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作:春矢トタン


「撮るよ。母さん、父さん、こっち向いて」
 毎年恒例の花見だった。日本庭園が綺麗で、淡い桃色の桜の咲くこの時期、そこはとても混むのだけれど、そんな事は気にならなかった。少年はカメラを構え、丁度桜が背景に写るように、並んでいる両親を撮った。

 地震が起きて、鈴木明はアルバムから顔を上げた。地震といっても、そんなに大きなものではない。机の上に置いてあった筆立ては倒れたが、それだけだった。明はまたアルバムへ目を落とした。アルバムにある写真には、明の両親が写っている。彼の両親は一週間ほど前に事故で他界した。写真に写る両親は、一週間前と同じ姿でこちらに微笑みかけている。アルバムには、明はほとんど写っていない。そのアルバムに入っていたのは両親の写真がほとんどだ。他のアルバムを見れば、他の親戚や友人の写真もある。しかし、明は写っていない。明は写されるよりも、写す方が好きだった。
 アルバムの最後には、一枚の水彩画が挟まっていた。満開の桜が美しい日本庭園が描かれている。これも明の描いたものだ。随分と色あせて汚れてはいたが、桜の木は生き生きとしていた。いつ描いたものだったか。思い出そうとしていると、やや焦げ臭い匂いが鼻をついた。
 嫌な予感がして、彼は一階へ降りていった。階段の中ごろで匂いは急に強くなる。彼は居間へかけていった。
 部屋の隅が燃えていた。先程の揺れで、消し忘れていた仏壇のろうそくが倒れたのだ。プラスチックの溶ける嫌なにおいが鼻をつく。火は大きくなかったが、明は一瞬ひるんだ。しかしそんな場合でない。両親の遺影が燃えているのだ。明は急いで着ていた学生服を脱ぎ、ばさばさと火の上からたたきつけた。
 火はすぐに消えたが、写真は既に黒いカスになってしまっていた。熱で溶けた写真立てと一緒になって、燃える前それが何だったのか分からない。明は呆然とその様子を見つめ、膝をついた。

 明は美術の教師であり担任である斉藤晴彦に、作品を提出しろと何度も催促された。もう、期限をひと月も過ぎている。明は美術が好きだった。そして好きだっただけでなく、上手かった。教師も好きで、今まで作品を提出しなかったことなど無かったが、遺影が燃えてからは、写真を写すことも絵を描くことも出来なくなった。
 あの日灰になった写真は、明が撮影したものだった。そのことは覚えているのだけれど、仏壇に置かれていた写真がどのようなものだったのかは、覚えていない。撮影した時の記憶も無い。写真が燃えたときに消えてしまったのだった。
 同時に、元々持っていた写真、絵に対する執着心も異常に強くなった。写真、絵を、そのまま自分の記憶と思うようになったのだ。燃えたら、なくなってしまったら、また同じように記憶が消えてしまうのではないか。写真を撮れなくなり、絵を描けなくなったのは、記録する事を恐れたからだ。
 明は、家のものを全く動かせなくなってしまった。まだ終えていなかった家の整理もできなくなった。引き取ってもらった叔父夫婦に頼んで、家はまだそのままだ。
 そんな理由を晴彦に言う気はなかった。ばかげているし、変な言い訳をするようで嫌だった。だから何度催促されても、明はただ俯きだんまりを決め込んだ。
「そろそろ成績をつけなきゃいけないんだ。お前今まで美術好きだったろう?」
 その日、放課後職員室に呼び出されても明は何も答えなかった。
「他の作品も出して欲しいが、最低限、水彩画だけは出せ。それで成績をつけるから。どうしていきなり何にも描かなくなったんだ」
 説教というにはあまりに穏やかな口調だ。晴彦はあまり強く言うのが得意でなかった。それでも、生徒達は彼の言う事をよく聞いた。若く、見目が良いせいもあるだろうが、穏やかな性格が好かれていたのだ。
「描きたくないんです」
 明はかすれた声で言った。明は素直な子だった。教師にこんなことを言うのは初めてだった。
「先生、他の方法じゃだめですか。水彩画じゃなくて、課題を変えて」
 声は段々小さくなり、最後は晴彦に聞こえていたか定かでない。
「……どうしても嫌か」
「はい」
 小さいが、しっかりと聞こえる声で明は頷いた。
 晴彦は腕を組んで唸った。明は絵の好きな子だった。彼には、明がここまで絵を描く事を拒否する理由が分からない。しかし今まで楽しそうに描いていた絵を無理やり描かせる気には、どうしてもなれなかった。晴彦は長いため息をついた後に返事をした。
「じゃあ、提出課題をコラージュにしたら出せるか」
「はい」
 明はほっと、体の力を抜いた。
「じゃあ、今日……いや、材料が無いな。明日。放課後美術室を開けるから、材料持って来い」
「ありがとうございます」

