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午前三時、202号室の団欒 作者:西田三郎
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203号室の学生

手当たり次第に、近くにあるものを男に投げつけた。

「おいおい、どうしたんだよ? なにをそんなに……」
「寄らないで! 寄らないでってば!」

 さすがに男は怯んだようだ。
あたしは、とりあえず床に散らばっていた服をかき集めた。
下着は下だけしか見つからなかった。
 その上からジャージのズボンを履いた。
 男の視線から胸を腕でかばいながら、なんとかTシャツを素肌に身につける。

「なんかの冗談かい? ……どうしてそんな……」
「うるさいっ! 黙れっ!」

 とにかく、格好だけでも外に飛び出せる状態にはなった。

「待ちなよ……朝ごはん、食べないの?」
「どけっ!」

あたしは男を押しのけて、裸足で部屋を飛び出した。

きつい夏の日差しが目を射る。
一瞬、視界が真っ白になった。
どんどん世界に色がついて、目に映ったのは裏野ハイツの前の広場だ。

 3歳くらいの子供が、あたしに背を向けて地面に何かを描いている。
グリーンのTシャツに、ベージュの半ズボン姿。
タカユキくん? ……もしくはユキちゃん?

自分が飛び出した部屋の表札を見た。
101号室。
 表札に名前はない。

 遅れて、パジャマ姿の男があたしを追ってくる。
 さすがに、愛想のいい笑みはもう消え、表情には当惑が見えた。

「どうしたの? ほんと、いったいどうしたんだ?」
「助けて!」

 あたしは、隣の部屋……102号室のドアを叩いた。
やはりこの部屋にも表札はない。

「ちょっと……どうしたんだよ? ……」
男があたしを後ろから羽交い締めにしようとする。
あたしは102号室のドアを蹴った。
「助けて! 助けてください!」

 ドアチェーンが外れる音がして、内側からドアが少し開く。

「なんなんスか?」

 ドアの隙間から、髭面の男が顔を出す。
ボサボサの髪で、がっしりした体型。年齢は四〇歳前後。

もちろん見覚えのある顔だ。
前にこの男を見たときは、緑色の作業着を着ていた。
彼は、前に見たとき、この男は103号室のご主人だったはずだ。
 いま、あたしの背後で地面に絵を描いている、タカユキくんのお父さんだった。

 その男はもう何ヶ月も洗っていないような灰色のだらしないジャージを着ている。
 あのコンビニで見かけた男と、同じ色のジャージだ。

あたしは背後のタカユキくんに振り返って、その背中に叫んだ。

「ねえ、タカユキくん? タカユキくんてば! ……この人……この男の人、きみのお父さんだったよね? そうでしょ?」

タカユキくんは振り返りもしない。
ずっと地面に絵を描き続けている。

「なんスか? 大丈夫っスか?」
髭面の男が、いかにも迷惑そうな顔で聞く。
「いや、どうもすみません……妻が、ちょっと錯乱しているみたいで……」
パジャマ姿の男が、申し訳なさそうに頭を下げる。
「あんたの妻じゃねえ、っつてるだろ!」
あたしは金切り声で叫んだ。

「あのー……うちのタカユキが、どうかしました?」

103号室から、若い30代の夫婦が顔を出していた。
 ギャル系だけれども、スリムでスタイルのいい奥さん。
 茶髪にタンクトップ、カットオフデニムのショーパンというギャル風。
 同じようにスリムで背の高い旦那さん。髪はまた、茶髪に戻っている。
 和柄Tシャツにダメージジーンズ姿、という少しヤンキー入った出で立ち。
 夫婦ともども、元に戻っていた。

「ああもうっ! アンタら夫婦にはもううんざりっ!」

顔を見合わせる103号室の夫婦。
あたしと結婚しているとのたまった101号室のパジャマ姿の男も、開いたドアの戸口でぽかんと口を開けている102号室の髭面男も、みんな当惑していた。
 みんな、いったいなにが起こっているのか事情が飲み込めない、という顔をしている。

 いや、あんたたちより、あたしのほうがもっとこの状況を理解できない。

タカユキくんは全員に背を向けたまま、ずっと地面に絵を描いている。

あたしは、階段を駆け上がった。
 2階に上がると、201号のおばあさんが、ドアから顔を覗かせていた。

「どないしはったん……?」

 おばあさんに背を向けて、あたしは203号室まで走る。
 表札にあたしの名前は入れていないが……そこはあたしの部屋だ。

 鍵が掛かっていた。
 でも中からは、テレビの音が聞こえてくる。

「ちょっと! ここ、あたしの部屋だよ? ねえ、開けてよ!」

 ドアを叩きまくった。
 ちらりと肩越しに背後を見ると、パジャマ姿の男を先頭に、1階の住人全員が2階に上がってこようとしている……前の広場で背中を向けて地面に絵を描いている、タカユキくん以外は。

 セミが泣きわめく。
 太陽が照りつける。

 気づけば、201号のおばあさんまでが、歩行補助器を押して廊下に出ていた。

「開けて! 開けてったら!」

 しばらくして、内側から鍵が外れる音。
 チェーンを掛けたままのドアが、少し開いた。

「いったい朝から……何なんです?」

 中から少しだけ顔をのぞかせたのは、もちろんあたしではない。

 あたしと同じ年頃の、女の子だ。
 203号室の学生さん。
 そして、その顔を、誰かと見間違う筈がない。

「ゆ……裕子?」

 裕子は、戸惑った表情で言った。

「えっ? す、すみません……あなた、誰なんですか?」
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