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第二次世界大戦のトゥーレ海軍

作者:吉野水月
「君の艦~星の彼方に」に登場するトゥーレ海軍の設定などです。
 北欧の島国、トゥーレはヴァイキングを始祖に持つだけあり、昔から海軍国であった。ガレオン船を連ねて三十年戦争に介入する他、ナポレオン戦争の際はイギリスと共に北海を封鎖するなど様々な歴史を持つ。産業革命後も規模は縮小するもののユニークな海軍を作り上げていた。クリミア、日露戦争の直前におきた北海戦争ではロシア、直接的な交戦はほとんどなかったものの第一次世界大戦ではドイツとの海戦を経験している。そんなトゥーレ海軍だが、第一次世界大戦前からの構造的不況のせいもあり、ソ連の脅威があったものの、海軍は不調であった。そんなトゥーレ海軍に新風を吹き込んだのはドイツだった。正にドイツの軍事援助がトゥーレ海軍を再生したと言ってよい。本稿では枢軸の一角として戦ったトゥーレ海軍を取り上げたい。

外洋艦隊

 トゥーレ海軍は第一次世界大戦前の1910年、海軍を外洋艦隊と沿岸艦隊の二つに分割することに決定した。露骨に予算対策だった。戦列艦……大型艦を運用する予算がなかった点が大きい。錆びた前ド級戦艦数隻が港湾に浮かんでいるという状況が長く続く。沿岸艦隊はイタリアから輸入した魚雷艇や国産の砲艦などそれなりだったが、外洋艦隊主力は中古の巡洋艦1隻と訓練用の帆船2隻という有様だった。しかし、ソ連による間接侵略の企てもあり、ソ連の脅威を肌で感じるようになると海軍は大拡張を決断する。当初はイギリス、フランスに支援を要請するがけんもほろろに扱われた。ノルウェーとの関係に気を使ったものとされる。そこに政権を奪取したヒトラーのドイツ海軍が気前のいい援助を申し出た。シャルンホルスト級戦艦三番艦さえ含む、艦艇、航空機の大盤振る舞いだった。トゥーレにとって正に渡りに船だった。

