改造人間2号
コメディです。
怒られるくらいにコメディです。
笑っていただければ幸いです。
彼は絶望していた。
自らの人生に、運のない境遇に、冷ややかな環境に、この世の全てに。
何もかもが嫌になって、生まれて初めて会社を無断欠勤した朝に、彼は押し付けられたように取らされている新聞の折込チラシに目を留める。ザラザラの粗末な黄色い紙に黒い文字だけが細々と並んでいるという、別の意味で目立つチラシだった。
文頭には一際大きな文字で、怪人急募と書いてあった。
時給は700円だった。
地域密着を売りにしていた。
明るく前向きな職場ですと記されていた。
最後は、あなたの決断に世の中の行く末がかかっていますという言葉で締めくくられていた。
普段なら読むどころか見ることなくゴミ箱にでも投入するようなチラシを手に取り、彼は真剣に読み耽った。端から端まで綺麗に三度読み返してから、天井を見上げて呟きを漏らす。
「そうだ。怪人になろう」
こうして彼は、京都へ小旅行でもするみたいなノリで、秘密結社『ゴゴティー』の怪人となったのである。
改造人間2号――コードネーム『タナカさん』となった彼は、充実した毎日を送るようになった。それまでの、右から来た書類を左に流すような仕事ではなく、自分の中にある願望が叶えられていく実感があるような、具体的で変化に富んだ仕事であったからだ。
ある時は、青少年の害となるカップルにかんしゃく玉をぶつけて制裁を加えた。
ある時は、猫避けのペットボトルで水を撒き、地球温暖化に待ったをかけた。
ある時は、ニートの居る家を狙って光ファイバーケーブルを切断した。
ある時は、無防備に干してある小さな下着の代わりに、セキュリティを警告するチラシを下げておいたりした。
どれもこれも、今までの彼が想像もしなかったような世直し術ばかりである。目からウロコとはまさしくこういうことかと、タナカさんは意気揚々と仕事に励む日々を送った。時給700円は少し安いように感じていたものの、仕事の楽しさから文句を口にすることはなく、他の誰よりも精力的に働いた。
気付けば彼は、現場を指揮する立場となっており、部長と呼ばれる地位に納まっていた。時給は相変わらず700円だったが、今の生活には十分な満足感を得ていた。
しかし、昼寝に適した春が終わればジリジリと皮膚を焼く夏が訪れるように、実りに溢れた秋が終われば白い悪魔を引き連れた冬が訪れるように、順風がいつまでも吹き続ける道理はない。良くも悪くも、変化というのは必ず訪れるものだ。
ある日、すぐに吠えたり噛み付いたりする犬を飼っている家の門に『馬鹿犬注意』の張り紙をしていた時のことである。これまでは存在していなかった、明確な妨害者が出現したのだ。もちろん、これまでにも冷めた眼差しで溜め息を吐かれたり、口汚く罵られたり、悪辣な宗教団体と混同されて揶揄されたりと、決して世間の人々から温かな理解を得られたワケではない。しかしそれでも、彼らの正義を真っ向から否定してくる輩など皆無であった。
というか、誰もこんなイカれた連中を真剣に相手してあげようという暇人がいなかっただけなのだが。
そんな村八分状態のゴゴティーに、とうとう遊び相手が見付かったのである。
「貴様、何奴っ!」
太陽を背にするシルエットに、タナカさんは吠えた。
「我が名はアインジャスティス、そこまでだ、ゴゴティーの怪人め!」
律儀に答えるアインジャスティスが、屋根瓦を鳴らして跳ね上がり、己の身軽さを誇示するように回転してから、住宅街の閑散としたアスファルトに下り立つ。全身を金属めいた鎧のようなものに覆われてはいるが、その動きは軽快かつ柔軟だ。見た目は最近の仮面ライダーと懐かしい宇宙刑事を足して二で割ったような印象とでも言おうか、住宅街という舞台を考えれば間違いなく異様ではあったものの、同時になかなか格好良いデザインであった。
ちなみに一方のタナカさんはというと、頭から角っぽい何かが生えている以外、生身の状態と大して変わらなかった。近眼だったし出っ歯だったしなで肩だったし、服は自前のスーツだった。改造人間とか言われたので、少しは格好良くなるのではないかと思っていただけに、鏡を見てガックリと肩を落としたほどだ。
