第五話
鹿岡兄妹を交えた昼食は、和やかに過ぎていく。
「お姉様、はい、あ〜んしてください♪」
「真奈美ちゃん恥ずかしいよ……。ほら、仁君たちも見てるし……」
体を必要以上に寄せ合い、半ばもつれ合うようにして、佳乃の口元にミートボールを持って行く鹿岡義妹。
「もう、真奈美ちゃん、強引だよ……んん、んっ……!」
鹿岡義妹は佳乃の言葉を聞きもせずに、無理矢理ミートボールを口に押し込んだ。ミートボールに付いていたソースが、佳乃の口元を汚す。それは、べたべたとして、禁忌を犯す液体のように思えた。
「……その独白はどうかと思うぞ」
ぼそりと鹿岡兄。
「こ、声に出てたのか?」
「ばっちり出てた」
「いかん、重傷かも……」
頭を抱える俺の目の前で繰り広げられる、女の子二人の絡み合い。今度は、頬についてしまったソースを鹿岡義妹が舌で舐めとろうとしていた。
「こら、真奈美! 夕凪さんが困ってるだろ。それぐらいにしなさい」
「むむぅ……これからがお姉様との良いところなのに」
先輩である佳乃を押し倒そうとするその度胸は、もはや年下の枠に収まっていない。名残惜しそうに佳乃から離れた鹿岡義妹と目が合うと、やはり不敵な笑みを浮かべる。
むむ、胸の奥にくすぶるものがあるぞ。
「ごめんね、夕凪さん、うちの馬鹿義妹が……」
「馬鹿!? 今、お兄ちゃん、真奈美のこと馬鹿って言った!」
瞳を一瞬にして透明な膜で覆う。
「そこまでひどくないですよ、真奈美ちゃんは」
「お姉様、そこは否定するところです!」
「……ぷ……」
俺がこぼした笑いに、鹿岡義妹の眼光が鋭くなる。メデューサもかくやという眼光に、俺は石化する。
……浮かべた涙はどこへいったんだ、鹿岡義妹。
「もう、お兄ちゃんたら。嫉妬しなくても真奈美はお兄ちゃんのものだよ〜」
「真奈美、それは違うぞ。真奈美は誰のものでもない、真奈美自身のものだ」
……今のは何気ないが、名台詞ではないだろうか。要チェックだ。
そんな兄の言葉に耳を貸さず、用意してきた弁当箱から、唐揚げを取り上げて、鹿岡兄の口元へ。
「はい、お兄ちゃん♪ あ〜ん、して♪」
「く……男には、プライドが……」
俺たち二人の手前、何とか一連の萌え行為から逃れようとする鹿岡兄。
「佳乃、良い天気だな」
「そ、そうだね、仁君」
「明らかに不自然な目の反らし方をしないでくれ!」
「ほらほら、お兄ちゃん、真奈美の愛を受け取ってよ〜」
何だろう、悲しくもないのに涙が出そうだ。
そうか、これは悔し涙か。
「――いかん、雨が降ってきたな」
「雨なんて降って……」
佳乃が空を見上げ、そして何かに気がついたように、俺を見つめる。
「いや、雨だよ」
見つめた青空の下では、トビが気持ちよさそうに旋回していた。あのトビになれたら、俺はきっとこの町を出て行く。そして、見知らぬ大地で土に根をおろし、風と共に生きよう。種と共に冬を越え、鳥と共に春を歌おう。うん、それがいい。
「仁君」
「……なんだ、佳乃。今俺はどうしようもなく黄昏れたいんだ」
腹の奥にわだかまる気持ちを押し込んで、何とかそれだけを伝える。
「はい、あ〜ん」
佳乃が玉子焼きを俺に差し出す。
「仁君?」
落ち込むこともあるけど、俺、この町が好きです……!
