ああ勇者、死んでしまうとは何事だ
「ああ勇者、死んでしまうとは何事だ」
もう何度目になるか分からない侮蔑の籠った声を聞きながら勇者は目を覚ました。
暗黒騎士に貫かれた腹もドラゴンに焼かれた肌も何事もなかったかのように元に戻っている。声の主には一切の視線を向けずに勇者は自分の身体の状態を確認する。どこにも問題はないようだ。
新しい着替えと防具を身に着けると剣を手にしてさっさとその場を後にした。こんな場所には一秒でも居たくなかった。
勇者。
それは魔王を倒す為だけに存在するただの兵器だ。
兵器に感情はいらない。
しかし……。
「ちくしょう!なんで!なんでだよ!」
彼は独り、誰もいない森の中で泣き崩れていた。
彼が勇者となったのは三年前の事だった。
十五歳になった歳に誰もが行う成人の儀で、女神の加護を授かったのだ。
元はどこにでもいる普通の青年だった。
剣の才能も魔法の才能も人並みで、唯一誇れる事と言えば人より記憶力に優れている事くらいだった。
そんな彼が女神の加護を授かった。それは加護と言うよりも呪いに近いモノだった。
彼に与えられた加護は蘇り。
魔王を倒すまで何度でも復活する事が出来る。
死なないのではない。
死んでも蘇るのだ。
その意味を理解した彼は絶望した。
剣も魔法も人並み程度だった彼には魔王どころかランクの低い魔物でさえ倒すのは困難だった。
故に……。
頭を割られて死んだ。
首を裂かれて死んだ。
腹を貫かれて死んだ。
体を食われて死んだ。
血を吸われて死んだ。
体を焼かれて死んだ。
彼を待っていたのは延々と繰り返される死だった。
そして彼は、自らが体験した数々の死を全て克明に記憶している。
想像できるだろうか。
一度だって体験したくない程の痛みや恐怖を何度も何度も経験しなければいけないのだ。
頭がおかしくなるかと思った。
しかし、それすら出来なかった。
女神の加護は彼が発狂する事を許さなかったのだ。
もう戦いたくなかった。
しかし加護を授かった彼がそれを放棄する事を、誰一人として許さなかった。
拒否すれば酷い拷問を受けた。
爪を剥がされ、指を切られ、歯を抜かれ、鼻をそがれ、全身の骨を砕かれ、睾丸を潰され、火で炙られ、弓の的にされ、魔法の実験に使われ、眼玉をくり抜かれ、全身の皮膚を剥がされ、内臓をかき混ぜられ……。
想像するだけで鳥肌が立ってしまうような、ありとあらゆる苦痛を味合わされた。
命令に従えば当然逃げる事は許されず、どんな時でも最前線で肉の盾にされた。
彼を囮にした作戦だって何度も実行された。
危険がせまれば真っ先に足止めに使われた。
何度死んでも蘇る彼の事を、同じ人間として扱ってくれる人はいなかった。
加護を得た当初は喜んでくれた家族や幼馴染達でさえ、すぐに他人のフリをするようになった。
彼には誰一人として味方はいなかったのだ。この世界は彼にとっての地獄だった。
しかし、そんな事を繰り返している内に彼は自然と鍛えられていた。もうこの国では彼に敵う者はいなくなった。だからこのまま逃げてしまおうと考えた事があった。
しかし彼の加護は呪いなのだ。
いくら逃げた所で魔王を倒すまでその呪いが消える事はない。彼は逃げる事を諦めて、ただひたすらに魔王城を目指した。
死んでは戻り、死んでは戻りを繰り返しながら。彼は確実に魔王城へと近づいていった。
それに伴い、彼に同伴する騎士の数は減っていった。始めは大勢いた騎士達は度重なる遠征によって、その数を大きく減らしてしまったのだ。
そしていつの頃からか、彼は一人で魔王城を目指すようになった。
ある時、彼は一人の少女と出会った。
真っ直ぐで長い黒髪と深紅の瞳が特徴的な色白な少女だった。
彼女は他の人達とは違い、彼と普通に接してくれた。たったそれだけの事が、彼にとっては何よりも嬉しかった。
今まで寄り道もせずに真っ直ぐに魔王城を目指していた彼は、初めて同じ街に留まった。
彼女はいつも同じ時間に同じ場所にいた。理由を聞けば花の世話をしているのだという。光り輝く太陽の下で、魔法で水を出して花にかけていた。水は光に照らされてキラキラと輝いて見えた。
誰もが彼を無視する中で、彼女は普通に挨拶をしてくれた。
誰もが彼を見て顔をしかめる中で、彼女は笑いかけてくれた。
彼女だけが彼を人として扱ってくれた。
彼が彼女を好きになるのは当然の事だった。
だけど……。
どうして彼女が魔王なのだろうか。
その事実を知った時、彼の頭の中は真っ白になってしまった。
魔王城の中で、たくさんの魔物に囲まれながら呆然と彼は立ち尽くしていたのだ。