そんなタナカさんだったので、口にこそしていなかったものの、少し羨ましいと思ったことは事実である。
そして、それが故に二人の溝は決定的になったとも言えるだろう。
「フン、たった一人で何が出来る。お前達、あの身の程知らずに世間の厳しさを教えてやるのだ!」
「ティー!」
戦闘員は『ティー』しかしゃべれない。伝統である。
「我が『正義』の名に懸けて、負けはせんっ」
戦いの火蓋は、切って落とされた。そして、初めての一戦は刹那と称すべき時間で終焉を迎える。もちろん、アインジャスティスの圧倒的な勝利によってだ。
そしてタナカさんは知ることとなる。
自らの境遇が、決して恵まれてなどいないことを。
アインジャスティスは、株式会社セイギに所属している改造人間である。株価も安定しており、資金調達に滞ることはまずない。支持者も幅広く、知名度も高かった。言うなれば、全国展開しているフランチャイズな正義の味方である。ちなみにゴゴティーは合名会社であり、資金力もなければ知名度も低い。例えるなら、商店街の八百屋が大型スーパーに挑むようなものだ。勝負になろうハズもない。
ちなみにセイギが、派手な上に胡散臭い正義を実現しようという大義名分を掲げて起業したのに対し、ゴゴティーは社長の個人的な恨みによって立ち上がっている。何でもゴゴティーが『午後○紅茶』であることを知らなかったために大恥をかいたらしいのだが、その辺りの経緯は会社内でのタブーとされていた。
いずれにしても、その始まりからして雲泥の差だ。
とはいえ、これまでは両者に接点らしい接点はなかった。片や怪人を使って世間に嫌がらせをする小物集団、もう一方は大規模な正義を掲げて草の根的に知名度と企業広告を触れ回るエセ正義団体である。仮に異種格闘技戦であったとしても、自称拳法家vs詐欺師団体のリーダーみたいなカードでは客だって入らない。
ところが、セイギの社長が地方で活躍している怪人に目を付けたのである。それが当時ゴゴティーで不本意ながら怪人をしていた改造人間1号――コードネーム『ヒルマさん』だった。
怪人を作る技術などなかったセイギだが、金だけは持っていた。そこで、当時時給680円で働かされていた彼に接触し、時給720円で引き抜いたのである。もちろん正義の味方であるからには見た目が大切だろうということで装甲のデザインにこだわり、資本力を使って専用武器の開発に力を注いだ。防衛関係のコネクションが存在したのも、この場合は有利に働いたと言えるだろう。
こうして怪人『ヒルマさん』は、正義の改造人間『アインジャスティス』へと生まれ変わったのである。
「博士、オレは奴が、あのアインとかいう正義面したバイオレンス野郎が憎いです。あんな奴をのさばらせちゃいけないっ」
硬いベッドの上で目を覚ましたタナカさんが、アインジャスティスの経歴を聞いて熱い思いを口にした。彼が特に許せなかったのは、自分より時給が20円も高いことだ。
「うむ、よくぞ言った。あのような裏切り者を許しては、我が社の権威にも傷が付く。是非ともキミの手で葬ってやるのだ」
「そもそも何なんですか、あのふざけた名前は。アインとジャスティスとか、フランス語なのか英語なのかハッキリしろと言いたいですね!」
「まぁ、連中らしい造語だな。ちなみにアインはドイツ語だぞ」
さりげない指摘に、タナカさんは顔を背ける。
誤魔化すのも全力なのがタナカ流だ。
そもそも、名前に関してとやかく言えるほど、タナカさんというコードネームも洗練されてはいない。
というか本名を使うな。
「名前はともかくとして、アインは強いです。武装は仕方ありませんが、オレより旧式なのにスピードもパワーも数段上でした」
「アヤツも馬鹿だったが、身体能力だけはズバ抜けていたからな。土台の違いだろう。キミは凡人だ。むろん、熱意は比較にならないほど強いモノを持っているがね」
「……悔しいですが、今のままでは勝てる気がしません」
「そう言うだろうと思ってな。左腕を見てみたまえ」
言われるままに持ち上げてみると、左手がマジックハンドの先端みたいになっていた。良心的に見てもクリ○タルボーイである。