 明は、家から雑誌の切抜きやら和紙やら包装紙の切れ端やら、適当なものを持ってきた。
 放課後、職員室へ行ったが、晴彦は居なかった。ここへ来いと言われていたため、しばらく待つことにする。晴彦の机の上には落書きの描いてある小さな紙が机の上に大量に散らかっていた。鉛筆だけで描かれたものもあれば、色が付いているものもある。ただ適当に置かれているだけだったが、コラージュのように見えるような気もした。何が描かれているのか暇つぶしに見ていくと、何か見た事のある似顔絵の横に、コラージュと書かれている紙があった。誰に似ているのだろうと考えていると、肩を軽くたたかれた。
「やあ、待たせて悪かったね」
「いえ。……先生、机片付けないんですか」
 明は紙くずで散らかった机に目を落としながら言う。
「ああ、用が済んだのは捨ててるよ。これメモなんだよね」
 晴彦は先程、明が誰の似顔絵だろうかと見ていた紙を拾いながら言った。
「記憶力が本当に悪くてさ。何でも書いておかないとすぐ忘れるんだ。これは、明の補習を忘れないようにっていうメモ」
 明はそのメモに描かれている絵をもう一度見た。言われて見れば、それは自分の似顔絵だった。
「文字だけだとね、昔からだめだったんだよ。なんか関連付けた絵も一緒に描かないと」
 晴彦は、欲しい? とメモを差し出したが、明は首を振った。そうだよな、と晴彦は笑うと、それをくず入れに入れようとする。明はドキリとした。ただのメモとは言え、そこには自分の似顔絵が描かれている。嫌な感じがした。気付くと明は、ひらりと舞った紙切れを、くず入れに落ちる前に掴んでいた。
 晴彦は一瞬目を大きくしたが、すぐに済まなそうな顔になった。人の似顔絵を捨てようとした事を、申し訳なく思ったのかもしれない。しかし晴彦は何も言わず、机の横にかかっていた鍵を掴むと、職員室を出て行った。明もそれに続く。メモはその手に握られたままだった。
 
 晴彦は明に画用紙やら糊やらを用意すると、美術準備室に消えた。明は黙々とコラージュ作成に打ち込んだ。もともと水彩画や、スケッチの方が遥かに好きだったが、コラージュやデザインも好きだった。
 放課後の美術室は嫌に静かで、雑誌を切る音、和紙を千切る音、隣の準備室から時々聞こえるイスの軋む音が響いた。
 さくさく、びりびり、さく、ビリビリ、さくさくさく、キー、さくさく。
 その音を聞いているうちに、明の視界はぼやけてきて、幻覚が見え始めた。彼が今切っているのは古い音楽誌の切り抜きだったはずだが、そこに見覚えのある顔や景色がちらつく。
 ビリビリ、さく、びり、さくさく、キー。
 ぼやけた景色はたまに鮮明に浮き上がってはまた薄れていった。その中に、日本庭園が何度か現れたのを明はとらえる。そこに少年が浮き上がっては消え、消えてはまた浮き上がった。小学校低学年くらいだろうか。小さな手に不釣合いな大きなカメラを構えている。
 一瞬視界は真白になり、再び現れたのは写真だった。ピンボケしているが、見覚えのある日本庭園、そして明の両親が写っていた。
 覚えている。あの少年は、初めてカメラを与えられた自分だ。そしてこの写真は、そのとき撮った写真だった。明は、どういうわけか埋もれていた記憶を見ているようだった。
 また視界は真白になり、また現れたのは少し成長した明だった。小学校高学年くらいだろうか。自分の部屋でアルバムを開いている。視界はぼやけているのに、そのアルバムの中に何があるかははっきりと分かった。それを撮影した一つ一つの記憶もある。明が写真に惹かれていったのは、写真に、あとから思いを馳せる時間が好きだからだ。一枚の写真を手がかりに思い出す風景は十にも百にもなる。その風景一つ一つも、今明が実際にアルバムを見ているかのように感じられる。
 再び場面が切り替わった時は、絵を描いていた。日本庭園に咲き誇る、大きな満開の桜だった。人は描かれていない。あの日アルバムに挟まっていた水彩画と同じものだった。
 キー。
 遠くからイスの軋む音が聞こえてきて、明は現実に引き戻された。手に持っているのは、ハサミと、雑誌の切り抜きだった。ぼうっとする頭で、明は新しい切抜きを取り出そうとファイルに手をやると、一枚の写真がはらりと落ちた。
 それは背景の無い写真だった。写っているのは、明の両親だ。満面の笑みをこちらに向けている。
 明は立ち上がり、その写真をつかむと走り出した。明が向かったのは、もうひと月以上行っていない、彼の家だった。学校からそこまではそれなりに距離があるが、明は一気に走った。鍵を取り出すのももどかしい。中へ入ると、明は自分の部屋へ駆け上がった。
 そして一冊のアルバムを引っ張り出した。最後に挟まっている水彩画を取り出す。色あせているが、美しい満開の桜が咲き誇っている。馬鹿な事をしていると思った。しかし、せずにはいられなかった。
 背景のない写真は、ここまで来る途中、彼の手に握りつぶされしわくちゃになっていた。しかし明は構わず、色あせた水彩画にそれを重ねる。
 それが燃えてしまった遺影と重なった。思い出した。その写真がどんな写真だったか、いつ撮られたか。写真とも絵とも言えない、色あせた水彩画としわくちゃの写真、コラージュとも言えないものから、十も百もの景色が、流れ込んでくる。明はそれをじっと見つめ続けた。

 美術室へ戻ると、晴彦が駆け寄ってきた。
「何処へ行ってた?鞄があったからすぐに戻ってくるだろうとは思っていたが……」
「先生」
 明は晴彦の言葉を半ば遮るように言った。
「俺、絵描けます」
 晴彦は一度目を見開いたが、ほっとしたように、笑顔で頷いた。
 明の似顔絵の描かれたメモはいつの間にか無くなってしまっていたが、もう気にならなかった。














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