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セーブ&ロードのできる宿屋さん ~カンスト転生者が宿屋で新人育成を始めたようです~ 作者:稲荷竜

四章 トゥーラの近衛兵入隊

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57話

『銀の狐亭』。
 時刻はすっかり夜になっていた。


 トゥーラはいつのまにか、この宿まで帰ってきていたらしい。
 記憶はあいまいだった。

 宿に帰ってきたような、気がする。
 真っ直ぐ食堂のカウンター席に来た、気がする。
 うつろな目で、ぶつぶつとなにかをつぶやきながら、ずっとカウンターに突っ伏していた。
 気がする。


 夢と現実の狭間でさまよっていると。
 アレクの奥さんが、声をかけた。


「トゥーラさん、夕食はどうする?」


 明るく朗らかな声。
 聞いているだけで癒やされる。
 トゥーラは今、癒やしを求めていた。


「奥さん! 奧さああん!」


 涙声で叫ぶ。
 奥さんは、カウンターから身を乗り出したトゥーラの頭を優しくなでる。


「よしよし。つらかったんだね」
「帰りたくてっ……! でも、帰りたくなくて……! 帰りたいって言ったら、教官どのが、帰ってもいいって……! でも、でも……!」
「はいはい。落ち着いて。今、温かい飲み物でもあげるからね」


 幼い見た目に見合わない包容力だった。
 奥さんは狐系の獣人のようだが、実年齢はいくつなのだろうか。
 アレクの妻という立場を考えると、少なくとも二十代ではありそうだ。
 けれど、まだ成人していないトゥーラと比べても少し幼いようにも見えた。
 年齢不詳な夫妻である。


 しばしあって、奧さんが木製のジョッキを持ってくる。
 かぐわしい柑橘系の香り。
 ジンジャーレモンだ。
 蜂蜜漬けにしたレモンとしょうがに、お湯を注いだものだ。

 庶民のあいだでよく飲まれる、一般的な飲み物だ。
 トゥーラも、家で働いている侍従が作って飲ませてくれたのを覚えている。

 ひとくち飲む。
 暖かさと、酸味と、ほんのり甘い風味が、疲れ切った心を癒やしてくれる。
 侍従の作っていたものとは味が違うが、とても美味しい。
 家庭ごとの味があるのだろう。

 トゥーラは少し落ち着きを取り戻す。
 そして、奥さんに礼を述べた。


「あ、ありがとうであります……自分は少々、取り乱していたようで……」
「あはは。うちの人の修行はちょっとものすごいからね」
「そ、そうでありますな……ものすごくちょっとものすごいであります」
「夕飯、食べる?」
「い、いただくであります……あっ! 豆はなしで!」
「はいはい」


 奧さんは笑いながら、料理を開始する。
 今は、カウンター奧の厨房は使わないらしい。

 すぐそこで、フライパンを使い、卵や野菜を炒め始めた。
 それから、見慣れない物も入れる。
 ……粒の小さい、白くて、粘りけがありそうなものだ。

 トゥーラは。
 問いかける。


「奧さん、それはなにを作っているのでありますか?」
「チャーハンだよ」
「…………ちゃーはん?」
「アレクの故郷の食べ物でね。あれ、故郷のではないんだっけ? まあ、とにかく、最近、『ショウユ』に続いて『コメ』も栽培に成功し始めてるから色々開拓してるんだ。どっちも『もどき』ではあるみたいだけど」
「『ショウユ』に『コメ』……しかし、栽培? この宿にはそこまで大きな農場はなさそうに見えるのでありますが、どこか別な場所に土地をお持ちなのでありますか?」
「まあ、『ショウユ』はお酒みたいな作り方だし、『コメ』は稲作っていう方法だから、農場じゃないんだけど……色々とね。冒険者時代はけっこう稼いだから」
「そういえば、女王陛下から、教官どのはいくつかのダンジョンを『制覇』した冒険者と聞いているのでありました。……『いくつかのダンジョンを制覇』という表現はあまり聞いたことがないので、なにかの言い間違いかと思っていたのでありますが」
「『いくつかの』っていうか、『いくつもの』だね」
「はあ」
「ぼくが同行しただけで、六十七だよ」
「……はあ?」
「アレクだけなら百近いんじゃないかな? まあ、当のアレクは五十から先を数えない人だし。なんだっけ、えっと……『正確な数を知りたい時はクエストレコードを見ればいい』とかなんとか」
「意味不明すぎて自分は頭が混乱してきたのであります」
「すごいでしょ、うちの旦那」
「す、すごい……すごいというか……まあ、はい、すごいのでありましょう」