「これは?」
「驚いたかね。このアームで掴めば、どんなアルミ缶もペシャンコだ。スチール缶でも半分くらいはイケるだろう」
微妙である。
「ちなみに電卓内蔵だ」
「マジっすか!」
タナカさんは早速とばかりに、20円の違いをシミュレートしてみる。
「一週間で800円も違うとは、アインジャスティス許すまじ!」
「よし、その意気だ」
どんな意気だ。
とはいえ、こうして改造人間同士の争いは、本格的な抗争、あるいは壮絶な喜劇へ向かって突き進むこととなったのである。
人間どころか生き物の姿さえ見られない採石場が、そのための舞台として選ばれた。ちなみに株式会社セイギの私有地である。
さて、本格的にと銘打ちはしたものの、実情はワンサイドゲームであった。言うまでもなく、アインジャスティスの一人勝ちである。二人の知能レベルに大きな開きはなかったが、同じように強化された肉体を持ちながら、片や重武装であるのに対し、もう片方は丸腰に近い状況なのだ。
とりあえず、そのやり取りの一端を見ていただくことにしよう。
「見るが良い、アインよ。貴様の末路は、このアルミ缶と同じだ」
「はぁ?」
「おいコラ、ちゃんと見とけ。もう一回やってやるから、次は見逃すなよ。えーと、予備のアルミ缶は……」
「ジャスティスソード、ダイナミック!」
タナカさん、惨敗。
「フフフフ、アインよ、オレも刃物を手に入れたぞ。この右手に仕込まれたレーザーソードで、貴様の装甲を30分かけて切り刻んでくれるわっ」
「30分?」
「我々の技術も日進月歩の勢いで発展しつつあるのだ。一月ほど前までは紙を切るのがやっとだったというのに、今ではステーキ肉(松阪牛に限る)すら切ることが可能っ!」
「…………」
「驚きのあまり声も出ないか。心配せずとも一瞬、いや30分で終わらせてくれるわっ!」
「ジャスティス流星キーック!」
タナカさん、完敗。
「アイン、そのキック力が自分だけのものとは思うな。我が左脚が文字通り火を噴いて、貴様のスピードを超える!」
「火を噴くって、バランスとか大丈夫なのか?」
「笑止っ。敵の心配などしている場合ではなかろう。なんなら、墓地の確保が済むまで待ってやっても良いぞ?」
「いや、そんなつもりないから」
「その言葉、後悔させてやるわっ!」
グッと腰を落とし、力一杯溜めてから前方に大きく跳ぶと同時にロケットブースターが激しく真紅の尾を引いた。タナカさんの視界が急速に狭まり、風の塊が顔を叩き、身体全体が頭から押し付けられたような圧迫感に襲われる。
「死ねやぁっ!」
そんな言葉を残して、タナカさんの進路は急速に右方向へと逸れて行き、断崖絶壁に突っ込んでいった。
タナカさん、オウンゴール。
このような感じで、ライバルと呼ぶことすらままならない状況のまま、タナカさん一人が傷付き、倒れ、苦しみ、敗北していった。そしてその度に身体のどこかが機械化していき、気付けば脳ミソしか残っていなかった。
その見た目を例えるならアレだ。ポリゴンである。
しかもバー○ャロンではなく、バー○ャファイターな感じである。
それも2くらいだ。
「おいタナカ、もう止めにしないか?」
「馴れ馴れしく呼ぶなっ。オレは、今日こそ貴様を超える!」
「今日こそって、今まで近付いてきてたつもりだったのかよ」
「フフン、昨日までのオレだと思うなよ?」
「いや、見た目からしてちょっと違うんだろうけどさ」
「予言しておいてやる。貴様は激しく驚く。それこそ、腹を抱えてのた打ち回るほどにな!」
「それ、何か表現が違わないか?」
「問答無用っ」
長々と前口上を述べていたタナカさんが、自分を棚に上げて大地を蹴る。ここまで全敗の彼だが、全く進歩していないというワケでもない。改造と機械化によって、見た目はともかくパワーは明確に上昇していた。土台の差を考慮に入れても、身体能力的には十分に渡り合えるレベルにまで到達している。武装さえしっかりしていれば、簡単な敗北には至らないほどだろう。
実際、タナカさんの突きをかわすアインジャスティスに、以前のような余裕はない。結果としての数字は置いておくとして、その実力差は明確に小さくなっていた。