そして冒頭へと戻る。
散々泣き喚いた彼は何かを決心した表情で立ち上がった。
涙を乱暴に拭って魔王城へと向かって走り出した。
過去最速で道中を駆け抜けて、彼は再び魔王城へとやってきた。
邪魔する魔物を片っ端から片づけて、彼はついに魔王と対峙した。
剣を抜いて魔王に向ける。
不意にデジャヴに襲われた。
それを誤魔化すように頭を振ると真っ直ぐに魔王を見る。
「なぁ魔王教えてくれ。お前はどうして俺に優しくしたんだ?」
魔王を睨みつける彼の目に涙が込み上げてくる。
彼女は勇者を見て悲し気に微笑んだ。
「私と同じだからだよ」
少女が魔王と呼ばれるようになったのは、彼が勇者になる一年前の事だった。
彼女は勇者と同じく加護を授かった。しかし彼女が授かった加護は魔神の加護だった。
存在するだけで身体から溢れる魔力によって魔物を生み出す呪われた力。
人々は彼女を恐れて殺そうとした。
しかし彼らの振るった刃が彼女に届く事はなかった。彼女から溢れ出た膨大な魔力が、彼女の悲鳴に呼応して彼らの命を刈り取ったのだ。
以来、人一倍優しかったはずの少女は魔王と呼ばれるようになった。
人々は彼女を恐れ、国の端にある廃城へと閉じ込めたのだった。
しかし魔王となった彼女がその気になれば城から出るのは簡単な事だった。
彼女は髪と瞳の色を魔力で変えてこっそりと街へと遊びに行っていた。
魔物が生まれないように魔力を抑えていられる時間は短く、街に居られる時間は限られていた。
それでも彼女は人の居る所にいたかった。
人から迫害されても彼女は人を求め続けていたのだ。
そして勇者と出会った。
「そうか……」
勇者は持っていた剣を力なく下ろした。
「殺さないの?」
少し寂しそうに彼女が微笑んだ。
「殺せないよ」
彼は剣を鞘に納めた。
「でも私が生きてたら魔物はいなくならない」
事実だった。
「別にいいさ。俺は魔物なんかにやられないし、俺達を苛めるこの世界がどうなっても関係ない。だから……」
「だから?」
彼は彼女に手を差し出した。
「一緒に生きよう」
彼女の目に涙が溢れる。その手を掴もうとする彼女の手は震えていた。
二人はしっかりと手を握り合った。
勇者と魔王が和解した瞬間だった。
突如、繋いだ手を中心に光が溢れた。
同時に二人から加護が消えていくのがわかった。
これでもう苦しまなくても良い。
これで幸せになれる。
そう思って顔を上げた彼女の表情が固まる。
勇者の身体がひび割れ始めたのだ。
「ごめん。やっぱりムリだったみたい」
彼の身体は度重なる復活によって、とっくの昔に限界を超えていたのだ。
加護がなくなった今、もう身体を維持するだけの力も残ってはいなかった。
「なんで!!なんで!?」
「ごめん」
彼女の願いは届く事はなく、勇者の身体は崩れ去った。後には彼が身に着けていた物だけが残っていた。
彼女はその場に膝をついた。
止めどなく流れ出る涙が地面を濡らす。
「ああ勇者、死んでしまうとは何事だ」
魔王となった彼女に初めて手を差し伸べてくれた相手だった。
誰もが彼女を憎み、恐怖する中で彼だけが普通に接してくれた。
一緒に生きようと言ってくれた。
それなのに……。
色を失った彼女の世界に、天から光が降って来た。
驚いて顔を上げれば後光がさした老人が立っていた。
「負けたよ」
意味が分からず彼女は首を傾げた。
百回。
それは二人が和解した回数だった。
一度目の時、泣き崩れる少女と老人は賭けをしたのだという。
記憶をリセットした状態で百回繰り返して、もし全てで勇者と和解出来たなら。
どう転んでもバットエンドしか存在しないそのレールから抜けさせ、争いのない平和な世界へ二人を転生させる。
「じゃあ……」
「ああ、君達の勝ちだ」
どう考えても少女に不利な賭けだった。
老人もまさか負けるとは思っていなかった。それが十を超え、五十を超え、八十を超える頃には逆に少女達を応援するようになっていた。
「望み通り平和な世界に転生させよう。ただし記憶は残らないが問題ないかい?」
老人の問いかけに少女は頷いた。
願わくば次こそは幸せな人生であらん事を。
そして老人が杖を振ると、少女は光となってその世界から消えた。
ある日、老人は天界から地上を見下ろしていた。
老人の見つめる先では一組の男女が照れたように笑い合っている。
やがて男が女の手を取って、どこかへと歩き出した。
彼らがどこに向かうのか老人にも分からない。
彼らは勇者でも魔王でもないのだから。
二人の未来は、まだ誰も知らない。