挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
セーブ&ロードのできる宿屋さん ~カンスト転生者が宿屋で新人育成を始めたようです~ 作者:稲荷竜

四章 トゥーラの近衛兵入隊

56/249

56話

「おうち……」
「はい?」
「も、もう、もう、無理、無理です。おうち、おうちに、帰してください……お願い、します」


 トゥーラがそんなことを言い出したのは、夕方の光が差しこむ時刻になったころだった。
 死んだ。
 たくさん、死んだ。

 断崖絶壁から飛び降り続けた。
 怖かったし、痛かったけれど耐えて耐えて、耐え続けた。
 そして――ようやく、終わった、らしい。

 きっとこれが山場なのだとトゥーラは思っていた。
 だいたい、新兵訓練でも、最初の基礎訓練の方が応用訓練より辛いものだ。
 走りこみをしたり。
 腕立てをしたり。

 基礎は最初にやる。
 最初にやるものが一番辛い。
 そこで体力がついてしまえば、あとの訓練は、楽しくすらある。

 そう思ってきた。
 でも。


『次の訓練は豆が喉に詰まって窒息死するまで、食べ続けていただきます』


 そんなの。
 もう、訓練じゃない。

 トゥーラは心の中でなにかが砕ける音を聞いた。
 無理だ。
 帰ろう。
 帰して。


 だから、アレクの足元にすがる。
 そして懇願した。


「もう、駄目です……! こんな、こんなことして、いったい、どういう意味があるんですか!」
「HPが伸びます」
「そんなわけのわからないことのために、死にたく、ないです。苦しみたく、ない、です……」
「しかし持久力やふんばりは、生きていくうえで大事ですよ」
「生きるために死んだら意味がないじゃないですか!」
「大丈夫です。生き返りますから」
「もうやだあ! おうち帰る! おうち、帰してえええ!」


 泣き叫んだ。
 兵士になるための訓練も、持ち前の愚直さで耐えてきたのに。
 たぶん、人生で初めてみっともなく泣き叫んだ。

 アレクが。
 ぽん、とトゥーラの肩に手を置く。


「いいですよ、帰りますか?」


 微笑み。
 その言葉、その笑顔は、トゥーラにとって意外なものだった。

 帰して、と頼んだだけで帰してくれるならば、訓練にならない。
 新兵は極限の状況の中、帰りたいとどれだけ叫んでも、教官に止められるものだ。
 だからこそ、トゥーラも――おかしな言い方になるが――帰れないとわかって、安心して『帰して』と泣き叫ぶことができた。

 それなのに。
 帰って、いい?
 トゥーラはなにを言われているのか、わからなかった。


「か、帰って、いいのでありますか?」
「はい。ウチの宿は、お客様に無理強いはいたしませんから」
「無理強いをしない……?」


 無理強いとはなんだっただろうか。
 と、考えて、トゥーラは気付く。
 彼はたしかに、飛び降りる時、一度も『絶対にやれ』とは言っていない。

 ただ。
 やること前提で話を進めているだけだ。


「ほ、本当に、いいのでありますか?」
「かまいませんよ。ただ――あなたがそれでいいのなら、ですけれど」
「えっ?」
「女王陛下にお仕えする近衛兵のみなさんは、俺の修行を達成しています」
「…………」
「詳しい近衛兵選考条件は存じ上げませんが、修行を最後までなさらないことは、あなたにとってあまりいいことではないのかではないかと、心配になります」


 アレクは困ったように微笑んでいる。
 その笑顔は、『近衛兵』という餌を盾に修行を強要するような、意地悪いものではない。
 もちろん、訓練の手間がなくなることを喜ぶような、怠惰なものでもない。


 心から。
 こちらの身を案じて。
 他者を思いやる、慈愛の笑顔。


 だから、トゥーラは理解する。
 やめたいと言えば、本当にやめさせてくれるだろう。
 それに、彼の修行は、意地悪でも、拷問でもない。

 あくまで彼の主観において。
 もっとも効果的なことをやらせているだけに過ぎないのだと。

 ……彼の常識に照らし合わせて。
 まっとうな修行しかつけていないのだと。

 ただ。
 主観と常識が、どこか一線を超えてしまっているだけなのだと。

 トゥーラは表情を失い、常識が根底から違う生き物を見た。
 同じヒトガタなのに、あまりに違うナニカを見上げる。
 そして、つい、問いかけが口をついた。


「きょ、教官どのは、本当に、人なのでありますか……?」
「えっ? 人ですが?」
「実はかつてモンスターで、長い年月を経て人間の姿になったとかでは?」
「そんなことはありませんけれど……なぜそう思ったのでしょう?」
「だって、常識が、おかしいので」
「ははは。まあ、さすがに俺も、自分を『常識的な人間だ』などとうそぶくほど恥知らずではありませんが……でも、常識とはなんでしょうね?」
「……えっ?」
「法律を守ることでしょうか? 人に好かれることでしょうか? それとも、自分自身が『これはおかしい』と思う行動をとらないというような、主観的なものですかね?」
「えっ、えっ、あの」
「俺は、こう思います」
「……」
「『長く積み重ねてきた自分なりの価値観』だと」
「…………教官どの」
「だから、死に続ければ、いつか死ぬことが常識になります」
「いえ、それはならないのであります」
「なります」
「なりません」
「なります」
「な、なりません」
「いいえ、なります」
「……………………おうち帰りたい」
「帰ります?」
「か、帰りません……自分は、近衛兵になって、女王陛下に、恩を返したいのであります……」
「じゃあ、常識を書き換えていきましょう」


 にっこりと笑う。
 トゥーラも、笑った。
 笑う以外にどうしたらいいかわからなかった。

 アレクは。
 右手で、ある物を指し示す。

 それは、大人三人が入れそうな、非現実的な大きさの風呂敷だ。
 中身はもちろん。


「豆を、食べましょう」


 小首をかしげる。
 トゥーラはガタガタと震えだした。

 ――この人は、優しい。
 うちに帰りたいと言えば、帰してくれる。
 修行が嫌だと言えば、やらなくていいと言ってくれる。


 でも。
 トゥーラは知る。

 わがままを言ったら、無理矢理にでも止めてほしい。
 帰りたいと言ったなら、髪をつかんででも『帰るな!』と強制してほしい。

 だって。
 そうしないと、自分で自分を奮い立たせるしかなくて。
 ずっと、正気を保ち続けるしか、なくて。
 教官を悪に仕立てて、責めるなんていうことさえ、できなくて。


「どうされました? このままだと、夜までに帰路につけませんよ?」
「か、かえ、かえ、かえ……」
「はい? 帰る、ですか?」
「かえ、かえ、おう、おうちっ、かえ、りません!」


 全身が震える。
 でも、はっきりと、言い切って。

 トゥーラは。
 豆という絶望に向き合った。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