事実、そのスピードに反応こそしているものの、武装を使う余裕がない。相手が丸腰でなければ、かなりピンチな状態だ。しかし、このままではケリがつかないと判断し、間合いを取って腰のジャスティスソードに手を伸ばす。
その一瞬を、タナカさんは待っていた。
「食らえっ!」
一気に間合いを詰め、叫ぶ。
「くっ」
一方のアインジャスティスは、手の位置を防御に戻して相手の出方を予測した。タナカさんはパワーとスピードこそあるが、基本的に丸腰なので攻撃のパターンは幾つもない。蹴りと右の突き、そして左のアルミ缶潰しくらいのものだ。どれが来たところで、対処が不可能ということはない。
いや、そのハズだった。
「うおわっ!」
アインジャスティスは力一杯仰け反り、ギリギリのところで『頭』をやりすごした。生首は目標を掠めてから、その勢いを維持したまま大岩に突っ込んでいくと、大きな火柱を上げて爆発する。
それは、頭突きなどという生易しいものではない。
文字通り、頭が飛んできたのだ。
名付けて頭ミサイル。
タナカさんの最終兵器である。ちなみに『最終』なのは凄く強いという意味ではなくて、それ以上戦えなくなるからだ。
アホである。
身体だけになってしまったタナカさんは、とりあえず意表をつけたことに満足しているのか、踊るようにして喜びを表現していた。声がないのでわからないが、ザマーミロとでも言っているのだろう。
だがその珍妙な踊りも、蔑むように突き出した人差し指も、ものの見事に枯れ木へ向けられている。目がないのだから、見えていないのも当然だ。
そして、もちろんと言うべきか、頭を失ったタナカさんに思考力はなかった。ひとしきりパントマイムで騒いだ後、どうすることもできずに佇んでいた。何だか背中に哀愁が漂っていた。
「……おい、大丈夫なのか?」
頭がなくなって大丈夫なハズもないが、敵であるアインジャスティスもさすがに心配になってしまった。ヒーローとしては、ここが好機とばかりに怪人を破壊してしまうべきなのかもしれないが、しょんぼりしている胴体だけのタナカさんを見ていると、果てしなく切ない気分になってくる。
もっとも、アンパンを完食されたアン○ンマンみたいなものなのだから、無理もない。
「参ったな。連れて帰るってワケにもいかないし……」
そんな呟きが聞こえているのかいないのか、いや、耳がないので聞こえている道理もないのだが、タナカさんはふと何かに気付いたような素振りで、スタスタと歩き始めた。向かっている先は住宅街のようだ。おそらく、帰巣本能か何かに従って動いているのだろう。そんな風に思うことでしか、アインジャスティスは自分を誤魔化せそうもなかった。
こうして、いささか中途半端な感じで二人のライバル決戦は幕を閉じた。決まり手がタナカさんの自殺という、あまりに締まらない結末だが、世の中というのはこんなものである。
社会に期待なんてしてはいけない。
ともかく、これでようやくこの町は平和を取り戻す。この時のアインジャスティスは、そう信じて疑わなかった。
「勝負だっ。アインジャスティス!」
「待てコラ」
三日後、普段と変わらない様子でタナカさんは現れた。
「アンタ、死んだんじゃなかったのか?」
脳が爆発して無事であろうハズもない。
「笑止っ。アインを倒す前に死ねるハズがなかろうが!」
「いや、そういう根性論じゃなくてさ。こう……というか、頭が爆発したことは憶えてるのか?」
「誰の?」
「もちろん、お前のだ。頭だけ飛ばして爆発しただろーが」
「なっ、何故貴様が禁断の秘技であるファイナルタナカアタックを知っているのだっ!」
どうやら憶えていないらしい。
「……単刀直入に一つ聞かせろ」
アインジャスティスが、珍しく怒気の孕んだ声で詰め寄る。
「な、何だ?」
「お前の頭には、脳ミソが詰まっているのか?」
「ないぞ」
「ないのかよっ!」
「カビが生えていたから捨てたと言われたな」
死んでも馬鹿は治らなかったようである。
「梅雨時の味噌かよ……」
「最近長雨が続いたからな。その影響だろう。お前も気を付けた方がいいと思うぞ?」
「余計なお世話だ!」
これが、初めてタナカさんがアインジャスティスにダメージを与えた瞬間である。だがここで、同様に馬鹿ながらも、アインジャスティスは一つの疑問に気付いた。
