・レイ)から引き続き殺戮者スローターズに吸収された中で上位陣のメンバーでも戦闘力で匹敵は出来ないだろう。トリスやベルにしても細かな武器の技では虐殺者ブッチャーズに劣る部分もあるがそれを補って余りある魔法への高い熟練がある。

 何とかなりそうなのはズールーやマルソーだけであるが、アルは彼ら二人に対して深い信頼を置いているように見えるし、彼らの忠誠心も非常に高く、且つ向上心も持っているようでメキメキと実力を伸ばしている。

 とにかく、ビンスは殺戮者スローターズに戦闘で貢献することは無理だろうと判断するまでそう時間は掛からなかった。

 だから、去年の秋にメンバー入れ替えの体力テストを行った際も参加を表明しなかった。確かに頑張れば殺戮者スローターズに入れるかも知れない。しかし、なんとかぶら下がれたとしても生半可なレベルではとても付いていけはすまい。足を引っ張るだけだ。

 自分に出来ることは……下で踏ん張ることだ。彼らの土台となって迷宮探索の基礎固めをし、それを以って貢献し恩返しとなす。

 ビンスはそう思っていた。そして、その気持を先ほどあっさりとゼノムに言い当てられていた。だとしてもビンスの気持ちは変わらない、強固な意志で五層や六層の転移水晶の間に食料などの物資を運び、それで貢献しようと思っていた。自分に出来る恩返しはそれしか無いと考えていたのだ。

「ま、お前さんがそれで満足なら俺も何も言わん。それはそれで己の分を弁えた立派な考えかも知れん。だがビンスよ。お前さんもまだズールーと同い年だろう? 俺から見りゃ若い若い。足りない所なんかあって当たり前だと思うがね。……確かにアルは大した奴だがそれだって完璧と言う訳じゃない。欠点だって多い。気が付いている所もあれば気が付いていない所もあるだろうよ」

 そう、欠点だとビンスが勝手に思っているのは、深部を目指すパーティーを構成出来る冒険者の人数の少なさ、陣容の薄さだ。それを自分が補完してやれば良い。自分がそれを出来るのであれば立派に殺戮者スローターズに貢献していることになる。

「それも間違ってないし、正直有り難いと思う。でも、それじゃ踏み台になるだけだ。それでいいのか?」

 そんな事言われる前から解っている。元よりその踏み台になるつもりであるのだ。

「お前さんの気持ちは解ったからそんな目をするな。これはアルの受け売りだが、後になって後悔するようなことさえしなきゃ良いだろう。好きにしたらいい。誰も責めたりはしないし、むしろ有り難がるだろうからな」

 笑いながらそう言ってお茶を飲むゼノムは、目まで笑ってはいなかったようにその時のビンスには思えた。

(後になって後悔するようなことさえしなきゃ……か)

 いつの間にか太陽は既に中天を通りすぎていたようだ。

 ここに来るまでに購入した焼き肉を挟んだガレットを頬張りながらビンスはまた茫洋とした思索の海に泳ぎだしていた。

 ふと気づくと知っている顔が街からこちらに向かって歩いてきたのに気がついた。

(ん? あれはラルか。相変わらず面倒臭そうな顔つきをしているな)

 少し苦笑いを浮かべるとビンスは手を振ってラルの注意を引いた。

「あら、聞いてたけど寝てないのね。上に行くついでに起こしてあげようと思ってたのに」

「うん、なんか眠れなくてね」

「そりゃまぁ、こんだけ明るけりゃね……あ、そうだ。お父さんから聞いたんだけど、ビンスさんは義理堅いんだね。でも助かるのは本当。ありがとうございます、でいいのかな?」

 ラルはそう言って首をかしげた。

「ぷっ。お礼が欲しくてやってるんじゃない。俺の勝手な行動だ。気にしないでくれ」

「ん……そう。でも、この際だからはっきり言っておくよ。その気持は単純に嬉しいし、有り難いけど、私達はもう誰もあの時のことなんか気にしてないよ。……ああ、アルは金の亡者だし覚えてるかも知んないけどさ」

