第二話
「仁君、お腹大丈夫?」
家を出てもなお痛む腹部をさすりながら、俺は佳乃に笑って見せた。今は、通常の佳乃に戻っている。
「名誉の負傷さ。心配するな、佳乃」
俺が佳乃の頭をぽんぽんとなでてやると、佳乃は安心したような笑顔を見せた。俺の腹部に零距離からの突きを放った人間のものとは思えない、天使の笑顔。
「どうしてかな? 仁君の表情が硬いような気がする。心なしか、私の左手も痛いし……気がついたらベッドのそばに仁君が倒れてるし、お腹から煙が立ってるし」
漫画的な演出にはあえて触れずに、俺はある一軒家の前で不意に立ち止まる。朝には似合わない騒がしい声が、その家の窓から聞こえてくる。
――お兄ちゃぁん、朝だよー!
「真奈美ちゃんの声だね」
佳乃が背伸びをして、窓の中をうかがおうとする。
「ああ、いつ聞いても萌えるな」
腹部の痛みも忘れるようなハスキーボイスが、俺の鼓膜を射抜く。
――ダメ! 可愛いしっかり者の義妹がだらしない兄を起こさないと、人類の存在理由の半分が失われるの!
激しく納得。胸の前で作った握りこぶしが、かつてない握力を呼び覚ましていた。
「すごい……仁君の指が黄金に光ってる」
得意げになる俺。どこか佳乃の冷めたような視線を感じながら、俺は早朝の空に叫ぶ。天も驚くような拳と書いて。
「俺の右手が真っ赤に萌え――」
そのとき、俺の言葉をさえぎるようにして、家の窓を突き破った目覚まし時計が俺の顔面を直撃する。
「……仁君、著作権って怖いんだよ? 三年以下の懲役または、三百万円以下の罰金だよ?」
作者の都合というやつの犠牲になったわけか、俺は……。
「仁君、作者って?」
「俺も言っていて良く分からない……」
というかこのやり取りは、前回したような気がする。
「仁君、前回って?」
「知らん!」
額にめり込んだ目覚まし時計を引き剥がして、口に入っていた単一電池を口から吐き出す。
「仁君って、電気で動いてるんだぁ」
両手を合わせて感動している佳乃。
「いいか佳乃、天然ボケというキャラクターは、やたらボケればいいというわけではないんだ」
「え、そうなの?」
佳乃は驚いたふりを撤回して、眼を丸くする。
「そうだ。確実と思われる場面でボケなければ、それはただの馬鹿だ。いいか、馬鹿と天然は違う。この差は大きい。とてつもなく大きい。それこそ、赤木と高砂ぐらいにだ。背じゃないぞ、見た目の問題だ。それこそパスミスが起きないぐらい、差は大きいんだ。たとえば、そうだな……電車の中で周囲の迷惑を考えずに大声で話している女子高生がいるだろう」
「ええと、三次元の話だよね」
……いや、そういう笑顔での確認は、いらない誤解を招くから止めてくれ。次元とかそういう差別的な単語を使うから、居心地が悪くなるんじゃないか。
俺はちくりと痛む胸の痛みを我慢しながら、佳乃に言い聞かせる。
「あれは馬鹿だ。だけど、転校初日の曲がり角で、パンを加えながらあわてて走ってきた女の子と激突して、朝の教室で再開して『お、お前は!』的なうるささは――」
「ええと、三次元の話だよね、仁君。あれ……仁君? 道の真ん中で背中丸めてどうしたの?」
「いいさ。今のはアグレッシブにいった結果さ、オーケーなのさ……」
胸の激痛に耐えながら、道端に赤木の絵を描き始めた俺。そんな泣きべそをかく俺に、佳乃が顔を寄せながら肩を叩く。
「さ、整列だ」
「それを言うなら、登校」
「あれ、違ってたっけ」
いや、合ってるよ。でもさ、ほら、著作権がさ。目覚ましみたいなことにね。俺が、痛いから。
内心で何が起きるか冷や冷やしながら、意味不明な葛藤を繰り返す。
「じゃ、行こう、お兄ちゃん♪」
先に歩き出した佳乃が、スカートを揺らしながら振り返る。鹿岡義妹の真似をしているのだろうか。恥ずかしそうで、それでいて楽しそうだ。
朝日のまぶしさが、佳乃のまぶしさと重なって、俺は目を細める。
「う〜ん、妹という設定も捨てがたいなぁ」
あごに手をやってつぶやく俺に、佳乃はまぶたを指で下げて、舌を出す。いわゆる、あかんべー状態。
――お前はここで着替えるなー!
そんな声が頭上から降ってきたので、俺は携帯電話を開いて時刻を確認する。八時四十分で遅刻確定で、ここからは普通に歩くと十分ぐらいかかりそうだ。
「ま、俺たちも行くか」
腹部の痛みも忘れて、俺達は足早に学校へと向かうのであった。
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