 表現する言葉が存在しない感じだ。
 アレクという冒険者の経歴を示すのに、一番感覚の近い言葉はたしかに『すごい』なのだろう。
 でも、そんな言葉だけで言い切ってはいけないなにかを感じる。
 闇の深さだろうか。


「ところで奥さん、教官どのはどちらに?」
「……本当に放心状態だったんだねえ」
「はい?」
「……ううん。アレクはお風呂を設置しに行ってるよ。今日は最近お風呂番をしてくれてるモリーンさん……ウチに泊まってる魔族の魔術師ね。彼女が出張してるからね」
「お風呂を……設置?」
「昨日、お風呂入ったでしょ?」
「は、はい。大きくてとてもすごいお風呂でありました」
「あれは毎日、魔法で設置してるんだよ」
「お風呂魔法……そういうのもあるのでありますか」
「ないから、石壁を五つ作って、中に水を溜めて湧かしてるんだよ」
「は、はあ……」


 六つぐらい同時に魔法を発動しているように聞こえた。
 まあ、アレク一人がそれをしているのであれば、別にいい。
 トゥーラの中で、あの人はもう『なんでもアリ』だ。

 でも、自分と年齢もそんなに離れて見えない魔族の少女が、そんなことをしている?
 なにかの比喩だろう。
 トゥーラは理解を超える事象をそのように納得することにした。


「なんとも示唆に富んだ会話でありますね」
「……示唆?」
「いえ。やはりその、モリーンさんもこちらで修行を?」
「そうだねえ。この宿にいる人は、みんな修行をある程度までしてるよ」
「ということは、みなさん、精神に異常を?」
「い、いやあ……正常なんじゃないかなあ……たぶん……」
「いいえ、正常ではないのであります……みんな、みんな、知らないうちに精神を作り替えられてだんだん苦しみを感じなくなり最後にはなにも感じなくなって人として大事ななにかが欠落していきそうしてできあがったのが、教官どのでありますな」
「う、うーん……我が旦那ながら否定ができないかも?」
「どうして奥さんはあのような方とご結婚を?」
「そりゃあ、好きだからだよ」
「か、変わったご趣味でありますな……」
「あとは、まあ、助けてあげたくてね」
「教官どのをでありますか? それはつまり、人の心があるうちに殺してさしあげたいと?」
「うちの旦那、そんな救い方しかできないの……?」
「ですが、教官どのを『助ける』と言われても、その程度しか思いつかないのであります……」
「逆にどうしてそんなことが思いつくのかなあ……いやいや、普通にね。アレクはああ見えて思い詰めるところがあるから、ぼくが支えてあげられたらいいなって思って」
「思い詰める……たしかに、なにを考えているかわからない存在ではありますな」
「けっこう昔のこと引きずるしね」
「昔?」
「うーん、ぼくも実はあんまり覚えてないようなことなんだけどねえ。ま、そんなことよりできたよ。チャーハン」


 コトリ、と皿に盛られた料理が置かれた。
 なんだろう、よくわからないが、美味しそうだ。
 ただ、山盛りにされた豆料理に見えなくもないのが、恐ろしいところだが……

 トゥーラは渡された大きめのスプーンで一口ほおばる。
 食べたことのない味だ。
 細かい粒一つ一つにしっかりと味が絡んでいる。
 独特な香ばしい風味と、ごろごろと入った肉の旨みが、噛むたび口内に染み渡る。
 このコメとかいうものも、粒こそ小さいが、一つ一つ、しっかりと存在感がある。
 美味しいように、感じた。