拳を握りしめ、感涙にむせぶ。
「佳乃、俺は今、猛烈に感動している!」
「仁君、大げさだよー」
恥ずかしそうに頬を染める佳乃。両手を頬に当てて顔を左右に振る。俺はそんな佳乃の愛らしい姿を眺めながら、口を大きく開けて佳乃の玉子焼きを口に入れる。
「うん、やっぱり佳乃の玉子焼きは、この味が良いね」
絶妙の半熟具合。舌の上でとろけて、芳醇な後味が口内に浸透していく。どこか心までも暖かくしてくれるようだった。
「仁君……嬉しいな。今日は玉子焼き記念日だね」
佳乃の輝くような笑顔。
「あ、仁君、一句浮かんだよ」
「どんな?」
「この味が、いいねと君が、言ったから、七月六日は、玉子焼き記念日。……字余り?」
――佳乃、それだけは駄目だ! 国家権力のお世話になるぞ! それに、第一今日は七月六日じゃないし。
しかし、俺は声に出そうとしたツッコミを飲み込む。
嬉しそうな佳乃の笑顔に、水を差すようなまねをするべきではないと思ったから。
「うん、いいね。それ」
俺は佳乃の頭を優しく撫でてやる。さらさらと、絹のようななめらかさをもった髪の毛が、俺の手の下でくしゃっとなる。
「仁君、くすぐったいよう。でも、気持ちいい……もっとして……?」
佳乃は嫌がる素振りを見せずに俺にされるがまま。
佳乃が俺に尽くしてくれる心遣いが分かるから、逆に俺は心苦しくなるときがある。佳乃の純粋な奉仕に、俺は応えるすべをもっているのだろうか、と。佳乃がしてくれるものを、ただ一方的に受け取り続けている。申し訳なさと、情けなさの板挟みにあいながら、俺は佳乃が喜んでくれるならと、せめてもの感謝をもって頭を撫で続けてやる。
「……仁君に撫でられるのって……大好き」
今度は佳乃の髪の毛をすくようにする。佳乃は陶然としたまま、目をつぶる。キスをねだる恋人のように思えてしまうのは、きっと俺のうぬぼれだ。
佳乃の髪の毛の感触を味わい続けながら、俺は愛しさを感じていく。世界でただ一人の幼馴染みに。
「…………お兄ちゃん。どうぞ」
「…………何だ、真奈美。どうぞ」
「…………真奈美は我慢なりません。撃ちます。どうぞ」
「…………真奈美、そのM82A1はどこから持ってきたんだ? どうぞ」
「…………もはや、お姉様と真奈美の間に無用な説明はいらないのです。どうぞ」
「…………真奈美、50口径弾の人体への射撃は、国際条約で禁止されているぞ。どうぞ」
「…………落ち着いて狙えば大丈夫。真奈美は石。真奈美は石なんです……」
「――って、何をやってるんだ?」
ランチマットの上で腹ばいになっている、鹿岡義妹に話しかける。
「お兄ちゃん! 目標に気づかれました!」
スコープをのぞいたまま、鹿岡義妹が叫ぶ。話しかけた先の鹿岡兄は、黙々と弁当を口に運んでいた。何とも、対極な光景。
それにしても、そんな大がかりな狙撃銃を、女の子が撃てるのだろうか。蛇足だが、2000メートル先の装甲車を撃破したという伝説をもつ、アンチマテリアルライフル(対物銃)だぞ。
「一撃でしとめてみせます!」
それだけ俺が憎いってことなのか!? そうなのか!?
鹿岡義妹が引き金を絞るのが確認できた。
轟く銃声。
「真奈美ちゃん、駄目!」
佳乃が俺の前に飛び出す。
「お姉様!」
「佳乃!」
放たれた凶弾。
残酷な一閃は、佳乃の胸を打ち抜く。
ゆっくりと、スローモーションのように佳乃の体が傾いていった。俺はそれを腕の中に受けとめて、佳乃のはかない笑顔を瞳にうつす。
「真奈美は……取り返しのつかないことをしてしまったのです……お姉様を……」
鹿岡義妹の絶望が屋上に漂う。
「仁君……どうして泣いているの?」
「別れ際にさよならなんて、そんな悲しいこと言うなよ?」
下手な笑顔をつくろって佳乃に届ける。
「そんなこと言わないよ……」
俺は真っ赤になった佳乃の制服を見て、歯ぎしりする。
助からない。そう分かってしまったから。
残りわずかな命の灯火を輝かせるように、佳乃が俺の頬に手を添える。
「とても素直に仁君がが見える……だから泣かないで。守るから……私の本当の想いが、仁君を守るから」
「佳乃……! 俺は君を……!」
俺の涙が、佳乃の制服に染み込んでいく――
「真奈美、今日の弁当は少し味が濃すぎたような気がする。梅おにぎりも妙に塩っ辛いし」
「だってぇ、お兄ちゃんが急がせるんだもん」
異世界からの声。
「か、佳乃……俺は」
「はぁ……教室に戻るのが憂鬱だよ」
「そんな、お兄ちゃんったらぁ、真奈美と離れたくないだなんて」
「お、俺は、君を……」
忍耐だ。これは試されているんだ。
「そんなこと言ってないだろ!」
「いやん♪ えっち! お兄ちゃんたら、つっこむふりして真奈美の胸を――」
「触ってないから! それにそんな感触があったことすら気がつかなかったから!」
「お、俺は……き、き、君を……」
何だろう、この沸々とわき上がってくる、マグマのような熱を持った感情は。
「仁君、ペイント弾で汚れた制服どうしよう? 真っ赤に染まっちゃって、きっと助からないよ」
佳乃の声も、どこか衛星中継のように遅れて聞こえてくる。
「真奈美はまな板じゃない!」
「危ないだろ! いったいどこから釘バットを……!」
乱闘騒ぎを起こす鹿岡兄妹。釘バットの犠牲になった弁当箱から、梅干しの種が弧を描く。それは俺の頭上に飛来した。
梅干しの種が俺の頭にぶつかって、妙な鐘の音とともに弾け飛ぶ。
「あ、仁君の種が割れた……じゃない、キレた」
俺の思考がクリアになり、それは奔流となって学校中にこだまする。
――俺のボケを聞けえええええっ!!
渾身のボケを放置された世界の中心で、俺は叫んでいた。
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