26:とある兵士の話
「糞! 一体何が起こってるんだ!」
叫んでもしょうがないとは分かっている。でも叫ばずには居られなかった。
それはとある昼下がりのこと。行方不明になったと聞かされた伯爵様が無事戻った。そこまではよかった。その後、伯爵様より報奨を授かるということで、兵士達は皆我先にと庭に集まっていた。
「しかし、なんでまた急に報奨なんてくれる気になったんだろうな」
「さぁな。それよりお前、前回の狩りで亜人のガキ仕留めてたじゃねえか。特別に何か貰えるかもしれねえな。貰えたらなんか奢れよ」
「なんで奢らないといけないんだよ」
あの時は、まさかこんなことになるなんて思いもせずに、仲間達とそんな軽口を叩きあっていた。
しばらくすると伯爵様が現れた。
「皆のものご苦労。準備をするのでしばらくそこで待つように」
そう言うと足早に門の方へと歩いていった。準備とはなんだ? 金を取りに行くなら門の方へ行くのはおかしい。娼婦でも雇ったのだろうか。思えばあの時、感じた違和感に気づくべきだった。だが気づいたときには遅かった。最初に気づいたのは誰だったか。
「おい、あれなんだ?」
伯爵様が去ってからしばらくすると、門の方からなにか巨大なモノが飛んで来た。見た目的にはただの蜂の一種のように見える。ハンターの依頼として蜂蜜の採取をしたこともあるからわかる。しかし、あのような巨大なモノはみたことがない。しかも蜂だけではない。多種多様な魔物と思しきものがこちらに向かってくる。
「魔物だ!」
誰かがそう叫んだのが先か、最初の一人が殺されたのが先か。凄まじい速度で飛翔した蜂に、一番門に近かった男が針で腹部を刺された。体が大きいだけに針の大きさも凄まじい。その証拠に針は刺された男の体を貫通してしまい、刺された男は体に大きな穴を開けている。腹に穴が開き、血を吐きながら男は倒れた。蜂は倒れた男に見向きもせずに地面に降り立ち、そのまま歩きながら、周りの兵士を食い散らかし始めた。
食い散らかすというのは語弊があるかもしれない。ハサミのような顎で人をまっぷたつに切断する。ただそれを延々と作業のように繰り返しているので、食べているわけではない。まるで人が庭を剪定しているかのように、ただ邪魔な枝を切っているだけのような、そんな単純作業ともとれる動作だ。ただ邪魔だから切っている。あの魔物にとって、俺達はそんな存在なのだろう。
「一体どうなってるんだ!!」
怒号が響きわたる中、俺はその場から逃げ出していた。最初の蜂に対して剣を振るったやつを見たからだ。蜂は強力なフィールドを張っているようで、剣等、どこ吹く風という感じで、何事もなかったかのように人を殺しまわっていた。あんな強力なフィールドを持つ魔物なんて相手にして居られるか! あんなやつ相手にしてたら命がいくつあって足りやしねえ。
俺は絶対に勝てる闘いしかしない。ハンターの依頼を受けていた頃からずっとそうだった。どんな弱い奴が相手でも、必ず何人かで同時に相手をしていた。じわじわと嬲り殺しにするのが特に好きだった。伯爵様の私兵になったのだって、亜人相手に同じようなことができるからというのが大きい。逃げるガキを追い詰めて殺す、そしておとがめがあるどころか奨励される。そんな職場はどこ探してもここくらいだろう。俺にとってはまさに理想の職場だ。
しかしそれがなんでこんなことになっているんだ! 魔物は伯爵様の消えた方向から現れた。まさか伯爵様が? いや、そんなことをする理由もなければ、こんな魔物たちを捕まえて放つなんてマネは到底できるものではない。おそらく銀クラスを超えているであろう魔物を大量に捕獲するなんて、どんな難易度の依頼だ。しかも放った後に、自分が襲われる可能性が高い。おそらくそれはないだろう。とするとこれは一体どういうことなんだ……考えても全くわからない。
必死に逃げているが、頭だけは冷静に思考を続けていた。考えるのをやめたら、たとえこの魔物の襲撃を逃げ切ったとしても、その先の対処ができないからだ。逃げ切った先に伯爵様が待ち構えていて殺されるなんてことはごめんだ。だからあらゆることは考えておかないといけない。俺と何人かは一足先に逃げ出したおかげが、魔物に襲われることなく屋敷の塀のところまでたどり着いた。これを乗り越えることができるだろうか……