「スープもどうぞ」
「お気遣いどうもであります。しかし、不思議な宿屋でありますな。風呂は快適、食べ物は美味しい。ベッドの寝心地は最高。大きな鏡はある。トイレも、知らない形状で戸惑ったのでありますが非常に楽でありますな」
「『ヨウシキベンキ』らしいよ」
「こういった宿ならば、もっと立派な建物で表通りにかまえてもいいと思うのでありますが」
「この店はアレクのこだわりでね。実は、ほとんど収入はないんだよ」
「……冒険者時代の貯金を切り崩しているのでありますか?」
「ううん。別なところで利益出してるからね」
「別なところ?」
「続きは『マスター』に聞くといいかもね」


 奥さんは笑って言った。
 マスター?
 宿屋主人のことだろうか。
 しかし、今までそんな呼び方はしていなかったような気がする。
 それとも来て二日目だから知らないだけで、マスター呼びも普通にしているのだろうか。

 トゥーラは首をかしげる。
 すると。



「俺に質問ですか?」



 背後から声。
 トゥーラは怯えた顔でゆっくりと振り返る。
 そこには、音もなく、アレクが立っていた。


「きょ、教官どの!」
「はい。俺に質問でしょうか?」
「い、いえ、その……」


 聞いていいか、迷う。
 奥さんとの話の流れで、お金の話をしてしまったが……
 泊まっている宿の収益をわざわざたずねるというのは、行儀が悪い。
 だからトゥーラは首を横に振る。


「質問は、大丈夫であります」
「そうですか? なにかありましたら、遠慮なく聞いてくださいね」
「お気遣いどうもであります」
「てっきり、明日の修行についての質問かと思いましたよ」
「………………」
「トゥーラさん?」
「あう?」
「大丈夫ですか?」
「う、あ? え、は、はい、お気遣いどうもであります……」
「ああ、そうそう。今日の修行の成果を、ルクレチア様に報告しておきましたよ」
「女王陛下にでありますか!?」
「はい。俺から見た近衛兵候補の様子を逐一知りたいとのことでしたので、手紙で」
「きょ、教官どのから見た、自分の様子でありますか……」
「よろしければ、申し上げましょうか?」
「…………い、いえ……すべて終わったあとで、お願いするのであります……」
「わかりました。では、明日も修行をがんばってくださいね」
「あ、あー! で、でも! 陛下からもしお返事がありましたら、陛下の反応だけすぐにでも知りたいのであります!」
「そうですか。では、明日朝に返事がとどくと思いますので、修行前にお教えしますね」
「あ、明日朝でありますか!? 女王陛下に今日送った手紙の返事が、明日朝に!?」
「そうですよ。筆まめな方ですね」
「い、いえ……陛下から手紙や書類の返事をもらうのは大変だと、王宮内ではもっぱらの評判なのでありますが……」
「はあ、そうなんですか? 俺が送った手紙の返事や、俺のお願いした調査の結果などは、だいたい翌日にはとどくので、ああ見えてかなりきちんとした方だと思っていたのですが」
「……なんだか知らない人の話を聞いているようであります」
「でも、一つだけやめていただきたいことがあるんですよねえ」
「なんでありましょう」
「手紙の封筒にキスマークをつけるのは、やめてほしいです」
「……教官どのは、女王陛下とどのようなお知り合いなのでありますか?」
「誘拐された彼女を助けたことがあります」
「…………」
「あ、これはあなたが近衛騎士候補ということで話しましたが、基本的に、誘拐の事実はなかったことになっていますので、口外はしないでくださいよ。国家の一大事でしたからね。みだりにしゃべると、あなたが『なかったこと』にされてしまうかも。――それでは、仕事があるので失礼」


 笑顔で言い残して、アレクは去って行く。
 トゥーラはカウンター奧に消えていく彼を見送った。

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