「……お前、一体『誰』なんだ?」
「見てわかろうがっ。オレは『タナカさん』だ。貴様の永遠のライバルにして、いつか必ず貴様を超える男だ!」
脳ミソはない。しかし、自我は明確だった。
いや、あるいはそれこそが、完全にロボットと化してしまった彼にとって唯一の自己存在理由なのかもしれない。そう思うと、彼は極めて哀れな存在であった。過去の記憶――怨念に縛られる怨霊、そんな風にすら思えてならない。
「……全力で断ち切ることこそ、私に出来る唯一の供養か」
ジャスティスソードを抜き放ち、中段に構える。
「くくくくっ、今日のオレを昨日までのオレと思うなよ」
「あぁ、わかっているさ」
もう脳ミソすらなくなって、別人というよりも別物である。
「いや、わかってないね。わかっているハズがない。オレはもう、お前を超えたのだ」
「まぁ、確かにある意味人間を超越しているからな」
「フフン、さすがに雰囲気すら変わっていると、見破られてしまうのか。オレはもう昨日までの、700円のオレではない。今日からオレは、750円のタナカさんだ!」
意気揚々と電卓を叩く。
中身がコンピュータになっても、計算機能は外部に委託する仕様らしい。
「見よっ。何と一週間で1200円もの違いだ。悔しかろう。悔しくないハズがあるまいっ」
「えーと、ゴメン」
アインジャスティスは謝った。
「私の時給は、昨日から800円だ」
負けた。しかも差が広がった。1200円の差をつけたつもりが、2000円の差をつけられてしまった。一瞬、タナカさんは社会に絶望して首をくくろうかと思ったほどである。
むろん、首が取れても平気な彼にとって、首吊りなど背筋伸ばし程度の効果しかない。
「ちくしょぉおおおぉおおぉおおっ!」
怒りの雄叫びが、採石場に木霊する。人気がないため歓声やどよめきこそなかったが、衝撃波と称すべき音波を浴びて、幾つかの小石が崖を転げ落ちた。
「許すまじっ、アイン!」
「いや、それって八つ当た――」
「うるさいっ! オレはお前を倒す。そしてオレも800円にしてもらうっ!」
そもそも、ロボットが給料を貰って何に使うというのか。
そんな疑問を置き去りにして、二人の決戦はいつも通りに開始された。
まず仕掛けたのは、血の涙を流すタナカさんだ。右の拳を突き出したまま、足裏のロケットブースターを全開にして突進してくる。そのスピードは僅か数秒で音速に達するほどだが、アインジャスティスは最小限の動きで、紙一重の回避を見せた。いつものことだが、タナカさんの攻撃は直線的で単調なのだ。
だが、次の瞬間にアインジャスティスは驚愕する。
普段なら背後の岩にでも突っ込んでダメージを受けるハズのタナカさんが、直角に近い針路変更を繰り返して、再度別の方向から突っ込んできたのだ。
その攻撃を辛うじてかわしてから、アインジャスティスは改めて体勢を整える。時給はともかく、生体パーツを失ったタナカさんは、明らかに今までのタナカさんではないようだった。実のところ、彼の無茶な攻撃に一定の抑制をかけていたのは、彼の肉体に他ならない。最後に残った脳ミソも、急激なGの影響を少なからず受ける。その制約がなくなった今、彼は初めて自らが思うような動きを実現できているのだ。
これを皮肉と言わずして、何と言うべきか。
「くっ!」
五度目の突進をかわした瞬間、アインジャスティスは微かな接触を肩の辺りに感じた。対処が間に合わず、掠ったのである。
「わはははははっ、見たかっ。次はちょぐぼごはぁっ!」
ドップラー効果の奇妙な叫び声を残して、タナカさんは大岩に突っ込んだ。どうやら、しゃべりながらの針路変更はできないらしい。
馬鹿はやっぱり馬鹿だった。
だが、丈夫さは彼の専売特許のようなものだ。ガラガラと大きな破片を撒き散らしながら、タナカさんはフラフラと立ち上がる。それでも五体満足とは言えないのか。関節の所々からスパークが迸っている。
「フフフ……やるな。それでこそ我が終生のライバル!」
「いや、お前の人生はもう終わってるけどな」
「ふん、早くも勝利宣言か。この程度で勝った気になるな!」