 あんまりな言い草にビンスはまた少し吹き出すが、きちんと返事を口にする。

「いいんだ。俺がそうしたいと思ってるだけだし」

 ビンスの右手はいつの間にか胸元の小袋を握っていた。

(お前もそう思ってくれるよな……)

「そう、ならいいけど。でも、妹さんはそれでいいと思ってるのかな?」

 ラルの言葉にビンスは嫌な気持ちを表に出さないように少し苦労をしたが眉が少し跳ね上がった。幾ら恩人の一人でもユリエールの気持ちまで忖度そんたくされたくはない。

(妹のことは俺が一番知っている。彼女は受けた恩は決して忘れないタイプだ。俺もそうだ)

「ああ、ごめんごめん。そんなつもりじゃないんだ。でも、もし私が妹さんだったらちょっと悲しいと思う」

 悲しいと言う意外な言葉にビンスは反応した。

「悲しい?」

「うん。だってそうじゃん。こう言っちゃなんだけどさ。怒らないで聞いて欲しいんだけど、あの時私達がビンスさんのところに行かなかったら、どうなってたと思う?」

「……自力で六層を抜けるのはな……ユリエールの魔石を持って移動したとしてもまたあの罠に掛かってどこかに飛ばされたか、魔物にやられたか……餓死、だろうな。だから彼女の遺体まで運んでくれたばかりか俺まで助けてくれて本当に感謝してるんだ」

 少し苦い表情を浮かべながらビンスはラルから目線を外して言った。

「うん、感謝は嬉しいよ。でも、私が妹さんなら自分のことでお兄さんが感謝の気持に縛られるってのは嬉しいけど悲しいと思う。それにさ、さっきああは言ったけどアルも皆ももう本当に気にしてないと思うよ。それならもっと頑張ってアルの戦力になって欲しい。そうすれば目的も早く達成出来るし、皆いい暮らしが出来ると思うし……貴族にだってなれるかも」

「は? 目的? 貴族?」

「あっ……今の無し、忘れて! って無理か。秘密ってことで、一つ」

 ラルは顔の前で両手のひらを合わせながら頭を下げるという妙なポーズをしてきた。

「え?」

「私もお父さんもビンスさんの話は誰にも言わないし!」

 ビンスは苦笑を浮かべながらも言わねばなるまいと思って口を開く。

「いいさ、別に言わないよ。約束する。でも、ラルは口が軽いってことは覚えとくよ」

「うひー、それは言わないでっ! 分かってるの! 自分でも! でもビンスさんのことは言わない。口が裂けても言わないからっ!」

 ラルは土下座せんばかりの勢いでビンスに懇願した。

「うん、約束するって。大丈夫、絶対に言わないよ。これでも口は固い方だ。それに……ラルに言われて少し気が楽になったことも確かだ。それには感謝するよ。あ、勿論これは今の話での個人的な気持ちだよ」

「え、へへ……そう? ありがと……」

「ラルも持ち場に行った方がいいぞ」

「うん、もう行く。じゃね」

 坂を登って行くラルの後ろ姿を見ながらビンスはまた腰を下ろした。

(ユリエールがどう思うって、俺は彼女なら恩を返すとばっかり思ってた。自分に出来る形でどうやったらって……。それはいい。でも……)

 再び沈思黙考するビンス。

 暫くして坂の上の方から荒い息を吐きながらジンジャーが走ってくる。汗を光らせながら真剣に前を見つめ、ビンスのことなど視界に入らないとでも言うかのように、道の先にだけ集中している顔だった。

(ジンジャーさんか……彼女もハルクさんを喪ってどう思っているんだろう? 事情を知れば許せない気持ちも強い。でも彼女は……あの顔を見れば解るな。殺戮者スローターズへの恩返しや元日光(サン・レイ)の皆への気持ちもあるんだろうけど……彼女は俺以上に複雑な立場だった……)

「ジンジャーさん! 頑張れっ!」

 気が付くとビンスは真剣な声でジンジャーに声援を送っていた。
 ビンスはちらりとこちらを見たジンジャーが少し笑って頷いた気がした。

(明日から、いや、これが終わった今日からでも走ろう!)

 
ラルファ……だめな子。
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