外洋戦列艦〈シグルーン〉
 戦艦のことをトゥーレでは古めかしく戦列艦と呼んでいる。それに外洋を示す語をつけているため、外洋戦列艦とでも訳せる名称となっている。しかし、そもそも戦列艦が外洋で行動することを考えれば、おかしな名称ともいえないこともない。ただ、沿岸艦隊はいわゆる砲艦を沿岸戦列艦と呼び習わしていることから、大型の砲を積んだ艦艇はとりあえず昔の栄光を呼び起こす戦列艦という名称を使っているのだろう。
 第二次世界大戦においてトゥーレ王国海軍が建造、運用したのは、シャルンホルスト級の〈シグルーン〉ただ一隻である。ドイツで建造された本艦はもともとシャルンホルスト級の三番艦、〈デアフリンガー〉であった。ヒトラーはシャルンホルスト級では火力不足と判断し、次級のビスマルク級の建造を進める腹積もりだった。
 進水時に〈シグルーン〉と命名し、28cm砲砲塔を搭載した時点でトゥーレ海軍に引き渡される。儀装はトゥーレに到着した後に行われた。と言ってもほとんどが技術移転された工廠で製造されたドイツ製の武装、機器が取り付けられた。そのため、ドイツのシャルンホルストとグナイゼナウの姉妹艦と変わったところは、ほとんどない。大きく異なるのは艦首の仰々しいヴァルキリー像の他、対水雷艇用の15cm単装砲四基を全廃し、10.5cm連装広角砲を四基追加した他、対空兵装を増強した点だろう。そのため、10.5cm連装広角砲が全11基という対空火力を誇る。この火力により何度となくイギリスやソ連の雷爆撃機を撃退している。水雷艇に襲撃されたことは一度もないため、慧眼というべきか。
 完成した〈シグルーン〉は直ちにトゥーレ海軍総旗艦の任に着く。そして1939年、ドイツ艦隊を迎えたトゥーレ建国記念観艦式において堂々の姿を見せる。ソ連はもとより漁業紛争のあったノルウェーも震撼させた。
 第二次世界大戦がはじまるとトゥーレはドイツと共にイギリス、フランスに宣戦、〈シグルーン〉をはじめとしたトゥーレ海軍は勇躍、北海へと乗り出した。ノルウェー占領ではドイツ海軍と共に弱体のノルウェー艦隊を蹴散らす。〈シグルーン〉の28cm主砲と15cm副砲は射的のようにノルウェーの海防艦や駆逐艦を撃沈したという。救援にきたイギリス本国艦隊も、駐留ドイツ空軍と共に海軍航空艦隊が打撃を与える。〈シグルーン〉も損傷したイギリス巡洋艦〈シャーウッド〉を撃沈した。
 〈シグルーン〉は姉妹艦のシャルンホルスト、グナイゼナウやポケット戦艦のように大西洋での通商破壊には加わらなかった。ドイツ海軍とヒトラーは再三、作戦参加の要請をしたのだが、トゥーレ海軍は虎の子を本国海域から離れた大西洋に送り込むことを嫌ったのだろう。
 その後、〈シグルーン〉は北海やバルト海でヒット・エンド・ラン的な作戦を繰り返した。特にレニングラードやはるばるグリーンランドまで砲撃した。最大の戦果は援ソ船団の襲撃だろう。実際に船団を撃沈したことはないが、〈シグルーン〉が出撃したという報だけで、船団は混乱に陥り、分散して逃走するところをトゥーレとドイツの航空隊に撃沈破された。
 しかし、大戦後半にもなると燃料不足に悩まされ出撃を控えるようになる。〈シグルーン〉はイギリスやソ連の爆撃機による攻撃を受けるようになるが幸運にも損傷は少なかった。複雑なフィヨルドの隘路に隠れ、対空陣地、防潜網に守られ敗戦までのときを過ごすことになる。
 〈シグルーン〉は戦後、戦利艦としてイギリスに接収されるが結局、イギリス本土に送られることはなく、トゥーレに買い戻され、博物館として公開される平穏な第二の人生を送ることになった。だが、隠遁生活は長く続かず、トゥーレに共産党政権が出来た年に解体されることが決定された。社会主義、共産主義政党はどこの国も同じで、自国の歴史や軍隊にまつわるものを抹殺したがるようである。しかし、解体作業のため曳航される前日に事故により沈没したという。破壊工作の疑いもある。
 今、〈シグルーン〉が残ってさえいれば、旧ソ連の桎梏から解き放たれた北欧の繁栄した島国と知られるトゥーレ観光の目玉の一つとなったであろう。シャルンホルスト級の生きた姿を止めていただけに全く残念なことである。兵器は、歴史に興味のない反戦平和主義者のいう、ただの「人殺しの道具」ではなく技術的文化遺産ともいえるのではないか。

〈スッケゴルド〉級海防戦列艦〈スッケゴルド〉〈スカルモルド〉
 ロシアとの小競り合いである北海戦争で活躍した4隻中、2隻の外洋戦列艦を近代化して1940年代まで現役として維持した艦だった。〈スッケゴルド〉級は、イタリアのレジーナ・マルゲリータ級の設計図を購入、建造された。建造は当のイタリア海軍より早く、40口径30.5cm砲を中心とした重武装は当時最強クラスだった。しかし、重武装に反し、いささか装甲が薄く防御に不安があった。
 ユニークではあるものの地中海限定海軍であるイタリアから、わざわざ設計図を仕入れ、設計技師を雇い、造船所まで新設して戦艦を建造する必要があったのか、という疑問は当然ある。推測だが、イギリスよりも安く済んだのではないか。さらに過去、同盟国であったとはいえ隣国ともいえるイギリスを過度に警戒したことも考えられる。親英感情も強い一方反英感情も決して弱くないという微妙な国民感情があった。また、当時、イタリアは独創的な艦艇を建造し、ドレッドノート級も元はイタリアの設計といえるものだった。海軍大国とは到底言えないながら、艦艇設計先進国ではあったのだ。いずれにせよ、トゥーレは多数のイタリア設計の艦艇を採用していくことになる。
 鈍足、軽装甲の海防戦列艦は、ノルウェー侵攻に上陸支援の浮き砲台として使用された他は、ほとんど活躍できすに港に係留されているだけだった。末期には沿岸艦隊に編入され防空砲艦として多数の10.5cm、もしくは8.8cm高射砲を装備し、ハリネズミのような姿となった。敗戦後は2隻ともノルウェーに売却され解体された。