さすが馬鹿、話も通じていないらしい。
「まぁ、激しい関節炎のロボットに負ける気はないが……」
「笑止っ。この程度で我が性能は曇らぬわっ!」
そう宣言し、タナカさんは一気に間合いを詰める。今度はロケットブースターではない。大地を蹴り、駆けてくる。その様はまさしく早送りの映像を見せられているように忙しなく、落ち着きがなく、滑稽だった。
しかし、滑稽であるからといって弱いワケではない。
すでにジャスティスソードを構えているハズのアインジャスティスが防戦一方であった。それはもちろん、タナカさんのスピードに意表をつかれたという側面もある。しかし何より彼を驚かせたのは、その効率的な攻撃だった。
一つ一つの動きに無駄がないのだ。というより、今までのタナカさんは無駄な動きのオンパレードだった。攻撃の半分は無駄で出来ていると言っても過言ではないほど、無駄が多かったのだ。大切な何かを失ったことは事実であろうとしても、こと戦闘においてのタナカさんは、間違いなく強さを手に入れたと言えるだろう。
とはいえ、アインジャスティスにとって対処不可能なスピードというワケではない。彼は僅かな隙を突いて反撃に転じ、ジャスティスソードを振り上げた。ソードを囮に使い、ビームコーティングされた拳を打ち込むという、お得意の攻撃だ。何度となく繰り返し、ことごとく成功してきた攻撃バターンである。
しかし、その黄金パターンが初めて破られた。
ソードを左腕で受け止めたタナカさんは、間髪をいれずに右の拳を突き出してきたのだ。
その一撃はカウンターとなり、咄嗟の回避も間に合わず、アインジャスティスの左肩を覆っていた外部装甲を粉砕する。その初めての有効打に、お互いが唖然としていた。特にアインジャスティスの驚きは、尋常なものではなかった。
しかし、その原因にはすぐに思い当たる。
恐怖や躊躇いといった、感情的なタイムラグがなくなったからだ。その事実はまさしく、タナカさんが戦うために最も効率の良い存在へと変じつつあることを示している。
そして同時に、彼の知る『タナカさん』が消えつつあるということも。
「……お前、本当に何者なんだ?」
初めての一撃に小躍りしている浮かれロボットに、彼は問う。
「だから、タナカさんだと言っておろうが」
「どこがだよっ。身体も脳ミソも失って、それでもタナカさんを名乗るんじゃねぇ!」
「いや、オレは確かにタナカさんだ。何故なら……」
やけに落ち着いた口ぶりでほざきつつ、右手の親指で自身の左胸を指し示す。
「ここにハートがあるからだ!」
「ジャスティスランス!」
ソードの先端にビームコーティングを集中させて、激しく大地を蹴る。さすがの高性能タナカさんも、不意打ちにまで反応することはできず、その左胸は鮮やかに貫かれた。回路の中心を失い、その動きを停止する。
「……タナカさん、成仏してくれよ」
冥福を祈りつつ、ライバルの最期を悼む。
勝利の味は、ほろ苦かった。
そして三日後、やはりタナカさんは現れた。
「もう全然違う人だろ。せめて名前を変えろよ!」
「何を言うか。オレはオレだ」
「どこがだっ。脳ミソもハートもなくなったんじゃねーのかよ!」
「甘い。甘すぎるぞ、アイン!」
「何が甘いってんだ?」
「ボス戦の前でセーブは基本だろっ」
「どこのRPGだっ!」
ある意味、人類の夢を具現化したような男である。
「アインに対する憎しみが在る限り、オレは死なん。何度でも蘇り、何度だってお前の前に立ち塞がって見せる」
もはや怨念のストーカー状態だ。
しかし、これもまた一つの意識ではあるまいかと、アインジャスティスには思えてしまった。一つ一つのやり取りが、交える拳の感触が、お馬鹿な発言とドジっ子的な末路が、確実にタナカさんという存在を髣髴とさせる。
どんな形であるにしても、ライバルはここに居る。
アインジャスティスという巨大な壁を越え、勝利を収めるその時まで。
つまり、不死身ということだ。
真面目な作品も好きなんですが、こういう作品もやめられません。
笑いは楽しく、そして難しいです。
ともかく、数あるSF作品の中に、一つくらいはこんなのがあっても良いのではないでしょうか。
すいません。言い過ぎました。