「おいっ! 足場を作れ! 上に上がったら引き上げる」
一緒に逃げていた男の一人が言う。誰だって自分が先に逃げたい。他人の足場なんてやってられないだろう。しかし、ここでグダグダといい争いをしていたら逃げられる者も逃げられなくなる。それが分かっているせいかすんなりと指示にしたがった。下で2人で手を組み、そいつを上に押し上げる。そいつが塀の上に乗った時、これで逃げられる。そんな安心感がたしかにあった。そいつが振り向くまでは。
塀の上に上がった男が振り向くと同時に、巨大な何かが飛翔して男を捕獲した。複数の足でがっしりと男を掴み、そのままシャクッという音と共に、男の頭だけをきれいに食べた。頭のなくなった体から凄まじい血が吹き出している。一瞬何が起こったのかわからなかったが、だれかの悲鳴にも似た声ですぐに気を取り直した。幸いその魔物は一心不乱に捕まえた男を食べている。今のうちに逃げないと! 俺はすぐに逃げ出したが、遮るものがないこの場所で、なぜか俺は薄暗い影の中に入った。
頭上を見ると巨大な何かが、今にも俺の上にのしかかろうとしているところだった。
「うわあああああ!!」
俺は柄にもなく悲鳴を上げて逃げようとするが、すぐに鎌のような手、らしきものに捕まってしまった。ガッチリとつかまれ身動きが取れない。
「糞っ!! 離せ!」
叫ぶが魔物に話など通じるはずも無い。為す術もなく俺は口と思われる針のようなモノを腹に突き刺された。
「ぐあっ!」
傷口から燃えるような痛みを感じる。腹は刺されたとしても中々死なない。こいつにそんな知恵があるとは思えないが、このままではジワジワと嬲り殺しにされてしまう。幸いにも初撃での致命傷は避けられたようだ。俺にもまだツキがある。ここはなんとかして逃げ延びねば……
しかし、思いとは裏腹に魔物による捕縛は強力で全く身動きがとれない。捕まった拍子に剣も落としてしまった。全く為す術がない。それにしてもこの魔物は針を刺したまま全く動かないが一体どうしたのか? あの蜂のように食い散らかしたりしないのか? こいつが何を考えてるのか知らないが時間があるならまだ逃げるチャンスはあるはずだ。なんとかしてこいつを振りほどかなくては……
わずかながら希望が見えてきたと感じ、気力が戻ってきたその時、ジュルジュルと何かを吸う音が聞こえてきた。
「なんの音だ?」
疑問はすぐに解消された。俺を捕まえているこいつが俺の体から何かを吸っていた。
「こいつ!? 離せ!!」
必死に振りほどこうとするが全く動かない。まずい。あの蜂と違ってこいつは殺すためじゃなく、完全に食事のつもりで俺を捕らえている!
「だ、誰か!! 助けてくれ!」
必死に助けを呼ぶが、助け等くるはずもなかった。皆、自分が生き残るのに必死なのだ。他人を心配している余裕のあるやつなどここにはいない。俺は身動きすらできず、ここでこんなやつの食事にされちまうってのか。そんな死にかたは嫌だ!
「頼む! 誰か……誰か助けてくれ――――――――」
俺の生涯で、おそらく一番の大きさであろう叫び声は、屋敷の庭で起こっている阿鼻叫喚の地獄の喧騒へと消えていった。
あれからどれくらいの時間が過ぎ去ったのだろう。俺は目の前で殺されていく仲間達を見ながら自身の終わりをただ待っていた。少しづつ体の中を溶かされ、吸われていく。こんな地獄があっていいのだろうか。最初はあまり感じなかった痛みも徐々に増して行き、気がつくと凄まじいまでの激痛になっていた。この定期的に襲ってくる激痛のため、意識を失うことすらできない。自分が体の中から食われていくのを、ただじっと見させられている。嫌だ! こんな死にかたは嫌だ! むしろ最初の蜂に殺されたほうがまだマシだ! 頼む、誰か俺を殺してくれ!
声を上げることもできないほど気力も体力も失った俺は、ただそう考えるだけの肉でしかなかった。うっすらとした意識の中、目に映ったのは、つい先日俺が殺した亜人のガキだった。俺を見て嬉しそうに笑っているその姿を見ながら俺は静かに瞳を閉じた。
虫達が消え去った後、その場に残されていたのは、元が人であったとは到底思えない皮と骨、そして衣服だけだった。
話が進んでない?気のせいですよ。