F級巡洋艦〈フェンリル〉〈フレスベルク〉
 イタリアのトレント級の設計図を仕入れて建造された。条約型巡洋艦ではあるが、排水量を超過していた。ただ、トゥーレはそもそもワシントン及びロンドン海軍軍縮条約に参加していないのだが……
 20.5cm砲連装4基の主武装と35ノットの高速を誇り、〈シグルーン〉を守り度々出撃した。また、対空能力が高くドイツ製のコピーである10.5cm連装高角砲8基を中心として対空機関砲などが増設された。艦首の固定式カタパルトは廃止され、艦尾に移された。水上機も3機から2機へと減らされている。北海の悪天候では水上機など大して役に立たないということなのだろうか。
 2隻とも取り立てて戦果は無く〈フェンリル〉は1944年5月にイギリス潜水艦により撃沈、〈フレスベルク〉も1945年1月に港湾部でランカスターのダムバスター爆弾により大破着底、戦後解体された。

 ラインゴールド級駆逐艦〈ラインゴールド〉〈ローエングリン〉〈リエンツィ〉〈マイスタージンガー〉〈トリスタン〉〈イゾルデ〉〈タンホイザー〉〈パルジファル〉
 イタリアのソルダティ級駆逐艦を国産化した駆逐艦。主砲が12cm連装砲×2基の第1グループに準ずる設計だった。海軍大拡張計画の要でありドイツの資金援助もあり急ピッチで建造された。〈シグルーン〉やF級巡洋艦の護衛として度々出撃する。38ノット(!)の快速を活かしてヒット・エンド・ラン戦法に徹した。 しかし、やはりそこはイタリアの設計であり、北海の荒波にはいささか軟であったようだ。事故で〈トリスタン〉が沈没している他、1944年8月にアイスランド沖で遭遇したイギリス本国艦隊に果敢に戦闘を挑んだものの、〈リエンツィ〉〈ラインゴールド〉〈タンホイザー〉を撃沈されている。イギリス側の損害は皆無だった。戦後は4隻とも賠償艦としてソ連に引き渡された。
 それにしてもイタリア設計の国産艦なのに、ドイツの資金援助と急接近の証なのか艦名を全部ワーグナーの歌劇からとっているのは、なんというか、調子に乗り過ぎではなかったか。

潜水艦
 Uボートは戦前にⅦA型が6隻、第一次にⅦB型が4隻、そして第二次には機雷敷設型のX型2隻と旧式のI型2隻も供与され、第三次はⅦC型が10隻、最終的には24隻にまでふくれあがった。ドイツ人顧問団によって技術や戦術を教導されたUボート部隊は、援ソ船団をしばしば襲撃し、成功を収めた。少なくとも200隻前後はトゥーレのUボートによって沈められたという。
 またイタリアのR級輸送潜水艦を国産化し、4隻の建造が計画されたが、〈スレイブニル〉1隻のみの建造で終わった。連合軍の封鎖を掻い潜って資源を輸入しようとしたらしい。これにはもう一つ面白い話がある。戦争末期、最早資源の輸入もおぼつかなくなったトゥーレ海軍は乾坤一擲、アラドの水上機を分解して積み込み遥々パナマ運河を爆撃せんとしたという。まるで我が日本のイ401のようだ。追い詰められるとどこも考えることは同じようである。また、独自の設計で我が国の甲標的丁型に似た泊地防衛用のミゼットサブマリンが設計されたらしい。

沿岸艦隊

 沿岸防衛用の艦隊とされているが沿岸要塞や沿岸防衛師団2個も含まれており、広く沿岸防衛軍ともとれる編成となっていたようだ。

砲艦〈シグルド〉級
 15cm砲4門を装備しており、火力だけならまあまあの国産の砲艦〈シグルド〉級10隻を沿岸戦列艦と呼び習わしていた。〈シグルド〉級は一般公開などで国民に親しまれており戦前は最新鋭の〈シグルーン〉より有名だったという。砲艦〈シグルド〉級は2隻が触雷により沈没、5隻は終戦後、戦利艦としてソ連やイギリスに分配されスクラップにされた。残り3隻は1950年代まで使用されたという。

魚雷艇〈3型〉
 旧式のイタリア製だったが、大戦前にはドイツからの援助で最新鋭の水雷艇をライセンス生産し更新した。いわゆるS38グループをドイツより早く30隻程度保有している。どういうわけか水雷艇は水雷艇であり、区分をほとんど設けられていない。艇名もなく、ただ、1号などと呼ばれていた。大型艦を襲い撃沈するという当初の目的は果たせず、イギリスの魚雷艇と時折、戦闘を繰り広げる程度であった。
 他に、ノルウェーとの小競り合いに備え武装トロール船などを多く保有していた。

海軍航空艦隊 

 海軍航空艦隊は当初、少数の戦闘機を保有していただけだったが、ドイツ軍が大いに梃入れした。Ar196、He115などの水上機の他、Me109戦闘機各種が供与された。
 また、もともとトゥーレ空軍は邀撃戦闘機一点張りだったため、海軍は雷爆撃機の戦隊が多数誕生した。Ju88の他、FW200などの長距離哨戒爆撃機など援ソ船団を脅かした。しかし、海軍航空艦隊の期待はドイツ人軍事顧問団が整備操縦していた場合も多かったようである。1個戦隊まるまるドイツ人が運用しマーキングだけがトゥーレ軍だったというケースもある。
 珍しいところでは、大型機なのに急行爆撃能力を無理矢理もたされ、双発機の形をした四発機として有名なHe177を数機運用していた。ムルマンスクを報復爆撃したこともあるという。

計画艦艇    
 トゥーレ海軍は計画だけならかなりの案をいくつも持っていた。まず、第一次世界大戦の末期、当時世界最大の巡洋戦艦であるフッド級の建造をイギリスに発注しようとした。だが、一次大戦後の軍艦建造キャンセルが相次いだ状況の中、イギリスにとっては格安だったがトゥーレにとっては高値すぎたようで、予算不足で頓挫した。また、その後もなんとかイギリスのクイーン・エリザベス級など、中古の戦艦を買おうとジタバタしたが、うまくはいかなかった。トゥーレはイギリスにとっては、足元を見て値切りたがるよくない客だった。
 その後、ドイツのポケット戦艦、ドイッチュラント級に影響を受けたのか、イタリアに装甲艦を発注しようとして、また価格で折り合わず失敗している、その後、ソ連新戦艦への対抗のため、ヴィットリオ・ヴェネト級を自国で建造しようとして設計図を購入したが、完成はなんと1945年の予定だった。しかし、シャルンホルスト級の譲渡が成立したため、廃案となった。
 また、どういうわけか日本の艦艇にも食指を伸ばしている。条約型巡洋艦である重巡洋艦高雄級の購入を検討しており、これには日本も多少乗り気だったようである。また国産空母建造のため蒼龍級の設計図を売却してほしいと持ちかけたこともあるという。こちらは難色を示された。トゥーレ海軍は小国海軍としてはかなりの企図を持っていた。無駄に稀有壮大ともいえるが。

 トゥーレはソ連に対する警戒のあまり、早々にイギリスやフランスに見切りをつけ、ドイツに傾斜しすぎた結果、第二次世界大戦を枢軸側としてソ連は無論のこと、イギリス、アメリカと戦わねばならなくなってしまった。ナチスドイツも巧妙で、ソ連と共にイギリスを牽制する駒として使えるわけで、おべっかと援助を惜しまなかった。多数の兵器を供与、軍事顧問団による指導の結果、トゥーレはミニドイツ海空軍となった。
 政治的にも辛うじて議会制民主主義の国だったものの、1941年となるとトゥーレ国家統一主義民衆党……平たく言えばトゥーレのナチス、ファシスト党の支配の下におかれることになった。このトゥーレ国家統一主義民衆党はなんとドイツ在住のトゥーレ人によって組織され、ヒムラーの親衛隊が後援、というより操っていた。オカルト好きのヒムラーのトゥーレへの入れ込みようは普通ではなかったという。まあ、ナチス党幹部の出身が反ユダヤ民族主義団体のトゥーレ協会なので無理もないのだが。
 最もトゥーレ人にアピールしたのは文化芸術面であろう。金髪碧眼が多いトゥーレ人は「始祖アーリヤ人」「純粋ゲルマン民族」「我が祖先の血を分けた兄弟」とゲッペルスの宣伝省におだて上げられ、すっかりドイツびいきになった。また、ヒトラー肝いりでバイロイト音楽祭を遥かに上回る「リヒャルト・ワーグナー大音楽祭」を1937年に開催、世界中からワーグナー・ファンを集め、大いにトゥーレの名を高めた。ヒトラーさえ馬鹿らしいと評したアーリヤ人をアトランティスの末裔として礼賛するローゼンベルク著の「20世紀の神話」がトゥーレでは大ベストラーになったという。
 トゥーレはドイツの宣伝戦略にしてやられた。結局、トゥーレはナチスドイツに乗っ取られた国になったのであり、トゥーレ海軍もドイツ海軍の「支店」で滅びを迎えたのである。タダ(の軍事支援)より高いものは無い、とはこのことではないだろうか。
私にとって架空国家、軍の設定をうぞうぞ書き連ねることほど気楽で面白い書き物はありません! 
機会があったらまたやってみたいですねー。
 

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